第61話 ダークエルフvsダーク聖女
「リ、リーゼッテ!? どうしてここに!?」
喧騒に包まれた場末の酒場にまるで一輪の花が咲いたかのようだった。
野蛮な冒険者だらけのこの空間で、彼女の周りだけがまるで荘厳な礼拝堂になったかのような空気を身にまとっていた。
なんだかリーゼッテの俺を見る目が昨日よりも優しげというかなんというか……うまいこと言えないが何か俺を見る目が違っている。
「どうしてって……私アイザック様の求愛にお応えに参っただけですわ」
「求あ……え?
そう言いながらリーゼッテは頬に手を当てながら顔を真っ赤に染める。
え? 何? なんで? 求愛って誰がしたの? 俺が?
そんな俺の混乱を
「でも私……その、異性の方とのお付き合いとかそういうのは疎いものでして……ですからまずはお互いを知るためにと、そう思いまして足を運んだ次第ですの」
「お付き合い……お互い……なあリーゼッテ……な、何を?」
「ねえアイザック。これどういうこと? 聞いてた話と全然違うんですけどぉ~?」
「え? え? いや、お、俺はただリーゼッテとデュエドラを……」
横を見るとベルティーナが青筋を立てながら俺を睨んでいた。ジョッキを握るその手はプルプルと震えている。
どういうことだどういうことだ。こりゃ一体どういうことだ。
何故リーゼッテは俺から求愛を受けたと勘違いしている!? 何故ベルティーナはブチ切れている!?
考えろ考えろ考えろ考えろ! 徹底的に考えろ! 考えることをやめたら死ぬぞ!
俺は鼠の王の最終局面を超えるレベルで思考回路をフル回転させる。
「い、いや。何のことやらさっぱりで……」
「私アイザック様にこの前プロポーズを受けましたの。『俺の切り札は君だ』とか『君をドローしたい』と……」
「あんたこんな女の子に何やってのよおおおお!!」
「言ってねええええええ!! こいつの脳内で何かワケのわからない汁が分泌されてるんだ! そうに違いない! 俺は無実だ!」
な、なんなんだリーゼッテのやつ! 突然来たかと思うといきなりワケのわからないことを言い出して!
ああ……ベルティーナの視線が痛い……
「な、なあデュランス!? お前その場にいたよな!? 俺変なこと言ってなかったよな!?」
「いやあ……すんませんよくわからないですねぇ」
「てめええ!! 鈍感リーゼント! 俺を売りやがったな!」
「旦那に鈍感なんて言われちゃおしまいですよ! 鈍感ファイター!」
な、なんなんだデュランスのやつ! 俺が女と話すといつも機嫌を悪くしやがる!
え、やだ……もしかしてデュランスのやつ……俺のことを……!?
「なあデュランス」
「なんですか旦那」
「気持ちは嬉しいけど俺、お前の本当の旦那にはなれな「言ってねええええええ!! そんな気はねええええ!!」
「じゃあなんで怒るんだよお前ぇ!」
「なんで戦闘はあれだけ気が回るのにこっちは回らないんですかああ!」
「ま、まあまあみんな落ち着いて。えーっと。リーゼッテさんでしたよね。初めまして。僕はオスカー。パーティメンバーの一人です」
「初めましてオスカー様。是非とも呼び捨ててくださいまし。そちらの方が気が楽ですの」
「ありがとう。お言葉に甘えてそうさせてもらうよリーゼッテ」
「ワシはギフン。アイザックと肩を並べて前衛をやらせてもらっとるわい!」
「よろしくお願いいたしますわギフン様。アイザック様と同じくとても雄々しく見えますわ」
「いやあ~そんな~それ程でもないがのう~」
「ソニアは……あら寝ちゃってますのね」
「すいませんリーゼッテ様。こいつ今日はどうも頑張りすぎちゃったみたいでして。おいソニア。リーゼッテ様が」
「いいのよデュランス。寝かせてあげて」
「す、すいませんね」
「私はベルティーナ。よろしく」
「よろしくお願いいたしますわベルティーナ様。アイザック様のお隣、宜しくて?」
「……いいんじゃない? 別に私に聞くことでも、ないでしょ」
「それでは失礼致しますわ」
そう言いながらリーゼッテは俺の左隣の椅子に腰を降ろす。え? なにこの空気は……
ひとまずオスカーがこの場を鎮めてくれたのはいいものの、ベルティーナとリーゼッテから漂う重い空気に俺は耐えられそうになかった。
「そ、それでリーゼッテ。ここに来た本当の理由を教えてくれないか?」
「それはもちろんアイザック様とデュエル&ドラゴンズのお話をしにですわ」
「へ? デュエドラ?」
「私、デュエドラ友達が出来たの初めてですのであの時本当に楽しかったですの。それで今日……時間が空いたらアイザック様の顔を思い浮かべてしまって……」
「それでやってきた、と」
「そうですわ」
ま、つまりさっきのプロポーズ云々は聖女ジョークってこと、なのかな? そうだよな。ジョークに違いない。うん。そうだ。
「な、な? 言ったろベルティーナ? あ、あれは冗談だったんだよ? な?」
「ん~……」
未だにベルティーナは眉間に皺を寄せながらこちらを睨み続けている。
「ま、ぎりセーフってことにしておいてあげるわ」
眉間に寄った皺を緩めてベルティーナは手に持ったジョッキを再び煽る。
「寛大なる恩赦に感謝いたします!」
っていうかなんで俺がへりくだらなきゃいけねえんだよ!
