夢中になって面が割れてる(後):カガの話

***


 賑々しく行きかう参拝客の中を真直ぐに進むカガの背を必死で追った。

 木々の暗がりから眺めていた時とは全く異なる人々の活気と夜店の色彩に目が眩みそうになりながら、工藤はここが異界アカマルであるにも関わらず、幼少の記憶と目の前の祭礼の様子がさして違わないことに郷愁とも恐怖ともつかない感情を抱く。聞こえるお囃子の物寂しさも夜店の騒々しく軽薄なのに虚ろな色合いも楽し気なのに個々の表情は判然としない人混みも、いつか紛れた夜祭の風景と切ないほどに重なる。

 突然にカガが立ち止まった。工藤もカガの背にぶつかることなく必死で追っていた勢いをどうにか殺し切る。祭りの騒めきを裂く怒号が途切れ途切れに聞こえる。

 アロハの背越しにそろそろと前方を伺えば、群衆が示し合わせたように混雑の中にぽかりと空いた空間、その中心にその原因であろうものがいた。

 矢継ぎ早に罵声を交わしながらごつりごつりと小突き合う、格好からしてまともではない男二人。一方の男から少し離れた位置で人ごとのように夜店を眺めている女はどちらかの連れだろうか、どの道止める気はないようで、過熱していく罵倒を聞き流すその顔は夜店の照明で歪に彩られている。


「あれか」


 短く言ってカガは工藤の方を振り返ろうともせず、そのまま近くの射的屋に割り込んで射的銃を当然のように持ち去る。あっけにとられた顔をしている店主に慌てて工藤は自身の腕に巻かれた『巡回』の腕章を見せて口早に詫びを述べた。

 人垣の合間で苦心して背伸びをすれば辛うじてカガの後ろ姿が見える。周囲の人々の殆どは小競り合いを続ける若者チンピラに気を取られているが、射的銃を提げたカガに気づいた人間から跳ねるように道を開けていくのが妙におかしかった。


 遠巻きにでき始めた人だかりをすり抜けたカガは中央のチンピラの背後に無造作に近づき、何も言わずに銃床で男の頭部を横ざまに殴りつけた。


 頭部を殴られた男は声も上げずにどたりと倒れる。突然に現れた暴漢と物も言わずに頽れた喧嘩相手に理解が追い付かないのだろう、もう一方の濃桃に黒縞の浴衣のチンピラがぽかんとした顔で目の前の不審人物射的銃を提げたカガを眺めている。カガはざわつく周囲に目もくれず地面に伏せたままの男の帯を掴んで、そのままずんずんと人混みを裂くように歩き始めた。


 工藤は慌てて群衆の中からカガの背を追う。だが我に返ったようにせわしなく動き始めた参拝客たちはあっと言う間に道を埋め、カガの背を遮る人の数はどんどんと増えていく。

 はぐれる、と直感して名前を呼ぼうと口を開きかけて、工藤は一瞬だけ躊躇した。

 その一瞬で赤いアロハの背は人混みにぞろりと呑まれた。


***


 右も左もよく分からない。それでも方向に雑な見当をつけて、明るいところを選びつつもカガを探しながら歩いているうちに紛れ込んだひと気のない境内の外れ。参拝客の姿はどこにも見えず、囃子も照明も微かにしか届かない。いくらカガがろくでもなかろうと人を引きずったまま群衆の中を歩き続けるわけもないだろう、何かひどいことをするにしても人目につかないところに運ぶはずだと幼稚なのに鬱々とするような予測を立てて彷徨った結果だ。当然のようにあては外れ、カガはおろか参拝客の一人も見当たらない夜の中で工藤はぽつねんと立ち止まる。

