9 【エピローグ】 因果応報

【エピローグ】



 安江は救急車の中で息を引き取った——。



 安江の魂は、天使達によってはるか彼方の天上界へと運ばれた。そこは何も無い真っ白な空間。安江は人の波の中にいた。


 人、人、人。多くの人が数えきれないぐらい並んでいる。人の波といった方が良いのかも知れない。その列に並び歩く人の群れは規則正しく動いている。

 安江は、周りの人々の顔を見た。どうやら知り合いは居ないようだ。この列に並んでいる人々は、外国の人も多く見える。それに、みんな顔色が悪いように見える。何かを諦めた、そんな表情が伺える。


 行先は遥か彼方にそびえ立つように見える、巨大な朱の門。通称『裁きの門』と言われる場所だ。その行先を誰かに指示された訳でも無いのに、皆がそこに向かって歩いている。


 人といっても体が透けて見えている。という事は、魂の姿なのだろう。


 その列に安江の魂も並んでいる。安江は辺りを見回した。横幅の人の群れは長く、およそ百メートルはあるだろう。安江は比較的に外側だったので、列の外に出ようとした。


 人の波を逆らい、足掻あがき、やっとの事で、列の外に出る事が出来た。

 人波から離れて、その列の凄まじさを見回すと思考が止まってしまった。


「——な、な、なんなのよ—————————!」


 絶叫にも取れる驚愕きょうがくの叫びが、この広い空間に響くどころか、吸い込まれるように消えてしまった。


 波、どころでは無い。川だ。いや違う、大河だ。人の波が列をなし、大河の如く巨大な道を創っている。行先はやはり巨大な朱の門『裁きの門』。どこまでも並ぶ列の最後尾を見てみた。終わりが無いように見えてしまう。


「——どうして? どうして、こんな場所に私は居るの?」


 夫の寿命をお金に換えて、私は贅沢をするはずだったのに……。ここは一体何処なんだろうか? もしかして私は死んだのだろうか? 死んだからこんな何もない真っ白な空間にいるのだろうか? どうして、私は死んだのだろうか? どうして? どうして? ならば、悔しくて堪らない。折角のチャンスを……。


 安江は自棄やけになっていた。なぜ、自分が死ななくてはならなかったのか?……。

 その理由も、経由さえも、いつ死んだかも分からない。


「どうして、なのよ————!」


 安江は、理不尽な己の死が悔しくて叫んでいた。もはや魂の列からはみ出て暴れている。並んでいる一人を捕まえて、話し掛けるがだんまりを決め込んでいる。話し掛けられた相手も、困惑しているようだ。


 自分の問いに答えられないと分かると、相手を変えて同じ事を繰り返す。次第に安江は、苛立ちを覚え相手の胸倉を掴み、押し倒し始めた。


 途端に、途方も無く強烈な圧を安江は感じた――――。


 なに? なによ?


 空気が張り詰めた様に肌が痛い。肌がビリビリする。


 辺りを見回し、その原因を探してみた。見渡す限り白い空間の遥か向こうから、豆粒のように見えるモノが物凄い速さで此方にやってくる。それは背中から四枚の翼を生やした異形の姿。それは音を立てる間もなく、瞬く間に安江の傍に降り立った。


「——な、なに、なんなのよ?」


 ゼルだ。ゼルが安江に気付いたので翼を広げてやって来たのだ。魂の列の秩序を乱す者をいましめにやってきたのだろう。


 ゼルは魂の列からはみ出て、騒いでいる安江の傍に来た。そして安江を一瞥した。


『なるほど、騒いでいたのは、お前だったのか? それで一体、何がしたいのだ?……』


 いきなり目の前に、背中に四枚の翼を持った者が現れると驚き困惑してしまう。

 体に薄いバスローブの様な薄い布を一枚羽織っている。背も高く筋肉質でバランスの良い体格。金髪で長髪。風も無いのに長い髪が時々揺れている。更に驚くのは、体中から純白のオーラが立ち上がっている。これだけで普通では無い。


