お手て、つないでくれてありがとう。

木野かなめ

お手て、つないでくれてありがとう。

 またミキがいない。


 イオンモールの三階で、ゲームコーナーに向かって走っていったと思ったらあっという間に筐体きょうたいの裏へと隠れてしまった。

 私はため息を一つついて、ミキの姿を探す。

 いない。いない。

 まさかメダルゲームコーナーにはいないと思うけれど、どうだろうか。

 やっぱり、いない。

 次に私が足を向けたのはUFOキャッチャーのコーナーだった。びかびかと電子音が私の鼓膜を貫く。だけどミキのプリキュアのTシャツはどこにも見当たらない。そりゃそうか。ミキはまだ五歳。身長からしてUFOキャッチャーの中身をのぞけるわけもない。


 でも、どこに行ったんだろう。


 恋人たち、若者たちがゆったりと歩く中、私は早足でゲームセンターの中を巡る。どうしてもミキを見つけられないので、今度は通路へと戻ってみた。でもいない。だんだんと私の心臓の音が早くなる。さすがにイオンモールで誘拐、なんてことはないだろうけど、迷った挙句にモールの外へ出ることはじゅうぶんに考えられる。駐車場。先日のニュースで、バックしてきた車に子供が轢かれて亡くなったという話をやっていた。それだけはいけない。

 そして私は考えた。自分で見つけるよりも、大勢の目を借りた方がいい。


「すみません」

 私はサービスコーナーで、目をぱっちりと見せる化粧を施した女性に話しかけた。

「どうされました?」

「娘が迷子になってしまったようなんです」

「何歳くらいのお子様ですか? 服装は?」

 マニュアルが定まっているのか、女性はテキパキと訊いてくる。

 私は時折喉に忍びこむ唾を隠し飲みし、あたかも平静であるようにミキの特徴を伝えた。

「承知しました。今から確認を行いますので、しばらくお待ちください」


 それから私は携帯電話の番号を教えたのだが、じっとしていることもできない。モールの中のショップ、本屋さん、あるいはスーパーのお菓子コーナー。ありとあらゆる候補地を練り歩き、次第にパンプスの中に小さな痛みを感じるようになった。


 そして聞こえてきたのだ。

 天からの、救いの声が。


『東京都世田谷区からお越しの、米沢よねざわ様。お子様が二階サービスコーナーでお待ちしています。お越し下さい。東京都世田谷区からお越しの……』


 すぐに携帯にも電話がかかってきた。内容は今の放送と同じだった。私はほぼ走るに等しい速さで二階のサービスコーナーへと向かう。だが方向を間違えた。モールの端まで行き、軽く舌打ちをして逆側へと戻る。

 はたしてサービスコーナーには、目を真っ赤にして、鼻をすするミキの姿があった。

「すみません。申し訳ありませんでした」

 私は店員に何度も頭を下げ、その場を離れる。聞けば、ミキは一つ下のフロアにあるガチャガチャの専門店にいたということだ。辺りをキョロキョロしながら不安そうに目を震わせていたとか。


 たしかに今回の件、私に責があった。目を離してはいけなかった。

だが、なにも考えずに無鉄砲にゲームセンターへと走っていき、なんの連絡もなくフロアを移動。そんなミキに注意を与えなければ、この先も同じことが繰り返されるかもしれない。だから私は自分自身を心で殴りながら、ミキに荒い声を飛ばした。


「なんで勝手に走っていくの」

「…………」

 ミキはまだ半泣き状態で、答えの一つを返す余裕もない。

「ちゃんと一緒にいなきゃだめでしょう。行くなら、行き先を言うこと。そうでないと、今回みたいに迷子になってしまうよ。お母さんも、ミキも困るのよ。ずっと会えなくなってしまうかもしれないのよ」


 するとミキは。

 私の目をしっかりと見てきた。そこには、『睨み』があった。


「その目はなに!」


 私が叫ぶと、周囲の客は何事かとこちらを見てきた。ミキがすすり泣きを始める。私は、たいへんなことをしてしまったと思った。どこかのショップから『パプリカ』が聞こえてくる。ミキが幼稚園の運動会で躍った、あの曲だ。

 私はなにも言えない。

 ミキも、なにも言えない。

 そんな状況をつくり上げたのは私だ。最後に叫んだのは躾だけが理由ではなかった。私は自分自身が被った時間のロスとか、他人の目とか、迷惑とか、そういったものから生じたイライラをミキにぶつけたのだ。

 あんたのせいで、不利益をこうむったのだと。


 謝ろうと思った。

 でも、謝ってはいけないとも思った。

 どうしたらいいのだろう。私はミキのお手本として生きていかなければならないのに、その自分が行動の迷子になってしまっている。本当は百点のお母さんでいたいのに。ミキにとって、世界で一番すばらしいお母さんでいたいのに。私はいつも、いつだって、百点をとれないんだ。


 小さな――。


「ミキ」


 小さな、感触があった。


 やわらかい、私の半分よりもっともっと小さなミキの手が、私の手に触れた。

 ミキは涙をぼろぼろとこぼしながら、私の手を握ってくれた。

 百点をとれない私の手を。本当は睨みたいはずの、私の手を。


「ガチャガチャ、しにいく?」

「うん」

「ガチャガチャ、ほしいのあったの?」

「うん」

「じゃ、やりにいこうっか」

 私とミキは手をつないで、ふかふかとしたモールの床を歩いた。


 ありがとう、ミキ。

 わたしとお手てをつないでくれてありがとう。

 いつかあなたは、お手てをつながなくなる。ただ、ほんの数年間、私とつないでくれた手。

 だけど私はずっと忘れない。

 あなたが私にくれた、喜びの時間のことを。

 あなたが不十分な私を頼り、そんな私を好きでいてくれたことを。


 ずっとずっと、あなたと手をつないでいたい。

 あなたに百点を見せられるまで、私は手をつないでいたい。

 湿り気のある手のひら。

 ぷっくりとした指。

 いつまでもいつまでも手をつないでいたいけれど、それよりもあなたが大きくなって、どんな危険にも遭わず、自らの道を見つけてくれることを強く願う。


 ガチャガチャコーナーが見えてきた。

 ミキは「あれ」と言って、スライムのガチャガチャを指差す。

「ミキはおもしろいの、見つけたね」

 私が手をぎゅっぎゅっとやると。

「うん。おもしろいよ!」

 ミキも手をぎゅっぎゅっとやってくれた。


 それはまるで、二人だけの間で通じる、秘密の符丁ふちょうのようでもあった。



                              了

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お手て、つないでくれてありがとう。 木野かなめ @kinokaname

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