 カガと完全に逸れたという事実を認識した時点で、これ以上歩き回る気力は失せていた。


「見ない顔だね小僧。この辺じゃ見ない種類の顔だ」


 こっちに来たのかいと聞き覚えのない声が夜闇に響き、跳び上がりそうになりながら工藤は声の方を振り返る。


 無数の空洞の眼が一斉にこちらを見た。


 古式ゆかしい狐面から何かのキャラクターらしい愛嬌のあるもの、牙や目玉を滑稽なほどに誇張された怪物の面まで種々の面がずらりと店先に下がっている。

 翳った日のような色の光に照らされる夥しいお面の中に紛れるように座っている店主らしきものは大儀そうに片手を上げて、煙でも払うような仕草をしてみせた。


「大方こっちに来て日が浅いんだろ。連れと逸れて歩き疲れて、途方に暮れてのご来訪……お客さんだねその通りだ、寄ってらっしゃいお坊ちゃん」


 夜の昏さに似合わぬ陽気な口上に、工藤は恐る恐る店の前へと歩み寄ろうとするが、認識した光景につんのめる様に足を止めた。


 裸電球の滲むような光の下、店主はがっくりと折れたようにこうべを垂れた姿でひらひらとおどけたように手を振っている。工藤からは頭の天辺どころか後頭部しか見えないその姿勢は明らかに異様だ。そもそも人間の首があれほどに曲がるものなのかという工藤の疑問を嗤うように、店主は一向に面を上げようとはせず、真下を向いた首をふらふらと揺らしながらどういうわけか長い指先をずるりと差し伸ばす。


 真っ直ぐに工藤の面を差したその指先の爪が電飾の灯にぎらりと光った。


「遊び半分冷やかし半分、目ェをくぐってうろつく甲斐もあるもんだ。ここで会うたも何かの縁、泥森の旦那も見逃してくれるだろうに――そうともこれだって結局は慈悲だ」


 溢れ出すように連なる言葉の意味は工藤には分からない。それでもこの店主が明らかにまともなことを言っていないし、その内容が工藤にとってはろくでもない結果しか齎さないであろうことはどろりとした声音からすぐに分かる。逃げようにも四方の闇をどう逃げても助かる算段の切れ端も見つからず、そもそも震え強張る脚では立っているだけで精一杯だ。

 俯いて翳っていた店主の顔がゆるゆると持ち上がり、暈けた照明が垂れ伝うようにその面を侵す。

 影を剥がされていくその面を見てはいけないと確信に近い予感があった。


「それにしたって悪いものに捕まっているじゃあないか、まったくろくでもない、殺生な話だ惨い話だ、あの小娘が半端な慈悲と楽しみに小理屈つけて折衝した結果がこの様だ」


 纏いつく声に耐え切れずに目を逸らす。必死に目玉だけを巡らせても周囲には重たい夏の闇があるばかりで、ひと気はおろか虫の声すらしない。

 顎先にひやりとした感触があって、あの爪先が触れているのだと直感して工藤は叫び出しそうになる。


「お代はその面で結構だ、代わりにこっちもくれてやろう。郷に入らば郷に従え、まずは面からこっちの仕様に取っ替えてみるのも悪かねえともそうだとも――」


 ぶつりと尖った爪先が顎の皮膚に刺さり、そのまま肌の下に異物が潜り込んでくる。工藤が必死で顎を逸らそうとしてもじわじわと嬲るような速さで入り込むそれが顔を剥がそうとしているのだと分かって、悲鳴が詰まって喉が軋んだ。


 風切音が工藤の耳元を掠めた。


 目の前の店主が後ろに仰け反り、そのまま呆気なく倒れ込む。つぷりと軽い音を立てて工藤の顎から抜けた指先が巻尺のように戻っていく。投げつけられたコルク銃が地面に落ち、ごとりと鳴った。

 赤いアロハシャツが工藤の側を駆け抜けてそのまま躊躇なく店主を蹴りつける。木偶のように軽々と飛んだ店主の身体が地面に投げ出され、ばらばらと飾られていた面は地面に表裏を露わに散らばる。

 カガは靴先を店主の頭部らしき場所に蹴り込んでから、


「見ねえツラが勝手に商売してんじゃねえ」


 そのまま店主の頭を勢いよく踏みつければぐずりと崩れて赤い泥状の飛沫が周辺に散った。

 へたり込んだ足元に落ちていた古ぼけたキャラクターのお面がじりじりと這っているのに気付いて今更のように工藤が叫ぶ。大股に近づいたカガが無造作に踏み潰せばプラスチックとは思えないぐしゃりと濡れた音がした。

