赤き宝冠を戴く者

さかな

本文

「――王位を望む者よ。赤き冠を手に入れよ。その冠を戴くものこそ、次代の王である」


 王を弔う鐘が鳴り響く中。神殿に集められた王の子どもたちにそう告げたのは、祭祀を司る神官長ケーラだった。つまり、王位を奪い合え、というのが王の遺言である。自分がやったようにお前たちも血塗られた王座を手に入れろ。そんな意図が透けて見える言葉に、クラウィスは深いため息をついた。


「冠は王が亡くなられる前、ある場所に隠されました。期限は一週間。その間に冠の場所を突き止めてください。赤き冠を手にしたものが次の王となります」


 淡々と声を響かせるケーラに、困惑の声を上げたのは第一皇子だった。甘やかされて育った彼は、王位継承権通りに王位が貰えないのが不服らしい。なにか手がかりになるようなものはないのか、と問われた神官長は眉一つ動かさず、感情を排した声で答えた。


「赤き冠に至る道はただひとつ。最も無慈悲になれたものが鍵を手に入れる――それが前王からのお言葉です」


 それだけを告げて、神官長は去っていった。残された皇子たちはさっそく配下に指示を飛ばす者が三人。興味がなさそうに去っていく者が二人。皇女たちは同腹の皇子を援助すべく、何やら話し込むものが多かった。

 クラウィスは誰がどういう動きをしているのかを一通り観察したあと、軍靴を響かせてその場を去った。死神姫クラウィス――かっちりとした軍服を着込み、男と見紛う出で立ちの彼女があまり喜ばしくない名で呼ばれる所以は、クラウィスの比類なき強さにある。剣の腕で彼女の右に出るものはなく、軍を率いれば常勝。それゆえ第二皇女という身分でありながら、有事の際には真っ先に最前線へ向かうことも多かった。

 死神姫に寝首をかかれないよう気をつけろよ、と囁やき合う兄弟たちを鼻で笑って、クラウィスは神殿の奥へと足を運ぶ。顔見知りの神官に挨拶をし、勝手知ったる顔でドアを押し開けた先にいたのは、神官長ケーラだった。


「早かったわね、クラウィス。冠のありかの目処はついたの?」

「はあ。今その話はしたくない。二人きりのときくらい、仕事の話はやめてくれ」


 うんざりした顔でそっぽを向いたクラウィスに、ケーラはくすくす笑って焼き菓子を手渡す。あまりカリカリしたらだめよ、と囁いて椅子の方へと手を引くと、クラウィスはおとなしくそこへ座った。栗鼠よろしくもぐもぐとお菓子を頬張る死神姫に紅茶を淹れてやると、ほんの少しだけ張り詰めていた表情が和らぐ。しばらく無言で菓子を咀嚼し、紅茶を一気に流し込んでから、ようやくクラウィスは少しだけ棘の取れた声で話しだした。


「王の考えそうなことくらい、すぐわかる。嫌というほど、あいつの思考をなぞるように叩き込まれたからな」

「……そう。それなら良かったわ」

「ぬくぬくと育ったぼんくら共に王が務まるほど、この国は安泰じゃない。あいつらが王座に座った途端、すぐに隣国に攻め入られて滅んでしまうだろう」

「あなたが冠を手に入れれば、その心配はなくなるわね。誰だって死神姫の治める国に攻め入りたくはないもの」


 柔らかな鶯色の目を細めて微笑むケーラに、クラウィスは黙って首を振った。王になんかなりたくない。微かな吐息とともに零された言葉に、ケーラはそっと手を伸ばした。硬い軍服は温もりをほとんど通さない。それでも、いまはただ親友の背中を優しくなでてやりたかった。


「……全部放り出して、逃げてもいいのよ」


 その言葉に、膝を抱えたクラウィスがはっと目を見張る。いつだってクラウィスは最前線で戦ってきた。母であった王の望むまま、死神姫の称号を受け継いで、その身を捧げてきたのだ。母が死んだ今、クラウィスを縛るものはない。王を継がずにどこか好きな場所へ逃げることだってできる。暗にケーラはそう言ったのだ。


「だめだ。私が逃げたら、ケーラは――」


 そこで言葉がぴたりと止まる。交差する視線の中、先に目をそらしたのはクラウィスだった。もう帰る。短くそう告げて、椅子から立ち上がる。ケーラは何も言わず、ただその背中を見送ったのだった。





 夜も絶やさぬようたかれた灯り。その間を縫うようにして神殿を取り囲むいくつもの人影があった。


「――そろそろ時間だ。攻め入るぞ」


 その言葉を合図に、人影は次々に神殿へと足を踏み入れる。普段は活気に満ちた神殿内も、今はひっそりと静まり返っていた。やけに静かすぎる、という状況に数人が気づいた頃にはもう、それは始まっていた。

