第4話 桜の魔女、魔法を使う。

 コンコン、と小屋の扉に小さな音が響いた。魔女が顔を上げると、魔女の返事も待たずに扉は開く。そこに立っていたのは琥珀だった。


「琥珀くん。どうしたの、珍しい」

「……昨日、主上がこちらへ来ませんでしたか」


 魔女はぱちくりとその黒い目を瞬かせた。琥珀はいつもの無表情だ。二人は暫くお互いの表情のまま黙っていたが、魔女が先にふふ、と笑って表情を崩す。


「そうだけど、どうしたの。幼馴染のかたきを討つなんて、琥珀くんだけは言ったことがなかったのに、その気になっちゃった?」

「主上は貴女に何を命じたのですか」


 ついでに茶化したのに、琥珀は騙されなかった。それどころか眉間の皺が深くなり、心なしか険しい顔つきになる。


「何か、命じたのではないですか」

「何も」

「だったら主上は何をしにここへ」

「戦況を伝えてくれただけだよ。私は人間の行いに口を出すつもりはないから、知るつもりなんてなかったんだけど」

「その戦況を知って、貴女はどうしようというのですか」


 その声も、幾分低く、鋭いものになっていた。魔女が答えずに黙っていれば、琥珀はぐるりと小屋の中を見回す。見回して気付いてしまったことは、彼女が大事にしていた物品がいくつか失くなっているということだ。まるで家を移ってしまうかのように置物や家具が減ってしまったことが、何を意味するのか。分かっていた琥珀は少しだけ目を伏せる。


「……貴女は昔、教えてくれましたね。魔法には供物くもつが必要だと。魔法は魔力という因果律を加えることができる点で人間による加工と異なるだけで、無から有を生み出すものではないと。有から有を生み出すに過ぎず、そしてその対価関係が人間界とは少しことなるものであるだけだと」

「……そうね。それを知らない人間達は、物を捧げることが魔法を呼ぶと勘違いしたのよ」


 だから貴方達の幼馴染は死んだ、と魔女は付け加えた。琥珀は黙っている。意外と勘のいい彼には、もしかしたら察されたのかもしれないと、魔女は小さな溜息を吐きながら、机の上に手を置いた。


「対価関係は、私が決めるものじゃない。私達が神と信仰する者が決めること。だから捧げた供物が願う魔法に適うかどうかは使うまで分からない。でも……神様は、存外優しくて、人間の命を、それなりに対価性の高いものと考えてくれている。そして人は何の根拠もなくそれを知っている。だから、人はこぞって人間を捧げたがる。人間って不思議ね。価値があると知っているからそれを捧げるのに、まるで無価値かのようにそれを捨て去ることができるんだから」


 琥珀はまだ無言だった。魔女は少し困ったように眉を寄せたけれど、なんでもないかのように居室内を振りむいた。


「琥珀くん、折角来てくれたならお茶でも入れようか? 青磁くんが淹れたのじゃなきゃいや?」

「……私はそんな呑気な話をしに来たのではないんです」


 そこでふと、魔女は気が付く。どうして彼は、昨日、王がここへ来たことを知っていたのだろうと。確かに彼の官位は年不相応に高いとはいえ、王の一日を把握できるほどのものではないはずだ。ということは、昨日、彼はここへ来ていたのかもしれない。王がいるのを見て出直したか──はたまた王と自分との会話を聞いて、一度引き返したか。


「……琥珀くん?」


 彼が黙っているのは、いつものように必要以上のことを喋るまいと思っているからではなく、何というべきか迷っているからかもしれない。

 実際、琥珀は苦々し気に目を背けた。


「……貴女はちっとも魔女らしくない」

「え、ここにきて突然の悪口? え?」

「魔女なら、人間でも食っていればいい。見つけた幼子など、鍋に入れて煮て焼いて食ってしまえばいい。それどころか気紛れに育てるなど、魔女らしからぬ行動です」

「ええ……言ったじゃん、別に魔女だからって人間食べるわけじゃないんだよって……。しかも琥珀くん達、そこそこ立派に育ったんだからいいじゃん……文句言わないでよ贅沢だな……」

