【短編版】純黒なる殲滅龍の戦記物語

キャラメル太郎

産声



人は醜い。期待していたものではなかった。目障りになった。最初から望んで等いなかった。そんな理由で我が子を捨てる。何でも無いように、まるでゴミを捨てるかのように。中には我が子をその手に掛ける者すら居る。しかし、そんな醜い行動が果たして、他の種族には当て嵌まらない…何てことはあるだろうか?否。断じて否である。


動物は我が子であろうと不要となれば躊躇いも無く捨てる。見上げるほど高い場所に出来た巣からも落とす。不要。要らない。そういった理由は腹を痛めてまで産んだ新たな生命を捨てる理由になり得てしまう。故に、空を飛べる種族なのに空を飛べない、幼い龍の子が大空を舞い落ちていても不思議ではないということだ。




「……………──────。」




全身を純黒の鱗に覆う体。生まれて間もないというのに声一つあげること無く、小さな黒龍は無感情とも言える表情のまま大空を自由落下して落ちて行っていた。だが黒龍の姿形が他とは似て非なるものだった。龍は基本四足移動する、最も認知されていた姿だった。しかしこの黒龍は人のように立って二足歩行で歩くことが出来る形をしていた。長い腕や脚。龍らしい長い尻尾。他と比べてスリムな見た目。そして何と言っても、生まれて間もないにも拘わらずその身に宿す破滅的な莫大な魔力。


混じり気の無い純黒の鱗と、龍からしてみれば人に似た姿をした異形。身の毛も弥立つ莫大な魔力。それだけでこの黒龍は実の両親から愛を受けること無く、直ぐに捨てられてしまった。地面が近付いてくる。それでも黒龍は身動き一つしなかった。本能で自身を守るような体勢は取れる。それでも黒龍は動かなかった。


遙か上空から落とされただけで、それが自身を傷付ける事は有り得ないと、発達していない脳が理解していたからだ。


辺り一帯に鳴り響く落下音。木々を薙ぎ倒し、地に蜘蛛の巣状の亀裂を刻み込みながら、黒龍は地面に激突した。朦々と立ち上る砂煙。一寸先の前すら見えない程の砂が舞い上がり、風が吹いて少しずつ晴れてきた。見えてきたのは中心に向かうにつれて損傷が激しく砕けていく地面。そして両脚で立っている黒龍だった。


体を守るために防御の姿勢に入るのでは無く、唯両脚から着地したのだ。本来ならば落下速度に肉体が耐えきれず潰れて絶命しても可笑しくは無いというのに、生まれて間もない、発達のハの字すら起きていない未熟な肉体で衝撃に耐えきった。


両の脚で立ち、両の掌を見つめる。細くしなやかな指だ。他の龍は物を掴むことなど出来ないだろう形をしているのに、黒龍の手は人間のような形をしていた。暫しの間黒龍は自身の手を見詰め、開いて閉じてを繰り返した。そして徐に足元にあった拳大の大きさの石を掴むと、少しだけ力を籠めた。すると如何だろう。拳大の決して脆くは無い石は粉々に砕け、掌の中で砂状になった。


黒龍は無感情に一連の工程を見ていたが、まだ何の知識も無いので思うことは無い。砂と化した石を手を振って払うと周囲を見渡した。落ちてきた衝撃でその場に立っていた木々は折れて砕けてしまっているが、それでも黒龍の降り立った場所は森の中で違いなかった。姿形は少し違えど、龍として生まれたことによって持っている並外れた聴覚が数多くの音を拾う。その中でも重く響くような足音が一つ、真っ直ぐこちらへ向かっていた。




「グルルルルルルルルル…………」




「………………………。」




森の中から、黒龍が着地したことによって円形に何も無くなってしまった所へやって来たのは、虎の姿をした魔物だった。だが虎と言っても大きさは4メートルはあろうかという程の大きさだ。人が出会えば見上げる大きさだろう。涎を垂らし、血走った目は食い物を求める空腹な獣のそれだろう。その二つの目は黒龍を捉えて離さない。黒龍からは純黒の魔力が漏れ出ているのだが、空腹が過ぎる魔物はそんなことはどうでもいいと言わんばかりだ。


