よくある話
吉田がぷ
#1 今日も僕のせいで誰かが死ぬ・上
「あれ、やっちゃん、白紙?」
僕が手にしていた進路調査表を覗き込むようにして、彼女は小首を傾げた。
「それなら、白峰三冬のお嫁さんになるって書いておけばいいじゃん。……あ、やっちゃん男の子だから、お婿さんか」
ふふふっ。妙案を思いついたみたいな顔をして、何が面白いのか自分の言葉に笑う。
ゆるくウェーブのかかった艶やかな黒髪と対をなすような白い肌。目鼻立ちは整っていて、異性も同性も関係なく一度は振り返るであろう容姿。
勉強は数学が苦手だけれど、それ以外は平均以上。特に英語と現代文の成績は学年トップクラス。実技科目は得意というわけではないが、その分を筆記でカバーしているから、成績自体はいい。
容姿端麗で成績優秀、おまけに誰に対しても明るく人当たりがいいともなれば、人の目に止まらないわけがない。その一挙手一投足を誰もが注視し、血色のいい唇から溢れる言葉を聞こうと耳をそばだてる。まあ、要はとても目立つというわけである。
そんな彼女はどうしてだが、僕をやたらと構う。小学校以来の十年近い付き合いだからと言えば、それまでかもしれない。実際、この幼馴染みの絡み方は昔から変わらない。けれど世の中は腐れ縁、というフレーズでは納得してはくれない。
白峰が僕に話しかけると向けられる、妬み、嫉み、侮蔑の眼差し。
クラスの中心で煌びやかにスポットライトに当たる彼女と教室にいてもいなくても変わらない僕。
学校には見えない境界線が存在する。無意識に周囲の人間を上か下か見定め、自分のポジションを理解する。そうして形成され、無言で人々が従う階級。言葉を交わすのは同じようなランクの人間同士で、ランクや属性の異なる者同士は話すべからずという暗黙のルールが敷かれている。これを無視する者は奇異の目を向けられる。だから、頂点と底辺の人間が喋ることはけしてない。
そのはず――――
「どうしたの、やっちゃん?」
だが、白峰はその枠線が見えていないのか、容赦なく暗黙の了解を踏み潰す。眩しい光の中にいる彼女には、暗闇に引かれた線など見えていないようだ。
それがあまりにも自然で、だからこそどこかわざとらしさが感じられて嫌悪を抱く。それと同時に突き刺さるような周囲の空気から逃れたくて、白峰を無視するように白紙のそれを鞄に押し込んで教室をあとにした。
昇降口まで脇目も振らず辿り着くと、辺りを見回した。下校したり部活へ向かったりする人々が行き交う喧騒の中に彼女の姿は見えなかった。溜め込んでいた息を吐く。
早いところ帰ってこの息苦しさから解放されよう。そう考えて校則通りきっちり締めていたネクタイを緩めて、第一ボタンを外した。
学校と家の行き来には二種類の方法がある。自転車か電車か。普段は自転車で片道二十分ほどかけて登下校しているが、今日は朝から生憎の空模様でそちらの選択肢は選ばなかった。
最寄駅の改札をくぐると、タイミングを見計らったように電車が滑り込んでくる。それに飛び乗ると、ドア付近の壁にもたれて流れていく景気を眺めた。
家の最寄りに着いて降りるとそのまま、駅前のファストフード店に入る。明日提出の課題と小テストの勉強がしたかった。家は雑念が多すぎて集中できない。だから勉強したい時はちょうどいい店か図書館を利用する。学校の図書室を使うという手もないわけじゃないが、あそこは白峰に会う可能性が高すぎる。
コーラと小腹を満たすためのハンバーガーを注文する。レジから手渡されたそれを持って適当な席につく。四人掛けのテーブル席。辺りには学校帰りに制服のままやって来たであろう女子高生グループが二、三組。同じような男子のグループもいる。僕も含めて学生が多い中、スーツ姿でノートパソコンと睨み合っているサラリーマンが浮いて見えた。
早々に腹ごしらえをすると飲み物と紙くずしか乗っていないトレーをどかして勉強道具を広げられるスペースを確保する。さっさと終わらせて帰ろう。そう決意して、シャーペンの頭をノックした。
「ぼっちで勉強してるの、やっちゃんだけだね」
どれくらい経っただろう。突然降ってきた声に思わず固まる。
席いい?と尋ねておきながら、こちらが返答するよりも前に、彼女は持っていたトレーをテーブルの上に置いた。
「お願いがあるんだけど」
