僕は先生と子作りがしたい

下之森茂

Boys, be ambitious!

わたしたちはアダムとイブ。


「先生、僕は西原にしはら先生と子作りがしたい。」


「授業のジャマをしないでね、知野見ちのみくん。」


わたしはいつもの、

びめの高い声で生徒をいさめた。


わたしの授業の最中、

生徒の知野見ちのみ大智だいちが立ち上がって告白した。


えり制服の丸刈り頭が、耳を赤く染める。

――童貞どうていか? こいつ。


「座って。」


優しく声をかける。

以前はこうした告白も頻繁ひんぱんに受けていたから、

慣れたもので、懐かしささえ覚える。


イスに座った知野見ちのみはこう言う。


「まだタってます。」


「セクハラ。ふたりしかいないからって、

 変なこと言わないでちゃんと授業に集中して。」


教室にいる人間は教師のわたしと、

15歳になったばかりの生徒、知野見ちのみしかいない。


「つまんないから保健体育の授業にしようぜ。」


「それをセクハラって言うんですよ。」


いまはわたしの担当だった『人機じんき学』の授業中。

しかし知野見ちのみは進行を妨害ぼうがいしてくる。


以前から教頭や他の男性教諭から、

セクハラじみた発言や過剰かじょうなスキンシップが

横行していたから慣れはあった。


でも生徒からのセクハラは

バカにされているみたいで耐え難いものがある。


こんな侮辱ぶじょくを受けるために

教師になったつもりはない。


小学生時代の寡聞かぶんで、

教師なんて職業に憧れを抱かなければよかった。


過去に帰れるなら、教育実習時代に

わたしの心を折っておきたい。


いまのわたしはこの中学生の子守り同然。


わたしがあきれてついたため息を、

目の前の坊主頭にはなにを勘違いしたのか、

押せばいけると手応えを感じたようだ。


「先生はセクシーダダ漏れだし、

 誘ってるのわかるよ、俺。」


「なんですか、セクシーダダ漏れって。」


言い方がまず鼻につく。


「えーっと、つまり…セクシヤル?」


そしてこの語彙ごいのなさ。


わたしはこれでも思春期の生徒を刺激しないよう、

細心の注意を払っているつもりでいた。


服装は常に黒のパンツスーツで、

ワイシャツはちゃんと胸元まで閉じている。


倍近い年齢差があるので、

まず性欲を喚起かんきしないと思っていた。


「つまり、着エロってやつだよ。」


「はぁ。」


思春期をこじらせた眼の前の15歳の中でも、

知野見ちのみは脳みそを性器ちんちんに支配されている。


諦めで頭を抱える。


――――――――――――――――――――


教室にいる、知野見ちのみ以外の座っているモノを見た。

それはすべて機械人形。


生徒の代わりに教室の席を埋める30体の機械人形。

これらは人間の生活を維持するライフサポーター。


緊急避難でわたしたち人間は、

地下シェルターに逃げ込んだ。


地下で数百人が1週間生きるには困難で、

硫黄いおう冬眠』を使わなければいけなかった。


体温を30℃ほどにまで下げて代謝を落とす

この冬眠技術には、グルタチオンを用いる。


グルタチオンはトリペプチドのアミノ酸で、

タンパク質の構成に硫黄が90%以上含まれる。

なので『硫黄冬眠』と名付けられた。


そのグルタチオンは細胞の酸化ストレスを

軽減させ、細胞の自死(アポトーシス)を防ぐ。


冬眠から目覚めると身体から硫黄の、

つまり卵のくさった臭いが鼻に残るのが難点で、

1ヶ月は臭いが取れなかった。


緊急避難したわたしたちが30年も寝てる間に、

ライフサポーターの機械人形はシェルター設備の

オブザーバーと呼ばれる人工知能の指示で、

避難した人間たちが住める環境を構築した。


けれどわたしたちを収容したシェルターは半壊し、

残された人間はわたしたちふたりだけになった。


他に冬眠していたひとたちは、

事故で全て死んでしまった。


わたしは覚悟するしかなかった。


家族も親戚しんせきも、友人もいない地下シェルターで、

いつまでもふさぎ込んでいるわけにもいかない。


わたしは教師なのだから。


「過去に女生徒と『そういうこと』をして

 捕まった男性教諭がいましたが、

 教師が生徒に手を出すのは犯罪なのよ。」


「女の先生からならいいんじゃないの?」


「いいわけがありません。」


この少年にはどうやら言語が通じないらしい。

逆に知野見ちのみからあからさまなため息を返された。


「なに? まだ、なにか言いたいの?」


「大人の色気を見せるサービスとかねぇの?」


「あるわけねーだろがッ! クソザル…。

 お前が知らねぇだけでアタシは

 サービス残業散々してんだよ!

