第4話 最終話

そしてその夜、夢を見ました。

ターミーがその絵の前に立って見ているのです。

「ママン?」ターミーがその後ろ姿の猫に話しかけます。

「あなたの名前はママンなの?」

そう話しかけているのです。

「ママン。ママン。」

幾度も話しかけると、その後ろ姿の猫が振り向いてこちらを見ました。

青い目でターミーをじっと見つめました。


その瞬間、思い出しました。

何もかも思い出しました。あのママンの事を。

ママン、ママン、私のママン。

ここにいたのネ。

私、あなたを随分呼んだのヨ。探したのヨ。悲しくて悲しくて心細くてずっとずっと探したのヨ。

どこに行ったのかと随分呼んだのヨ。

ママン、私のママン。ここにいたのネ。」

ターミーは何もかも思い出して泣いていました。

あの幼い日、悲しい事がたくさんあって、辛い事がたくさんあって、それを慰めてくれたのがママンだったという事を思い出しました。

ずっとずっと一緒にいた事。あれはいつの事だっ

たろう。

小さい、ほんの小さい頃だった。

いつも丸パンを一個ポケットに入れてママンに会いに行った。

ママンは森に入った所でいつもターミーを待っていてくれた。

森を抜けた所が崖になっていて、そこの坂道を降りると半分、土に埋もれたように建つ家。秘密の家があった。

モーリーの事も思い出した。モーリーは新しいお母さんだった。

本当のお母さんがいなくなって新しいお母さんになってから家に居づらくなっていつも朝からママンに会いに行った。

雨が降った日もそこの家で過ごした。その家の前に小川が流れていた。

その小川を渡って優しいお爺さんが来てくれた。一緒にお昼を食べて楽しかった。

そしてお爺さんが年老いた牛のムーンを連れて来たのだった。

ムーンは後ろの奥の方にある草のたくさんある所で草を食べながら静かにお爺さんが来るのを待っていたっけ。

だけれどもお爺さんが病気になってしまって、最後にムーンにお別れをしに来た事も覚えている。

ムーンが悲しそうにモーッと鳴いた事も思い出した。

それからお爺さんは死んだのだった。

教会の鐘がカランカランと鳴っていた。

ムーンが可哀想だった。

次の日、ムーンの所に行くとムーンは死んで冷たくなっていた。

ムーンはお爺さんが来ないのは死んでしまったと解っていたのに違いない。

お爺さんのいない世界に生きている元気が無くなってしまったのに違いなかった。

あの時のあの悲しみが込み上げて来た。

私はあの時お母さんが死んで、新しいお母さんのモーリーが冷たく感じられて、そのお母さんに弟達が生まれて、だけどいつもいつも淋しかったんだ。

何故か家にいるのが辛くて、いつも小さいパンを一つポケットに入れて森の方へ遊びに行ったのだった。

森にはいつもママンが待っていてくれたから。ママン、そうよママンあなただった。

あなたがいつも私と一緒にいてくれたワ。だから私、とってもとっても頑張ったのヨ。

でもでも、優しいお爺さんが死んで来なくなった。次の日はムーンも死んでしまっていた。

それからあの日、家に帰るとおばさんがお父さんも死んだって可哀想に可哀想にと言っていた。

私、全部思い出したワ。

私は悲しくて悲しくて頑張れなくなった。

ママン、ママンってママンを呼んだけど、ママンは姿を見せてくれなかった。

夜のように暗い空が今にも頭の上に落ちて来そうなそんな日だった。

今、全部思い出した。はっきり思い出したワ。

でも、あれが全部夢だったっていうの?

幼い私が見た悲しい夢だったっていうの?


ターミーはまだ明けきらない薄明るいベッドの中で幾度も幾度も思い出した事を更に思い出してみた。

その事はまるで昨日の事のように鮮明に脳裏に焼き付いていた。

まるで今までかかっていた霧が払いのけられてはっきり見えたというしかなかった。

その後の事は解らない。

まだほんの小さい時の事だったから。

そしていつの間にかお母さんは死んだのではなくて生きていたのだから。

では何故私はお母さんが死んだと思い込んだのだろう?

