#1 今日も僕のせいで誰かが死ぬ・下


「だってお兄ちゃん、――三冬ちゃんと付き合ってるんでしょ?」


 瞬間、霧散していたはずの濁りが胸中で燻る。嫌な粘性を持ったそれはじわじわと身体の外へ出ようとし、吐き気に近い何かを感じた。せり上がってきたそれを無理やり体内に押し戻す。

 どうしてそういう思考に陥るんだ。我が妹ながらそう考えた理由が理解できなかった。

 対する妹はごく当たり前のことを口にしたかのように、こちらに向かって訝しがるような眼差しをぶつけてくる。

 なんでそんな目を向けてくるんだ。お前も、みんなも――――。

 何かが切れる音が頭の中でした。


 もう限界だ。


 気がつけば外に飛び出していた。

 そのことに気がついたのは大通りに出てからで、シャワーサンダルをつっかけてここまで来たことを知った。鉄の味が口内に充満しているのが気持ち悪い。どうやら無意識のうちに内頬を噛みちぎったらしかった。

 呆然と立ち尽くす僕のそばを次々と人が通り過ぎていく。すれ違いざま、黒目がこちらを一瞥する。


 なんでお前が。どうしてお前みたいな奴が。


 行き交う人々の目がそう訴えてくる。

 それに対して、誤解だ、と叫びたい衝動に駆られるが、喉が締まってしまったように貼り付いて声が出ない。言うことを聞かない喉を両手で掴んで心の内で声を上げる。


 誤解だ。誤解なんだ。僕と白峰はそういった関係ではないし、僕は彼女のことをそんな風な目で見ていない。どこまでいっても僕にとって白峰は、白峰三冬は、幼馴染みでそれ以上でもそれ以下でもなかった。何より、彼女と僕は住む世界が違うことも知っている。言われなくたって、そんな目を向けられなくたって、そんなことはわかっているんだ。妹が一人で勝手に勘違いしているだけなんだ。

 わかっている。わかっているから。そんな目で見ないでくれ、やめてくれ。


 ――ならばどうして誤解される?


 突然、頭の中でそう問いかけられた。答えようとするが、それよりも前にさらに畳みかけられる。


 ――それもこれも全部お前のせいじゃないのか?


 その言葉にはっとさせられると同時に、ああ、そういうことかと納得させられる。

 吐き捨てるような目で見られるのも、関係性を誤解されるのも、白峰が話しかけてくるのも、全部、全部――――。


 僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕のせい、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕の、僕が、僕が、僕が、僕が、僕が、僕が、僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が――――。


 意識がおもむろに外へ向かう。いつのまにか僕は数時間前、降りたったはずの駅のホームにいた。帰宅ラッシュの時間はもう過ぎたのか、そこにいる人はけして多くはなかった。どれも無関心を決め込んだような顔ばかり。その一方で、ちらりと見る眼差しには蔑視の色が含まれている。


 知っているよ、もうわかっているよ。僕が白峰三冬の幼馴染みだから、僕が彼女に話しかけられるから、僕が彼女を完全に無視できないから、それから――


 遠くで電車の到着を知らせるアナウンスが響く。


 ――通過列車が参ります。黄色い線の内側にお下がりください――


 ぐらり、と身体が線路へ近づく。

 もうすぐ電車が来るらしい。緩慢な動作で顔を上げる。この駅はホームが向かい合っていて、柱越しに反対方向へ行く列車がやって来るホームが見えた。

 ちょうどそこに一人立っていた。男だった。グレーのスラックスに紺のベスト、その下には青みのあるワイシャツが覗いている。その出で立ちはよく知っているものだった。理由は簡単で、うちの学校の制服だったから。疲れているのか、眠たげに男はぼんやりとしていた。

 制服が同じというだけで赤の他人という気がしなくて、申し訳なさを感じる。けれど止まるつもりはなく、目を瞑ると傾く身体を重力に委ねた。


 ◇


 視界の隅に捉えたのは、見覚えのない女の子だった。不思議な格好をしていた。濃い紫色のAラインのワンピースの上にロングコートを羽織り、頭はすっぽりとフードで覆われている。コートは丈があっていないのか、余った裾が地面に広がっていた。


「わっ」


 小さな声だった。けれど確実に僕の耳に届き、気がつけば身体が動いていた。

 そんな変な格好だから転びそうになるんだとかなんとか言いながら、女の子の身体を起こす。すると彼女は信じられないものでも見るかのように目を見開いて固まっていた。フードが脱げて曝け出された顔立ちに不覚にも可愛いと思ってしまった。


 それからだ、その女の子がごく自然に僕の周囲に紛れ込んでいたのは。気がつけば彼女はそこにいて、目が合うと破顔してみせた。突然の闖入者に驚いたけれど、それは僕だけで父も母も妹も学校の先生もクラスメイトも平然としていた。まるで最初から彼女がいたかのように。

 それに戸惑いとある種の恐怖心を抱いた僕は彼女から距離を取ろうとした。けれどもどれだけ彼女の視界から逃れても、振り向けばそこにいた。足がすくむ思いとともに僕はこの女の子から一生逃れられないのかもしれないと悟った。


 ◇


 瞼の向こう側に明かりを感じた。時間をかけて自分の五感がクリアになっていく。

 わずかに目を開けると、ケバケバしい激しい光が突き刺さった。思わず呻いて、改めてゆっくりと瞼を持ち上げる。

 暗い室内でテレビ画面だけが煌々と光っていた。そこに映っているのは先程までいたはずの駅。


『昨夜十時頃、東京都××区にある××駅にて通過中の快速列車に撥ねられ、女性が死亡しました。警察によると撥ねられたのは地元の高校に通う――』


 アナウンサーの感情のない声が訥々と事故の状況を伝えていく。それは本来なかったはずの死。けれどその事実に気づく者は誰もいない。茫然と聞いていると悼む余韻もなく、次のニュースへと映像は切り替わった。


「また死ねなかったね」


 声がしてようやくここに自分以外にも人がいることを知る。そしてそれと同時にここが見覚えのある部屋であることに気づく。

 テレビのすぐそばに座るその人は、頬杖をついてこちらを向いている。逆光のせいでどんな顔をしているのかはわからなかった。


「そろそろ諦めたら? ――――やっちゃん」


 ああ、今日も僕のせいで誰かが死んだ。

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