虎のような魔物はゆっくりと黒龍へと近づく。だが次第にその顔は上を向くこととなった。虎の姿をした魔物は4メートルはある大きさだ。確かに大きいのだろう。しかし黒龍はそれを更に上回る6メートルはあるだろう背丈を持っている。龍とは総じて大きい生物だ。嘘か誠か、嘗ては大陸と間違う程の大きさを持つ龍も居たとされている程だ。ならば生まれたばかりとはいえ、それ程の大きさを持っていても可笑しくない。


虎の姿をした魔物はたじろぐ。流石に見上げなければならない相手となると分が悪いと今更になって判断したのだろう。しかし魔物はそうでも、黒龍は違う。この世界に生み落とされて直ぐ捨てられ、落ちてきてから何も食べておらず、口に出来る物をまだ見つけてすらいなかった。謂わばこの魔物は黒龍にとっての初めての食べ物。逃がすつもりは毛頭無かった。


緊張が奔る。顔を顰めて如何するか悩んでいた魔物は、意を決して黒龍へと突進した。虎のような姿をしていて見かけ倒しということは無く、四肢を曲げて姿勢を低くし、強靭な筋肉のバネを利用して飛び掛かった。




「──────■■■■■■■■■■ッ!!!!」


「…………………ッ!!」




爆音に思える咆哮を上げながら、身長差2メートルを物ともしない跳びかかりを見せて黒龍の頭上から狙った。黒龍は動かない。まだ射程範囲内に入っていないと解っているからだ。黒龍は魔物を見る。縦に裂けた黄金の瞳で。すると魔物の動きがまるで遅延しているようにゆっくりとなった。


並外れた動体視力が産んだ遅滞する世界である。そして魔物がゆっくりと向かってきて、射程範囲内に入ったその瞬間、魔物の首に手を掛けて宙づりにした。魔物は瞬きをするに等しい刹那の瞬間に捉えられた事に混乱し、次いで器官が圧迫されて起こる息苦しさに藻掻いていた。だが黒龍は暴れる魔物を見ながら、首を掴む手に力を更に加えていく。




─────────ごきん。




魔物の首から骨が折れる音がしてから、魔物は抵抗も無く、そして力無く黒龍の手によって宙づりとなった。黒龍は暫く動かなくなった魔物を見つめていたが、死んだのだと理解した途端、魔物を掴んでいる腕を振り上げ、足元の地面に魔物の頭を叩き付けた。


瞬間、黒龍が大空から地面に着地した時よりも大きな轟音を響かせ、大地を陥没させた。隕石が衝突したようなクレーターを生み出し、魔物の頭は耐えきれることは無く弾け飛んでいた。頭を失った体は大地に横になり、黒龍は魔物の血に塗れた自身の手を見詰め、口を開いて長い舌を出し、血を舐めた。舌を口の中に引っ込め、口内で血を味わう。ごくりと喉を鳴らしながら嚥下した黒龍は、頭を失った魔物の死体を見る。


黒龍は尻尾を使って体のバランスを取りながらしゃがみ込み、魔物の死体を掴み、大きな口を開いて鋭い牙を覗かせ、魔物の体に牙を突き立てた。ぞぶりと皮や筋肉を引き千切り、口の形に肉を抉り取った。口の中に広がる血と生肉の味は初めての経験だ。故に上手いも不味いも無い。唯空腹を満たす為だけに食事を続けた。


黒龍は一心不乱に魔物の肉を貪る。4メートルを越える巨大な魔物の肉は次第に黒龍の腹の中へと収められていき、最後には骨だけとなってそこら辺へと投げ捨てられた。口元の大量の血を拭うこともせず、黒龍は慣れない動作でしゃがんだ状態から立ち上がり、空を見上げる。




「──────■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!!!」




聞く者の耳を劈くような大きな声で、日が沈みかけた夕暮れの大空へと咆哮した。体中から撒き散らされる純黒の魔力は大地を侵蝕し、木々や小さな生物の命を貪る。この世界に生み落とされ、要らぬとばかりに捨てられ、身寄りも無く味方も居ない孤独な黒龍。だがこの瞬間、野放しにするには余りに強大すぎる存在が、確かに産声を上げたのだ。