「……いなくなってしまうんですか」


 その声は、妙に弱々しかった。琥珀の言葉ではないような気がした。三人の中でも群を抜いて不愛想な子の声ではなかった。甘えん坊の時期なんてなかった子なのに、初めて甘えたような声だった。青磁が拾って来た小鳥が全快して旅立つときも、そんな寂しそうな声は出さなかったのに。

 だから魔女は、ふふ、とまた笑った。


「元気でね」

「……青磁と紫苑がどれだけ貴女を大事にしてるか」


 そこで敢えて自分の感情を口にしないのが、恥ずかしがりやな彼らしかった。


「その青磁くんが、捕虜になってるって知ってるんでしょう。将軍を一人死なせたとなれば、指揮をとる紫苑くんが責任を問われることを分かってるんでしょう」

「……いま坂守国に使者を送っているんです。援軍が来れば、坂守国からの出陣があれば、助かるかもしれません」

「坂守国は動かないよ」

「それでも私には伝手はあります。昔、坂守国の衛兵に貸しを作ったことが」

「衛兵だよね。その程度じゃ、国は動かせないよね」

「その衛兵の親友が尚書しょうしょでもですか」

「ちょっと無理かな。もともと、あそこの軍備はせいぜい警邏が限界な程度だから」

「……紫苑は軍師として天才的です。次の策を練っている最中ですから、それが上手くいけば、」

「ねぇ、琥珀くん」


 いつの間にか自分より背が高くなってしまった養い子を、魔女は見上げた。俯いた彼は、昔から滅多に見ることはなかった、泣いているような顔をしていた。一生懸命口にした策がどれもこれも否定されてしまって、しかも、彼のことだから、どうせ否定されることは──自分の口にしている策に望みのないことは──分かっていたんだろう。それでも、誰かに否定してもらうまで否定しきれないなんて、彼らしくない。

 ふふ、と魔女はまた笑う。彼は「笑い過ぎです」と拗ねたような声を出した。


「大丈夫。君達はこの国で、もっともっと偉くなりなさい」

「……偉くなってどうするんです」

「偉くなって、お金を稼いで、食べたいものを食べて、好きな人と家庭を築くの」

「……そんなことして何の意味があるんです」

「難しいこと言うな、琥珀くんは。それが人生を楽しむってことのひとつでしょう」

「……その人生に、貴女がいなくてもですか」


 琥珀には、分かっていた。魔女が結局、変われずにいること。何百年も生きたところで、どこか自分が不必要な存在だと思って変われないこと。寧ろ、何百年も生きてきたから、目まぐるしく発達していく人間の社会で、魔法も魔女も段々と不必要になっていくことに気付いてしまっていること。それは彼女を無感動にするのに十分で、自分達を拾ったのは本当にただの気紛れだったこと。自分達を拾った理由は、数百年に一度、試したことのないことを試す気になった程度のものだったこと。それを試しているうちに、何も変わらないとまでは言わなくとも、その変化は本当に細やかなもので、彼女は結局、どこかで変われずにいること。


「……紫苑と青磁が、貴女を取り合うのを、ここで待っていたらいいじゃないですか」

「人間と魔女が夫婦になってどうするの」


 だから、どうせ彼女は思ってる。彼女がいなくても三人の青年は生きていけるのだから、もう自分は必要ないのだろうと。


「……なってみないと分からないでしょう。折角ですからなってみてはどうですか。私達を育てたように、今回も試してみては」

「失礼な、試したことはあるよ」

「……え?」

「もう百年以上前の話だけどね」


 魔女はなんでもないことのように言うけれど、琥珀にとっては寝耳に水だった。二人の幼馴染とどうにかなったらどうだと勧める一方で、心のどこかで、魔女が人間の男と添い遂げようとすることはないのだと思ってしまっていた。そのせいで、その可能性を勝手に消していた。そんな思考は、魔女と彼等の将来を否定するに等しくて、琥珀は自分の反応を後悔する。


