第62話 夢の続きは迷宮で

 夢を見た。

 暗く湿気った石造りの道だ。圧迫感を感じるのは天井の低さ故だ。

 道幅は五メートル前後。壁の両端には数メートル感覚で燭台が設置されている。

 どこからか風が通っているのか、燭台に灯る火は不安げに揺らめいていた。

 それがなければこの空間は完全な暗闇で閉ざされるだろう。そんな道を俺は歩いていた。

 どこへ向かっているのだろうか。その足取りは風で揺らめく程に頼りない。


「行かなきゃ……」


 誰に言うでもなく俺は呟く。行くとはどこへ? 何故? 

 だが俺はどうしても”そこ”へ行かなければいけなかったんだ。

 気ははやるが足取りが重い。思うように前へ進めない。


 重い足を引きずってそれでもしばらく進むと道は開けた空間へと繋がっていた。

 何もない。ただただ広々としただけのスペースがあるだけだ。

 その空間の正面奥には高さ三メートルはあろう大きな扉が口を閉ざしていた。


「……」


 声を発することもなく俺はその扉に歩み寄り手を掛ける。

 これだけの大きさだというのに大した力を込めずとも扉はすんなりと開いていく。

 扉が数十センチ開いた所で室内を覗き込む。

 俺の視界に入ってきたのは、大きな卵だった。


 部屋の真ん中でそびえ立つ高台。その頂点で供え物のように卵は置かれていた。

 大きさは直径五メートル。相当な大きさだ。

 だが何より目を引いたのはその模様だ。

 卵には禍々しい赤と黒の斑模様が走っており、まるで脈打つ胎動が聞こえてくるかのように生命力に満ち溢れていた。


 俺はその卵に近づかなければいけなかった。近づいて何をするかはわからない。

 何か、何かしなきゃいけないんだ。だけどすごく大事な何かを俺は忘れてしまっているようだった。

 頭の空白に違和感を覚えながらも扉を開く手に力が更に入る。

 だがさっきまでは簡単に開いていた扉がある一点を境に突然びくとも動かなくなってしまった。

 どれだけ力を込めても扉は開かない。手だけじゃなく肩を押し付けて俺は扉を開こうとする。


 扉はまるで凍りついたかのようにそれ以上開くことはなかった。

 どうしても、どうしても室内に入りたい俺は未練がましくもう一度扉から内部を覗く。

 すると卵の傍らに何か陽炎かげろうのような揺らめきが立ち上がっていく。

 その陽炎は何か一つの形になろうとしているかのように不自然な揺らめきを繰り返す。


「あれは……俺か?」


 揺らめきを繰り返した陽炎は人のような形を不安定ながら形成していく。

 形成されては崩れ、崩れては形成し。一連の動きを繰り返すと安定したのだろうか、陽炎は完全な人型を形成する。

 その陽炎には見覚えがあった。俺だ。

 顔はわからない。それでもあの背格好、体格、姿勢。陽炎は自分を模しているのではないか?


「あれだ……あれを俺は……」


 卵じゃない。俺が求めているのは卵じゃなくその隣の陽炎だ。あれは俺だ。俺なんだ。

 うまく説明できないがあれを俺は求めているんだ。

 扉の隙間から手を伸ばす。だが陽炎へはまったくもって届かない。

 陽炎は部屋の中央に位置する卵の隣だ。距離で言えば二十メートルはある。


「クソッ……クソッ……」


 俺の伸ばす手に呼応するかの如く陽炎もこちらに手を伸ばす。それでも全く届かない。

 ああ……ああちくしょう……こんなに、こんなに近くまで来ているのに、あと少しがこんなに遠い。

 未練がましく手を伸ばしていた瞬間、突然俺の体が何か大きな力で引っ張られる。

 まるで首根っこを押さえられた子猫のようだ。

 俺も、室内の陽炎も手を伸ばすがその距離は縮まらない所か遠ざかっていく。

 引き剥がされるとすぐに扉は閉じてしまった。

 今まで歩いてきた通路を未知なる力で俺は引っ張られ続ける。

 手を伸ばそうが足で踏ん張ろうがその力に抗うことはできない。

 後ろを振り向くと通路の出口だろうか。光が俺の目の前へ広がってくる。

 今は、今は闇に進まなきゃいけないんだ……だってのに……不愉快な光が俺を包んでいく。


「おい……! 返せ……! 返せよ! 俺の……! 俺の!……んあ? ……ゆ、夢?」


 光が体に包まれるその瞬間、俺の意識は現実へと引き戻されていた。

 どうやら不気味な夢を見ていたらしい。変な夢だったなあ。

 周りを見渡してみると……火吹酒と魔法使い亭二十一号室。俺の部屋だ。俺のベッドだ。

 時刻は……わからんがまだ陽は上っていない。深夜と早朝のちょうど境目ってくらいの時間か。

 割れるような頭痛を引き金に俺は思い出した。

 そうだ昨日リーゼッテが帰った後にベルティーナと限界まで飲み比べをしてたんだ。

 ドレンさんに遠慮することなく酒とつまみを頼みまくってたっけなあ。

 ドレンさん最後の方は半泣きだったな。

 それで俺が先に……ダウンしたような気がする。ベルティーナを置いて部屋に帰っていったんだよ。

 頭痛えし腹もはちきれそうだ。

 