椅子に腰掛けるなり、白峰はそう切り出す。それを聞いていないかのように、僕はノート上に計算式を展開させていく。
「数Ⅱ教えてくれない? このままだとかなりヤバイんだよねー」
買ってきたフライドポテトを口に運びながら、危機感のない声で白峰は言った。
かなりヤバイというのは、明日の小テストのことだろう。二時間目の科目は数Ⅱで、テスト自体は先週の時点で伝えられていた。三割以下なら補講決定の面倒臭いやつ。
少し前にも述べたように、白峰の苦手科目は数学だ。そして数学だけは僕の方が点数がよかった。
苦手なくせに前日からでどうにかなるのかとか、なんで僕に頼むのかとか、もっとできる奴がクラスにはいるだろとか思うことは色々あったけど飲み込んでなかったことにした。代わりにやるところを見せるよう促した。おそらく断ったところで、白峰は聞こえていないふりをするだろう。そういう人間だ。教えてもらえることがわかり、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
教えて、と言ってきた割に白峰は大して苦戦することもなく、問題を解いていく。新しい単元や応用問題で解き方を少し確認されるくらい。やり方を一から聞かれるなんてことはなかった。本当に教えてもらう必要があったのだろうか。
ふと視線に気づいたのか、焦茶の澄んだ瞳がこちらを見る。途端、桃色の唇が弧を描いた。
「何か用?」
その問いに僕は目を伏せるようにして、視線を逸らした。何も知らないとでもいうようなその瞳を向けられるたび、心がどろりとした膿を吐き出す。
白峰と僕は住む世界が違う人間だ。そんなこと、僕が一番よく知っている。それなのに――
周囲の目が突き刺さる。それは僕の身体を貫き、体内に宿る赤黒い液体を滴らせる。
そのことに目の前の彼女はまるで気づかない。見えていない。だから白峰に当たるのはお門違いだ。そんなことはよくわかっている。
勉強会は二時間とかからずお開きとなった。理由はテスト範囲と思しき問題を全て解き終わったからだ。
「ありがとうね。やっちゃんのおかげで明日のテストいける気がする!」
もう僕の手は必要ない――そもそも最初からいらなかった気もするが――と思い、適当な理由を口にして先に席を立つ。その際に白峰は実に嬉しそうに笑ってそう礼を述べた。感謝されるのは悪い気はしない。けれど相手が彼女となると複雑だった。
白峰と別れた後はそのまま家へ直帰はせず、この辺りでは一番大きいレンタルショップに足を運んだ。そこは僕の自宅を軸にしてちょうど駅とは反対側に位置している。わざわざ家をスルーして店に赴いたのに理由はない。別に今見たい映画も聴きたい曲もあったわけじゃない。強いて言えば、家に帰る前に彼女といたことで生まれた胸の内の濁りをできるだけ薄めたかった。
たいした用もないというのに結局、一時間近くそこにたむろした。ただ店内をぶらついただけだったけれど、面白そうな新作の映画や好きなバンドの新譜を見つけたりして悪くはなかった。そのおかげか、気持ちはいくらか落ち着きを取り戻していた。
ようやく家に帰ると自室へ直行する。早々に部屋着と化しているジャージに着替えた。それからすることもなくベッドの上に寝転がり、スマホアプリのゲームを起動をした。
人の気配を感じたのは、それから二時間以上ゲームに時間を費やした後だった。扉の方に顔を向けると、ぬっとショートヘアの頭がこちらを覗いていた。
そうやってノックもせず、勝手に扉を開けて顔を見せたのは年子の妹だった。小学生の頃からソフトボールを続けていて、日夜部活に明け暮れるために僕とは違う高校に通っている。
夏の強化練習ですっかり焼けた小麦色の彼女は、僕を視認して意外そうな顔つきをする。
「あれ、いたの?」
帰ってきて開口一番としては、いささか変な言葉だった。不思議に思って尋ねれば妹は、なんでって言われても、と口の中で零す。
「駅前に三冬ちゃんいたから、てっきり一緒だと……」
白峰と僕がどうして、一緒にいなくちゃいけないんだ。
すると今度は妹が不思議そうな顔をする番だった。そして、さも当然のことかのように口を動かす。
「だってお兄ちゃん、――三冬ちゃんと付き合ってるんでしょ?」
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