そしてモーリーが新しいお母さんになったというあの事はどうなるのだろう。

何もかも理屈がつかない。

でも、だから私はお母さんが死にはしないかといつも心配で仕方がなかったんだ。

幸せは一瞬で消えてしまうものだと知っていたから。いつも緊張して見張っていたんだ。


外が明るくなって来た。

ターミーは急いで着替えると、外に飛び出しました。

確かめなければならない事があるのです。

もしも、もしも、自分のこの記憶が本当なら森を抜けた所に崖がある筈。そこを斜めに下る小道がある筈。その小道を下ると半分崖に埋もれた家がある筈。その家の前を小川が流れている筈。そして家から少し離れた草地にムーンがいた印が何か残っている筈。

もしも何もなかったら。

それは幼い私が自分で作り上げた悲しい幻だったという事になる。

不安にかられて見た夢だったという事になる。それを確かめなければならない。


ターミーは朝早く庭を横切り森へ入って行きました。

この感じ、この道筋、覚えがありました。

何度も何度も小さい自分がここへ来た記憶がありました。

そしてこの森の入り口でこの辺で、白いフワフワのママンが私が来るのを待っていてくれた。ママンの姿を見つけると小さい私はどれ程安心した事か。自分はひとりぽっちじゃない。ママンがいるのだっていつも思った。ママンはいつも暗くなりがちな私を慰めてくれた。

「世間はネ、そういうものなんだヨ。」とか。

「並の人間はそういうものなんだヨ。」と言ってくれた。

私はママンの言う言葉が解った。ママンも私がいちいち言葉を出さないでも、何で悲しいのかを解ってくれた。

ああ、そうだ。ここに来て髪をとかした時感じたあの気持ち。

髪を乱暴にとかされて乱暴に結ばれたのを思い出しそうになったからだ。

あの時ママンはモーリーの事を、並の人間はイライラしたりするもんなんだヨ。そう言って慰めてくれた。

ゴロゴロのあの体の音に混じって私にそう教えてくれたんだ。

嘘じゃない、本当の話だ。

あの頃の私はママンの言葉を聞く事が出来た。

でも世間の人にこういう話をしたら、きっと頭がおかしいって言われるだろう。

とにかくあの本当のような事が幻だったのか空想だったのか夢だったのか確かめなければならない。

ターミーは森の中を歩いて木々が途切れた所までやって来た。

この辺に確か下に降りる道があった筈。

あった!

草に覆われてはいるが道らしいものが斜めに下の方に伸びている。

その坂道を慎重に降りながら、チラリと見るとすぐ側を川が流れているのが見えました。

やっぱり、私が夢で見た事は本当だったんだワ。


あの川をお爺さんがポンポンと飛び越えてこっちに来たんだった。

でも最後の日は杖に頼りながらやっとの思いで帰った後姿を覚えている。

あの時のままだ。でも家がある筈の所には家が見えない。

その辺は草や土に覆われている。

ターミーはがっかりしました。

丈の高い草を抜き取り、近くにある棒で藪を必死で払ってみた。

もしもあの家が見つからなかったらやっぱり私の空想だった事になる。

幼い私が自分の頭で作り上げた妄想という事になる。

棒の先がゴツンと何かに当った。

ターミーは雨で崩れた土砂の下に何かが埋もれているのに違いないと思いました。

何も持っていなかったので素手で必死に土を掻き出しました。

そして、そこに紛れもなく木製の家が埋もれている事を発見しました。

その時の鳥肌の立つような感動は誰にも解らないでしょう。

ターミーは自分で自分を信じられるかどうかの岐路に立っていた所だったのですから。

本当にあった!家があった!

