第十話:選択

「————は頑張ってるよ。ありがとう、俺みたいな男を愛してくれて」

「もう俺は————を一人にしない。絶対に幸せにしてみせるよ」

「白川結奈に出来なかった分まで、俺は君を愛すよ。例え、偽物でも」


 俺の選択はカノジョだった。

 死んでいる彼女と生きているカノジョ。

 どちらを選べば良いかなど誰にでも分かる話だ。

 今を生きることができるのは、生きている人間だけの特権なのだから。

 死んでいる人間とは、一緒に生き続けることなどできないのだから。


「ごめんな、君の気持ちに気付いてあげられなくて。君を悲しませて」


 ただこれからは——これから先はずっとずっと——どこまでも。


「俺はもう何処にも行かないよ。一生を掛けて、俺は君を愛し続ける」


 言わば、これは償いだ。

 カノジョの人生を狂わせてしまった俺自身に課す代償。

 俺を愛し続ける為に、俺を幸せにする為に、カノジョは自分自身の顔を捨て、家族を捨て、そして処女初めてさえも捨ててしまったのだから。

 もう俺に出来ることと言えば、カノジョと共に生きることしかない。


「その代わり、————も俺を愛してくれ」


 続けて、俺は口を開いた。カノジョの肩をガシリと掴んで。


「共に生きてくれ、この理不尽で生き辛いクソッタレな世界で」


 生きるべき人間が死んで。

 死ぬべき人間が生きている、いいかげんな世界で。


「一緒に幸せになろう。もう誰も苦しまないように」


 俺とカノジョが望んだのは、共依存だった。

 俺たち二人は欠陥人間。壊滅的に頭のネジが一本外れている。


 一人は最愛の人の死をきっかけに。

 もう一人は俺を愛しすぎたばっかりに。

 心に深い傷を負った俺と体に深い傷を作ったカノジョ。

 俺たちは支え合わないと生きていけない弱者。


「君は俺が居ないと生きていけない」


 言葉を聞いた後、カノジョはコクリと頷いて。


「一樹くんは誰かが居ないと生きていけない」


 ごもっともな意見だ。

 別段、俺はカノジョじゃなくても良いのだ。

 でもカノジョの愛を受け止めるのは俺の役目だと思っている。

 茨道を歩ませたのは俺の全責任なのだから。

 というか、俺みたいなダメ人間の面倒を見てくれるのは。

 カノジョしか居ないだろう。この世界の何処を探したとしても。

 ある意味消去法的な選択だけれど。それでも——。


「俺は君を愛し続けるよ、この命が息絶えるまで」

「あたしも愛し続けるよ。例え、本物じゃないとしても」


 欺くして、俺たち、社会不適合者は契約を交わした。

 お互いが傷付かないように。お互いが生きられるように。

 二人で共に幸せな人生を歩む為に。

 本物を失くし絶望した俺と本物に憧れ成り変わったカノジョは、弱者がお互いの傷を舐め合うように、自分たちの闇を共有し、互いが互いを支え合う道を選択したのであった。


佐藤一樹サトウカズキは決して————を傷付けません。息絶えるその日まで一生守り続け、愛し続けることを認めます(血の拇印)』

『————は決して佐藤一樹を一人にしません。例え、本物じゃなくても、偽物として、佐藤一樹を誰よりも愛し、そして一生をかけて幸せにすることを誓います(血の拇印)』


※もしも契約に違反した場合、


***


 週末、俺とカノジョは白川結奈の墓参りに向かった。

 久々に戻ってきた地元は相変わらずの自然豊かで、現在住んでいる高いビルが立ち並ぶ都会とは大違いであった。

 わざわざ帰ってきたのには、理由がある。

 白川結奈にお別れを告げに来たのだ。もう二度と来ないと思うから。

 何よりも、愛し続けた彼女に最後の一言を掛けるべきかと思って。

 周りの墓が落ち葉やゴミで散乱している中、『白川家』と書かれているものだけは、タイルが擦れるほどに清掃されており、日頃から彼女を思う人たちが足繁く通っているのが一目見て分かった。