「——だ、だ、誰ょ? あんたって、誰?……それに、此処はどこ?……。何処なのよ?……」


 かなり強気で話しながら、慌てる安江の様子をみてゼルは、ほくそ笑む。


『我が名は、ゼル=ラグエル。一応は、神の位を持っている。そしてここは、天界の入り口、狭間の世界だ。すなわち、この場所は【裁きの門】へと繋がる場所だ。

 そして、この俺の管理下にある場所だ』

「——て、天界? 狭間の世界? って、私、死んだの?……。ねぇ、どうしてよーどうして、私が死ななくっちゃいけないのよ——。ねぇ~どうして————」


 安江が叫ぶが、ゼルは一向に気にする様子はないようだ。


『フム、どうして、ここに居るのか? と、この俺に問うのか? いいだろう。教えてやろう。いや、特別に、お前の魂の裁きを、この俺自らしてやろうじゃないか。 では、付いて参れ……』

「…………」


 安江はどうしていいか分からず、その目の前の奇妙な男の後に付いて行く事にした。このままでは、何も分からない。教えてくれるならば、それに越した事はない。


 ゼルはそう言うと、安江の魂を連れて歩きだした。何も無い真っ白な空間の中、【裁きの門】へと向かっている列を横切るかの様に歩き続けた。


 やがて、ゼルはある場所で止まった。そこは大きな泉がある所だった。泉の中央からは噴水の様に勢いよく水が溢れている。そのほとりにドッシリとゼルは座った。


『お前も、ここへ来て座れ……』

「は、はい」

『この世界は、自分の想いが形になる世界。イメージした物が目の前に現れる。言い換えれば自分の想いが投影される想念の世界だ。どうして、いや、何故お前がこの場所に居るかは、過去を振り返って見るが良い』

「想念の世界って……」

『さぁ、座るがよい。そして、泉に向かって求め訴えるのだ……お前の犯した、罪と罰がお前の失った記憶を取り戻してくれるだろう……』


 そう言い残すとゼルは霧の様に体が分解されるかの如く消えてしまった。一方、安江は訳が解からないと云った表情で、暫らく泉とゼルが先程まで居た場所を交互に見ていた。


 しかし、ゼルに言われた事が気になったのか、安江は座り直すと泉に向かい過去の事を想いながら念じてみた。やがて、水をいっぱいしたためたその泉は、大きな波紋を広げると過去の様子をビデオの様に静かに映し始めた。




【二年前の事から始まった】


 安江と和夫は結婚式場にいた。和夫は再婚で安江は両親がいない為、式の参列者は和夫の経営する会社の従業員と、和夫の弟の家族だけでひっそりと行われていた。

 二人で婚姻届を書いている。同時に安江は、和夫に高齢者だからと云って、高額な生命保険に加入を勧めていた。




【やがて、シーンが替わる】


 安江が和夫に隠れて、宝石類やブランド物を買い漁っている場面が現れた。使い込みだ。安江はそれを観ながら、顔をしかめた。


 やめてよ、なんでこんな映像見せられなきゃいけないのよー。と呟いた。




【又、シーンが替わる】


 今度の場面を観て、安江は驚いた。あの【付け爪混入事件変な物入ってます】の映像が映ったからだ。


 安江が、両手に派手な付け爪をして、工場内の女性社員へ自慢している。一通り自慢が終わると、工場の生産ラインから出ようとしていた。

 十mくらい歩くと何かに躓き、安江は前のめりに転倒した。両手を床に叩き付ける様に倒れた為、その拍子に付け爪が一本剥がれ空中高く飛んで行った。すぐさま起きあがり安江は辺りを捜してみたが、見つからない。

 一方、付け爪がアップ画面になった。剥がれ落ちた付け爪は、カレーの仕込みタンクへと飛んで行った。その時、和夫の社員教育がしっかりしていればタンクのフタは、開きっぱなしでは無かったはずだ。きっちりとフタが閉まっていれば今回の様な事は起きなかったはず……。


 ずさんな社員教育の為か、衛生面での管理がされていなかったのだ。その付け爪は、カレーの仕込みタンクのわずかに開いているフタを通り、タンク内に吸い込まれる様に消えて行った。