その事によって少しずつ、少しずつ自分に自信が戻って来るのが解りました。

思えばあの頃だって、この家は半分は土の中に埋もれていたのに違いない。

この家を建てた時、最初は土に埋もれてなんかいなかったのに。

雨が降ったり年月が少しずつ家の後ろの土が崩れ、その上に草が生い茂ったのに違いない。ここは改めてスコップを持って来て掘ってみよう。

でも女一人の腕で容易に出来る事ではない。

次にターミーは、家の反対の方のムーンが放し飼いにされていた草地を確かめに行きました。

そのあたりは丈の高い草が茂っていて、すっかり藪になっていました。

でもあの時、確かにムーンはこの辺りで大人しく草を食べていた。

木の枝が右手の崖の方から伸びて、その枝の葉がムーンの姿を隠してくれていたのです。

ターミーは、伸び放題に背の伸びた草を掻き分けて入って行きました。

そしてこの辺りと目星をつけた場所の草を抜き始めました。

するとどうでしょう。白い骨が見つかりました。

これはムーンの骨に違いありません。

「ムーン、ムーン。」ターミーはムーンの名を呼びながらその辺の草を抜きました。

白い骨はたくさん見つかりました。

ムーンが確かにここにいた証拠です。

夢や幻ではなかったのです。

妄想でもなかった事が証明されたのです。

ターミーが小さい頃、確かにここに来た、ママンとここに来てお爺さんに会いムーンにも会った確かな証拠です。

ターミーはこれで自分を信ずる気持ちが確かなものになりました。

今までのターミーは誰に話したのでもなく、誰に不審がられたのでもなく、誰に嘲笑されたのでもないけれど、常に訳の解らない不安に背中を押されるように生きて来た日々でした。

私だって他の皆のように安心してのんびり暮らしたかった。

だけど、気を抜いたら何かとんでもない事が起こるヨ、いつも気を張っていなければいけないとターミーを縛り付けていたものの一端が解ったような気がしました。

ターミーの心は理由が解って少し安心しました。

でもこんな事誰も信じないだろう。

あの時のターミーは母親のデイジーを病気で亡くしてとても悲しんでいたのです。

でも現実にはデイジーは死んでなどいなかった。

従って新しいお母さんのモーリーも来なかった。

第一、白い猫のママンの事はどう説明するの?猫が言葉を話すなんて誰も信じないだろう。

やはり幼い頃のターミーが見たセンチメンタルな夢だったのだろうか?


ターミーは家に帰るとバスタブにたっぷりの湯を入れてそれに浸かりながら、いろいろ思いを巡らせました。

私は何て奇妙な思いにとらわれているのだろう。

こんな矛盾した事はある筈もないのに。

子供の頃は大人には見えない物が見え、大人には聞こえないものを聞くと言うけれど、あの一連の事はどう説明出来るというのだろう?

お湯に浸かってゆっくりいろんな事を考えながら、それでもいつの間にか自分の心の中から長年自分を支配していた理由の解らない不安や心配がいつの間にか消えている事に気がついていました。

温かいお湯のせいか。まだ説明出来ない大きな部分は残っているが、自分の不安の根がはっきりした事で気持ちがほぐれてとても落ち着いた気持ちになったのは本当でした。


やがてお昼時になると、農家のおばさんがこの間の男の人二人を連れてやって来ました。

そしてきれいにした絵をまた元の場所に掛けてくれました。

「本当にお世話になりました。」とターミーが言うと、「いいえ、また何かあったらいつでも言って下さい。」と気さくに言ってくれます。

その様子にターミーは思い切って聞いてみました。

「あの亡くなったおとう様という方はもしかして背が余り高くなくて頬や顎の髭が真白な優しいお爺さんじゃありませんでしたか?」

「ああ、そうだヨ。」

「お嬢さん、うちのおやじを知っているのかい?」

「ええ、ずっと小さい頃会ったような気がします。肩にかけていた袋から茹でたジャガイモやチーズやソーセージを出して御馳走してくれました。」

男の人の一人が、

「ああ、おやじはいつもお昼を持って外で食べるのが好きだった。」と言った。

するとおばさんが、「ターミー、あんた小さい頃そんな事があったの?」と驚いたように聞きました。

「ええ、何せ小さい頃の事ですから記憶は曖昧なのですが、でもお爺さんは年取った雌牛をとっても可愛がっていませんでしたか?」とターミーは思い切って聞いてみました。

「ああ、そうだそうだ。何度も子牛を産んだ婆さん牛だ。親父が特別気にかけていた牛だ。いつの間にかいなくなって。おやじは死んだと言ったけど、どこで死んだのか解らずじまいだったナ。お嬢さんは何でそういう事まで知ってるんだ?」