 しんがりの男が声もなく倒れたのに気づき、前の男が振り返る。その男もまた、どこからともなく現れた影によって喉をかき切られ、あっという間にその場へ倒れ伏した。


「……死神姫だ!」


 先陣をきって進んでいた女があたりを見回しながら身構える。死神姫。その名称の最たる理由はクラウィスの戦闘法にある。音もなく近づき、相手の喉をかき切るのだ。殺された側は誰に切られたのかすらわからないまま命を落とす。それが彼女の戦い方だった。


「……久しいな、お前たち」

「クラウィスさま。どうかそこをお引きください。さもなくば、無事ではすみませんよ」

「はっ、誰に向かって口をきいている。剣の師の顔を忘れたか?」

「弟子は師を超えるものです。引く気がないのであれば――お覚悟を」


 第五皇女の側近アシェル。その隣には第一皇子の側近ルーヴェとフォンもいる。皆、クラウィスの見知った顔だ。手塩にかけて剣を仕込んだ者たちがそれぞれに身構えるのを見て、クラウィスは笑いを漏らす。そう、それでいい。主に忠実であれと教え込んだのは、他ならぬクラウィスなのだから。

 彼女らの狙いはただ一つ。主のために、赤き冠を手に入れる鍵を取りに来たのだ。クラウィスのきょうだいたちのなかに、武器を手にして戦える者はいない。皆ぬくぬくと腕の立つ者たちに守られ、何かあればその者たちを遣わす。今頃はどこかで高みの見物でもしているだろう。命をかけて王位を手に入れたいという気概がある後継者など、誰一人としていないのだから。


「どこからでもかかってこい」


 その言葉に、まず向かってきたのはアシェルだった。口減らしのために、軍に売られた子ども。軍馬の藁屑にまみれて厩で震えていたところをクラウィスが拾い、一人前の剣士に育てた。

 喉元を狙って付き入れられた剣先を難なく躱し、素早く死角に入り込む。一瞬アシェルがクラウィスを見失った隙を狙って喉を切り裂いた。ゆっくりお休み。そう言って血に濡れた剣を放り投げ、代わりにアシェルの手から剣を引き抜く。剣身はまだ真っ白のままだった。

 次に勢いよく懐へ飛び込んできたのはルーヴェだった。悪徳奴隷商人から開放してやった奴隷のうちの一人。他の奴隷たちは皆良い主人に貰われれていったが、ルーヴェだけはクラウィスのもとへ残って剣の腕を磨きたいと言って聞かなかった。仕方ないので一通り仕込んでやると腕をめきめき上げ、第一皇子を守る騎士団の筆頭騎士にまで上り詰めた。

 真面目で融通の聞かない弟子。それが彼女の良いところでもあり、悪いところでもあった。騎士団に入って、その真面目さにはますます磨きがかかったらしい。クラウィスが仕込んだのよりも随分とお行儀の良い剣筋を受け流し、返す刀で喉元に剣を滑らせる。しぶく血潮の中に倒れ臥す姿を見届けて、クラウィスは最後の一人と向き合った。

 フォン――彼女はクラウィスが仕込んだ弟子にしては珍しく、貴族出身の者だった。親交の深かったある貴族の落胤で、市井で苦労するよりはと頼まれ、一通り仕込んでから騎士団に推薦した。

 まっすぐこちらを射抜く視線を受け止めて、クラウィスは泰然とフォンの攻撃を待った。彼女は最後の弟子であり、誰よりも出来が良かった。相手の実力を計るのがうまく、決して勝てない相手には挑まない。そんな彼女がクラウィスに剣を向けて立っている。それだけで背筋がぞくぞくした。


「お前はあの皇子を選ばないと思っていたけど」

「ええ、私はあんな男に忠誠など誓ってはいませんよ。お慕いするのはただ一人、クラウィスさまだけ」

「ならばどうして私に剣を向ける? アシェルもルーヴェも……他の弟子たちも皆、私に切られて死んでいったのを見ているのに」

「いいえクラウィスさま。だからこそ、なのです――」


 言葉が終わらぬうちに、フォンは剣を閃かせる。無慈悲に、そして正確に喉元を狙う剣先は柔らかな肉に届くことなく、突如狙う先を見失った。代わりにフォンの喉元に迫った刃先を紙一重のところで避け、その方向へ向けて剣を薙ぎ払う。はらりと一筋。地に舞い落ちたのは師の短い金髪だった。