それからというもの、黒龍は虎型の魔物を捕食した後、当てもなく森の中を歩いていた。6メートルに匹敵する巨体が歩き、それに相応しい重量の為、重い足音が鳴り響く。邪魔な木々に手を掛けると、生まれて間もないとは思えない腕力で木々が根元からへし折れる。小さな生き物たちは怯えて逃げ惑い、四足獣ですらも逃げて行った。


黒龍にとっては全てが初めての経験だった。歩く。掴む。見る。触る。匂いを嗅ぐ。故にか、黒龍は何処か上機嫌のようだ。言葉を知らず、感情というものもあまり発達していない現在では自覚出来ないが、今黒龍が身に感じているのは、きっと歓びだろう。


ふと、歩っていた黒龍は何かを感じ取った。気配と呼ばれるものを既に察知出来るようになっていることは驚異的であるが、今回はその察知した気配が蟻のように一箇所で群がっていることに注目するべきなのだろう。黒龍は気配そのものを理解していない。だが何かが居るということは直感している。先の魔物との戦いで、相手から発せられる気配を間近で感じ取っていたのだから。


黒龍は好奇心から数多くの何かが集まった気配のする方へと歩みを進めた。すると見えてきたのは、木が生えていない小さな円形の開けた場所に横たわる馬の死骸。そしてそれに群がる小さな存在だった。小鬼…ゴブリンと言われるその魔物は、数が多く群れで動く習性があり、知能が低いこともあって誰彼構わず襲うという厄介な存在だ。


しかし一匹一匹が小さく、力も弱いため一人であったり、不覚をとらない限りは負けることは無い。だがそれはゴブリンの数が少ない場合だ。今のように、少なくとも三十匹は居るだろう集団が相手の場合は、無理に戦おうとせず、応援を呼ぶなりした方が賢明だろう。しかし黒龍は違う。




「──────っ!?ぎゃあ!ぎゃあ!!」




「……………………。」



何も感じる者は無く、堂々と真っ正面からゴブリンの群れへと進んでいった。重く響く足音と強大な気配に気が付いたゴブリンは、馬の死骸から目を離して黒龍へと向き直る。知能が低いこともあり、圧倒的体格差があるにも拘わらず、手に持つ武器を掲げて黒龍を威嚇する。


落ちていた物を適当に拾ったのだろう、錆びて切れ味に頼ることが出来そうにないナイフ。手頃の長さに折れている木の枝。拳ほどの大きさの石。自身で加工したものは一切無く、物をそのまま利用していた。そしてそのどれもが、馬の血に塗れていた。


新たな餌がやって来たと、卑しい笑みを浮かべて走り出す。我武者羅に手に持つ武器を振り回し、黒龍が動かないことを良いことに武器を振り下ろした。しかし、手に持っていた錆びたナイフは黒龍の純黒の鱗に傷一つ付けることも無く、根元から真っ二つに折れた。


手元のナイフに視線を落として呆然としている。恐らくそれで馬を仕留めた為、黒龍にも傷を付けることが出来ると踏んでいたのだろう。だが、黒龍の鱗はそんな物では傷付ける事は出来ない。黒龍は右手を上げて、ナイフを持っていたゴブリンの頭上目掛けて振り下ろした。大きな影に気が付いてゴブリンが上を向く。最後に見た光景は、差し迫る黒い影だった。




「──────ぎぎゃ…っ!?」


「………ぎ?」


「……ぎゃあ!」




「…………………。」




無雑作に叩き付けただけだ。それだけで地面は陥没し、潰されたゴブリンは柘榴のように弾け飛んでいた。原形など留めている筈も無く、手を叩き付けた爆風で周りのゴブリンは数メートルに渡って吹き飛ばされていった。そして爆風を凌いだゴブリンが呆然とした表情で黒龍を見る。何が起きたのか理解していないのだ。やったことは手を叩き付けただけで、その一連の動作は確と目にしていた。だが無雑作とは思えない威力に困惑しているのだ。


流石のゴブリンも攻め倦ねた。仲間があっさりとやられたのだ。しかも武器を使ったら傷付けることが出来なかった。判断するにはもう遅いが、黒龍を襲うのは危険なのではないかと考え始めたのだ。どうしようかと考え倦ねている間に、一匹のゴブリンがある事に気が付いた。黒龍の口内から、黒く眩い光が漏れている事に。嫌な予感がする。今すぐ逃げねば……だがもう遅かった。