二人の男の人は不思議そうに言いました。

「自分でもよく解らないんですけど、ここに来てから優しいお爺さんの事がよく思い出されるんです。」


「そうか、そうか。ここに来て久しぶりにおやじの話が聞けて良かったヨ。」と言って二人の男の人は帰って行きました。


ターミーは絵も元の位置に収まって、叔母さんを労ってクッキーと紅茶を出しておしゃべりをしました。

改めて見ると叔母さんは当然の事ながら、髪も顔もやはりすっかり年を取っているのでした。

でも元気なのは元のままでお話の種は尽きません。


「今日来た二番目、三番目の息子さん達。長男もそうだが皆いい人達だろう?この度話を聞いて解ったんだが、何と三男はまだ一人者だと言うじゃないか。長男と次男は嫁さんも子供もいるが、三番目がまだ独身だとは気がつかなかったネ。それに三番目はモーリーと同級生なんだヨ。何て言ったってモーリーも一人だし。それで私ゃ、これは少し骨を折ってお節介したら、ひょっとしたらひょっとするんじゃないかと思っているんだけどどう思う?」といたずらっぽく笑いました。

「この間、暫らくぶりに会って話をした感じではモーリーも三男坊も満更でもない感じだったからネ。ターミー、いい話だろう?他に何か頼み事はないかネエ。あと一、二度。私はあの人達の力を借りに行きたい気持ちなんだヨ。その時にそれとなくモーリーにお茶を運ばせたりしてネ。」と言っておばさんは笑った。

でもおばさんは本気のようでした。

それでターミーは一つ思いついて、「おばさん、もう一つ力を借りたい事があります。」と言って、あの崖下の土砂に埋もれた家を扉の部分だけでも土をよけて欲しいとお願いしました。

もちろん、おばさんは二つ返事で頼んでみると約束してくれました。

そしてまた、数日後に、先日の男の人達が手伝いに来てくれました。

シャベルを使った大変な仕事です。それはちょっとした仕事ではないのでお昼時何回かに分けて土をよけてくれました。

最後の日には一番上のお兄さんも来てくれてその間中、おばさんとモーリーはターミーを手伝ってお茶やお菓子を運んで来ました。

ついに土砂をよけて家が姿を現した時、皆は一斉に驚きました。

おばさんが、「ターミー、あんたよくここにこんな家のある事を覚えていたネ。私達でさえ気が付かなかったのに。」と驚いていました。

それでも確かに周りの土を払いのけると徐々に家が姿を現しました。

ある程度まで土を払いのけて貰ってターミーは、

「ここまでで大丈夫です。」と言って自分が貯めていたお金の中からお礼を差し出しました。

三人はとんでもないと言って受け取りません。

おばさんが、「ターミーのこの用事でおめでたい事が決まりそうなんですヨ。」と言ってニッコリ笑いました。

その中でまだ独身だという三男が嬉しそうに照れているのが解りました。

おばさんが、「人の縁はどういう所で繋がれるか解りませんネ。今回はターミーのお願い事が二人を結んだようなものだから、好意に甘えなさい。」と言ってくれました。

皆は楽し気に帰って行きました。


皆が帰っていなくなった後、掘り出された家の扉の前に立ち、ターミーは深呼吸した後、思い切って扉を開けました。

そこにはターミーの記憶の中の部屋がそのまま少しも変わらずに存在していました。

奥のはしご段も、そのはしご段を登った所にはリフトもありました。

不思議のあの世界は本当に存在したものでした。ターミーは机の引き出しから取り出したノートに幼いターミーが描いたものがないか期待しましたが、その跡は見つかりませんでした。

