エピローグ

 医者の見立て通り、大曲おおまがりは一日で退院した。

 特に後遺症もなかったらしく、次の日には平然と事務所へと出勤してきた。


「別に、もう少し休んでてもよかったんだぞ?」

「んー。でも他にやることないっすからねー」


 そういって大曲おおまがりはケタケタ笑った。


【黄昏】から生きたまま帰還した人間で、ここまで五体満足な人間は例がないと社長は心底驚いていた。


 入院していた腕のケガだって、常人なら回復にもっと時間がかかるはずだったが、大曲おおまがりの快復力は人並み外れていたらしい。


 社長の話では、ずっと身体の感覚が曖昧だった大曲おおまがりは、日常的に力のリミッターの感覚がバグっていて、自分の限界以上のパワーを出し続けていたようだ。肉体の損傷とその回復についても尋常でないものがあったらしい。


「横綱」たる所以ゆえんはそこにあったのか、と僕は勝手に腹落ちした。


「いや、あれは普通にせんぱいが非力なだけ……」

「あん?」

「……省エネなだけっす! 流石せんぱい! 時代を先取りっす!」


 こんな調子で、大曲おおまがりはぬるっと日常に戻った。あまりにもぬるっと戻ったので、一連の依頼と出来事を覚えているかどうか怪しくなるほどだった。



「ほんとうに、ほんとうにありがとうございました!!」


 桂木かつらぎさんは、僕らの依頼報告を聞くと、涙ながらに深々と頭を下げた。


「……ちゃんと、届いたんですね。私の想い」

「ええ。あなたからの贈り物、心の底から喜んでいました」

「自慢の髪だって、言ってたっすよ。めちゃくちゃ美人だったっす!」


「依頼書」を渡し、僕と大曲おおまがりで事細かく状況を説明すると、桂木かつらぎさんは心底ホッとしたようにいった。


「よかった……よかったぁ……」


 言いながら、桂木かつらぎさんはぼろぼろと涙をこぼした。顔は笑っているのに、涙が止まらない。


「……もう、本当に、いなくなっちゃったんですよね。アヤノちゃん……」

「……はい」

「そっか……そっかぁ……」


 処理しきれない感情があふれかえり、桂木かつらぎさんはそれからしばらく涙を流し続けた。

 ちゃんと想いを届けられたことへの安堵、それを正しく受け取ってもらえた喜び、それでも、だからこそ、もう二度と会えないという強い喪失感。


 こればっかりはどうしようもない。

 僕らがどんなに頑張っても、死者は蘇らない。

 想いを届けるといっても対話ができるわけじゃない。「依頼書」という紙切れを持って帰ってくるので精一杯だ。

 やはり「死」は絶対で、分厚く、圧倒的な壁だ。


 黄昏運送ができることは、本当に微々たるものだ。

 大切な人を喪った、途方もないやりきれなさを少し軽減したに過ぎない。

 やるべきことは全てできた。残された人々が、そういう踏ん切りをつけるための、前を向いて生きるためのものだ。


 でも、それはきっと、必要なことだと思うから。

 そう思えるから、僕はこの仕事を続けているのだろう。


 涙を流し続ける桂木かつらぎさんに感化されたのか、大曲おおまがりまでも声を上げて泣き始めた。誰かの涙につられるなんて、以前の大曲おおまがりだったらあり得ないことだっただろう。きっと、ヤツにとってもこの依頼は深い意味のあるものだった。