「……────────────ッ!!!!!」




黒龍の口内から、純黒の魔力の奔流が解き放たれた。体内に蓄積されて貯まっている魔力を口内に溜め込み、一気に解き放つ。黒龍の初めての魔法だった。魔力を撃ち出すという簡単なものだが、規模は有り得ないほど広く、破壊力は壊滅的だった。


直径300メートルにもなる純黒の魔力の奔流は光線のように放たれ、直線上に居た全てのゴブリンは勿論、その後ろにあった木々や大岩、遙か先にある山にも到達し、山の中腹に丸い大穴を開けた。大地は光線に触れた部分が綺麗に抉り飛ばされ、黒龍の純黒の魔力の放出が止められた後には、何一つ残ってはいなかった。


これでも黒龍はほんの少し魔力を使用しただけだ。それだけでこの破壊力。今は自覚が無いが、この一撃だけでも国の2、3は簡単に消し去る事が出来るだろう。全く全力ではないということも助長する。


黒龍は何も無くなってしまった大地を一瞥した後、踵を返してその場を後にした。ゴブリンの事など何とも思っていない。脅威とも敵とも思っていない。攻撃されて煩わしいから、消しただけ。それだけでしかないのだ。黒龍は当てもなく歩く。その後ろ姿を……何者かに見られながら。











黒龍は歩き続け、数キロを移動したところで大きな川を見つけた。水を初めて見た黒龍は川に流れる水の匂いを嗅ぎ、問題ないと本能的に理解したのかしゃがみ込み、手を付いて水に口を付ける。ごくりごくりと喉を鳴らしながら水を飲み、喉を潤した。


そしてそこで初めて、水面に映る自身の姿を見た。純黒の鱗を持つ龍の顔。黄金の瞳。映るものが自分の姿だと理解していなかった黒龍は首を振ったりして水面を見て、同じような動きを見せる水面の姿を、自身のものだと納得した。そして、黒龍は水面に映る自身の姿とは別に、光り輝くモノが自身の周囲に三つ、飛んでいるのに気が付いた。


捕まえようとしたのか、手を伸ばせば触れるのは当然川の水。手を入れたことで波紋が広がり、川の流れに流されて消える。もう一度見るとやはり、三つの光が飛んでいた。捕まえる事が出来ない。首を傾げる黒龍は、ふと閃いた。膝を付いてしゃがんでいた状態から立ち上がり、上を見上げる。すると、水面に見えていた光が目と鼻の先に居た。


今度こそと言わんばかりに捕まえようと手を伸ばせば、光は焦ったように、ひゅるりと黒龍の手から逃げた。中々捕まえられない光に業を煮やしたのか、口の中に膨大な魔力を溜め込み、純黒の光を溢れさせた。




「──────まって!まってまって!」


「それうったらだめー!」


「わたしたちがしんじゃうよー!」


「…………?」




黒龍は突然掛けられた言葉に固まり、声がした方向に目を向けると、そこには先まで捕まえようと躍起になっていた光があった。見つめていると光は弱くなり、光の中から小さな人の形をした存在が現れた。


黒龍に言葉が通じないと分かっているからか、身振り手振りでそれを撃つなと訴えている。両手を挙げて降参の意を示していて、何となく敵意は無いと理解した黒龍は口内に溜め込んだ魔力を霧散させた。撃たれず、攻撃を中止したことに小さな者達は安心したように胸を撫で下ろし、黒龍の前までふよふよと飛んできた。




「あなたつよいのね!さっきのみてたわ!」


「これなら“あいつ”にもかてる!」


「ねーえ?おねがいがあるの!わたしたちにはたいせつな“き”をきずつけるやつがいるの!そいつをやっつけて!」


「やっつけてくれたら……ことばをおしえてあげる!」


「おいしいごはんもあげるよ!」


「けど、あんまりたいせつなきをたおしちゃだめだからね!」




「………………………。」




言葉は通じない。言葉というものを知らないからだ。それを承知で語り掛け、小さな者達……精霊と呼ばれる者達は黒龍にやっつけて欲しい者が居るのだと一生懸命説明する。言葉だけでなく、三匹で悪い者をやっつける。そうすれば言葉を教え、食べ物をあげるとジェスチャーで示した。