その代わり、そこには美しい女文字で物語が記されていました。

ターミーはそのノートを持ち帰って、その夜読んでみました。

それは悲しく辛い事、苦しい事が次々と押し寄せた後に幸せになる物語が記されていました。

この物語を書いたのはあの絵の中の女の人に違いありません。何故かそう思うのです。

私と同じ名前のターミーというあの人が書いたに違いない。そう思いました。


最後のページには、

“ママンに捧ぐ、ターミー”と記されていました。



ターミーは同じ名前のあの絵の女性の事を思い出しました。

彼女にはきっと悲しい事、辛い事があったのだ。そして、その時にあの白猫のママンは幼いターミーを励ましたように彼女を支えたのに違いない。


大叔母がどんな経緯でこの館に住むようになったのか今となっては解らない。

だが、ターミーという女性が先にここに住んでいた事は確かだと思う。

誰かが中に立つ誰かが同じ名前の女性が住んでいたこの館を紹介したのか。

ただの偶然なのか。大叔母が自ら同じ名前のこの絵の女性に親しみを持ったのかどうか。大叔母は彼女の名前がターミーという事も、そして白い猫がママンという事も知っていたのだろう。

だから自分の可愛がっていた猫をママンと呼んだに違いないとも思ったりした。

大叔母は昔、自分の大事な娘を幼くして亡くしている。その霊を慰める気持ちもあったのか、事情を知る母親のデイジーは生まれた私に大叔母の名前、ターミーと名付けたのだと思う。

そしてあの日、私は森の入り口で白い猫に出会った。咄嗟に私は母から聞かされていたママンという叔母の猫を思い出しその名前で呼び出した。

あの時青い瞳でじっと見つめたあの白い猫はその名前にぴったりだったから。

ママンは不思議な猫だった。

ママンは初めから私が来る事を知っていたように逃げなかった。

私が触っても抱き上げても、まるで昔からそうされ慣れていたようだった。

最初から私達は友達同士のようだった。

抱き上げると、まるでフワッと軽くて空にも飛んで行きそうだった。

ママンは本当にいたのだろうか?

私にいつもこういう事はよくある事だヨ。並の人間はそういうものだヨと諭してくれた不思議なママン。

幼い私をそのフワッとしたあの陽だまりの匂いのする体で癒し慰めてくれたママンは本当にいたのだろうか。

大人になった今、猫の寿命が短いという事はよく解っているつもり。

それでは絵の中のママンと大叔母が可愛がっていたママンは別な猫である筈。

その大叔母のママンと幼いターミーが出会ったママンも違う猫の筈なのに。

今のターミーには何故か長い時を越えて、不思議なママンは生きていたような気がして仕方ないのです。


ママン、ママン、本当はどうだったの?

ママン、ママン、貴女はどこへ行ってしまったの?

もう私の前に現れてはくれないの?

ママン、ママン、もう一度会いたい。

あなたは私にいろんな事を教えてくれたワ。もう一度私の所に来て、あのフンワリした体を抱き上げてゴロゴロという優しい音を聞きたい。

その音の中にあなたの言葉を聞きたい。

でもどんなに願ってもママンはいません。

ターミーの心の中から訳の解らない不安や迷いや恐れは消えていました。

だけれども、新しい淋しさがひたひたと打ち寄せて来るのでした。


ターミーはあの川べりの家の中を整理して、書物や記念になる者を何点か館の方へ運んで来ました。

あの女性が読んだであろう、その書物を読みました。

読書に疲れると階段の所まで行って絵を仰ぎ見ました。

紫のドレスの女性は今となっては同じ感性を持つ友のように見えました。

「ターミー?私も同じ名前のターミーなのヨ。貴女にはママンがいて幸せだったでしょうネ。」そう話しかけました。

紫のドレスの女性は心なしか嬉しそうにも見えました。

それからドレスの裾にいて女主人を見上げている猫に話しかけました。

「ママン?私が昔、会ったのは貴女?きっと貴女だったのでしょう?貴女は私を覚えているでしょう?だって話が出来る猫なんてそうそういるもんじゃないんですもの。きっと森でいつも私を待っていてくれたママンは貴女だったんでしょう?もう一度会いたいワ。ママン、夢の中でいいからもう一度会いに来て。」


