第5話 桜の魔女、三英傑を育てる。

 虹輝二十年。一年ぶりに軍が帰還した。


「さすがよね。青磁将軍が捕虜になったとの噂、一時はどうなるものかと思いましたけれど、紫苑様の軍略のお陰で生還されるんでしょう」

「あら、青磁将軍が自力でお帰りになったとも聞いたわ。思わぬ嵐に攪乱かくらんされた軍の混乱に乗じて逃げ出しただとか」

「私が聞いたところによると、それに紫苑様の軍略もあってのことらしいわよ」

「紫苑様は天が味方になってくれただなんて御謙遜をされてるらしいわ」

「そんなところも素敵よねえ」


 瑠璃王国は、多くの犠牲を出しながらも、東域を奪還した。一時紫苑崩れになりかけていた瑠璃王国軍は、突然の嵐を好機に変え、崇津国軍に奇襲を仕掛けた。その攻撃は、慣れない気候の変動に混乱していた崇津国軍に、絶大な損失を与えた。同時に、捕虜にされていたはずの青磁が混乱に乗じて脱出、結果的に内部から崇津国軍を崩すこととなり、崇津国軍は紫苑崩れ。瑠璃王国軍は勝利を収め、これ率いた軍師と将軍の名は、更に各国へ知れ渡ることとなった。


「あぁ、咲羅さくら


 二人が帰還するその日、琥珀は不意に呼び止められて振り返る。そして舌打ち混じりに頭を下げた。


「これは主上。何か御用ですか」

「そんな生意気な態度をとる臣下は瑠璃王国中探しても君とあと二人だけだろうね」

「失礼。先程の非礼はお詫びしますので、解任しないでいていただけると助かります」

「死んだ魔女のために?」


 琥珀は顔を上げなかった。ふん、と王は鼻で笑う。


「さすが最年少の宰相と目されるだけある。その程度のことでは表情を変えないのだね」

「主上が魔女に命じたことは、存じ上げておりましたからね」


 顔を上げよ、と王が促せば、琥珀はうやうやしさなど欠片も伺えない態度で顔を上げ、王を睨みつけた。王は肩を竦めて見せる。


「命じたとは、人聞きの悪い。私は戦況を伝えただけ」

「そうすれば、あの人がどうするかは分かっていた」

「さあ、なんのことだか」

「青磁が敵国に殺され、その責を問われた紫苑が軍議にかけられ早晩この国から追放されることを伝えれば、魔女が自分を犠牲に戦況を一転させることを分かっていたんでしょう!」


 珍しく、琥珀が声を荒げた。


 決まり切っていた瑠璃王国軍の敗走をひっくり返すほどの、数百年に一度の嵐。崇津軍が陣取っていた地形を綺麗に崩した雨。それにも関わらず土砂に巻き込まれなかった青磁。青磁が助からなければ奏功しなかったはずの紫苑の策。崇津軍内で起こった不意の反乱。何もかも、奇跡に奇跡を重ねなければ起こらなかったこと。そんなものが起こった理由は一つしかない。この人間社会の因果律が、魔法によって狂ったからだ。

 そして、そんな大魔法を、数百年間生きている魔女なら使えることを、この王は分かっていた。


「分かっていてただ伝えただけなど、白々しい!」

「ただ伝えただけだとも。私は、供物が必要だと言われれば用意するつもりではあった。この世の中、必要のないものはいくらでもいる」


 腕を組んだ王は、綺麗に整備された庭園に目を向けた。まるで、その庭を整備する手にいくらでも変わりはいると言わんばかりに。


「必要だと言われれば、一晩で百人の子供を調達した。それを望まず、自身の命の対価性の高さを自負し、それを供物に捧げたのはあの魔女自身だ」

「だからそうさせたのは貴方の言葉が──」

「じゃあ君は、二人の幼馴染が死んででも、あの魔女が生きることを望んだのか?」


 臣下の言葉を遮って、叩きつけるように投げられたその問いに、琥珀は答えることはできなかった。そんなものを天秤にかけろと言われて、かけられるわけがない。


「君はまだ、若いんだよ。この世の中、全て救えるようになどできていない。そして、ふるきものが旧きまま良しとされるようにもできていない。……魔法など、もう旧いんだ」


 魔女は言っていた。魔女が住んでいた小屋の隣にあったあの沼に、生贄が捧げられたのは何十年ぶりだっただろう、と。もう何十年も、もしかしたら百年以上、あの沼に生贄なんて投げられていなかったと。それは、〝生贄を捧げることで願いが叶う〟という人々の信仰が弱まってしまったことを意味する。


「それだというのに、君達が未だ魔女の子だなんだと囁かれるくらいには、この国の民は愚かだ。そんな国はもう変わるべきだ」

「……でもそれはあの人が死んでいい理由にはならない」

「そうかもしれないな。だがこれは、魔女ではなく咲羅さくら青磁と咲羅紫苑のほうがこの国に必要な人材なんだと基礎づける理由になる」


 琥珀が答えることのできなかった、天秤の傾く先。この王は、迷わず二人の官吏をとった。魔女はこれからも何百年と生き続けるだろうけれど、その生の価値は、若き二人の官吏の数十年に劣るものだったから。魔女など要らなくなるこの国で──この世の中で──役に立つことがあるというのなら役立ててしまえばいいと思ったから。それは、為政者いせいしゃとして何も間違った判断ではなかった。

