第19話 それでも美しいものを
ティスオの切り札が跡形もなく消え去ってしまい、リスーサ軍は勢いを盛り返したかに見えた。
しかし、ティスオの警告に対してリスーサ軍が弱気な姿勢を見せたことからも分かるように、リスーサもそろそろ疲弊していた。というより、最高指導者ヨシプは、増え続ける国内の課題にてんてこ舞いになり、国外のことに構っていられなくなっているようだ。
「大きな要因はエニアークの反乱であることはほぼ間違いないでしょう」
リディヤは言った。
「ティスオとの戦いに向かわせるべき戦力や財力を、エニアークに割いているわけですから」
このままではリスーサもティスオも消耗するばかりで、決定的な打撃を食らわせることもできない。そうこうしているうちにそれぞれの国内で反戦の声が高まっていく。両国で検閲や弾圧が激化したが、平和を希求する動きが止まることはなかったし、膨れ上がる軍事費で経済は逼迫するばかりだった。
戦争はもはや我慢比べの域に達していた。
(今なら、最高指導者を殺せるんじゃないかな)
そう思っていた矢先のことだった。
ヨシプはあっけなく逝った。
短い治世であった。
「うそん」
最初に聞いた時は何かの冗談かと思った。
「本当ですよ」
リディヤは生真面目な顔で言った。
「何で? 何で死んだ? デブだからか?」
「原因は隠されていて何とも……。ただ、暗殺説が有力ですよ」
そして、後継についたニキタという男は、衝撃的な発言をした。
「スタルおよびヨシプの政策は誤りであった。私は必ずや過ちを正すだろう」
この意思表明はリスーサのみならず周辺諸国にまでたいへんな激震をもたらした。
まず、リスーサ軍は、指揮系統の混乱と戦意の喪失によって、総崩れとなった。戦線はまたもや東に移動する。加えてエニアークのゲリラ部隊たちがここぞとばかりに叩きまくったので、リスーサ軍はついに、エニアークの領土に当たる地域よりも更に東まで撤退せねばならなかった。
ここで、リスーサ連邦最高指導者ニキタと、ティスオ共和国大統領アデラは、それぞれの国内外の要望に押される形で、直ちに停戦すること、そして講和条約を結ぶことを決断する。
会議の会場はエニアークのヴィエクになった。当日、私はリディヤと共に見物に行ったが、あまりに多くの人が詰めかけていたので何が何だかよく分からなかった。
この時に締結された条約には、画期的な内容が含まれていた。
エニアークを、ティスオとリスーサの緩衝地帯として設定し、中立的な立場での独立を認める、というものだ。
エニアークじゅうの人々が歓声を上げたのは言うまでもないことである。
「へえ。緩衝地帯ねえ。下界の人間は面白いことを考えるな」
「ラリサさんを中心にエニアークの人々が頑張った成果じゃないですか」
珍しくリディヤが褒めた。私は「どうかねえ」と言った。
「今回のこれは運の要素も強いと思うがな」
「運だとしても、これまでの積み重ねがあってこそですよ」
「何だ、今日はやたらと私のことを肯定してくれるじゃないか」
「今日くらい良いじゃないですか。素直に受け取れないんですか」
リディヤはむくれていた。
その後のことは私はあまり関与していないので、詳しくは知らない。
エニアーク独立に当たって、誰を大統領にするか、盛んに議論が交わされた。一部の人々は私を推薦したが、私はきっぱりと断っている。
人間のことは人間がやるべきだと、改めて感じたからだ。
それに私は高いところからみんなをまとめるよりも、地べたを這いずってみんなに力を貸すことの方が向いている。
だからまったり農業でもしながら、この国の、この世界の平和を、見守っていたいと思う。平和とは良いものだ。ただただ美しい。見ていて気分が良い。
だが、それだけでは済まないのが、人間というものだった。飽きもせずに大量の問題を引き起こしては、すったもんだする。そういう騒がしい生き物なのだ。
