桜の魔女と三人の孤児

縹麓宵

第1話 桜の魔女、孤児を拾う。

 時は、虹輝こうき二年。前王の突然の崩御ほうぎょにより、その王子達が血で血を洗う抗争を繰り広げ、二番目の王子が即位して二年。若き新王・こう常葉ときわのもと、未だ政権の落ち着かぬことを狙った他国の襲撃により、瑠璃王国は未だ混沌の中にあった。それでも、争乱は徐々に落ち着きつつある。その落ち着きは、勿論、王とその側近の手腕によるものではあったが、他にもう一つ──。



「少年達」


 深い深い森の奥の、更にその奥。空から逃れようとするかのように鬱蒼うっそうと生い茂った木々の中。闇の入口のように深く暗い沼の前。そこに、座り込む三人の少年がいた。右から順に、金、茶、黒の頭をしていた。見たところ、彼等は未だほんの六歳か七歳。立ち上がっても自身の腰ほどの身長もなさそうな彼等の後ろに彼女が屈みこめば、彼等は揃って振り向いた。右から順に、いかにも子供らしい顔つきと、子供にしては冷めた目と、子供らしくない無表情。まさに三者三様。ただ、そのいでたちは三人とも同じようなものだ。きっとこの戦乱の世に珍しくない孤児だろうと、魔女はそう結論付ける。ただ、貴族だろうが孤児だろうが、こんなところにいるのは珍しい。どうしてこんなところにこの少年達はいるのだろうと、彼女は黒い帽子の下で小首を傾げた。


「何してるの、少年達」

「おねーさん誰?」


 口を開いたのは金髪の子だった。


「あぁ、噂の魔女ですか」

「本当にからすか闇と見紛みまごうような衣服に身を包んでいるんですね」


 続いて、茶髪の子と黒髪の子が続けざまに──訊ねるというよりは確かめるような口調で言った。答えを盗られてしまった彼女は面食らった。


 彼女は、その噂自体は知っていた。瑠璃王国に棲む桜の魔女。その住処は、不帰かえらずの森と呼ばれるほど危険な森の中にある底なし沼のほとり。その沼の傍には数年に一度だけ現れる桜の木があり、その木を見つけた男が、たまたま傍にいた彼女を見てしまったことから、そう呼ばれるようになった。一時期は魔女の討伐隊も結成されたものだが、それは随分前の話だ。討伐隊を結成した禁軍が数年間行方不明になる、という事件を起こしてしまって以来、不帰の森自体、近付いてはいけないと言われるようになった。あの森へ行くと、沼に呑まれるか、そうでなくても魔女に食べられてしまうから、とそんな言い伝えがある。お決まりのように、悪さをした子供は〝不帰の森に置いて帰るよ〟と母親に叱られる。


 その桜の魔女は、別に人間なんて食べないし、何も食べなくても生きていけるし、とぼやいていた。とはいえ噂は噂だ、きっとこの子供たちも怖がるだろう、足を滑らせて沼に落ちでもしたら堪ったものじゃない、なんて考えていた魔女にとっては、そんな素振りなど欠片も見せない少年達にいささか驚いてしまった。


「えー……それで、何してるのかな、君達……」

「おねーさん、この沼の魔女なんでしょ?」


 ただ、不意に、地面についてしまうほど長いマントの裾を、金髪の子がねだるように掴んだ。きょとんと彼女が彼を見つめ返すと、もう一人の茶髪の子も彼女のマントの裾を引っ張った。そのまま沼を指さす。


「俺達のトモダチ、イケニエにされちゃったんだ。返してよ」


 そして、その言葉に彼女の表情は凍り付く。もう一人、無表情の黒髪の少年は、弱ったように眉を八の字にし、彼女を見上げた。


「この沼の魔女なんでしょう。返してください。大事なトモダチなんだ」


 二番目の王子が即位して二年、瑠璃王国の争乱が徐々に落ち着きつつある理由は、生贄を投じたからだとの噂もあった。瑠璃王国に古くから伝わる、生贄を捧げれば願いを叶えてくれるという沼。そこへ、新王自ら赴き、生贄を捧げると共に願ったからだと。


 少年達がずっと覗いていたのはその沼だった。魔女は表情を曇らせた。わざわざ危険を冒してまでしてこんな場所へ来た彼等は、きっと生贄の意味もまともに理解できずに、沼の前で友達の帰りを待とうとしたのだろう。いや、もしかしたら、年齢不相応にさとく見える彼等は、沼に沈められた友達が帰って来るなど毛頭思っていないかもしれない。それでも、その理性と乖離した感情が、ここを覗かせていたのかもしれない。

 現実は、少年達の認識している通りだ。あの日やってきた子供のことだろう、と魔女は思い出す。誰も訪れないはずのこの場所に、あろうことか王がやってきたかと思えば、子供を一人、鍋に具でも入れるかのような素振りで投げ入れていった。そうして、あの幼子は、ただ死んだ。何の意味もなく、価値もなく、意義もなく、沼に生贄を捧げれば桜の魔女が願いを叶えてくれるなどという、ただの伝説か慣習か願望に殺されてしまった。


「ごめんね、君達の友達は返せないの」

「どうして?」

「もうお願いごとを聞いてあげちゃったから」


 そんな現実を、少年達に伝える気にはなれなかった。代わりに、彼女はそっと両手を二人の少年の頭に載せた。少年達は彼女を見上げる。彼女を警戒するように近寄ろうとしない黒髪の少年も揃って、「お願いって何?」とその六つの目が訊ねていた。


「君達を守ってあげてほしい、ってお願い」


 何の資源もなく、他国から見れば領土拡大以上の旨味はない、ただ枯れた大地が広がるような貧しい瑠璃王国。新王は即位後僅か二年にして賢君と名高い、それにも関わらずこの沼へ生贄を捧げるなどという行為に出たのは、藁にも縋る思いだったのかもしれない。ただ在るだけでは早晩滅びるこの国で生まれた子供は、貴族でさえいつ死ぬか分からない。だから、この少年達が生き続けるためには、この国で上を目指すしかない。


「だから、君達は偉くなりなさい」


 その少年達は、やがてその名を隣国にまで知らしめる英雄となる。

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