アンラッキー・ガール
神崎あきら
アンラッキー・ガール
―明日のテスト、だめだ~もう無理!
―今から勉強しても意味ない、もう寝ちゃおう
―私もだよー、今漫画読んでる
姫川佳奈はスマホでSNSアプリの画面を開き、差し支えない返事を打ち込んで、返信ボタンをタップする。クラスの女子が参加しているグループで、適当に返信しておかないと面倒なのだ。
無駄な時間だな、と思う。一応机に向かって教科書を広げているけど、通知がうるさくて頭に入ってこない。
アプリの画面でユーザーを切り替えた。佳奈は家族や学校の友人と繋がっている実名アカウントの他に裏アカウントを持っている。ヘッダーにはかわいいコスメを並べたピンクのドレッサー、アイコンはお気に入りのうさぎのぬいぐるみを設定している。
プロフィールには現在、女子高生と謳い、仲良くしてくれる人フォロバします♪と書いた。
―今日買ったスニーカーだよ
―お友達とパフェ食べましたぁ
身バレは絶対にNG。顔は絶対に映さないように注意して、日常の楽しいことを写真つきで書き込みしている。
―こんな色の下着買っちゃった!彼氏いないのにね♪
―今日のスカート、ちょっと短いかな?
ブラのレース部分や太ももとスカートを撮影してアップした書き込みには300を越える「いいね」がついてフォロワーが一気に100増えた。美少女アニメや車やバイクのアイコンからして男性がほとんどだろう。
中には卑猥なメッセージもあるが、かわいいね、似合ってるよという書き込みが多数を占めている。
「いいね」やフォロワー数が増えるのは眺めているだけで気持ちがいい。クラスのグループラインで生産性の無い話題に返事をするのは苦痛だった。
中間テストが終わり、手応えはさっぱりだった。それもそのはず、裏アカウントに届いたメッセージに懇切丁寧に返信をしていたからだ。フォロワーを大事にしないと飽きられてしまう。気に食わないメッセージを送る人はブロックし、好意的なメッセージにはすべて返信をした。
「佳奈、目の下のクマ、すごくない」
友人の
「そうだね、夜中まで漫画読んでたから」
勉強してないから散々だよ、と佳奈は上の空で返事をした。
少し離れて、密かに恋心を抱いている上野裕也が歩いているのに気が付いた。佳奈は上野と目が合った気がした。こんなひどい顔を見られた、佳奈は慌てて目を逸らした。
帰宅して、ベッドに転がった。上野くんにひどい顔を見られてしまった。それがショックで落ち込んだ。
―今日はとっても落ち込んじゃった。元気がでないよぉ
裏アカウントに泣き顔の絵文字をたくさんつけて書き込みする。すると、すぐに返信があった。
―大丈夫?何があったの?
―つらいときは美味しいものを食べて元気出して!
―話を聞くよ、今どこにいるの
たくさんの励ましのメッセ―ジ。佳奈は嬉しくなった。メッセージは一気に20件ほど届いている。ずっと前からのフォロワーもいれば、通りすがりで書き込みを見た新規もいる。
―大丈夫、みんなありがとう!元気でたよ!
佳奈は嬉々としてメッセージを返信した。その後も30件ほどの励ましメッセージが届いていた。
落ち込んだときはネットの向こうにいる顔も知らない人たちが温かい言葉をかけてくれるんだ、それが嬉しかった。
その夜、中間テストが終わったからとパパとママが佳奈と弟の宏大をレストランに連れて行ってくれた。パスタとピザのセット、デザートビュッフェ。美味しそうな料理が並ぶ。佳奈は見栄えの良い料理を写真に撮影し、キラキラした効果をかけた。
「うん、イイ感じ」
早速、裏アカウントに書き込みをした。ついでなのでクラスのグループにも自慢しよう。
少しして反応を見る。裏アカウントは3いいね、メッセージは何も届いていない。佳奈は不機嫌になる。
クラスのグループには美味しそう、どこのお店なの、と書き込みが入っていた。そんなのどうでもいい。
「どうしたの、食べないと冷めちゃうわよ」
ママの言葉に佳奈はムッとしてカルボナーラを口に運んだ。
帰宅して更新をかけたが、料理の写真にも5いいねがついだだけだった。シャワーを浴びて濡れた髪をそのままに佳奈はベッドに転がった。面白くない。もっと私を持ち上げるコメントが欲しい。
「ねえちゃん、漫画貸して」
弟の宏大が部屋に入ってきた。勝手に入るなんて、SNSの反応が思わしくないことに佳奈は苛立っていた。
「うるさい、今忙しいのよ」
「忙しいって、スマホいじってるだけで何もしてないじゃん」
「出て行って」
佳奈は部屋の外へ宏大を押し出す。しかし、漫画を読みたがる宏大は抵抗して部屋に入ってこようとする。
頭に血が昇った佳奈は、思わず宏大を突き飛ばした。部屋の前はすぐに1階への階段が続いている。バランスを崩した宏大は階段を転がり堕ちていく。そして踊り場で倒れて動かなくなった。
佳奈は背筋が凍った。殺してしまった、どうしよう。次の瞬間、宏大は大きな声で泣き始めた。
パパとママが驚いて起きてくる。佳奈はこっぴどく怒られてしまった。
「あーあ、面白くない」
佳奈はまたベッドに横になって、スマホをいじりはじめた。
―弟が怪我しちゃった、心配だよー
その書き込みにはすぐに反応がついた。
―弟くんは大丈夫?
―夢うさぎちゃん(ハンドルネーム)は怪我してない?