 授業の準備だってあるし、いつまでも

 人間がテスト作って採点して、

 どうでもいい行事を手伝わされて!

 交流だとか言われて酒の席でアルハラ!

 部活の顧問になったら今度は休日失って、

 部員の指導に試合まで付き添い、

 他校と連絡取ったり保護者会にまで参加!

 子ども産んだからってマウントとって来る

 クソババアどもはわたしを過労で殺す気か!

 バーカ! お前ら全員さっさと滅びろ!」


と、言ってしまえたら、

どんなに気が楽になるだろうか。


まぁ、ほぼほぼ滅んでるけどね。人類。


わたしはすました顔で、

教卓を指先でトントンと叩く。


すべての人類がシェルターに入ったわけじゃない。


人類の危機はとても早い段階で予測された。

人工知能のオブザーバーはそれほど優秀だった。


地球を中心とした宇宙を観測し、

0.001光年の距離にあった彗星すいせい群が

衝突しょうとつする可能性を極めて高いと評価した。


それから人間がわざわざ観測結果を再計算。

のん気な対応をしていたおかげで、

彗星群の衝突予定は4年後になった。


わたしが教育者になれた時には、

あらゆる地域や国までもパニック状態。


仮想かそう水の奪い合いで戦争が起きた。

酸素カプセルや化学防護服が品切れになった。

自給自足の原始的な生活に回帰する人々が増えた。

ご近所の小学校はミドリムシの育成ブーム。

宇宙服で学校に通う生徒までもいた。


学のない人間には、状況を理解さえできない。

教育の大切さを、いまになって痛感した人も多い。


ライフサポーターが世界各地に

地下に冬眠用シェルターを用意したが、

衝突予測地域が判明しても信じない人たちは

シェルターに入ることを拒んで暴動が起きた。


『硫黄冬眠』を機械人形の反乱として、

『人類を葬るための棺』とまで侮蔑ぶべつする。


そして予測された彗星群の衝突で、

地殻に起きた津波があらゆる生物を飲み込み、

地下のシェルターまでもを破壊した。


1000メートルを超える海水と土石の津波。


わたしたちふたりが生き延びたのは

奇跡と呼べたけど、その結果は

受け止めきれないほど残酷ざんこくだった。


立ち直れたのは機械人形のライフサポーターと、

人工知能のオブザーバーのおかげだった。


わたしは授業という日常を取り戻せたのだから。


しかし、相手となる生徒に問題があった。

こればかりは授業以前の問題。


――――――――――――――――――――


「授業のジャマになるから、

 静かにしてくださいね。」


「でももう学校もないし、

 生徒だって俺しかいないじゃん。」


平静へいせいを装い、穏便おんびんな口調を保つ。

血管がブチ切れそう。


教室を見回しても機械人形だらけの状況。

知野見ちのみの集中力はすぐに限界がきていた。


わたしはこの絶望的な環境で、

勉強を教えられたならそれでよかった。


生徒のおつむの出来には難があった。

学年で下から数えた方が早い生徒だ。

現時点なら人類では最下位。


だけど、この生徒はわたしたち以外の

人類が滅んだと知らされて、どう思ったのだろう。


わたしは自己満足的な授業を見直し、

かれの意見をもう少し聞いてみようと思う。


知野見ちのみさんはどうして

 そんなことを言うんです?」


「そりゃ先生とセッ…いや。

 ほかに誰もいないんだから、

 『俺らで子ども作るのが残された人類の使命』

 だろ?」


これは明らかに言わされている回答。


「そう…。

 子作りの方法を知ってます?」


「当たり前じゃん!