 それでも、大量に添えられた花々は既に枯れ落ちていた。

 原型だけは留めているものの、綺麗とはお世辞にも言えないほどのボロボロな姿。


「そろそろ腕を離してくれてもいいんじゃないか?」


 俺の隣に寄り添う愛する妻に訊ねてみる。

 だが、瞳を鋭くさせ、少しだけ怒ったように言い返された。


「ダメだよ。一樹くんが言ったんだよ。腕を掴んでてって」

「まぁーその通りだが……もう逃げ出さずに到着したわけだし」


 白川結奈の墓参りへは幾度も訪れようとしていたが、行く当日になって急遽予定を変更し、今の今まで行くことはなかった。

 彼女を思う気持ちがあるのならもっと早めに来るべきだったかもしれない。

 だが、俺は強い人間ではない。

 彼女の死を受け入れられなかったのだ。

 十年間以上も。一途に想い続けたと言えば、多少は格好が付くかも知れないが、傍から見ればただ重い人間だと思われていたかもしれない。


「安心しろ。俺が好きなのは————だけだよ」

「むふふふ……元カノの墓の前で言うなんて酷い男だね」

「元々、今日は別れを告げに来たんだからな」


 正直、辛い選択だった。

 俺にとって、彼女の墓場に行くということは、彼女の死を認めることに等しかった。十年前、彼女の死を受け止められず、葬儀にも参加しなかった半端な俺が、この場に来るとは思ってもみなかった。


「ありがとうな、これも全部————のおかげだよ」

「あたしは別に何もしてないよ。ただ、一樹くんの心からあの人の気持ちが綺麗さっぱり消えてしまったらいいなと思っただけだから」


 事前に俺が逃げ出す可能性を考慮し、絶対に逃げ出さないようにとカノジョには手段を頼んでおいたのだ。ここぞとばかりに本領発揮し、スタンガンをバチバチ鳴らされた時は「他の手をお願いします」と断ったが、加減を知らないカノジョらしいやり方に笑みが漏れてしまったけれど。


「一応ほうきとかちりとりとか掃除用道具持って来たのになぁー」


 汚れていると確信し、100円ショップで買い物を済ませて来たのに。

 何だか、一日掛かりでピカピカに磨いてやろうと思ってたのに、拍子抜けしてしまった気分だ。新作ゲームを買ったものの、数時間でクリアしてしまった感覚に近いかもな。


「それだけ、もうこの女と一緒に居なくてもいいわけじゃん」

「もしかして……嫉妬してるのか? 結奈は死んでるんだぞ」

「一樹くんの青春時代を奪った罪は大きいんだもんー」


 ぷくーとほっぺたを膨らませつつも、手慣れた様子で線香に火を付けている。風が強いのか、苦戦中だけれど。


「もうぉー。火遊びも得意な女の子だと一樹くんに教えようと思ったのにー。風のせいで……全然本領発揮できないよぉー」

「火を扱うのは料理だけにしとけ」


 自分に出来ることを考える。目線の先にあったのは枯れた花。

 生花だったらしく、もう干からびており、悲惨な状況になっている。

 俺は買ってきたばかりのホワイトピンク色の花——ネリネを手に取り、枯れてしまった花の代わりに、花立てに突き刺した。

 造花だった。人工的に作られ枯れることは一切無い偽物。

 造花を毛嫌いする人も多くけれど、いつかは壊れてしまう有限な花よりも、いつまでも綺麗に咲き誇る永遠な花の方が、俺には一段と魅力的に見えた。


***


 墓参りは無事終了した。

 太陽の光に負けたのか、カノジョは汗ダラダラ状態でぐったりとしつつも、墓の前で突っ立つ俺を黙って見守ってくれていた。


 最初で最後の墓参り。

 もう二度と訪れることはないだろう。

 別段、カノジョが「アイツの所に行っちゃダメ」と駄駄を捏ねたわけではない。俺自身の覚悟の問題だ。十年前に死んだ元カノを未練がましく想い続け、周りにも迷惑を掛けている自分自身に終止符を打ちたかったのだ。何よりも、心の底から俺を愛して忠誠に従うカノジョへ、俺も本気なのだという証明したいのだ。