 ギョッとして安江の表情が曇った。今更こんな映像を見せられても、どうにも出来はしない。


 どうして今なのよ。事は終わっているじゃないの。安江の顔がしかめっ面になり下を向いてしまった。




【更にシーンが替わる】


付け爪混入事件変な物入ってます】が発覚し、マスコミに和夫の会社が叩かれている。製造した食品を回収し廃棄する。世間の目が冷たく突き刺ささるのが痛いくらいに感じる。生産が出来ない為、負債金が大きく募ってくる。会社が倒産してやがて、和夫と安江はノイローゼ状態に入っている場面が大きく映っていた。辛い。見るのが辛い。他人事でも見る事が苦しいのに、ましてや自分自身の出来事だ。胸が締め付けられる様に苦しい。思い出したくない。


 二度と見たくない。他人に自慢出来る内容ならいざ知らず、誰にも知られたく無い内容だ。尚も安江の顔が苦虫を噛み潰したような顔になる。




【そして、更にシーンが替わる】


 和夫と安江は話をして、心中する事となった。もはや生きている意味さえ和夫にとっては見つからない。


 そして、山中に車を停めて睡眠薬を飲んでいる。和夫は通院していた病院からの睡眠薬を飲み、安江にも睡眠薬を渡した。安江の手がアップになりスローになった。

 和夫から右手で受けた薬が、一旦左手に持ち替えている。更によく見れば、薬の色や形が若干変わって見える。


 頼んでもいないのに、先程の場面が逆再生をして、もう一度同じ場面が流れ始めた。


「エッ……どうして、あんな映像まで……。これじゃあ、まるで………」


 どうやら、安江は全てを諦めたようだ。先程の苦虫を噛み潰した表情が一転し、一気に青ざめた表情に変わる。もうすでに死んでいるが、まるでこの世の終わりの様な顔になってしまった。




【そして、更にシーンが替わる】


 数時間前の銀行でのやり取りのシーンだ。記憶に新しい。和夫は覚悟を決めて自らの寿命を、お金に換えていた。精神的に疲れたのか、和夫は一旦、安江に休憩を申し出た。


「やすえ……少し、休ませってくれ……」

「——いいわよ、私が代わりにやってあげるわ。暗証番号は4219しにいくで良かったのかしら?」

「——えっ!……ぁぁ……」


 安江は、和夫から例のカードを受け取った。


 和夫の覚悟を聞いた時に、安江は涙した。その時に、目元に涙が溜まっていた。その涙を右手の指先で払うと、濡れた指先で例のカードを受け取った。


・————シューワーン


 その瞬間カードに微かな涙が付いた事で、あのカードが怪しくきらめき始めた。


「——な、なに。このカードって?……まぁ、いいわ。さぁ、早くお金を降ろさないと……」


 安江はカードの異変に驚き、一旦カードを床に落とした。そして、カードを拾いお金を降ろす作業を始めた。驚きをものともせず、目先のお金に囚われていた。


 お金・お金・お金・お金お金・お金・お金・お金は裏切らない。早く、お金お金を降ろさないと…………。


 安江が和夫から例のカードを受け取った時、自らの涙を指先で払った。その払った指先に付いていた涙がカードに付着してしまった。


 そう、このカードが持つ本来の特性。寿命をお金に替えるすべは、カードが主を認識する事だ。その条件とは涙。カードが安江の涙を吸ってしまった事で、カードが和夫ではなく、安江を主と認識してしまったのだ。 


 。 そんな事とは知らぬまま、安江は夫の寿命だと思い込んで、お金を引き出し続けていたのだ。降ろしたお金は、自分自身の寿命だと気づかないままに……。


 そして、安江の寿命は尽きてしまった————。




「————え、……う、うそ……うそよ————! 何で、こんな事になるのよ?……。どうして?……こ、これは?……」


 先程、自分自身の過去の映像を見せられて、安江は狼狽うろたえた。誰にも言っていない、数々の事実。それが、ここで全て露見ろけんしてしまった。周りに人は居ないが、神様は全て知っているのだ。