完璧に理解した訳では無いが、大方の事を把握した黒龍は、やはり賢明なのだろう。ついてきて欲しいと行って飛んで行く精霊達の後をついて行く。大人しくついてくる黒龍の姿を後ろを向いて確認した精霊達は顔を見合わせ、嬉しそうにハイタッチを交わしていた。


それから黒龍は精霊の後をついて行き、数十分が経とうとした頃、黒龍は澄んだ空気の広がる所へやって来た。そこには黒龍も大きく見上げなければならないほど大きな大樹が生えていた。恐らく500メートルはあるのだろう。この大きさならば遠くから見えても可笑しくない筈なのに、近づくにつれて薄らぼんやりと見え始めたように思える。


しかしそれは正しく、この大樹は外敵から身を守るために一定以上の高い魔力を持たねば見ることは出来ず、此処へ辿り着くことが出来ないという不思議な大樹である。精霊が言っていた大切な木というのが、この大樹のようで、精霊は指を指してこれがその言っていた木だと教えている。


問題の大樹を傷付けるという者がまだ居ないようで、黒龍は取り敢えず大樹の近くまで寄っていった。近付けば近付くほど澄んだ空気になり、魔力の元となる魔素も濃くなっていった。




「……………………。」


「すごいでしょー?」


「大きいでしょー?」


「わたしたちの“おかあさん”だよー!」




精霊は大樹を指差しながら自慢げに話す。精霊とは通常人の目には見ることが出来ない自然的な生物で、ありとあらゆるものに宿っている。ここに居るのは、此処等一帯に広がる森の精霊である。その母と言われるくらいだ。この大樹はこの森の主と言っても過言ではないのだろう。


近くに居るだけで力が漲るような感じがする。黒龍は心地良い気分になりながら大樹へと歩みを進め、その立派で余りに太い大樹の幹に手を付いた。命の波動を感じる。大地からエネルギーを汲み上げ、枝を通して葉へと行き渡らせ、汚れた空気を綺麗な空気へと変化し、魔素を辺り一面に降り注いでいる。


故に、大樹の周りに生えている木々は総じて高く成長し、幹も太く逞しい。小さな生物も住んでいて、緑が更に豊かと言えるだろう。だが、精霊達が言うには、この美しさと優しさ溢れる自然を脅かす存在が居るというのだ。黒龍が大樹に触れて、その力強さと魔素の豊潤さに身を任せていると、足を付けている大地が揺れた。それは次第に大きくなっていき、黒龍が居る所より離れたところで大地が盛り上がった。




「──────きた!」


「あいつだ!あいつが“おかあさん”をきずつけるし、このへんのきをたべちゃうんだ!」


「おねがい!あいつをやっつけて!」




「──────ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!!!」




現れたのは、全長50メートルにも達するだろうかという巨大な木の怪物だった。木に魔物が取り憑いたとも言える容姿に、枝が腕や手のように形を作っている。脚は無く、その代わりに幾本もの根っこが蠢いて動いている。トレントという木の姿をした魔物が居る。だがそれは所詮普通の木と同程度の大きさしか無い。だというのにこの怪物はどうだろうか。見上げねば幹に付いた恐ろしい形相の顔すら視認出来ない大きさで、高さだけでなく、人でいう胴体も大きく立派だ。


これはトレントという魔物の上位種であるジャイアントレントという魔物である。しかしそれでもここまで大きくはならない。突然変異に思われるかも知れないが、事実は少し違う。普通のトレントよりも魔力を持って生まれたことで、精霊に母と呼ばれる大樹を見つけ出し、大樹の持つエネルギーを直接吸い取ったり、魔素が多く含まれた木々を捕食することにより、膨大なエネルギーを手にし、ここまで大きくなったのだ。


目に見える体格差。これまで黒龍は自身より小さな存在にしか会わなかった。だが、今回の相手は見上げねばならないほどの大きさだ。ジャイアントレントからも膨大な魔力が迸っている。ここら辺に居る魔物ではまず相手にならないだろう、完全な上位種。黒龍が会うには少し早すぎたとしか言えない相手。だが黒龍は背を向けなかった。寧ろジャイアントレントを正面から見据えていた。そして同時に理解していた。