 そのままカガは座り込んだままの工藤を見下ろして、


「何で手前と組むと面剥がしたがるやつばっかりなんだよ」


 しかも今回は逸れやがったなとカガにきつい目を向けられて、工藤はどうにも答えられないまま、ずり落ちかけた腕章を掴む。そのまま呟くように逸れたことを詫びれば、返事代わりに派手な舌打ちが聞こえた。


「黙ってりゃバケモンが寄ってきてくれるのに、親切に寄っていく馬鹿がいるかよ」


 とんでもなく心外なことを言われて声を上げようとしてから、工藤は状況を見て唇を結ぶ。夜店は跡形もなく、あれほど静かだった闇にもお囃子や賑わいが微かに聞こえる。相手に凶器があるのとそこここに小山を造る湿った土くれ――お面やお面屋の残骸だろう――を見て、またしてもこの与太者に助けられたのだということを実感したのだ。

 カガはそこらに散らばる土くれを蹴りつけながら、吠えるのを堪えた犬のような声で続けた。


「大方あの女分かっててお前放り込んだろ。縄張り荒らしのバケモノがいるから、巡回役ついでに釣り上げとけば便利でいいとかそういう魂胆がよ」

「釣り上げっていうか、あの、カガさんどうやってここに来たんですか」


 独り言のような口調の工藤の問いにカガは眉間の皺を深くして、


「小遣い入れた財布見てみろ」


 言われて工藤は素直に取り出して中を覗く。カシラから渡された数枚の焦げた紙幣に紛れるようにして目玉のような文様の記され半ば炭化した紙片があり、カガは覗き込んだまま派手に舌打ちをした。


「俺の方にも入ってた、こいつは二枚一緒で使うやつだからな……」

「何に使うんです」

「迷子防止だよ。札同士が繋いであって、逸れたら手持ちのを燃やすと、火が術式伝ってしるしになる」


 学生服いつもの服じゃなくて良かったなというカガの言葉に自分の胸元を見れば、財布を押し込んでいたポケットから横腹までを伝うように紐のような焦げ跡が大輪の青花模様を焼き潰していた。


「だから扱いが生餌だよ。お前なら釣れるって考えたんだろ。実際釣れてんだから本当にろくでもねえ……」


 カガの言葉に工藤はまだ恐怖に痺れたままの頭を無理矢理に回す。今しがた、自分の面を剥ごうとしたお面売りが人ではないのは十分に分かった。この土地の仕組みや怪異連中悍ましいものどもの道理について、工藤は詳しいことを知らない。けれどもここは神社であって、今は祭りの最中だ。  

 そんな場所に、いつかのマンションのようにただのバケモノが居座れるのだろうか?


「その、さっきのは……神様とかじゃないんですか」

「ここ神社だぞ」

「だからこそ、その――」


 工藤の疑問にカガは煩そうに片手を振って、


「手前の縄張りに商売敵ほいほい入れ込むほどヤワな神様なんざアカマルここにはいねえよ」


 言い捨てられた言葉にはひどく納得がいったが神社の中縄張り内で頷くのは憚られて、工藤は目を伏せた。


 そのままカガが手元の通信機器を弄っている気配があって、短い溜息が聞こえた。恐る恐る顔を上げれば顎の傷が微かに開いて、工藤は痛みに顔を顰める。

 カガはちらりと工藤の表情を見てからいつもの声で続けた。


「報告済んだから位置に戻るぞ。傷も……まあそんくらいなら大丈夫だろ」

「どこに戻るんですか」

「最初座ってたろ。俺らの基本位置はそこだからな、終了時刻までは黙って待機だ」


 残念だったなと揶揄うようなカガの言葉に工藤は小さく首を振った。

 温い風が吹き抜けて、顎に伝う血を揺らす。拭った手のひらは存外に派手に汚れて、工藤は痛みよりもその色の赤さをまじまじと眺める。

 隣から聞き慣れた舌打ちが聞こえた。


「戻るときには夜店抜けるからな……ついでに何かしら買ってやるよ」

「いいんですか」

「夏祭りに怪我だけさせて帰したってなったら俺がとんだ間抜けになるからな」


 だからぐずぐず言うなよと釘を刺して、カガは微かに口元を緩めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アカマル乱暴怪異譚 目々 @meme2mason

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