 でも、だから、なんだというのだろう。結局、桜の魔女が死んだという事実に変わりはないのに。


「……これから、私達は益々魔女の子だと噂されるようになるんでしょうね。あの二人がこんな生還をしては」

「どうだろうな。そもそも、魔女などもういないこの国で、その言葉がただのおとぎに変わるのは時間の問題だろう」

「……魔女の森は遺るのに」

「あれはただの森だ。獣以外何も棲んでいない、な」


 先日、朝廷の会議で、魔女が棲むと噂される森など伐採して資源にしようという意見が出た。それはこの度の長きに渡る東伐のせいで消費した軍備を整える一手段だった。


「では、私はそろそろ行こう」


 だが、王は、その意見を退けた。その理由はもちろん、あの森の開拓がまだ進んでおらず、その価値が不明であること、他国との取引材料になる可能性は十分にあること、崇津国の被った被害の甚大さに鑑みれば今すぐに軍を整備する必要はないこと、などと尤もらしいものではあった。あった、けれど、口にされることのなかった理由の一つに、〝三英傑〟という財産を遺した魔女への敬意が、きっとあった。


 そんな発想は、幾分自惚れじみていたけれど。琥珀は頭を下げ、王を見送った。



「あぁ、空気がおいしい」


 その日、久しぶりに三英傑が会した。いつもの酒屋に二人が疲れた顔で座る。


「……嵐はどうだった」

「どうもこうも、まさに天の恵みだった。あれがなければ青磁は確実に死んでたし、俺も帰還できればいいほうだったんじゃない」


 壊滅してもおかしくないくらい劣勢だったしねぇ、と紫苑は昔の話をするかのような口ぶりで話す。頷く青磁のこめかみには、一年前にはなかった大きな傷ができていた。


「本当にな。生き急ぎ過ぎて寿命使い果たしちまってたのかと思ってた」

「実際生き急いでる感じはあるよね、俺達。噂で聞いたんだけど、今回の功績を称えて賞与があるんだと、主上から」

「へぇ、なにくれんの。女は勘弁なんだけど」

「森を一つくれるらしいよ」

「森?」


 ぴくりと、酒を飲む琥珀の指先が震えた。二人はそれに気付かない。


「西にあるだろう、ちょっと不気味な森が。あれをまるごと俺と青磁にくれるんだって聞いた。何が賞与なんだか、あんな使い道も分からないような木、木、木。畑でもくれたほうがまだマシだ」

「へーえ。まあ東部奪還を称えられるだけまだいいんじゃね。奪還したはいいけど死に過ぎだって言われて地位剥奪でもされたらどうしようかと」

「そんなことしたら俺があのクソ王の玉座を剥奪してやる」

「お前が言うと冗談に聞こえないからやめろよ」


 二人は、そんな話をして笑っていた。琥珀は表情を変えないように必死に感情を抑えながら「そういえば」などとわざとらしく咳ばらいをしてしまった。


「お前達が出ている間に、餞別を預かった」

「餞別? 何の、つーか誰の」


 きょとんと目を丸くしてみせる二人に、琥珀は二つのものを取り出した。古く分厚い書物と、木箱。それぞれを受け取った紫苑と青磁はそれぞれ眉を顰める。


「……意味の分からない言葉が綴られてるんだけど、これなに」

「さぁ」

「虫の……これなんだ? 死んでるよな? 死んでるのになんで生きてるみたいにそのままなんだ?」

「さぁ」

「ていうか、これ、誰から?」

「……さぁ」


 突然の幼馴染の不可解な行動に訝しむ二人。その怪訝な顔で初めて、琥珀は彼女の魔法の中身を知ってしまった。

 ここまでしたから、その身をまるごと犠牲にしなければその魔法が使えなかったんじゃないか。青磁を五体満足で還そうなんて欲をかいたから、その身を丸ごと犠牲にする羽目になったんじゃないか。

 二人が哀しむのを知っていたから、その存在を丸ごと犠牲にしたんじゃないか。

 こんな秘密の記憶を、彼女は琥珀一人に押し付けた。その理由は何だろう。そうまでして、この我楽多がらくたのような物を二人に渡してほしかったのだろうか。それとも──忘れないでほしいという、彼女の最初で最後の甘えだったのだろうか。

『ごめんね』

 ただ分かるのは、最後の彼女の言葉が、心底琥珀だけへの謝罪だったということだ。


 涙が零れないように気を付けながら、琥珀はそっと目を伏せた。


「誰から、だっただろうな」




 未だ繁栄を極める瑠璃王国。その礎が築かれたのは、最大版図を記録した虹輝時代。常葉王の治世は未だにあるべき理想の治世とされる。

 そんな虹輝時代には〝三英傑〟と呼ばれる有名な三人がいた。一人は最年少宰相、一人は一騎当千の大将軍、一人は無敗の軍師。虹常葉王も賢君と称えられているが、そえれでも彼等がなければいまの瑠璃王国はなかっただろうとされるほどの偉大な三人。彼等は瑠璃王国の英雄として後世に語り継がれている。

 なお、その三人は魔女の子だという噂があったとの記録はあるが、当時の有能な官吏についてまわったありがちな妬みそねみの一種に過ぎないとされている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桜の魔女と三人の孤児 縹麓宵 @Anecdote810

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