梅雨には雨合羽を着て音楽を。

枕木きのこ

梅雨には雨合羽を着て音楽を。

「叔父さん、昔バンドやってたんでしょ?」


 縁側で胡坐をかいてうちわを仰いでいた叔父さんは、そう問いかけるとその手を止めて苦々しい顔をしてこちらを見た。

「パパに聞いたのか」

 ひとりごちるような声音で小さく言ってから、背後にいるお父さんのほうをジッと見た。お父さんはそれに気づくとママとの会話を中断して、両手を天に向け肩をすくめる。叔父さんが放ったうちわは届くことなく畳に墜落した。

 短いため息をついて、叔父さんは縁側から遠く、向こうの山を見つめているようだ。


「やってた、なんて言えるもんじゃないよ」

「でもCD二枚も出したんでしょ?」

「自主製作でな」

「すごいじゃん」

「すごくはないよ。金さえ払えば作れるんだから」

「すごいよ」


 重ねて言うと、叔父さんは会話をやめて、うんざりした表情で私を見る。


 進路を決めるとき、軽音楽部に入りたいからこの高校にする、と決意を示すと、お父さんとママは顔を見合わせて薄く笑った。二人は音楽に明るいほうではなかったけれど、決して反対はせず、私に安いレスポールを買ってくれた。それから、「はじめ叔父さんが昔バンドをやっていたんだよ」とその笑みの理由と、彼らのバンドのCDを渡してくれた。


雨合羽レインコート」という名前で活動していた叔父さんたちは、六年間の活動の内、毎年、梅雨の時期にしかライブをしなかった。ギターヴォーカル、ベース、キーボード、ドラムの四人組で、ライブのときは全員が真っ黒のレインコートを羽織り、顔をペストマスクで隠した異様な集団だったと聞く。叔父さんはベースと、バンドのプロデュースを担当していた。

 マスロック系統のバンドで、変拍子を主体とした手数の多いドラム、リフレインを基調としたベース、歌うような旋律を奏でるキーボードとほとんどノイズのようなギターにハイトーンのヴォーカルが載る。私はCDでしかその音楽を聴いたことがないけれど、これをライブで再現していたのであれば相当圧巻だったろうな感じる、未知のジャンルだった。


 それから私はマスロックにどっぷりと浸かった。toeトーtricotトリコElephant Gymエレファントジムthe cabsキャブスをひたすらリピートした。もちろん、叔父さんのバンドも聴き続けた。ずっと、このお盆の時期に会えるのを楽しみに毎日を生きてきたと言っても過言ではない。


一花いちかが音楽に興味を持つとは思わなかったよ」

「もっとおすすめしてくれてたら、もっと早く興味を持ってたよ」

「そんなに頻繁に会ってないんだから、おすすめも何もないよ」

「叔父さんが会いに来てくれないからじゃん!」

「遠いんだよ」

 言って、叔父さんは私の頭を掴んで髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。


 仕事の関係で熊本に住んでいる叔父さんが千葉こっちに帰ってくることはほとんどなかった。お父さんと叔父さんは仲が悪いわけではないけれど、少し年が離れているせいもあるのか、兄弟と言うのは家を出ると頻繁に会うものではなくなるらしく、年に二回、お盆と年末にしか顔を合わせることはなかった。ただ、昨年末はコロナの関係で帰ってこれず、一年ぶりに顔を合わせたわけである。それでも多いほうなのかもしれないけれど、そのあたりの感覚はひとりっ子の私にはよくわからない。

 叔父さんは、顔を合わせるたび「やりたくない、もう辞めたい」と何度も言いながらも、大学中退から数年フリーターを挟んで、四年前からは営業の仕事をしている。もともと社交性のある人格ではなくて、だいぶ無理をしているようだ、と前にお父さんとママが話しているのを聞いたことがある。

 

 レスポールを手に入れて約二年。エフェクターも揃えて、ライブもして、毎回ノルマを下回って赤字なものの、私は「音楽」というものに期待しか抱いていなかった。もちろん、夢を見ずに何かを始める若者はいない。きっとメジャーデビューできるんだと漠然と胸に抱いているのは嘘じゃない。だから、CDを出す、という実績を残している叔父さんが、どうして今音楽をやらずに嫌々営業の仕事をしているのか、全く理解できないでいる。


