第230話 彼女さんのワガママ

 それから、俺たちは水族館デートをこれ以上ないくらいに楽しみ尽くした。


 館内カフェで限定メニューを平らげ、ペンギンショーとイルカショーを二周ずつしてから最後に館内をぐるっと巡って。結局閉館までずっといたが、それでもまだ足りないと思ったくらいだ。


 そしてそんな気持ちを埋めるかのように隣接されているショッピングモールへと移り、甘いドリンクを飲み歩きしながらお互いの服を何着か買ったりして。


 気づけば午後九時。フードコートで晩ごはんまで済ませた俺たちの脳内にいよいよ、「デート終了」の文字が浮かび始めた頃。


「どうだったサキ? デート、楽しんでくれたか?」


「えへへ。この顔を見たら分かるでしょ?」


「……そっか」


 楽しんでもらえたなら何よりだ。


 俺が久しぶりにサキとデートしたかったって気持ちはやはり大きいが、それ以前に今日の一番の目的はここ最近仕事ばかりだった彼女さんを労うこと。

 

 そしてそれがしっかりと完遂されたことは、この満面の笑みを見ればはっきりと伝わってきた。


「和人も、楽しかったって顔してるね。よかったぁ」


「お、俺は当たり前だろ。大好きな彼女さんとデートできてるんだし……」


「私も」


「?」


 ぎゅっ、ぎゅっ。


 テーブルの上に置いていた俺の右手を、そっと掴んで。感触を確かめるみたいに何度か握ってから、サキは言う。


「それは私も、同じだよ? 大好きな彼氏さんとデートできて……楽しくないわけ、ないもん」


「〜〜っ!?」


「あっ。赤くなった〜」


「うるせぇ! ちょ、あんま見んなって!」


 握られた小さな手から、ほんのりと温かい体温が流れ込んでくる。


 ただ手を繋いでいるだけだというのに。何度目かも分からない、俺たちの日常の中にはありふれた行為なはずなのに。


 何度繋いでも。繋げば繋ぐほど。サキのことを好きになる。


 そして同時に、俺と同じ。いや、それ以上に。サキからも俺へ、底なしの好意の感情が溢れているのだと。はっきりと自覚させられる。


 なんだよ。俺から色々言われたらすぐに顔真っ赤っかにするくせに。たまに仕返ししてきたと思ったら特大右ストレート喰らわせてきやがって。


 やっぱり俺の彼女さんは……狡い。


「ねえ、真っ赤っかの彼氏さん」


「……なんですか」


 そしてそんな狡い彼女さんは、俺の弱った瞬間を逃さない。


 細長い五本の指が、ゆっくりと。俺の指に絡みついていく。


 刹那。反射的にサキの顔を見てしまった俺の視線と、僅かに色気を孕みながらこちらを見つめる視線が交錯する。


「水族館のこととか、事前にしっかり準備してエスコートしてくれた彼氏さんはこの後……どうするか、考えてる?」


「へっ!?」


 ビクッ、と。反射的に身体が大きく震える。


 反応したらダメだ。そう思った時には既に遅かった。


 考えてたかって? ああ、考えていたとも。


 水族館の時のように事前予約とかをしているわけじゃないし、絶対にここ、みたいなのがあるわけではないけども。


 俺も男だ。その性には、逆らえない。


「そっか」


「な、なにも言ってませんけど」


「和人のえっち」


「っ……」


 ダメだ。完全にバレてる。


 しかしサキはそのことを責めるでもなく、怒るでもなく。僅かに微笑んだ。


「大丈夫だよ。きっと私も同じこと、考えてたから」


「っ!? そ、それって……」


「こ、こんなところで言おうとしないで! あのね、別に私は和人がえっちなことを責めたいんじゃなくって。その、ね? これだけ楽しませてもらっておいて図々しいかもしれないけど。一つだけワガママ、言いたいなって」


 ワガママ……?


 なんだろう。この流れで言うサキのワガママって。


 俺を止めた直後だし、この場で夜の″そういう願望″をワガママとして口にすることはないと思うが。


 だとしたら、何を?


「和人」


「はい?」


 そうして。改めて俺の名を呼んだ彼女さんは、僅かに耳を赤くし、恥ずかしそうにしながら。ワガママとやらの内容を告げる。





「お酒……飲みに行かない?」

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