 暫くの間、墓前で手を合わせ、目を瞑ったまま無駄に立ち尽くしていた。

 そして、俺は墓標に向かって言葉を吐いた。


「じゃあな、結奈。俺、やっと前へ進めそうだよ」


 水分補給を欠かさない妻へ視線を変える。

 一生を掛けて愛し続けると誓ったカノジョは既に帰る準備を終わらせていた。言葉は出さずにも、表情を見るだけで、その疲労感が伝わってくる。早く帰ろうと訴えかけてくる。


「ごめん……待たせたな。そろそろ帰ろっか?」

「ううん、全然待ってないよ。大丈夫だから」


 彼女と全く同じ顔を持つカノジョに手を引かれる形で、俺は駐車場へと戻ることになった。


 異変は突然起きた。

 涙が溢れ落ち始めたのだ。

 先程までは全く出なかったのに。

 わざわざ帰ろうとする瞬間に出始めるとは。

 止めようと思うのだが、止まらない。


「大丈夫? 一樹くん、あたしが居るから安心して」

「…………ご、ごめん……俺が好きなのは君だけなのに」


 理由は明らかだった。

 車へと戻る途中、脳裏に彼女の姿が思い浮かんできたのだ。

 涙を流せば流すほどに、過去の思い出がフラッシュバックしてきた。


 例えば、放課後の教室にて。

『佐藤君はさぁー、私が居ないと生きていけないでしょー?』

『えっ……どうしてって……逆の立場なら私が無理だと思うから?』


 例えば、大きな花火が打ち上がった夏祭りにて。

『来年も再来年もずっとずっと佐藤君と一緒だったらいいなぁー』

『…………結婚するから、当たり前だろって……ちょっと早すぎじゃない? で、でも……う、嬉しい……かも……』

『ていうか、今のって新手のプロポーズなの? ねぇーねぇー教えて』


 例えば、星空が見たくなって丘の上で観察会を開いたとき。

『ううう……さ、寒いねぇー……えっ? 良いの? 上着着ないと、風邪引いちゃうよ……わ、私が……風邪引く方が困るから良い……? それに元々……俺は体が強いから風邪は引かないって……もうぉー』

『佐藤君が風邪引かれた方が困るんだよ。ほらぁー一緒にマフラー巻こ』


 例えば、女の子が好きな男の子にチョコを渡す日にて。

『佐藤君はさ、モテないでしょー? えっ……もう既に何個か貰った? ちょっとどういうこと? 私という可愛い彼女が居ながら……え? 嫉妬じゃないです。これは彼女としての当然の怒りです』

『貰ったけど……全部返したんだぁー。へぇー、俺には最愛の彼女が居るから貰えないかぁー……ふぅーん、そんなカッコいいことを言ってくれたんだ。なら、ご褒美を上げなくちゃね』

『ほら、食べて良いよ。白川結奈の本命チョコを食べられたのは、佐藤君だけなんだから、少しは感謝しないとダメだぞ。それと彼女をもっともっと愛でてくれてもいいんだぞ……えっ? 美味しい……う、嬉しい』