「まあそれでも——仮に会っていたとしても、俺は一花には音楽は勧めなかったと思うよ」


 離した手を懐に入れると煙草を取り出して、顔を背けて火を点ける。

 煙が青空に伸びていく。長い息を吐いた。


「どうして?」


 叔父さんは、また、遠くに視線を向けた。


「音楽を聴いていた俺は確かに救われた。でも、音楽をやっている俺は、一度も救われたと感じたことがないんだよ」


 ジリ、とセミが短く鳴く。

「——どうして?」


 叔父さんは目線を寄越すと、口元だけで笑った。


「——一花は今どんな音楽を聴いている? 俺が若いときは、もう解散してたけど、周りの連中はこぞってNUMBER GURLナンバーガールを聴いてたな。俺もさ、中尾憲太郎になりたくてモズライトとかリッケンバッカー買ったりしてね。楽しかった。そう。楽しくはあった。でもそれは、バンド活動を楽しんでいるのとは全く別物なんだよな」


「どういうこと?」


 数度の呼吸を挟んで、ずいぶんと言葉を選んでいるような顔をしながら、


「スタジオ練習はいつもギスギスしてた。俺のやりたい音楽を体現したのがそのバンドレインコートだとすると、ほかのメンバーはただそれに従ってあげてたって感じだった。それこそ、NUMBER GURLを聴いてる奴は、そりゃ、NUMBER GURLみたいなものをやりたがるんだよ。でもライブをやればそれなりにウケたし、CDも自主製作ながらそれなりに売れはした。だからあいつらも引けないんだなって、俺も理解してた。最初はただ一緒に何かをやりたくて、それがたまたま音楽になったってだけだったのに、気付いたら音楽をやるためには一緒に居られなくなった。だから解散した。——な? 音楽は決して俺を救いなんてしなくて、むしろ大切なものを奪っただけなんだよ。こんなもの、かわいい姪におすすめしないよ」


 最後はおどけた調子で言うと、叔父さんはむっと口を結んでまだ半ばほどの煙草を放った。

 私が何も返せずにいると、叔父さんは今度はちゃんと破顔してこちらを向いて、

「まあ、これはあくまでも俺の経験談であって、一花には関係ない話なんだけどな」

 と言うと、ゆっくりと立ち上がってサンダルをひっかけ、まだくすぶっている煙草を念入りに踏み潰した。


 伸びをする叔父さんの背中に、

「もう、音楽はやらないの?」

 問いかけると、


「そうだなあ。もう、二度とやらないだろうなあ」


 叔父さんは腰に手を当てて、決してこちらを見ることなく、またひとりごちるようにつぶやいた。





 いつも出させてもらっているライブハウスの年末のイベントに出演することが決まって、私は真っ先に叔父さんにチケットを送り付けた。お父さんに叔父さんの住所を聞いて「絶対に来てね」と手紙を添えて郵送すると、お父さんを経由して「わかったよ」と返事をもらった。


 私が高校で組んでいるバンドは、ようやくオリジナル曲を作り始めたばかりのひよっこガールズバンドで、普段は銀杏BOYZやSUPERCARのコピーをしている。今回のイベントも前座と言っていい出演順だったが、何とかオリジナル曲を間に合わせたいとメンバーに伝えると、快く無茶な申し出を受けてくれた。


 結局、三分ほどに凝縮した拙いオリジナル曲を引っ提げて当日を迎えることになった。リハーサルのあと、簡単なミーティングを終えると急に緊張が身体に押し寄せてきて、まともに歩くこともできなかった。

 たった二十分の出番。観に来ている人たちはたいていが夜の大人のバンドを目当てにしていて、きっと私たちのライブには目もくれず、雑談に酒にと年末を楽しむだけなのだろうとわかってはいたけれど、それでも緊張はする。