 取り乱す安江の傍にゼルが姿を現した。


『と、云う事だ。どうだ! お前が死んだ訳が理解できたか?』

「——理解? って、そんな事、理解できる訳ないじゃないの——返せ、私の、命を、返せ——! 私の、いのちを、かえせ———! う、うう…………」

『残念だな。全ては過ぎた事。もはや、お前の肉体は荼毘だびされてしまった。今更どうこう出来るはずも無かろう……』

「そ、そんな…………」

『さて、頭で理解できなくとも、お前は自らの罪からは逃れられない事は、心のどこかで分かっているのだろう。

 レトルトカレーに爪を混入させながらも、素知らぬ顔で過ごし、和夫の経営する会社に社会的信用を奪い、経済的に破綻させた。更に多くの関係者に多大な迷惑を掛けた件。

 山奥で心中しようとした時に、あわよくば一人だけ生き残ろうとして薬をすり替えた件。

 少し前に、カードで和夫の寿命と知りながら、お金に執着し、お金を降ろし続けた件。

 更に和夫が死ねば、結婚時に掛けた多額の保険金が降りると画策した件。

 もはや、人にあらず……どれも、重罪だ。よってもはや、【裁きの門】まで、並ぶ必要なし! 残念だが、お前の魂の存在理由が無くなってしまったようだ』

「ひっ——!」

 

 ゼルの宣告とも取れる態度に安江は力なく地面に膝から崩れ落ちた。

 ガクガクと膝から震えがくる。安江の全身に震えがはしる——。


 呆けた安江を哀れむ様子も無く、ゼルは指をパチンと鳴らした。すぐさまゼルの背後から見知らぬ誰かが現れ、ゼルの前でひざまずいた。


 ゼルとは違い、銀色の翼を持った者が現れた。ゼルとは見かけも違い、幼子おさなごの様に見える。身長もゼルの胸の高さまでしか無い。それでいて、体にまとう雰囲気が重いのは、なぜだろう? 


 人の魂を天界に伴ってくれる天使は、安らぎに似た笑みを浮かべている。しかし、この目の前の天使は、お面を被っているのか様に顔に感情が見えない。無表情だ。死神と呼ばれるが故に、感情を表に出さないのだろうか。

 


「お呼びでしょうか? ゼル様——」

『——ああ、この女の魂の消滅を頼む』

「——心得ました」


 その銀色の翼を持つ者は、背中から何かを取り出した。大きな鎌だ。その大鎌で死者の魂を狩るという事を、安江は誰からも聞いていなかったはずだが、瞬時に理解してしまった。自分の存在理由が消えてしまう。と云う事を。


「——き、消える……。いやだ……。私の存在が、消えてしまう———。た、たすけ、て————」


 安江の怯える姿を見ても銀色の翼を持つ者は、躊躇ちゅうちょする事無く安江に向けて大鎌を構えた。そして大鎌を安江に向けて軽く一閃いっせんする。


【シュパ————ン】

「いや—————!」


 鎌が振り切られた後は、安江の魂は既にそこに居なかった。【消滅】という言葉通り、霧の様に掻き消えてしまった。まるで、ずっと前から何も居なかったように、気配すら感じさせなかった。


『ご苦労……』

「ハッ——!」


 銀色の翼を持つ者は、ゼルに敬礼の様な仕草をすると、その姿勢のまま霧の様に消えてしまった。





 一方ゼルは、安江の居た場所を見ながら考えていた。


『――ふ~む。俺にはよく解らないぜ、人間ってヤツは? 最初にあのカードを渡した泰三ってヤツは、浅はかにも自分の欲の為だけに走りやがった……。

 二番目の由香里っていう女は、我が子に使い、カード本来の使い方を見切り、カードの盲点を突いて自らの寿命を延ばしたというのに……。

 三番目の和夫は、自らの命をお金に換えて、迷惑を掛けた弟夫婦へ清算しようとしたが、あの女、安江とかいうヤツに横やりを入れられて、和夫は助かり、安江は死んでしまった。これは、想定外もいいところだろう……。

