第3話 桜の魔女、王に会う。

 虹輝十九年。二十年前に王位継承争いに敗れ行方知れずとなっていた第五王子が瑠璃王国東域にて挙兵。これと通じていた崇津国軍が瑠璃王国東域の城を陥落。近隣国の中でも屈指の軍事力を誇る崇津国軍の侵攻により、瑠璃王国東域は戦乱のちまたと化し、瑠璃王国は紫苑力をあげて崇津国を迎え撃つと決定。史上最強と謳われる軍師と将軍が最前線に駆り出された。


「酷い世の中」


 子供二人を戦線に連れていかれたような気持ちになった魔女は、狭い小屋の中で一人呟いた。窓の外を眺めれば、枯れた木々がゆらゆらと揺れている。これから冬将軍も訪れようという季節、戦いは益々厳しくなるだろう。


 そのとき、ふと、沼のほとりに誰かが立っているのが見えた。青磁と紫苑はいるはずがない、ということは琥珀だろうか、そう当たりをつけた魔女は慌てて外へ出て──その顔に、目に見えて落胆する。その表情を見せられた相手は、くすっと怪しく笑った。


「私相手にそんな不躾ぶしつけな表情をするのは貴女くらいですよ、桜の魔女」

「これはこれは失礼しました、王様。何百年生きようと正直な心は変わりませんもので」


 そこにいたのは、現瑠璃王国国王であるこう常葉ときわ。魔女が会うのは三度度目だった。一度目は、〝三英傑〟の幼馴染の一人が殺された日。そして二度目は──。


「何か御用でしょうか」


 少し前のことを思い出しながら、魔女は珍しく刺々しく話しかけた。臣下がそんな態度をとるわけもなく、新鮮な応対に王は肩を竦めて返した。


「桜の魔女くらいですよ、私を主上と呼べぬほどの無礼者は」

「私はこの国に住まえど、貴方様に仕える気などございませんので」


 魔女が初めて王に会ったあの日は、生贄にされた子供に対しても取ってつけたような〝可哀想〟しか感じなかった。あとはせいぜい、それくらいこの国も王も弱っているのだろう、と。だが、あの三人を育てているうちに、その感想が次第に変わっていった。深化したなんていえば、数百年経てもまだ成長したりないものがあったかと自嘲するだけなのだけれど、その感情の変容はそんな生易しいものではなかった。お陰で……、見るだけで嫌悪感が募るほどに、魔女は王様を嫌っていた。だから、つん、と沼を挟んで顔を背けてみせるが、ふ、と王は不敵な笑みを浮かべるだけだった。


「それはそれは。私のもとへ大層優秀な官吏を寄越してくれたのは、貴女自身の都仕えの意志の現れだと思っていましたが」

「何の話です」

「惚けなくとも。最年少の名をほしいままにする〝三英傑〟は貴女の養い子でしょう」


 沈黙が落ちた。本当のところをいえば、どんなに魔女が彼等を可愛がったところで、彼等はそれだけでは生涯を遂げることができなかったから、できるだけ早く、官吏にさせる必要があったのは事実だ。でもそれは目の前の王が仕えるに値するからではない、あくまで少年三人は一人で生きていくには無力で、魔女は彼等に人生を楽しませるには無力だっただけの話だ。


 それを王の前で口にするのは癪だった。お陰でじっと黙ったままだったが、王はそんな内心も見透かしたように嗤いながら歩み寄って来る。


「まぁ、いずれにせよ、使える駒をくれるというのはありがたいものです。それが魔女の子だろうがなんだろうがね」

「まるで私が育てたことに文句でも言いたそうですね」

「私は別に。ただ──そうですね。学ぶ場も、金も、時もないはずの孤児が官吏登用試験に状元及第するなど、魔女の仕業か。満足に食うこともできない孤児が将軍まで、しかも最年少で上り詰めるなど、魔女の仕業か。野垂れ死ぬしか能のない孤児が敵軍を次々と陥れるなど、魔女の仕業か。そう言われていることは事実ですし、貴女もご存知でしょう」

「だったら何ですか。あの子達の今が努力の成果であることは私が一番よく知っています。大体、孤児を切り捨てるしかできないような国なんて、主上の政治手腕に私は疑問を抱かざるを得ない」

「当時はまだ政権も安定していませんでしたからね、それどころじゃない。有能とも分からない孤児を拾って育てる余力など、魔女にくらいしかないのですよ」


 ──この王が、前回此処に来たとき、あの三人はまだ十二歳かそこらだった。この王は、自分が王だとは名乗らなかった。魔女も王とは呼ばなかった。だから少年達は王が王であることを知らなかった。それでも、都仕えをすれば、かつて自分達の住む森に来た男が王であることを、彼等のかたきである男がここにやってきたことを、彼等は必然的に知ってしまった。そのせいで、少年達は時々口にした、なぜ王がこんなところに来るのか、と。魔女は「伝説に興味があるなんて、王様も可愛いところがあるのね」と誤魔化していたけれど、聡い彼等はいつだって誤魔化されたふりをしていた。


「ところで、その三英傑。二人を東域に派遣しましたが、様子をご存知で?」

「それは王である貴方の把握すべきことです」

「興味がないと?」

「聞かせたいならそう言ってくださらないと」

「これは失敬。出陣して六月ろくつき、膠着状態に陥りはや一月ひとつき、地理に慣れておらず疲弊もしていた我が国の軍は崇津軍の侵攻を止めるのが手一杯だったようです。そして、兵の限界を感じた紫苑が一計を案じたようですが、残念ながらこれが失敗し、青磁将軍が捕虜になってしまいました」


 そして、その情報で、魔女の顔色が豹変する。じっと視線を向ける先の王は楽しそうに笑っているだけだ。


「……何を笑っているのです」

「元から私はこういう顔です」

「人が一人捕虜になっている、死ぬかもしれないというのに何を呑気に!」

「そうです、一人死ぬだけです」


 は……、と魔女は愕然とした声を出した。王は打って変わって冷ややかな目を向ける。


「たった一人です。史上最強だろうが、一騎当千だろうが、彼は一人には変わりありません。それが捕虜になったからなんだというのです。付け加えますと、青磁将軍を切り捨てるのであれば、東域の奪還は容易なところまできています。たった一人のために万の民を捨てることはできない」

「……それをわざわざ私に伝えてどうしたいのですか」

「不可能を可能にするとまで言われる伝説の魔女であれば、三日もあれば魔法でどうにかしてくれると思いまして伺った次第ですよ。先程はああいいましたが、あれだけの将を失くすのは我が国としては惜しい」


 ぎゅ、と黒い外套の下で、魔女は拳を握りしめた。外套の上からでもそれが分かったのか、王は目を細め、「そうそう」と沼に目を遣る。


「あの時の私は未だ若く、この沼に伝わる生贄の話を誤解しておりました。生贄は、貴女の魔法へ捧げなければ意味がないのですね」


 では、と王はそのまま踵を返した。魔女はいつも通り、ぽつんと沼のほとりに残される。王は当然従者と共に来ていたのだろう、暫くして、遠くで馬の鳴き声と馬車の音が聞こえた。


「……三日」


 その期限を小さく呟き、魔女は空を仰ぐ。爽やかな秋晴れは、木々に覆われて見えなかった。

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