 彼女と過ごした長いようで短かった思い出。

 一度頭の片隅に捨ててしまった記憶の数々が、俺を襲ってきた。

 まるでダムが崩壊したかのように。

 心の中が癒された。心の中が温かさで充満していた。


「ゆ……結奈……結奈……結奈……結奈……結奈……」


 何度も何度も彼女の名前を呟いた。

 すると、呼応するように、俺の名前を呼ぶ声が。

 正真正銘の本物。白川結奈の声だった。

 何処からと思いきや、声の主は俺の脳内に居た。

 涙を拭う度に、暗い視界の中で、彼女が現れたのだ。

 思い切って目を瞑ると——。


『久しぶりだね、佐藤君』


 妄想だと理解しつつも、彼女に会えただけで十分だった。

 藍と白を基調としたセーラー服。高校時代の学生服だ。

 姿形は十年前と全く同じだ。子供っぽさがあった。


『ごめんね、一人にして。もう何処にも行かないから』

『久々の再会だってのに……もうぉー泣かないでよ』

『あ、そうだ。突然だけど、私のこと一生愛してくれるよね?』


 質問が飛んできた。

 拒否するつもりが、俺の首は勝手に動いていた。

 予想通りの解答だったのか、結奈はクスクスと微笑んできた。


『ありがとう。流石は佐藤君。やっぱり両想いだね、私たち』

『これからもずぅーっとずぅーっと一緒だよ』


 生きている俺と死んでいる彼女。

 もう二度と出会うはずはないと思っていたのに。

 俺たち二人は出会えた。と言えど、俺の妄想で過ぎないが。


『でもね、条件があります。あの人と今すぐ別れて』

『浮気は絶対禁止だって、私と約束したよねー?』

『まぁー今回は特別許してあげる。私が居なくなって佐藤君もとっても辛い思いをしてたことは知ってるから』

『ほらぁ、私の手を取ってよ。もう一人ぼっちにはしないから』


 死んだ彼女に会えるのならば幻覚でもいい。

 そう思っていた時期が確かにあった。

 カノジョに出会う前の俺ならば、誘惑に負けていたはずだ。

 だが、今の俺は違う。


『んぅぅー? カノジョのお腹には赤ちゃんがいる? 俺は父親になるから、その提案には従えない?』

『大丈夫だよ、安心して。赤ちゃん、堕ろしちゃえばいいんだよ』


 嬉々とした声で言い放つ彼女には申し訳ないが、俺は提案を拒絶した。

 断られるとは思ってもみなかったのだろうか、彼女はボサボサと頭を掻き、お次には親指の爪を噛み、そして世界の全てを呪ってますとでも言いたげな瞳でこちらを睨みつけてきた。


 俺が愛した彼女とは似ても似つかない行動と言動。

 所詮はただの妄想だ。

 俺と共に将来を誓い合い、結婚を約束した少女は決して醜くはなかった。新たな生命を放棄しろなどと言うはずがない。そこまで落ちぶれた存在ではない。


『嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき、結婚しようねって約束したじゃん……そ、それなのに……それなのに……どうして? 忘れちゃったの? あれほど愛してくれてたのに……それなのに……どうして?』


 膝から崩れ落ちた彼女は頭を抱えて、髪の毛を毟り取った。

 まるで庭の草毟りみたいに、光沢のある黒髪が引っこ抜かれ、黒一色の世界に散乱した。

 流石は俺の妄想。幻覚である。何でもありだ。


『寂しいよ……かまってよ……私にかまって……一人は嫌だよ……一人は絶対に嫌だよ……髪の毛抜けたよ……佐藤君……私を助けてよ……一人にしないで……寂しいよ寂しいよ寂しいよ……助けて助けて助けてぇ』