 しかし、結果はどうあれ、全てが正解の様でも有り、矛盾が生じている様な気がする。これが、人間と云うモノなのか? ただ、これだけはハッキリする。人間てヤツは、一見無駄に生きている様に見えるが、そうでもないのだろうな。

 しかし、生きる事の意味についてもう少し、真剣に考えて欲しいモノだ。

 寿命が全うしていなくても、簡単に己の命を捨てようとする者達が増えているのは、悲しい事だ……。

 ただ、【生きている】のでは無くて、多くの恩恵から生かされている事に気づけば、もう少し充実した生き方が出来そうなモノなのに……。

 だから人間って云うヤツは、哀しく切なく何かにえている様な生き方をするのかも知れない。刹那せつなに生きていると云うか?……。

 あまり俺が関わらない方が良いみたいだな。その方が、ヤツラの為になりそうだな……もう少しだけ、遠巻きに観ている事にしよう』



ゼルはそう呟くと、自らの白く大きな翼を広げ遥か彼方へ飛び去ってしまった。







◇  ◇  ◇  ◇




 『白雲閣』の女将によって、もよりの葬儀場で安江の葬儀が慎ましく行われた。知らない土地から来て、知らない土地で亡くなった安江の葬儀は、参列者も少なくひっそりと寂しいものだった。

 

 葬儀が終わった後、安江の遺影の前で一人になった和夫はボンヤリと考えていた。


 ふとボストンバッグが気になった。自分の五年分の寿命のお金と、安江の寿命分のお金。つまり、命の値段がこのボストンバッグに詰まっている。


 和夫は手にしたボストンバッグの中身をみた。一万円札が無造作に入っている。途中から安江が、五十万円毎に封筒に入れてくれたので数え易い。散らばっているお札も、五十万円毎に封筒に入れる。これで数え易くなった。時間が掛かったが、ようやくお金を数える事が出来るようになった。

 締めて42199642しにいくくるしみ円也。小銭まで有る。安江が己の降ろした金額だった。

 何故か引き出した金額の明細表まであった。明細を見てみた。やはり、引き出した金額は総額42199642円。そして残高は0円となっていた。0円=やはり命は尽きたのか。


「こんな縁起の悪い数字だなんて、……」


 和夫の五年分の命のお金は同じボストンバッグの中で、違う列のファスナーで仕切られた場所に五百万円有った。


「安江がこの世から居なくなってしまった……。ならば、ワシが浩平のもとに行って、自ら謝罪しなければ……。浩平は、許してくれるだろうか? いや、許してもらわなくても構わない……。せめて、この金だけは、なんとか渡したいが……」





 ——その後、和夫は弟の浩平夫婦のいる処に行ってみた。


 探偵の情報では、A県のO町にダム工事現場で、夫婦で居るとの事だった。

 しかしながらA県の指定された工事現場に行ってみるがそこには、浩平夫婦は居なかった。どうやらあの探偵に騙されたのかも知れない。ガセ情報だったのか、浩平夫婦が他所に行ったのかは分からなかった。


 和夫は途方に暮れた。自らの命を懸けて浩平に償おうとしていたのに、相手が居なければどうする事も出来やしない。一体、どうすれば……?


 妻の安江も居なくなり、どの様に生きて行くかの指針すら失ってしまった。


 どうして、こうなったのだろうか?


 和夫は自らの過去を振り返った——。

 


 百合恵と結婚後、起業した後に愛妻である百合恵は亡くなってしまった。


 後妻の安江と再婚後、どういう訳か、製品に異物付け爪が混入してしまった。それが原因で、商品の回収・廃棄で利益がマイナスになってしまった。挙句の果てに負債が募り会社が倒産してしまう。オマケに弟夫婦に迷惑をかけて、一家離散まで追い込んでしまった。未だに、付け爪混入の犯人は和夫には分からず仕舞いでいた。


 挙句あげくに山中で心中しようとしていたら、奇妙な神様に、寿命をお金に変換する不思議なカードを貰ってしまった。


 弟浩平夫婦の居場所が分かり、自分の命をお金に換えて、つぐなおうとしていたのに……。


 どうして、安江が俺の替わりに亡くなってしまったのだろう?