コメントが一気に30ついた。佳奈は嬉しくなって、すぐに返信をした。
「みんな私のことを心配してくれるんだ」
弟のことは忘れて、佳奈は心地良い良い眠りについた。
―今日は髪を切ったよ
―制服が夏服になったんだ
―新しいクレープ屋さん、コスパイイ
裏アカウントのフォロワーは800を越えて、書き込みにつくいいねの数は30以上が普通になってきた。交流をしている人からはだいたい20メッセージが送られてくる。しかし、これでは満足できなかった。
―今日、階段で足をくじいちゃった
―お財布を駅で落としちゃったみたい
―先生に怒られて落ち込んでるよ
ちょっとした不幸を書き込むと、一気にコメント数が跳ね上がる。50人以上が励ましのメッセージをくれる。佳奈は自分が心配されている快感に酔いしれていく。
ある日、別のアカウントで「料理を作っていて、指を切った」と書き込みがあった。指に巻かれた包帯が痛々しい。
―大丈夫?
―痛かったよね、お大事に
―代わりに料理を作ってあげたいよ
メッセージは200を越えていた。それを見た佳奈はカッと頭が熱くなった。私よりも心配されている人が居る、悔しい。
佳奈は部屋の扉を開けた。目の前には階段が続いている。弟が大丈夫だったんだから、私もきっと大したことない。佳奈は両目をぎゅっと閉じて足を踏み出した。
ドタタタッ。すごい音がして、驚いたママが駆けつけてきた。弟の宏大も何事かと部屋から顔を覗かせる。
「なにやってんの、佳奈」
ママが佳奈を抱き起こす。佳奈の左足首はおかしな方向に曲がっていた。
「バーカ、ぼくを突き飛ばすからだよ」
宏大は佳奈が無事なことに安心したのか、ペロッと舌を出して部屋に戻っていった。別にあんたが心配してくれなくてもいいもん、佳奈は痛みに脂汗を流しながら口元に薄い笑みを浮かべていた。
翌日、病院の整形外科で左足のレントゲン撮影をしてもらった。
「骨折していますね、ギプスで固めましょう」
佳奈の左足には包帯が巻かれ、松葉杖を貸し出してもらうことになった。午後から学校へ行くと、みんなが心配してくれた。でも、そんなのはどうでも良かった。
―ふええ、足を骨折しちゃった、痛いよぉ
佳奈は病院で撮影した足のギプスと松葉杖の写真とともに裏アカウントに書き込みしていた。
ドキドキしながらスマホを見れば、励ましのメッセージが300を越えていた。佳奈はにんまりと笑う。でも、少ない。
「指を切っただけで200もコメントをもらえるのに、こっちは骨折なのよ」
「佳奈、大丈夫?最近変だよ」
教室の席で、ぶつぶつとくぐもった声で呟く佳奈を心配して萌愛が声をかける。佳奈の顔には深いクマが刻まれている。萌愛は思わず後退った。
「最近さあ佳奈、授業中もこっそりスマホばかり見てるじゃない。私と歩いてるときもよ、ちょっとネットから離れた方がいいんじゃない」
「うるさいな、ほっといてよ」
萌愛の言葉は佳奈の耳には届かない。
松葉杖をついている佳奈を放ってはおけず、萌愛は側について下校した。佳奈はまたスマホ画面を見る。メッセージは400。思ったより伸びていない。もっと、もっと。
すると、飼っていた愛犬が死んだ、と生きていた頃の可愛い犬の写真とともに新しい書き込みが入った。それは一気にお気に入り800を獲得し、飼い主を元気づけるメッセージは500を越えてまだ伸び続けている。
「そういうことか」
大通りの信号待ち、佳奈はぼんやりと呟いた。信号が赤に変わり、佳奈と萌愛は立ち止まる。
片側二車線の大通りは交通量が多い。この先の新築マンションの工事現場へ向かう大型トラックも多数往来している。
佳奈ははげしく車の行き交う道路へ足を踏み出した。
「佳奈!」
萌愛が叫ぶ。
「いや、待って。私が死んだら、誰が書き込みをするのよ」
佳奈はハッと我に返る。踏み出した足を引っ込めた。心臓がドキドキしている。なんてバカなの、死んでたくさんの励ましのメッセージをもらったところで何にもならないじゃない。
佳奈は自分が愚かだったと気がついた。目の前の空はこんなにも青い。ネットの向こうの、顔が分からない人たちなんて、どうだっていいじゃない。
「佳奈、ゴメンね」
「えっ」
その言葉に振り向けば、目の下に黒々とクマを刻んだ萌愛が無表情で佳奈を見つめていた。不意に、衝撃が走った。佳奈の身体は車道に躍り出ていた。
激しいブレーキ音、車体が何かにぶつかる鈍い音、遅れて叫び声。
周囲は一気に騒然となった。萌愛の足元に赤黒い血が流れてきた。萌愛はスマホを取り出し、凄惨な事故現場を写真に収めた。
「女の子が轢かれたぞ」
「こりゃ・・・もうダメだな」
萌愛はその場をそっと立ち去った。スマホで撮影した刺激的な写真に最低限のモザイクをかける。
―あたしの友達が、目の前で死んじゃった・・・親友だったのに、どぉしよう。ありえない、辛い。
萌愛はうっすらと笑みを浮かべていた。萌愛の書き込みには瞬時にいいねがつき始め、励ましのメッセージが並ぶ。通知は鳴り止まなかった。
アンラッキー・ガール 神崎あきら @akatuki_kz
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