 ボロボロと涙を溢れ落とし、救いを求めて手を差し伸べてくる彼女。

 いや、もう彼女では無かった。美しかった結奈の姿は何処にもなく、俺の目の前に居たのは、顔貌がドス黒い人型。


 もっとはっきり言えば、鏡を見たら反射して映る顔。

 そうだ、俺だ。

 厳密に言えば、白川結奈を思い続けると決めた過去の自分。


『過去に縋って生きよう。白川結奈は俺たちの心に生きている』

『もう現実なんて捨てろ。幸せな過去に溺れよう。俺と一緒に』


 白川結奈と過ごした日々は、俺にとって掛け替えのないものだ。

 人生の中で一番楽しい時間だったと胸を張って言えるだろう。

 それでも、今の俺には守り続けたい人が居るのだ。


『アイツは偽物だろ……? 何言ってるんだよ……結奈の紛い物だろうがぁ!? あんな奴、さっさと捨てろ。そして、結奈だけを想い——』


「あぁーそうだな。————は白川結奈じゃない。正直、俺自身もカノジョを本気で愛しているのかと聞かれたら、戸惑ってしまう」


 それでもな、と語りかけるように呟きつつ。


「俺はカノジョに生きて欲しいと願っている」


 俺とカノジョは社会不適合者契約を結んだ。

 この世界で共に生き続ける為に。

 だが、それにはペナルティも存在している。


※もしも契約に違反した場合、佐藤一樹と————は共に心中する。


 俺たち二人は愛し合う為に、お互いの命を賭け合ったのだ。

 常軌を逸した選択と自分でも承知の上だ。

 それでも俺は納得し、カノジョを愛すると誓ったのだ。

 例え、偽物だったとしても。

 何処にでも居る地味少女の人生を狂わせた罰を償う為に。


「悪いが、俺にはカノジョが待っている。じゃあな、過去の俺」


 暗闇世界に一筋の光が射した。

 多分だが、カノジョが俺を呼んでいるのだろう。

 俺はそこへ戻らなくてはならない。

 後方から『イカナイデイカナイデ』と嗚咽を漏らす声が聞こえてくるが、俺は完全無視で白い光の元へと急ぐのであった。


***


 気付けば、車の中に戻ってきていた。

 車内はクーラーをガンガン効かせ、寒いと思うほどだった。

 話を聞く限りでは、俺は突然倒れてしまったのだと。

 軽い熱中症状態だったのかも。水分補給はこまめに取らないとな。


「心配したんだよ……結奈……結奈……って呟いてたから」


 目を覚ました瞬間は、緊迫感溢れる顔をしていたのに、緊張の糸が解けたのか、現在のカノジョは顔をグチャグチャにし、涙をボロボロ流している。情けない男だな、俺は。カノジョを泣かせてしまうなんて。


「過去の俺と対峙してきた。白川結奈が死に、生きることに絶望していた頃の俺にさ」


 夢なのか、それとも俺の幻想なのか。

 どちらにせよ、俺の妄想内で何があったのかを説明した。

 闇世界で出会った白川結奈は、心の奥底に眠る彼女を想い続けた過去の俺が見せた紛い物なのだろう。

 決して彼女を忘れさせない為に俺に訴えかけてきたのだ。


「それで……遺骨はどうするの?」


 カノジョは訝しそうな瞳で覗き込んできた。

 本日の目的は二つある。

 白川結奈の墓参りと、彼女の遺骨を捨てることだった。

 粉末状態なので何処でもいいから捨てれば良かったのだが、如何せん人骨だ。それも最愛の人だったもの。ぞんざいに扱うなど無理な話。


「あー実はさ、結奈との約束を思い出したんだよ」

「約束……?」


 例えば、夜の浜辺へと向かい、海蛍を見たとき。

『もしもさ、私が明日死んだらどうする? えっ……結奈が死んだら自分も死ぬって即決しちゃダメでしょ。ていうか、私は許さないよ、そんなの』

『どうしてって……大好きな人が自分を追いかけて死ぬって嫌じゃん。私はね、佐藤君が長生きしてくれることを願ってるんだよ。私よりも長生きして欲しいんだぁー。だって私よりも先に死んじゃったら、残りの一生ずっと泣いてると思うもん。私、佐藤君が思っている以上に、キミのこと大好きだと思うよ。胸が張り裂けそうなぐらい』

『でも……私が先に死んじゃったら、海に遺骨を投げ込んで欲しい。と言っても、一部だけでいいの。パパやママが許してくれないと思うし。どうしてって……お墓の中って面白くなさそうだもん。ねぇ、お願い!?』


 白川結奈は、面白いか面白くないかで判断する人だった。

 毎度のことながら俺の手を引っ張って、どんな所へでも強引に連れて行かれたな。俺の有無などお構いなし。絶対に楽しいから一緒に行こうと、何処からその自信は溢れてくるのかと思う発言をし、読書大好き人間の俺を、未知の世界へと連れ出してくれた。