「食べ放題で元取らなきゃ~って無理やり腹に詰め込むような真似をこの歳でやっちまうとはな……反省反省……ん? んん!? な、なんじゃこりゃあ!」


 その時ようやく気づいた。自らの身動きが全く取れないことを。

 これは何事かとなんとか体を動かそうとしてもギシギシとベッドが軋む音が響くだけだ。

 動かすことが出来るのは首から上だけだ。おいおいおいおい! こりゃどういうことだ!

 唯一動く首を自分の体に向けてようやく気づいた。

 俺は蜘蛛の糸で簀巻すまきにされていたのだ。


「お、おいおいおい! なんで!? なんで俺が簀巻きにされてるんじゃい!」

「んん……」

(ん……? ってベルティーナ!? なんで!?)

 

 ベッドの上にいたのは簀巻きになった俺だけではなかった。その隣にはベルティーナが寝息を立てていた。

 糸でグルグル巻きにされた俺の体にベルティーナは腕と足を回してスヤスヤと寝息を立てていた。

 そう。俺は今ベルティーナの抱き枕になっていたのだ。

 彼女の寝息が俺の顔にかかるほどに体が密着している。

 呼吸の度にたなびく前髪が俺の顔を撫でていた。スヤスヤと寝ているベルティーナからはふんわりと甘い香りがする。

 何故俺は自室で蜘蛛の糸に巻かれてベルティーナの抱き枕にされているのだろうか。


「なんでこんなことに……あ、これか。これ使ったのか」


 俺の腰に回しているベルティーナの片手には杖が握られていた。

 鼠の王が大蜘蛛を操るのに使っていた『一筋の糸』だ。

 その杖の先端からは大量の蜘蛛糸が飛び出ていた。その先は見るまでもなく俺の体に巻き付いている。

 オスカーがわからなかった『一筋の糸』のもう一つの能力。それは蜘蛛糸ウェブだった。


「ってことはつまり……」


 だいたい流れが読めたぞ。酔っ払ったベルティーナは俺の部屋に入り込んだ。

 次にこいつは『一筋の糸』が蜘蛛糸を使えることを発見。

 それで杖を用いて俺を蜘蛛糸抱き枕に仕立て上げたってわけか。人を抱き枕扱いするんじゃねえよ!


「いくら酔っ払ってるからって……全く……ん……? それにしては……別に酒臭くねえなあ……」


 ベルティーナからは酒の臭いがまったくしなかった。こいつより飲んでない俺の方が酒臭い程だ。

 昨日の飲みもむしろベルティーナは控えめといっていいペースだったはずだ。

 少なくとも人を簀巻きにする程酔っ払っているとは思えなかった。


「酒の臭いもしないし……本当にこいつ酔ってるのか? ん……?」


 俺がこいつの酒酔いに懸念を抱いた瞬間だろうか。

 急激にベルティーナの顔が真っ赤になっていた。

 あれ? さっきまで普通だったはずなんだがな。急に顔が……特に頬が真っ赤になっていた。

 ん~気の所為か?


「あれ? 顔は真っ赤だ……やっぱり酒が入ってんのかな……もうよぐわがんね」


 俺は顔が真っ赤なベルティーナの詮索を切り上げて簀巻きの状態で天井を見やり、先程の夢を思い出す。

 あの禍々しい卵、それに俺にそっくりの陽炎。夢にしてはやけに現実的だったな。

 そういえばアッシュが孵化がどうとか言っていたしそれで卵のイメージが強く残ってあんな夢でも見てしまったのだろう。


「ま、いいか。明日は休みだしベルティーナとショップいって遊びがてら次のデッキ考えるか」

「……!」


 そんなあやふやな事よりも考えるべきは直近の予定だ。

 明日一緒に出かける予定のベルティーナに再び視線を戻すと驚愕してしまった。

 なんと彼女の顔がさっきの二倍以上赤くなっていたのだ! 明らかに真っ赤だ! 呼吸も荒くなっている!

 これはもう気の所為じゃない! そうか。そうだったのか! ようやくわかったぞ!


「こ、これは急性アルコール中毒だ!!」

「って違うわよお!!!」

「わああああ!! 起きてるうううううう!?」


 ベルティーナの大声に驚いて俺はベッドから跳ね起き落下。床にしこたま頭を打ち付けてしまった。

 なんでこいつ起きてたんだよ!? それなら抱き枕状態解除してくれよ!

 ショックで視界が歪み、ベルティーナの声が反響じみて聞こえてくる。

 俺は誓った。次作るデッキに蜘蛛と鼠とダークエルフは絶対入れまいと。

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ダンジョンズ&かませ犬s 気づいたら寝てた @netata

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