 やがて時間になって、店内が薄暗くなる。店長からのバンド紹介があって、ひとバンド目の演奏が開始した。私たちを含めた最初の三バンドはいずれも高校生で、——やっぱり、お客さんはほとんどステージを見ていなかった。曲が終わると儀礼的に拍手をするものの、それだけで、このご時世だから仕方ないけれど声も上がらなければ手なんて上がるわけもなかった。


 それをぼんやり観ていると、ぽん、と肩を叩かれた。振り返ると叔父さんが軽く手を上げて、耳元で、

「楽しみにしてるよ」

 と言った。

 私もお返しに、

「楽しみにしてて」

 と言うと、叔父さんは笑って、手に持っていた缶ビールを呷った。


 ふたバンド目のスタートを見送って、私たちは楽屋にこもった。年末というせいもあるのか、みんないつもとは異なる変な高揚感があって、緊張があって、うろうろと楽屋の中を歩き回っていた。私は壁に貼られたバックステージパスを端から順々に見ることで緊張を抑えようとしていた。

 その目線が、十年以上前の日付の「雨合羽」を捉えて、——私は一気に緊張がほぐれたのを感じる。十年以上前の叔父さんの姿を想像して、十年以上前に叔父さんたちが作った音楽を思い出して、十年以上前の叔父さんたちと同じ気持ちでいるんだと思うと、すっと心が軽くなった。


「お疲れ様ですー」

 

 ——ふたバンド目が機材を持って楽屋に戻ってくる。入れ替えで私たちがセッティングに向かう。


 一度楽屋に戻って、出番になるのを待つ。


 入場曲SEを叔父さんの音楽にしたい、と言ったとき、メンバーは嫌な顔どころか、ただひたすらに驚いた様子だった。それを聴かせると、私が初めてそれに触れたときと同じ顔をして、気に入ってくれた。


 舞台袖から叔父さんの顔は見えなかった。驚いているかもしれないし、呆れたかもしれない。できれば前者がよかったけれど、決して驚かせるために選んだわけではないとは、わかってほしかった。


 上手かみての私が最初にステージに向かう。それからドラム、ベース、最後にヴォーカルが入る。

 SEがサビに入る。人が多く、逆光のせいもあって、ステージ上からも叔父さんは見つからなかった。


 手を上げる。

 SEが鳴り止む。

 さあ、演奏が始まる——。



 ■



「肇が死んだ」


 珍しくお父さんが泣いていた。ママは寂しそうな顔をしてお父さんの背中をさすっていた。私は、お父さんの言葉がよく理解できないでいた。


 年末のイベントが終わって、フロアに戻ると、もう叔父さんはいなかった。「雨合羽」を意識したと、たぶんはっきりわかるようなオリジナル曲の感想を聞くのはすごく恥ずかしかったけれど、すぐに聞きたい気持ちもあって、ぐるぐるとフロアを歩き回ったけれど、結局見つからなかった。

 感想を聞けたのは、家に帰ってからだった。お父さんにLINEが届いていたらしく、「一花はすっかり大人になったんだね」と言っていたらしい。


 ——それから二か月経った、叔父さんの誕生日だった。


 ずるいな。と思った。

 叔父さんは私から逃げたんだ。

 音楽からだけじゃなくて、私からも逃げたんだと、そう思った。


 それから、涙が止まらなくなった。

 泣いているお父さんを見ていたからかもしれないし、泣いた私を見て泣き出したママのせいかもしれない。止まれと願えば願うほど、涙が流れてきた。


 ——遺書は、簡潔だった。


「やっぱり俺は、音楽を聴いているのが幸せだった。聴いているだけの人生にしておけばよかった。俺は大人になれないままだった。ごめん」


 ——全然、意味が分からなかった。


 葬式で見た叔父さんの姿は、きれいなものだった。首を吊ったと聞いたけれど、想像していたよりもずっといつも通りの叔父さんだった。

 私はずっと、叔父さんの遺影を眺め続けていた。いつ撮ったのかわからない、私の知らない表情をしている写真だった。


 享年三十三。あまりにも早い選択だった。



 ■



「日記?」

「そう。日記。どうもずっと付けてたみたいなんだ。バンドやってたときから。お前に見せるのは酷なのかもしれないけれど、お前が持っているのが一番いい気がして」


 遺品整理が済んでしばらく、お父さんはそう言って数冊の日記帳を私にくれた。


「俺は正直、肇が何を考えて生きていたのかはわからないけれど。多分。あいつはお前のことを好きでいてくれたと思うんだよ」


 部屋にこもって古い順に日記帳を開く。十数年が数冊だから、当然、毎日つけていたものではない。一文で済んでいるときもあったし、決して密度は濃くなかった。


 ——俺はどうしてバンドをやっているんだろう? あいつらはなんで一緒にいるんだろう?

