第七話:偽りの幸福
「はい、佐藤くん。今日も行ってきますのチュウをしようねー」
ノリノリな白川結奈にキスをせがまれ、俺は渋々了承する。
それも仕方ないか。現在の俺は彼女に養われているのだから。
「もうぉー。何を暗い顔をしてるんだ。一緒に頑張ろう!」
「いや……本当にこんな生活でいいのかなって疑問に思ってさ」
「いいんだよ。佐藤くんにはお外は危険だもん。いっぱいいっぱい害虫が居て、佐藤くんをボロボロにしちゃうんだもん」
だからね、と呟きつつ、俺の肩をガッシリと掴んできて。
「佐藤くんは、私の為だけに生きてくれたらいいんだよ」
「白川の為だけに生きたらいいの……?」
「うん、そうだよ。私がお金を稼いでくる。佐藤くんは、私のおかげで生かされてる。その関係で良いんだよ。ずっとずっと。私と一緒に居よ」
俺は白川の為に生きたらいいんだ。白川の為だけに。
「良い子にしてないとダメだよ、佐藤くん。私以外の誰かが来ても、絶対にドアを開けたらダメだよ。悪い人ばっかりだからね。分かった?」
コクリと首を動かすと、白い肌を持つ彼女はニコリと微笑んだ。
「それじゃあ、今日もお仕事頑張ってくるから。寂しくなったら、いつでも電話を掛けてきていいからね。じゃあね、佐藤くん」
仕事を辞め、白川結奈に養われ始めてから半年が経った。
養って貰う代わりに、俺は一つの誓約をすることとなった。
『私が佐藤くんを幸せにするから、佐藤くんが私を幸せにしてね』
俺が差し出せるものなら全てを彼女に明け渡し。
逆に、彼女も俺に差し出せるものなら全てを渡す。
これが俺と彼女の約束で、何よりも俺たち二人を結ぶ契約だ。
『今日もしよっか? えっ……拒否権はないよ。佐藤くんには』
毎週金曜日と土曜日は子作りデー。
何度も何度も身体を重ねたけど、彼女は赤子を孕まなかった。
検査機の結果を見る度に小さな声で、涙を流しながら。
『どうしてかな……? 二人は結ばれたはずなのに……どうして?』
『あの女がまた邪魔してるんだ。もう……死んだはずなのに……』
日に日に苛立ちを増していく白川結奈を見るのは辛かった。
彼女の笑顔が見たいと思った。どうすれば良いのか。
俺はひたすらに考えて一つの結論を導き出した。
「俺と結婚しよう」
「えっ……? け、結婚してくれるの? わ、私と……? こんな孕めない私と……? 本当に? 良いの……?」
「もう今の俺に差し出せるものはこれしかないんだ」
「うん、私も結婚したい。佐藤くんと結婚したい」
「婚約届を取りに行かないとな……」
俺が呟くと、待ってましたとばかりに白川が見せてきた。
「じゃじゃーん。もう実はあるんだー。ずっと私も次のステップに進まないとなぁーって思ってたからさー。あはは、楽しみだねぇー」
婚姻届に名前を記入すると、彼女はさらっと自分の名前を書いた。
『白川結奈』とはっきりと丁寧な字で。
でもその後、直ぐにコーヒーを溢したと言われ、書き直しして欲しいと頼まれてしまったけど。何はともあれ、俺は世界一の幸せ者だった。
結婚生活が始まり一ヶ月が経過した。
遂に嬉しいことが起きた。何と最愛の妻が妊娠したのだ。
「待望の赤ちゃんだよ、一樹くん。嬉しいね、私たちの子供だよ」
「あぁ……結奈。ありがとう、俺の子を孕んでくれて」
俺と白川はお互いに下の名前で呼び合うようになった。
ただ……結奈と言う度に、何か懐かしさがあるのはどうしてか。
「ううん。感謝なら私の方だよ。あー楽しみだなぁー。早く会いたいよ」
優しく自分のお腹を撫でる白川結奈に対し、俺は率直な意見を伝えた。
「なぁー。やっぱり家族に報告するべきじゃないかな?」
「意味分からないよ。二人だけで良いじゃん」
「いや……やっぱり子供ができたなら報告ぐらいはさ」
「一樹くんは……家族を選ぶんだね。捨てるんだ、私を」
「いや……捨てるとかじゃなくて」
「なら、もう良いじゃん。私だけをずっとずっと見ててよ」
「実はさ……母親から電話が掛かってきてるんだ。だ、だからさ——」
言い訳がましいと思ったのか、白川結奈は冷淡な口調で。
「スマホ、貸して」
「えっ……?」
「早く、渡して」
怖い顔で睨まれたので、手を差し出される。
スマホをここに置けとの意味らしい。
渡さないわけにはいかないと直感し、俺は渡すことにした。
「良い子良い子。佐藤くんは全然悪くないよ。悪いのは姑さんだよ」
俺の頭をよしよしと撫でた後、白川はスマホを床に投げつける。
「えっ……? し、白川……な、何やってんだ?」
言葉を掛けるも完全無視。
一度集中すると、結奈は全く言うことを聞いてくれないのだ。
「幸せになるんだ。佐藤くんと一緒に……幸せになるんだ」
手元にあった木製の椅子を持ち上げ、スマホへと何度も叩きつけた。
「誰にも邪魔させない。ここまで来たんだもん。だから、絶対に」
私の幸せは誰にも壊させない、と彼女は小さな声で呟いた。
液晶がバキバキに割れたスマホを手に取り、振り返ってきた。
まるで、大将の首を討ち取ったかのように無邪気な笑みを浮かべて。
「安心して。私たちの幸せを壊すものは、全部私が消しちゃうから」
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