桜の魔女と三人の孤児

第2話 桜の魔女、求婚される。

　虹輝十八年。徐々に繁栄しつつある瑠璃王国の朝廷は、三人の有名な官吏がいた。

「先日、琥珀様をお見掛けしたのよ」

「羨ましいわぁ。でも琥珀（こはく）様、女性に興味がないとの噂ではなくて？」

「あら、お見掛けするだけでも十分ですもの……。勿論、あの冷たい瞳を向けていただけたらそれだけで都仕えの甲斐があったというものですけれど」

　一人は、文官の琥珀。最年少状元（じょうげん）及第を果たし、当時は神童と呼ばれた。その評価の高さは今も変わることはなく、いずれ瑠璃王国の最年少宰相（さいしょう）となるのではないかと囁かれるほどの天才。

「ところで、そろそろ青磁（せいじ）将軍が遠征からご帰還されるのでは？」

「そうよ！　わたくし、戦のことは分かりませんけど、青磁将軍がいらっしゃるだけで兵達の士気が違うとか」

「さすが、一騎当千の将と謳（うた）われる青磁将軍、かのお方が出陣されただけで我が軍の勝利が決まったようなものといわれるほどなのでしょう」

　もう一人は、武官の青磁。武官としての鍛錬を重ねるうちにその頭角を現し、最年少で将軍に上り詰めた。

「でも、そろそろ大きな戦との噂があるでしょう？」

「そうなの？」

「えぇ、あの紫苑（しおん）様も呼び戻されるらしいわ」

「紫苑様って国境を守っていらっしゃらなかった？　それを呼び戻すなんて余程の……」

「でもいいのよ、だって近衛（このえ）の訓練で紫苑様にお会いできるようになるんですもの」

「ちょっと、抜け駆けはなしよ」

　最後の一人は、同じく武官の紫苑。しかし青磁とは異なり、実戦に出るよりは軍略を練るよう任されることが多く、軍師の役割を果たしている。兵法に深く通じ、彼が指揮をとればどんな城も陥落できると謳われる知略の持ち主。その罠に嵌められ地獄を見た敵兵は数知れず、瑠璃王国史上最も美しく恐ろしい軍師と呼ばれる。

　そんな三人は、その見目麗（うるわ）しさもあり、他の官吏の妬み嫉みを受けることもあったが、少なくとも女官からは口々に褒めそやされた。数百年に一度の逸材とされる三人は〝三英傑〟と呼ばれている──。

「国境の任解かれてよかった。やっぱり自国の空気が一番だ」

「坂守（さかがみ）国って同盟国だろ。崇津（たかつ）国とも隣接するけど、そう空気は悪くないんじゃねーの？」

「雰囲気の話じゃなくてただの空気の話だよ。住み慣れた国の空気がなんだかんだ一番いい」

「そんな違うもんかな」

　その三英傑は、ある日、森の中にいた。青磁と紫苑が他愛ない話を淡々と続ける後ろで、琥珀は顔をしかめている。その額にほんの少しずつ玉を結ぶ汗は、武官と文官の体力の差を現していた。だが負けず嫌いの彼がそれを素直に口にすることはなく、「……未だ着かないのか」と辛うじて文句を言う。長年の付き合いの二人はその内心に気付きながら「まぁもうちょいじゃね？」と返した。

　彼等が進むのは、人などおよそ通らないだろう獣道。日中でさえ危険に感じられるほど暗いこの森に好き好んでやって来るものなどいない。いかなる獣が潜んでいるか分からないからだけでなく、その森には魔女が住んでいるとの噂があるからだ。だが三人は特別怯えた様子はない。それは、いざとなれば最強の軍師と将軍が共にいるからではない。

「あぁ、見えた見えた」

　先頭を歩いていた青磁が抜けた森林の先には、大きな深い沼があった。そしてその隣には小さな小屋がある。風で吹き飛びそうとまではいわないが、家畜の小屋と大差ないといわれても仕方がないほど粗末なあばら家。長い道のりを歩いてきたため、琥珀は一先（ひとま）ず息をつき、武官二人は軽い足取りで小屋へ向かう。青磁がノックした扉が開き、現れたのは、全身黒ずくめの女だ。少年達が初めて会ったときからその見た目を変えることのない、正真正銘の魔女。魔女はかつて少年だった青年三人を見ると顔を輝かせた。

「青磁くん！　紫苑くんと琥珀くんも！　三人揃って来るなんて珍しいね！」

「紫苑が戻って来たからな」

「久しぶり、サクラ様」

　青磁の背後にいた紫苑はニコッと笑いながら顔を出した。琥珀は挨拶はせずに無視だが、無愛想なのは知っているので「お茶でも飲むー？　この間変な葉っぱ見つけてねー」と魔女は構わず家の中へ招く。〝いい葉〟ではなく〝変な葉〟というのが彼女らしいが、妙なものを飲まされては堪ったものじゃないと感じた青磁がいち早く台所へ向かった。魔女の家は簡素で、台所は居室と一体になっているし、他には寝室しかない。二人掛けの長椅子が二つ並んだ居室で、紫苑と琥珀が構わず椅子に座る一方、台所では「お前は座ってろ。余計なことするな」「ここ私の家ですけど！？」と魔女と青磁が痴話喧嘩染みた会話をしている。