もう二度と会えないと解りながら、ターミーは話しかけました。

この後姿のママンを振り向かせてその目を見てみたいと思うのでした。

あの青い目でじっと見ていたママン。

あの青い目はいつまでもターミーの心の中にいるのでした。


その夜、ターミーは夢を見ました。

それはとても悲しい夢でした。

あの悲しい事があった日の夢でした。

お爺さんも死んでムーンも死んでママンと別れて家に帰ってきたらおばさんが大慌てで、ターミーのお父さんが亡くなったんだヨ。ターミーああ何て可哀想なんだ。可哀想に可哀想にと言っていました。

幼いターミーはおばさんの腕を振りほどいて元来た森へ駆け出しました。

空は夜のように暗くて不安な色をしていました。幼いターミーは泣くのも忘れてママンを探していました。

ママン!ママン!どこにいるの!

私もう駄目!もう我慢出来ない!

もう私も死んでしまいたい!

ママン!ママン!どうしたらいいの!

ママン!ママン!どこにいるの?

夢中で叫びながら暗い森の中に走って行きました。

白いママンはそこにいました。

幼いターミーはママンを抱きしめて泣きました。

泣いて泣いてそれでもあんまり悲しくて、ママンを抱きしめても頑張れそうにもありませんでした。

するとママンが言いました。

「どうしたら良いものかネー。ターミーの為にどうしたら良いものかしらネー。

ターミーの為に。ターミーの為に。」

ママンの声がいつまでもこだまするように聞こえていました。

いつまでも聞こえていました。

そして目が覚めた時、幼いターミーはベッドの中にいたのでした。

朝になっていたのでした。

それでターミーも幼いターミーと一緒に目が覚めたのでした。

ママンの言葉が耳に残っていました。

「ターミーの為に。」という言葉でした。


ママンが会いに来てくれた。

でも本当のママンはやはりいない。

ボーッとしながらいろいろと考えました。

あれはママンが時間を巻き戻してくれたのかも知れない。

こんな事、あり得ない事だけれど、きっとあの不思議なママンだから出来たのかも知れない。それとも幼い私が神様なんかいない!いたとしても私の事少しも助けてくれない!って言ったから神様が手を貸してくれたのだろうか時間を巻き戻してくれた。

そんな事、本当に出来るか出来たかは別として、不思議な体験は実際ここで起きたのです。

それでターミーはこう思う事にしました。

あの悲しい事は本当にあった。

お母さんが死んでモーリーが新しいお母さんになってターミーは独りぼっちの気持ちで森に行ってママンと会った。

ママンに慰められ頑張る事が出来た。

お爺さんにも会った。ムーンにも会った。

それはあの古い埋もれた家が証明してくれた。でもお爺さんもムーンも死んで悲しい事が続いた先にお父さんが死んだという知らせを受けた。

幼いターミーはもう死んでしまいたいと思った。

その時、ママンが神様の力を借りてターミーの時間を巻き戻してくれたに違いない。

だから目が覚めた時、デイジーは死んでなどいなくてターミーは自分が悪い夢を見ていただけだと思ってその後すっかり忘れていたのだ。


そう心の中に納めました。

ママンは幼いターミーの為に一生懸命自分の全ても捧げて時間を巻き戻してくれたに違いない。

そう考える事で、心はすっかり落ち着きましたが、何かを失くした虚しさはどうする事も出来ない気持ちでした。



そんなある日、おばさんがやって来ました。笑っています。

「ターミー、とうとう決まったヨ。牧場の三男坊のサムとモーリーが結婚する事に決まったヨ。」と嬉しそうです。

「これも全てはターミーのお蔭かも知れないネ。ターミーが絵を降ろすのにあの兄弟を呼んだのがきっかけだもの。それでネ、モーリーが来てるんだヨ。」と言って後ろを振り返りました。