 でも、魔女は気にする様子はなかった。代わりに、想い出を探るように顎に手を当てる。


「その人もね、夫婦になろうって言ってくれたの。でも、その人は私が魔女だって知らなかったから。年を取らない私を気持ち悪くなっちゃったの」

「……今度は話が違います。あの二人は──」

「あの二人のことは、私、こんなときから知ってるんだよ?」


 魔女は自分の腰のあたりに手を持ってきて、幼い二人の身長を示す。


「あの二人は、思慕と恋慕を混同してるのよ」

「……青磁はまだ分かるにしても、紫苑までもがですか」

「同じだよ、二人とも」


 躊躇ない返事のせいで琥珀が言葉を失えば、会話はそこで途切れた。そのまま暫く沈黙が落ちる。

 何を言っても無駄だと、琥珀には分かってしまった。結局、彼女は変わらないままなんだ。自分達に出会ったときから、ずっと変わらないまま。

 閉口した彼に、くしゃりと彼女は笑って見せた。


「昔、琥珀くんが欲しがってた木の作り物。まだあるけど、持って帰る?」

「……そうやって、想い出だけを、私達に残して、いくんですね」


 琥珀が頷く前に、彼女は部屋の隅から持ってきた熊の彫り物をその手に押し付けた。琥珀は普段なら迷惑な顔をしてもおかしくないのに、その目元はただ苦しそうに震えるだけだった。今だけは、持ち前の無愛想さゆえではなく、まるで持ち前の無愛想さですと言わんばかりの無表情に努めているのが分かった。


「……紫苑と青磁に、何と言えばいいんですか」

「『魔女は西域に旅立ちました、またね』」


 自分は辛うじてその言葉を絞りだしたと言うのに、魔女は平然としていて。


「……最後まで、嘘吐きなんですね」


 それに抱いてしまった哀しみをどこへ向ければいいのか、琥珀には分からなくなっていた。お陰で、どこか、諦めたような声が出てしまった。それなのに、やっぱり魔女は無視して「あ、青磁くんはこれ欲しがってた! やっぱり男の子だよねー、虫の標本なんて! 紫苑くんはこの本読みたがってたけど、もう読めるようになったのかなぁ」と部屋の隅に飾ってあるものを持ってきては琥珀に押し付ける。

 餞別せんべつの品々は、琥珀の平淡な瞳を少し震わせた。


「……紫苑と青磁の向ける感情とは違いますが」

「うん」

「……私は、貴女を好きでしたよ」

「うん!」


 さも当然のように魔女は頷いた。琥珀は目を伏せる。あぁ、やっぱり、駄目なのか、と。


「……おいとまします」

「元気でね」

「……紫苑と青磁に伝えておくことは」

「紫苑くんは嫌なことがあったときに女の子をたぶらかすんじゃなくて誰かにちゃんと相談すること! 青磁くんは人の面倒見過ぎて自分の身をかえりみない癖を直すこと!」

「……分かりました」


 最後まで、いつでも言えるような小言だけ。不満気にすれば「琥珀くんは女の子に極端に無愛想なのを直しなさい」と付け加えられる。別に、自分にだけ小言がないことを不満に思ったわけではないのに。

 何を言っても、どうせ彼女は変わってくれないのだ。キィ、と、手を掛けた小屋の扉が開いた。


「ごめんね」


 そんな、とってつけたような謝罪をしなくたっていいのに。魔女の顔を一瞥するも、彼女はいつも通り笑うばかりで、出ていく琥珀の目だけがかげっていた。


「……さようなら。私達の魔女様」


 パタン、と、扉が閉まった。

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