「琥珀、最後に来たのいつ？」

「ひと月ほど前だな。城下で売ることができる薬草でもあればと様子を見に」

「魔女の薬草って言ったら民は逃げるだろ」

「そこは上手くやればいい。そのための官位だ。お前は国境を任せられて以来か？」

「そうだね。だから丸一年以上来てなかった」

　ここは変わらないね、と紫苑は窓の外にある沼を眺めながら呟いた。かつて、共に貧しい日々を生きていた友達がいなくなった場所。そして、貧しい彼等が育った場所。瑠璃王国で〝三英傑〟などという大層な呼称をつけられた三人の官吏が、まさか伝説の桜の魔女に育てられたなど、誰も思うまい。魔女に育てられたと知られれば、ただでさえ孤児風情（ふぜい）がと侮蔑（ぶべつ）を込めて罵る輩（やから）達が余計につけあがるというものだ。

「だからさー、おかしくないじゃん？　いい香りじゃん？　なんでこっち使ってくれないのかなー」

「混ぜていいものと悪いものってのがあるんだよ」

「無害だよ？」

「味の話な！」

　そうして、最後まで細やかな喧嘩をしながら、青磁と魔女はお茶の入った湯呑を居室の机に置く。それがまともな色をしていると確認した紫苑と琥珀は、女かと勘違いするほど優れた青磁の家庭力に感謝した。魔女は自分の家庭力の低さは分かってはいるものの認めたくないのか、青磁の隣で茶を飲みながら「私がいれてもこのくらいにはなるはず」とぼやいている。

「茶葉なんて高級な物、どこで手に入れたんですか、サクラ様」

「え、そのへんの木から毟り取って……」

「茶葉じゃないねそれ。味の染み出る葉だね」

「似たようなものじゃない？」

「コイツには何言っても無駄だよ」

「ところでサクラ様、あの話考えてくれました？」

「あの話？」

　唐突な紫苑の言葉に、魔女はきょとんとする。青磁も琥珀も何の話か分からずに紫苑を見るが、紫苑は一人上機嫌ににこやかにさらりと告げた。

「俺が戻ってきたら夫婦（めおと）になりましょうって話しましたよね？」

　そして、あまりにも色々ぶっとんだその台詞に、青磁と琥珀はぶっと茶を吹き出した。魔女は茶を飲んでなかったからこそいいものの、飲んでいたら確実に吹き出してしまっていただろうというほど「えっ！」と甲高い声を上げて硬直した。紫苑は一人平然としているが、琥珀は激しく咳き込み、青磁は動揺して立ち上がる。

「お……前、何言ってんだ！？」

「何って、もう俺達二十二歳だろ。いい年じゃないか」

「だからってなんでコイツなんだよ！」

「愛に種族は関係ないだろ」

「いや……でも……その……ほら年！　年を考えろよ！　コイツが何歳だと思ってやがる！　百年超えてから年齢なんて数えてませんのババアだぞ！」

「そんなこと思ってたの、青磁くん……母は悲しい……」

「母とか言うんじゃねーよ気色悪い！」

「で、サクラ様返事は？」

「いや……あの、あの時も言った通り、その、ちょっと無理かなー、なんて……」

「なんで？」

「怖い！　紫苑くん真顔になったよ今！　やめてよ怖いよ！」

　魔女は一生懸命誤魔化してみせるが、青磁と紫苑は睨みあい、薄々青磁の感情に気付いてはいたものの紫苑までそうだとは思っていなかった琥珀は一人頭を抱えた。美女など選び放題の地位と名誉を持つ二人が、なぜよりによってこんな唐（とう）変（へん）木（ぼく）の魔女に懸想（けそう）してしまっているのだろう、と。

「大体お前関係なくない？　俺がサクラ様に言ってるだけだし」

「関係あるだろ！　なんでお前ちゃっかり言い寄ってんだよ！　つかそれ言った時に何かしてねーだろうな！」

「何かしてたとしてお前に話す義理ある？」

「したのかよ！？」

「してない！　何もしてないからそういう紛らわしい言い方しちゃだめだよ紫苑くん！」

「やっぱサクラ様って柔らかくて抱き心地いいんだなーって」

「紫苑くん！！」

「何かしてんじゃねーか！！　ふざけんなお前表出ろ！」

「青磁くんもまぁ落ち着いて……」

「で、サクラ様、返事は？」

「断ったよね！？　頷くまで訊き続けるその姿勢やだよ怖いよ！　どうりで瑠璃王国の最恐軍師なんて噂が私の耳にまで入るはずだよ！　琥珀くんどうにかして！」

「どんな民のどんな嘆願よりも受け入れがたいですね」

「匙（さじ）投げないで！　ていうか青磁くん剣に手をかけるのやめて！　危ないから紫苑くんもやめようね！　瑠璃王国最恐の軍師と最強の将軍が喧嘩なんてしちゃだめだからね！」

　長年三英傑の母親のつもりでいた魔女だったが、そう思っていたのは魔女一人。久しぶりに三人で訪れたと思えばこんなことになるとは、と、琥珀は一人額を押さえた。