この巨大な怪物……ジャイアントレントは放っておけば、この心地良い空気を作り出している大樹を傷付けるということを。勿論精霊は何度もそう言っていたのだが、黒龍はジャイアントレントをその目で捉えた瞬間、敵と認識した。




「──────ッ!!」


「……ばきッ……ばきゃッ……ばきッ……?オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」




足元に生えている木を根元から引き抜き、口の中へと放り込んで咀嚼して呑み込む。木が木を捕食する光景は見慣れない異常だろう。そんな光景の中、黒龍は大樹の元から駆け出してジャイアントレントの元へと突っ込んでいった。翼を持てど、使い方を知らず、龍であっても飛ぶことは出来ない。そこで黒龍が取れる行動は、大地を駆ける事しか無い。


捕食していたジャイアントレントは駆けてくる黒龍の存在に気が付いた。そして黒龍から尋常ではない魔力を感じ取れ、敵意と殺意を感じ取ったことで敵と認識した。自身よりも半分以下で、踏み潰せるほど小さい存在に脅威的な何かを感じ取る。本来ならば黒龍程度の大きさしか無い存在など歯牙にも掛けないのだが、全力で排除すべきだと考えたのだ。


駆けてくる黒龍に対して、土煙を上げながらジャイアントレントも駆け出した。縮まっていく両者の距離。黒龍を連れて来た精霊達は見ていられないと言うかのように手で目を覆っている。黒龍は手を硬く握り込んで握り拳を作り、右腕を振り上げた。対してジャイアントレントは体から触手のような蔓を伸ばし、鞭のように黒龍に向かって叩き付けた。


全力の力で遠心力も載せた蔓は黒龍の体よりも太く、しなやかなものだった。それが真面に叩き込まれた黒龍は脚が大地から離れ、後方へ吹き飛ばされた。ボールのようにバウンドして木々に当たってへし折り、大きな岩に叩き付けられた。背中から叩き付けらて呼吸困難に陥っている間に、細めの蔓が黒龍の足首に巻き付き、持ち上げる。


ジャイアントレントの目線程の高さまで逆様に宙づりにされた黒龍だったが、上で円を描いて振り回され、最後には大地に叩き付けられた。轟音が鳴り響く。爆発音のようなそれは黒龍が大地に叩き付けられた音に間違いなく、足首の蔓は取れず、そのまま持ち上げられて同じく大地に叩き付けられた。それをその後十度は繰り返され、最後は地面を削るように押し付けられて吹き飛ばされていった。


黒龍が乱回転しながら吹き飛ばされた先には大樹があった。視界が回る中で、縦に裂けた黄金の瞳の虹彩をさらに細めると、景色が遅くゆっくり動いているように見える。それによって大樹へと向かっていると把握し、このままで大樹に突っ込んでしまう。そう察した黒龍は長い尻尾を地へと突き立てて勢いを殺し、獣道を作りながら大樹の前で停止した。


黒龍は顔を俯かせる。そして体が小刻みに震えだした。畏怖か、恐怖か。怖ろしさか。違う。どれも違う。否、否、否。黒龍が抱いているのは純然たる憤り。怒りの感情だった。




「──────がああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!!!」




「──────ッ!?ギ……っ!?」




怒りに身を任せた驚異的な跳躍は地を砕き、衝撃波を生んでジャイアントレントの視界から姿を消した。次いで現れたときにはジャイアントレントに当て身の突進をしていた。叩き付けられる黒龍の体。鱗は硬く、鋭利なためジャイアントレントの表面を削り取り、突っ込んだ勢いによって体中に罅を入れた。


そしてジャイアントレントは黒龍の体当たりの威力に負け、その巨体を後方へと倒した。ずしんと重い地響きを起こしながら倒れ込むジャイアントレントの一方で、黒龍は地に着地して口内に純黒の光を溢れさせていた。さらにその籠められた魔力は、ゴブリンを殲滅した時とは比にならないほどの膨大な魔力であり、放たれれば黒龍の正面の全てが更地となるだろう。