そこにはおばさんの後ろに隠れるように四十過ぎの女の人が遠慮がちに頭を下げました。

この間もモーリーを見て思ったのですが、今のターミーの目には初めてみるような気持ちの優しそうな人です。

ターミーが、「いつも家の周りや家の中のお掃除をしていただいてありがとうございます。」とお礼を言いながらも、モーリーの腕の中の白い子猫に目を奪われてしまいました。

まだ生まれていくらも経っていない手の平に乗りそうなその小さな小さな子猫は目が開いたばかりで、その目は青い目をしていました。


おばさんが笑いながら、「ターミー、貴女やっぱりこの子が気に入ったかい?きっと気に入ると思ったワ。だってホラ、あの絵の中の猫がとても気に入っているようだから。モーリーがネ、その辺の草むらに捨てられているのを拾ったんですって。自分はもうすぐお嫁に行くし、どうしようか。もしもターミーが気に入るならと思って持って来たんだけどネ。もしも駄目なら私が連れて帰りますけどネ。」

おばさんが全部話し終わらないうちに、ターミーはモーリーの腕の中から子猫を抱き取っていました。

「ありがとう、本当にありがとう。」

ターミーは嬉しくてそう言っていました。

モーリーも嬉しそうにはにかんで、「この度の事はターミーのお蔭です。ありがとう、ターミー。」と、そっと言いました。

ターミーは、「お幸せになってネ。」と心からそう言いました。

子猫と二人っきりになって、ターミーは子猫に話しかけました。


「ママン、あなたはママン。私のママン。あなたは生まれ変わってまた私の所に来てくれたのネ。ママン、そうでしょう?」

小さな子猫は鳴き声も小さく、ミューと鳴きました。

優しく撫でるとかすかに体からゴロゴロと聞こえますが、勿論、ターミーに解る言葉で話してはくれません。

でもそのゴロゴロと音を聞いていると、いつかあの頃のようにお互いお話出来たら素敵だろうなと思いました。

そういう日が本当に来るような気さえして来ます。

ターミーは小さなママンを胸に抱いて、急に周りの景色がバラ色に見えて来ました。

これから先の道が明るく開けて行くような気がして来ました。

「ママン!見ていてネ。私、頑張るから。ママン!私、本を読むのが好きなのヨ。物語って面白いのヨ。前から何となく考えていたんだけど、物語を書いてみようと思うの。今は全然自身がないけど、手始めにママンとの出会ったあの不思議な子供の頃を書いてみようと思うのヨ。応援してくれる?」

白い子猫はミューと鳴きました。

ターミーはいろんなお話を書く人になりたいと真剣に思い始めました。

小さなママンが側についてくれたら、それが出来るような気がしました。


今、小さな小さなママンは、

ターミーのすぐ側でスヤスヤ眠っています。

あんまり静かで息が止まっているのではないかとターミーは心配になるのですが、かすかにかすかにお腹の辺りが動いています。

それにそっと触ると温かいです

この小さな本当のママンは確かに生きてここにいるのです。これは決して夢の中でも幻でもありません。

ターミーは喜びに飛び上がりたい程になりました。

心と体の底から叫びたい程の喜びと元気がムクムク湧き上がって来て全てに意欲を感じるのでした。それは今までのターミーには無かった事でした。

ターミーはまず自分の不思議な体験をそのまま書いてみる事にしました。

それがいつか人の目に触れるものになるか。

もしもそうでなくとも、これはターミーの貴重な一作になる事は確かです。

書き上がったら最後にこう書くつもりです。


この作品はあの時のママンと生まれ変わってまた自分の所に来てくれたママンに捧げます。

ターミー


おわり

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昔話 ターミーのために/第1話 やまの かなた @genno-tei70

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