 どうして俺は、生き残ってしまったのだろう? どうして?


 何をして生きて行けばいいのだろう? どうしたら? どうすれば?



 和夫は、考え続けた。安江の居なくなった部屋で考え続けていた。

  ――頼む! 誰か、教えてくれ……。







 ——ある日、和夫に天啓が舞い降りた。


「————ハッ! そうだ。百合恵は過労死だと言われたが、実は難病だったのかも知れない。病院にも行っていない。もしかして、訳の分からない病気だったのかも知れない。そういえば、あの頃は、三十年以上も前の昔の事だ。当時の医療技術は確かに古い。もしかして、百合恵は外国に行けば助かったかも知れない……。

 安江だってそうかも知れない。安江も健康診断を受けていれば、なにかの病気が分かって、死なずに済んだかも知れない。失う命を助けるには……。

 アメリカの今の最先端の医療技術なら、失う命も助ける事が出来るかも知れない。

 そうだ、これだ——! ワシは病気には詳しくは無いが、困っている人の為に、出来る事。つまり応援や、支援が出来ないだろうか?

 ボランティアでいい。誰かと共同で、難病についてのボランティアの支援団体を立ち上げよう。幸いにも、安江の残してくれたお金と自分自身の寿命分が有る。合計四千七百万近くある。これを元手にしてみれば……」


 和夫は安江の遺影の前でそう呟くと、最寄りの法人団体に相談してみる事にした。

 

 そうなると事の運びはとても速い。和夫は己の資金を元手に、奇病・難病のボランティア支援法人団体を立ち上げた。国から助成金・補助金。そして一般からは寄付金。更には、奇跡的な事に大手の企業からスポンサー契約まで取り付ける事が出来た。

 その社名も【Be-Smiling笑顔になる】と名付けた。「一人で苦しまないで、諦めないで笑顔になろう」という意味が込められている。

 その会社は、最初は小さな会社ではあったが、後に海外へ支社を置くまで大きく成長する事となった。

 

 やがて数年後、姪である由香里が、アメリカで難病で苦しむ息子に心臓移植を行った。その際に、日本から由香里のもとにボランティアとして渡米した山倉美穂やまくらみほが、和夫が立ち上げたボランティア団体の職員だとは、誰も知る由もない事だろう。運命の歯車が【カチリ】と噛み合った瞬間だった。




 和夫の寿命はあの時に確実に七年は縮んだ。しかし、和夫は精力的に駆け回っている。寿命はいつ果てるとは分からない。ならば、それまで、精一杯生きてみせようと思うのだろう……。


  そう、失われた笑顔を取り戻すために————。






 天上界から見下ろした遥か足元の下界では、今日も人間達は忙しそうに働いている。何の為に働き、何の為に生きて、そして何の為に死んで行くのだろうか?

 

 ――命の値段。その値打ちをつける尺度は果たしてあるのだろうか?


 生きていく為に我が身を削る姿もある。逆に自らの尊い命を簡単に捨ててしまう者達がいる矛盾。


 誰もが生かされている事に気付かない現在。命の重さを感じて欲しいのではないだろうか?……。


 しかし、生きていれば欲が出る。欲しい物は無限大だ。金・物・権力・個別に数え上げればキリが無い。 


 自らの欲望を得る為に、何を失うのか? 彼等は本当に解かっているのだろうか? 


 失った者やモノは二度と手に入らないと云うのに……。


 それでも、今日も人間達は忙しく動き廻っている。何も解ろうとせず、ただ・淡々と動き廻っている。



  ———ただ、淡々と。今日も、明日も恐らく明後日も…………。



                                       








                          第3部 了

命の値段『ソウル・カード』 了




 最後までお付き合い下さり、誠にありがとうございました。

 命、それははかなくて尊くて決して無駄に出来ないモノ。大切にしたいですね。

 全てのモノに感謝したいものです。

           

 

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ソウル・カード『命の値段』 甲斐央一 @kaiami358

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