それを理解しているからか、精霊達が黒龍の元まで急いでやって来て身振り手振りで止めようとしていた。しかし黒龍はもう聞こえていない。精霊達など目の端にすら映っていない。あるのはジャイアントレントを消し去ることのみ。その一点のみが黒龍の脳内に渦巻いていた。精霊達は顔を青白くさせていた。流石にそう広範囲の木々を消されるわけにはいかない。


そもそも、ゴブリンを殲滅した時の光線ですら、本当は非常に大きい打撃を受けているのだ。だが、もう精霊達は諦めていた。黒龍の瞳がジャイアントレントにしか向いておらず、その瞳の奥にはどす黒い憤りの感情しか宿っていないからだ。

ジャイアントレントが起き上がろうとしている。だが既に、黒龍は魔力を解放する準備が整っているのだ。


いざ膨大な魔力を解き放たん。しかしその瞬間……黒龍の瞳に光が戻る。何かに気が付いたように、放たれる刹那に黒龍は初めてとなる魔力の精密な制御を熟した。




「………ッ────────────ッ!!!!!!」




黒龍の口内から放たれた純黒の光線は細かった。一条の線となって起き上がったジャイアントレントの右隣を抜けていった。外してしまった。渾身の魔法が、掠りもしなかった。そう思いガッカリした精霊達。しかし黒龍の攻撃は終わっていない。


黒龍は細い純黒の光線を放ちながら、首を右へと振り払った。すると光線はそれに伴って右へと移動し、ジャイアントレントの体を半ばから真っ二つに両断したのだ。それも細い光線の直径に比例しない位大きく消し飛ばした。体の大部分を消されたジャイアントレントがそのまま生命活動を維持することなど出来ようはずも無く、残った部分は枯れるように朽ち果てていった。


黒龍は見事、この戦いの勝利を掴み取ったのだ。精霊達も万歳三唱で喜びを分かち合っていた。だが件の黒龍といえば、その場から動かない。どうしたのだろうと精霊達が疑問に思っていると、黒龍はその体をふらりと揺らした。精霊達は慌てる。無理も無い。黒龍はまだ生まれたばかりなのだ。本来ならば親の龍に食べ物を獲ってきてもらい、狩りを少しずつ覚えていくものだ。


それを黒龍は独りで熟し、況してや大きく、強くなりすぎたジャイアントレントとの戦いがあった。要するに黒龍は疲労困憊としているのだ。覚束無い足取りで大樹の元へと歩き、根元まで来るとゆっくり横たわり、丸くなった。翼で体を覆い小さくなる。その姿は寒さを凌ごうとする小さな龍であった。




「……いきなりたたかわせて…ごめんね?」


「あなた…まだうまれたばかりのこどもだったんだね……」


「……これ、おれいなの。おきたらたべてね」




「…………すぅ……すぅ………」




『──────ありがとう。小さくも勇ましき、強き龍の子よ』




黒龍は眠る。疲れを癒すために、体力を回復させるために。そんな黒龍に優しい声が掛けられる。膨大な純黒の魔力を撃ち放つ瞬間、正気に戻させた不思議な声を……。


黒龍をこの場へ連れて来た精霊達は理解する。この黒龍が強すぎて気が付かなかったが、まだ生まれたばかりの子供だということを。そんな子に自身達では手に負えない者の相手をさせてしまった。罪悪感を感じながら、黒龍が起きた時に食べさせるための果物をせっせと運んでくる。


最初は三匹の精霊が運んできていたが、次第に数は増えていき、何時しか沢山の精霊が黒龍の元へ食べ物を運んできた。感謝の印である。脅威を退けてくれた黒龍への、せめてもの。それを見守るは見上げるほどの大樹。母なる神樹。森を見守る存在。


何時しか黒龍の元には山積みとなった果物に溢れかえり、何処からかクスクスとした優しい声が聞こえてきた。この日の黒龍の戦いは…漸く終わったのだった。


生まれたばかりで言葉も知らない黒龍は知る由も無いのだ、強い者は図らずとも戦いを引き寄せ、厄災を招き、破壊を齎す。善悪で言う善ならばそんなことは無いだろうが、悪ならばどうか。そのまま厄災や破壊を齎すのか、それともそれ以上なのか。果たして黒龍はこれから先何を為すのか。






それはまだ誰にも──────解りはしないのだ。






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