 ほんと、最後までちゃんとできてよかったな。


 僕はそっと席を外し、部屋の中を二人だけにした。応接室ではしばらく二人の泣く声だけが響き続けた。



「あの……お見苦しいところを……」


 小一時間経った後、部屋に戻ると桂木かつらぎさんは気まずそうに言った。眼鏡の奥の瞳は真っ赤に充血している。


「いえいえ……お気になさらず。もう大丈夫そうですか」

「ええ。いつまでも泣いてたらアヤノちゃんに申し訳ないですから」


 にこっと、桂木かつらぎさんは笑った。芯を感じる、強い笑顔だ。

 これならもう大丈夫だろう。


 それから僕らは今後の事と、お代について少しだけ話した。


「……以上で、手続きは全て終了です。ご不明点はありますか?」

「いいえ。大丈夫です。……改めて、本当にありがとうございました」

「いえいえ。僕らは仕事をしたまでですから」


 そういいながら、もう桂木かつらぎさんと会うことはないと思うと、一抹の寂しさがあった。


 しかし、依頼を受け、それに応える。お客と会社の関係なんてそれが全てだ。受け入れなければ……。


「じゃ、桂木かつらぎちゃん。また今度っす!」

「はい! 大曲おおまがりさん、来週末、楽しみにしてます!」


 ニコニコしながら話す二人。若い女の子同士のキャイキャイした雰囲気はとてもほほえましくて、見ているこっちまで……。


 いや、ちょっと待て。


「お前、桂木かつらぎさんと友達なの?」

「え、そっすよ。ラインも交換してるし……」

「いやいや、相手お客さんだぞ? それ、どうなんだ?」


 僕が苦言を呈すと、大曲おおまがりはにやっと腹の立つ笑顔を向けて言った。


「せんぱい、言ったすよね。つながり作れって」

「……うぐぐ」


 確かに言ったけど……。

 まあ、桂木かつらぎさんも乗り気だし……いいか……。


「じゃあ、これで失礼します。どうかご達者で……」


 事務所の出口に立って、桂木かつらぎさんはまた深々と頭を下げた。

 彼女の短い髪が軽やかに揺れる。


「……そういえばその髪、また伸ばすんですか?」

「そうですね……私にとっても自慢ですから」


 また少し寂しそうに、でもそれ以上に誇らしげに桂木かつらぎさんは言った。


「そうですか。でも……その髪型も似合ってますよ」


 僕がそう言うと、桂木かつらぎさんは満面の笑みを残し、事務所から出て行った。




「……いっちゃったっすね。桂木かつらぎちゃん」


 大曲おおまがりが少し寂しそうに言う。


「そうだな……。でも、お前スグに会うんだろ?」

「まあ、そりゃそうっすけど……そういうのじゃないっすよ」


 大曲おおまがりは、手近にあった椅子にドカッと座り、体重を預けた。


「……ねえ、せんぱい」

「なんだよ」

「あたしとせんぱいってどういう関係っすかね?」

「藪から棒に……普通に同僚、先輩後輩の関係だろ」

「いや、流石に色んなことあったし、今まで通りってわけにもいかないじゃないっすか」


 確かに、そう言われてみればそうだ。

 僕は大曲おおまがりの過去を知ってしまったわけだし、関係性は見直さないといけないかもしれないな。


「そういえば……」


 大曲おおまがりがじとっとした目で僕を見る。

 批難するような、視線にちょっとたじろいだ。


「なんか、せんぱいはあたしの昔の話知ってるっぽいのに、あたし、せんぱいのこと全然知らないっす」

「え、いや、まあ……」

「フコーへーっす! ヒタイショーっす! これは確執を生むっすよ!」

「うぐぐ……」


 くそ。むかつくほどに正論だ。

 僕は大曲おおまがりのことを社長から聞いている。本人の許可を得ずに、だ。

 このままでは大曲おおまがりとの関係の再構築、ひいては円滑な業務運営に支障をきたす。


 とはいえ、自分の口で自分の過去を話すのは、流石に気恥ずかしい……。


「……さて、大曲おおまがり。久しぶりに給料も入ることだし、飯食いに行こう。奢ってやるぞ!」

「露骨に話しそらされたっす!! でも、お腹減ったからいくっす!!」


 大曲おおまがりは嬉しそうに勢いよく椅子から立ち上がった。

 そうやってノリのいいところ、残ってくれてて助かるな。


 まあ、大曲おおまがりに言われるまでもない。

 死んで欲しくないとエゴをぶつけた以上、僕らの仲はもう少し親密になるべきだ。

 僕の過去のこともいずれは話さなければならないだろう。大曲おおまがりの口から直接、ヤツの過去の話も聞くべきだ。


 でも、それはもう少し先でいい。今はまだ。


「どこいくっすか? 寿司っすか? 高級焼肉っすか?!」

「そんな高いところ行けるわけねえだろ」

「えーじゃあ、どこいくっすか?」

「……いつものラーメン屋だよ」


 同じ釜の飯を食う仲。

 そこから始めても、遅くはないはずだ。




 事務所の外に出ると、丁度日が落ちる直前だった。

 昼と夜、生者と死者、人間と異形が交わる、逢魔ヶ時おうまがどき


 美しいくも切ない夕日は、一日の終わりを実感させる。

 後にやってくるであろう暗くて寂しい夜を予感させる。


 でも、僕らは、その先に、もっと眩しい朝日が昇ることを想像できる。


 そう思うと、この景色が、いつもより少しだけ綺麗にみえた。


「せんぱい! 早くするっす!!」

「そんなに急ぐなよ……」


 僕の前を歩く大曲おおまがりがくるっと振り返る。


「せんぱい。これからも、よろしくっす!」


 それだけ言うと、大曲おおまがりは店に向かって走り始めた。


 一瞬だけ見えた、夕日に照らされた、屈託のない笑顔。

 今まで見たことのない。でも、なぜか懐かしい。そんな表情だった。



 そういえば、かえでもこんな顔で笑ってたな。



 ふと蘇った記憶に口元が緩むのを感じながら、僕は、黄昏に照らされた大曲おおまがりの背中を追いかけた。



〈了〉

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