 ——レーベルのひとが観に来てくれた。歌を飛ばした。話が飛んだ。何年やってんだよ。

 ——コンセプトは間違ってないはずなんだ。自分を信じろ。

 ——ユキトが辞めたいと言い出した。もう終わりだ。俺は何を間違えたんだろう。音楽を選んだことが失敗だったんだろうか。ずっと。ずっと友だちで居たかった。


 ——毎日がつまらない。

 ——仕事。寝る。昔の夢を見て起きる。明日も仕事。

 ——NUMBER GURLが再結成した。でも俺たちは復活することがない。もう顔も思い出せない。誰の顔も。


 ——一花が音楽をやり始めた、と瑠香さんから連絡があった。こういうときでも大地は連絡をくれないんだな。音楽の話は、俺には言いづらいんだろうか。


 ——久しぶりに一花に会った。昔の俺もこんな顔をしていたんだろうか。余計な話をする。ごめんな。


 ——久しぶりにライブハウスの空気を嗅いだ。煙草と酒のにおいだ。いいバンドだなと思った。がんばってほしいと思う。

 ——ステージ上の一花の姿を見てから、また、年甲斐もなく夢を見てしまった。やっぱり音楽が好きだと思った。でも同じ顔はできない。年を取っただけで、俺はまだ子どものままだ。


 ——解散ぶりだ。連絡を取ってみた。過去は返ってこない。実感した。「大人になれよ」と言ってくれるだけ、まだマシなのかもしれない。

 ——もう二度と手に入らないものだと理解する。


 ——こんな俺の音楽は果たして、彼らのように、誰かを救えていたんだろうか。


 ——ごめん。



 ■■



「え、マジ? 木村さんって肇さんの姪なの?」

「ええ、実は」

「昔お世話になったよ、ここの音響PAやってたんだよ、知ってた? 新人で入ったときにさ、右も左も分かんなかったけど、あの人がテキパキ教えてくれてさあ。懐かしいなあ、元気してるの?」

「——ええ、まあ」


 下北沢でのライブを終え楽屋から出たところ、照明スタッフの中村さんに声を掛けられた。「雨合羽着てライブやるなんて、もしかして」との切り口から、私が木村肇の姪であることを伝えると心底嬉しそうな顔をして笑った。


 大学生になって学内で組んだバンドで精力的に活動をしている。バンドのコンセプトは「雨」だった。それ自体はバンドの総意だったけれど、雨合羽をステージ衣装にするのは私がお願いした。

 決して、叔父さんの模倣をするために新しくバンドを組んだわけではないし雨合羽を提案したわけでもない。不純な理由でバンド活動をしているつもりはないし、音楽が好きで、音楽をやりたいからやっているというのは、絶対に揺るがない。


 ただ。

 ただずっと、私は答え合わせをしたかった。


 叔父さんの音楽は、だれかにとって救いであったのだと。

 叔父さんは、彼自身が救われていたように、だれかを救っていたんだと。


 弱虫で音楽からも私からも、人生からも逃げた叔父さんの代わりに、私が叔父さんの音楽の正しさを証明したかった。たった六年。梅雨の時期にしかライブをしていなかった叔父さんに、支えられていた人もいるのだと。

 それが私が数年考え続けていた彼への手向けなのだ。


 それに。

 私と叔父さんはまだ、音楽で繋がっているのだと感じていたかった。


 血よりも濃い関係が、ここにあるよ。



 だから今日も私は、音楽を続ける。

 雨の日は、彼の音楽を聴きながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

梅雨には雨合羽を着て音楽を。 枕木きのこ @orange344

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