「腕を上げたな。無駄死にさせるのには惜しい」

「……無駄死に、ではありませんわ」


 師の最大の賛辞に美しく笑ってみせたフォンは、剣を構えてクラウィスの懐へと飛び込む。その剣筋を見切り、流れるようにクラウィスはフォンの喉へと刃を滑らせた。そのまま力なく地面に崩れ落ちた彼女は、血溜まりの中でとても幸せそうに微笑んでいた。


「これで最後だな」


 血に濡れたアシェルの剣を放り投げ、クラウィスはあたりを見回す。残りの刺客たちは皆、命惜しさに逃げ出したようだった。きっと、どこかで様子を見ている皇子や皇女たちも、これ以上は手出しをしてこないだろう。

 目指すは神殿の奥。闇に塗り込められた神殿の廊下の先を見据えながら、クラウィスはゆっくりと歩いていったのだった。





 まるで昼間かというくらいに、神殿の一番奥の部屋には松明がたかれていた。その中央部。大きな棺の前にいる人影を目指して、クラウィスは一歩ずつ進んでいた。


「ちょうど一週間たったわね。今夜来ると思っていたわ、クラウィス」

「ああ。邪魔者はすべて居なくなった。これで……あとは鍵を手に入れるだけだ」

「ふふ。ずうっと待っていたのよ。貴女が……クラウィスが、鍵を取りに来るのを」


 クラウィスと同じ鶯色の瞳を細めて、ケーラが手招きする。ちょうど、剣一本分の間合いのところでクラウィスは立ち止まった。それ以上歩を進めない彼女に、ケーラは不思議そうな顔をして首を傾けた。


「ほんの一瞬だけ……自由になってもいいかと思った。でもだめだった。ケーラが……他の人の手で切られるのだけは嫌だ」

「そうね。私も、貴女以外の人に切られるのは嫌だわ」


 そっと伸ばされたケーラの手がクラウィスの頬を優しく撫でる。世界で一番貴女姉さんが大好きよ。そう耳元で囁く声に頷いて。音もなく抜きはなった小剣をケーラの柔らかな首筋に滑らせる。このとき。このためだけにクラウィスは剣の技術を磨いたのだ。己の半身を――最愛の妹を、苦しませないために。

 彼女がクラウィスの全てだった。辛い剣の稽古も、従軍も。帰ればケーラが待っていてくれて、温かく迎えてくれるのを知っていたから耐えられた。不遇な生まれゆえ、皇女としてではなく神官長として生きることを強いられた一歳違いの妹。その温かさが流れて消えていっても、クラウィスは涙一つ見せなかった。

 眠るように目を閉じるケーラの首筋をなぞり、出っ張った骨を探す。胸のほんの少し上。肩につながる細い骨を一本えぐりだし、丁寧に肉をこそげ落とす。鎖骨と呼ばれる湾曲した骨の先にはいくつかの突起があり、まるで棒鍵を思わせる形状をしていた。

 神官長は必ず、王家の人間から選ばれる。それはこの特殊な鎖骨の形状に理由があった。普通の人間の鎖骨とは違う、鍵状の骨の形。それこそ次代の王を選ぶ際の「鍵」となり得る素質を持っている証だ。王家の人間、それも血が濃くなる禁忌を犯して生まれた子供にのみ現れる骨の奇形。ケーラは先王とその弟の間に生まれた子供だった。

 愛しそうにその骨をひと撫でして、クラウィスは台座に置かれた棺の前へと立った。この棺は特殊な鍵で作られており、特定の形の骨でしか開かないようになっている。ゆっくりと鍵穴へケーラの骨を差し入れると、骨はパキパキと音を立てて割れた。それが錠の開いた合図だった。

 重苦しい蝶番の音をたてながら、棺の蓋を開ける。中には病で死んだ先王が眠っていた。その頭に被せられている宝冠を外す。その重みに、くらくらとめまいがした。


(今この瞬間より、私が王だ)


 手の中の冠は明かりに照らされ、鈍い金に輝いている。その冠の中央には、まるでクラウィスが殺してきた人々の血を吸ったように真っ赤な宝石がはめ込まれていた。クラウィスはこの冠を見るたび、自分の罪を再確認するだろう。どれだけの人を殺めて、自分が王位を手に入れたのかを。


「……ケーラ。これからもずっと一緒にいような」


 もう片側の鎖骨。先程使ったものと同じように鍵状になっている骨を丁寧に外し、クラウィスはそれをハンカチに包んだ。不格好な刺繍の入ったそれは、以前ケーラが贈ってくれたものだった。


「――さあ、国中に知らせよ! 死神姫クラウィスが赤き宝冠を戴き、王になったとな!!」


 神殿中に響き渡る声とともに、新王を祝う鐘が鳴り響く。赤冠を戴くクラウィスは軍靴を高らかに鳴らし、神殿をあとにしたのだった。



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赤き宝冠を戴く者 さかな @sakana1127

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