まず、新しく設定された国境線の内部に在住する民族の問題。人数が多い順に、エニアーク人、リスーサ人、ティスオ人、その他もろもろの民族がいる。彼らの対立を解消するのは容易ではなかった。国内紛争に発展しないよう、よくよく注意を払わなければならない。
続いて、エニアークを治めるに当たってのイデオロギーの問題。共産主義か、社会主義か、資本主義か、などなど。エニアーク国内では意見が多様化していて、収拾がついていない。初めての選挙の結果、中道的な党が辛くも勝利したが、盤石な政治体制を整えるには力が不足しているようだった。
それから、経済の問題。まず、貧困率が異様に高い。そして、エニアークの多くの土地では集団農場の形態が染みついてしまっており、やり方を転換させるのは困難を極める。更に国際的にうまく立ち回るためには重工業が欠かせないわけだが、これが全然発達しておらず、何から手を付けるべきかも分からない有様だ。
あとは復興の問題。飢饉、圧政、戦争、虐殺、といった壮絶な経緯によって、エニアークは荒廃しきっていた。人口の実に四分の一が失われており、人的資源は圧倒的に足りていない。多くの人々が亡くなり、怪我をし、精神的外傷を追った。文化的な資産も、大半が損なわれてしまっている。
エニアークはこの他にも尽きることのない問題を山ほど抱えている。独立国としての立ち上がりはうまくいったとはいえない状況だった。これらの問題が新たな争いや格差を生まないことを祈るばかりであるが、私の知る人間はそうそう器用にものごとを解決できない生き物なので、絶対に何かやらかすに違いないと私は見ている。
ともあれ、私は疲れた。今はごたごたに首を突っ込まずに、穏やかに過ごしたいと思っている。また難しい事件が起こったりしたら、私の中の天使の本能が黙ってはいないだろうが、今のところは暴れ回りたいとは感じない。小さな農地をもらったので、そこでのほほんと奇怪な植物を育てるのに夢中だ。
一人で静かにしていると、たまに寂しくなる時がある。リディヤは忙しいからいつでも来てくれるわけではないし、ガリナもごくまれに顔を出してくれるがしょっちゅうではない。
だから私はキリロやミロンやイヴァナや、他の仲間たちに会いに行って、野菜や果物を分けてあげることにしている。死に別れてしまった仲間も数多くいるから、その痛みを分かち合いつつ、今日を、明日を生きていく。
天界のことは、あまり恋しくはなかった。たまに、スヴェトラナやローディオンは元気だろうか、などと懐かしく思い出すこともあるが、あの頃に戻りたいとは思わない。堕天したことが良かったのかどうかは知らないが、後悔は特にしていない。
神々は今日も、いくつもの世界を調整するのに忙しいのだろうか。天使や妖精は今日も、そんな神々を支えるのに忙しいのだろうか。彼らがちょっとでも、ここのような辺鄙な小国のことを、考えてくれているといいなと思う。でも彼らもやっぱり愚かなので、多分無理だろうな、とも思う。
今日も私は植物を育てる。
色んな植物を、思うがままに作り上げる。
エニアークの土壌は豊かだった。
最初に畑を見た時は、土が痩せているのかと思っていたが、あれは無理に農業を集団化したせいだったのだ。
普通に育てれば、普通に実る。
古くから農業でやりくりをしていたエニアークらしい、魅力的な土地だ。
死体も転がっていないし、人々は活発だし、実りは豊かだし、私の知っているエニアークとはまるで違う場所みたいだ。エニアークはすっかり美しい国になっていた。
ひとまず、独立おめでとう。しばらくは、私のような破天荒な天使の出番が無いように気を付けて。愚かで醜いのが人間だけれど、一人一人はみんな良い人なのだから、どうか争わないで。傷つけないで。美しいものを愛して。
緑豊かなこの大地の子らに、幸あれ。
おわり
プロレタリアンヘル〜農業天使の異世界労働日記〜 白里りこ @Tomaten
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