 オシベとメシベだろ。」


堂々と言ってのけて笑う。


鼻の穴を大きく開いて、

およそ知性を感じられない顔。


わたしの表情を読み取ってくれたのか、

別の答えを言った。


当然、わたしの期待した答えではない。


「精子と卵子。」


聞かなければよかった。

後悔するも手遅れだった。


稚拙ちせつな答えの連続。

これまでのわたしの授業の成果はなかった。


「受精して、はい? が分かれる。」


はい。ですね。」


「おぉ! 合ってた!」


自分で勝手に判断して喜ぶところが実にガキ。


生殖器ちんちんに脳を支配された人間の成れの果て。

地球上で最も救いようのないおバカさん。


「いままでなにを勉強したのかしら。」


と、わたしは前置きした。


教室内の生徒たち…

機械人形のライフサポーターを見た。


これじゃ、まるで授業ごっこ。

教え甲斐のない生徒、終わりのみえない授業、

教師としてなにを目的にするのか考えた。


「ただ、先生も子作りに興味があるわ。」


「えっ! マジでっ?」


――――――――――――――――――――


シェルターにはオブザーバーと呼ばれる

人工知能が存在する。


機械人形のライフサポーターを制御し、

人間が地下で生きる為のシェルターを

長年かけて拡張かくちょうさせた。


このシェルターで唯一成人しているわたしは

オブザーバーと対等な権限で会話が可能で、

ライフサポーターは常に人間に奉仕ほうしする

役目を持っている。


しかし人間がいなくなれば存在意義そんざいいぎを失う。


『我々は人口の増加、人類の保護を望みます。』


地表が滅びる前、豊かだったあの地球で、

わたしは目標にしていた教師になるために、

人機じんき学』と呼ばれる教育分野を専攻した。


機械人形たちが人間の生活を補助することで、

人間たちがひまになったため作られた新たな学問。


オブザーバーとライフサポーターの存在のおかげで

彗星群の発見があり、『硫黄冬眠』が開発された

他にも人間の生活は拡張かくちょうされた。


人間の社会は機械人形に依存いぞんし、

機械人形のない生活は存在しえない。


『人機学』とは機械人形を社会のじくにした時代の、

人間と機械人形の密接な関係と法律、歴史の学問。


わたしはこれまで学んだことを、

こんな地下で捨て去るつもりはない。


教育者として生き続ける道を選んだ。


知野見ちのみくんが望むなら、

 これも授業の一環いっかんとして

 わたしも協力してあげるわよ。」


「え? マジ! やった!

 言ってみるもんだな!」


手を頭の上で叩いて

サルのように喜ぶ知野見ちのみを、

わたしは微笑ほほえましく眺める。


体育会系ってやつは単純だ。


知野見ちのみはさっそくベルトを緩め、

制服を脱ぎ、ズボンを降ろしてパンツ姿になる。


「アンタ、なに期待してんの?」


「え?」


目の前の動物をたしなめるべく、

思わずわたしは地声で言った。

当人はさぞ驚いたことでしょう。


生徒に対してこの低い声はまず使わない。

わたしは自分のイメージを大事にしてきた。


「ホント、あきれるくらいに

 わたしの授業ちゃんと聞いてないのね…。」


「は? だって。」


ゆるんだアホ面に悲しみがにじむ。

そんな顔しても手遅れよ。


「教師が生徒に手を出すわけないし、

 生徒に手を出させるのも教育者側の罪。」


座っていただけの機械人形が知野見ちのみの両脇をつかみ、

ズボンを上げてお粗末なものを隠した。


「俺と子作りするんじゃなかったのかよ!」


「望んだのはアンタであって、わたしじゃない。

 わたしはただの授業の協力者。

 言ったわよね? 子作り。」


「したい…です。」


「よろしい。オブザーバーも聞いてたわね?」


『はい。両者は人口の増加に同意しました。

 本件に限っては地下特例法として認められ、

 現シェルター上での教育案件となります。』


教室にオブザーバーの音声が響く。

知野見ちのみと子作りなんてわたしの本意ではない。


かれ単体ならきっと、

ダーウィン賞も狙えたでしょう。

この災害がなければね。


これから生まれてくる子どもたちには、

潜性せんせい遺伝子に期待しようと思う。


この教室シェルターでは、仕方がないんだと

わたしは自分に言い聞かせ、あきらめる。


「わたしは卵子、アンタは精子を提供する。

 そういう話よね?」


「え…、はい。」


素直に返事ができて大変よろしい。

わたしは胸元で小さく拍手してあげた。

可愛らしいイメージ。三十路みそじ手前でがんばる。


「でもね、

 機械人形が普及して、人機学で教えた通り、

 性交せいこうして女だけが妊娠する時代じゃないの。」


「そう…だっけ…?」


いまだに理解できていない様子の知野見ちのみに、

理解できるまで最大限やさしく微笑ほほえんであげた。


『未成年者の出産は、既存の法律に基づき

 母体の生命および健康を保護します。

 ご安心ください。』


オブザーバーの言葉で、

知野見ちのみは授業で教えた箇所を思い出している。


自らの腹を見て、崩れた表情をする知野見ちのみ

あぁ、その顔。やっと分かってくれた。


「楽しみね。15歳男子の妊娠って。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕は先生と子作りがしたい 下之森茂 @UTF

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説