「へぇーここが元カノさんとの想い出の場所なんだぁー?」


 墓場から車を走らせて二時間。

 その後、近場の港港からフェリーに乗って、三時間弱。

 俺とカノジョが到着したのは、観光スポットとして有名な離島。

 と言えど、現在は夕刻を過ぎ、もう暗闇一色なのだけど。


「結奈と一番最初に旅行したのはここなんだよ」


『夏と言えば島一択だよね。というわけで、一緒に行くよ』

『日帰りかって……? ざんねーん、外泊だよ。もう予約したし』

『男と女の旅行は危険だと思うんだが……って私たちもう恋人でしょ? 別に問題は何もないと思うんだけどなぁー。逆に何か問題ある?』


 旅行したというか、拉致されたと言うべきかもしれないけれど。

 何はともあれ、彼女と生まれて初めての旅は最高に楽しかった。


「ふぅーん。そうなんだぁー」

「もしかして……何か怒ってる? 嫉妬してるのか?」

「別に何もしてないから。ほらぁ、さっさと終わらせるよ」


 カノジョに腕を引かれる。

 俺自身が言い出したことなのに、カノジョの方が案外乗り気だ。


「うわぁー。何これー?」


 隣を歩く妻が歓喜の声を出す先には、夜の浜辺。

 次から次へと押し寄せる波の音。

 それに応じて揺れ動く青白い光が幻想的に輝いていた。


「海蛍だよ。綺麗だろ?」

「こんなロマンチックな場所を知ってたんだね、一樹くんでも」

「どんな意味だ。結奈が教えてくれたんだよ」


 軽口を叩き合いながらも、目的地へと辿り着いた。

 そこで俺はポケットから透明な瓶を取り出した。

 俺が愛し続けた最愛の彼女——白川結奈の遺骨である。


『佐藤君……結奈の遺骨を貰ってくれないか?』

『娘からの遺言なんだ。君にどうしても持っていて欲しいと』


 結奈の父親から娘の頼みだと言われ、受け取った遺物。

 車に轢かれた後も、結奈の意識はまだ残っていたらしい。

 その間に結奈は俺へ最後の言葉を残してくれたのだとか。

 たった五文字。『アイシテル』だとさ。


「本当にいいの? 後悔しても遅いんだよ」

「あぁー頼む。俺にはもう君が居ればそれだけでいいんだ」

「分かった」


 そう嬉しそうに呟いたカノジョは瓶の蓋を開き、俺の手のひらに白い粉をゆっくりと乗せてきた。重さは殆ど無かった。

 暫くの間、両手を仰向けにした状態で、幾らか時間を待っていた。

 それでも全く結奈の遺骨が離れることはなかった。海近くなので、直ぐに風が起きるだろうと予期していたのだが。俺の予想は大外れみたいだ。


 けれど、その時は唐突に訪れた。俺がカノジョへと余所見した瞬間だ。

 山側から強い風が吹き渡り、そして俺の手のひらを確認すると、あれだけあった白川結奈の遺骨は綺麗さっぱり全て消えていた。


「じゃあな、結奈。ありがとう、俺、これからも頑張るよ」


 肉眼では視認できなかったが、空を一度舞い上がり、遥か遠くの水面下で、十年以上も前に彼女を構成していたものは、海の一部へと成った。


「じゃあ、帰ろうか? 一樹くん」


 欺くして、俺とカノジョは踵を返し、海を後にするのであった。

 隣を歩く最愛の人は邪魔者が消えて嬉しいのだろうか、終時笑顔を絶やすことはなかった。


 今後も俺はカノジョと共にこの世界で生きるよ。

 でも、もしもこの人生を全うできたならば。

 俺はもう一度、白川結奈キミに会うことができるだろうか。


「俺、働くよ。君の為に頑張りたい。頼む、働かせてくれ」

「えっ……? いきなりだね。どうしたの?」

「————だけに苦労させるわけには男が廃るからな」


 そうだ、結奈。ネリネの花言葉って知ってるか?

 答えは——また会う日を楽しみに——


***


 遥か遠い先の話。

 多くの人が行き交う街中に、一人の少女が突っ立っていた。

 街中を歩く誰もが彼女の姿に注目している。


 無理もない話だ。

 彼女は他者を圧倒するような顔貌を持っているのだから。

 日焼けを一度も知らないような白い肌と、光沢のある長い黒髪。

 体付きは出るべき場所はメリハリがしっかりしており、女性が出てきて欲しいと願う部分は完璧なほどに出ていた。

 服装は白いワンピースを着ており、麦わら帽子を被っている。

 誰かと待ち合わせでもしているのだろうか。


 と、そんな彼女の前を、一人の少年が横切った。

 髪の毛はボサボサで、如何にも読書大好きそうである。

 彼は少女が気になるのか、振り返る。

 だが、突っ立っていた少女はもうその場には居らず、歩き出していた。

 少年は妙な胸騒ぎを感じ、気付けば駆け出していた。

 そして、少女の肩を掴んで、名前も顔も知らない彼女を振り向かせるのであった。


 ——完結——


————————

 あとがき


 読者の皆様、お疲れ様でした。

 執筆が大変遅れて申し訳ありません。

 作家の体調不良が全ての原因です。

 最後まで楽しんで書けたので大満足。

 では、また会う日を楽しみに。

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カノジョの愛は誰よりも重い 平日黒髪お姉さん @ruto7

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