「でもアイザック様とは今夜を機会にもっと親交を深めたいですわ」
「ギリアウト……」
「もうやめてえリーゼッテ! ほら! デュエドラ! デュエドラのお話しよ!? ねっ!? とっても楽しいよ!?」
「あら、そうですわね。そういえばアイザック様デッキを組み直すとお聞きしましたけど本当ですの?」
ふう。なんとか話を逸らすことが出来た。
ひとまずデュエル&ドラゴンズの話に没頭させることにしようそうしよう。
「そ、そうなんだよ。今日の探索で色々あってお守り代わりに持ち歩いてたデッキがほとんど台無しになっちまってな」
「まあ、それは大変でしたのね……お辛かったでしょうに……」
「あ、あのリーゼッテさん?」
「? どうされましたのベルティーナ様?」
「どうしてそいつの手を握っているのかな~って」
「あら。お気に障りまして?」
「い、いえ~。ただどうしてかな~って思っただけよ~? 気にしないでね~」
リーゼッテは何故かテーブルの上に置いた俺の手の上に自らの手を被せて来たのだ。
彼女はふんわりと柔らかい、まるで羽根のような手をしていた。
彼女が腕を、指をかざせばすぐにでも小鳥が止まるのではないだろうか。
そんなリーゼッテの手を振り払うわけにもいかず俺は体を緊張させることしか出来ずにいた。
ああ痛い! ベルティーナの目が痛い!
「そ、それでな! 新型デッキなんだけどさ! ちょうど今度ベルティーナとカードショップ行くことになってさ。その時に俺も色々カード漁ろうかなって思ってるんだ」
「……ベルティーナ様と? ご一緒にですの? お二人でですか?」
「あ、ああ。うん。ベルティーナもデュエドラちょっと興味あるみたいでさ。今度教えることになったんだ。な? ベルティーナ?」
「ええ。今度二人でショップに行くの。二人で」
「……そうですの」
「ええそう」
「あー。なんかワシそろそろお腹一杯になってきたしそろそろ帰ろうかのう……明日は丸一日休みじゃし早寝もええかなって」
「あー。ギフン途中まで一緒だよね? 僕も帰るよ」
「あー。ソニアもそろそろきっちり寝かせてやりてえんで俺も失礼しますね」
「なんで君ら全員言葉の頭に『あー』ってつけてしゃべるん?」
「……」
「……」
「……」
「なんか言えや」
「今日は勘定タダじゃったよな……じゃ、そういうわけで!」
「おい! 逃げんな! 助けろ!」
ソニアを抱えたデュランス、オスカー、ギフンが椅子から立ち上がったかと思うと脱兎の如く酒場から駆け出していった。
事情を知らない人が見たら食い逃げの現場と勘違いしてしまうほどの迅速な動きだった。
こいつらいつの間に加速使ったの?
「皆さん帰ってしまいましたのね」
「そ、そうだな。ほら。今日は色々あったんだよ。大変なことが」
「それでしたらアイザック様もベルティーナ様もお疲れのことでしょうし、私も今日はお
「へ?」
「今日はアイザック様の顔が見たかっただけでしたから。それに私そこまで空気の読めない聖女ではございませんわ。ベルティーナ様」
「それはどうも……」
俺ではなくベルティーナに聖女の微笑みを飛ばすリーゼッテ。それに対してベルティーナは不機嫌な反応を示す。
「アイザック様ベルティーナ様。短い時間でしたが今日は楽しかったですわ。アイザック様。また今度お会いしましょう」
「あ、ああ。そうだなリーゼッテ。ま、また今度」
椅子から立ち上がったかと思うとリーゼッテはすぐさま踵を返して酒場の出口へと向かい、最後に再びこちらに振り返ったかと思うと深く頭を下げ、去っていった。
なんとも洗練された動きだ。突然来たかと思えばまるで漂う霞のように去っていく。
未だに俺はリーゼッテという女性が探れずにいた。
「一体全体なんだってんだ……」
「ねえアイザック」
「ん? ど、どうしましたベルティーナさん」
「別にもうなんともないわよ! 普通にしてって!」
「お、おう。そ、それでどしたん?」
「あのリーゼッテって子、なんか右腕怪我してなかった?」
「え? そう?」
「あんたの手の上にあの子手を被せたじゃない?」
「あ、ああ。ちょっちびっくりしたけどな」
「左手を乗せてたわよね?」
「そうだっけ?」
「近くだとわからないのかもしれないけどね。私は対面に座ってたから覚えてるの」
「ふむ。続けてくれ」
「聞くけどリーゼッテの右にあんたがいたわけよね?」
「ああ。リーゼッテの右が俺だ」
そうだな。実際ついさっきまで俺の左にリーゼッテが座っていた。
リーゼッテの髪が揺れる度になんかふんわりと甘い香りがしてきてなんだかドキドキしたなあ。
でもすまん。ぶっちゃけチーズアホほど食ってる時に嗅ぎたい香りじゃなかった。
「自分の右にいる人間の体を触るのに普通左手を使う?」
「……使わない」
そういえばそうだ。俺の手に乗せたリーゼッテの手は左手だった。
右に座っている人間の手を乗せるのに左手を使うのは確かに不自然だ。
左手で触るには体をわざわざ捻らなければいけなくなる。
「……ま、別にどうってことでもないんだけどね」
「確かに気にはなるけど挫いたか何かしちゃったのかもしれないな」
「そうね。お大事にってことで」
「んじゃリーゼッテの怪我が治ることを祈って」
ベルティーナのジョッキにワインを注ぐ。
「なんか今日は飲みすぎちゃったわ。だったら迎え酒よ迎え酒!」
「飲みますねえベルティーナさん。ま、今日はめでたい依頼達成日だ! 俺もとことん付き合うぜ! ドレンさーん! チーズにベーコン巻いたやつお願ーい!」
こうして俺とベルティーナの、酒とつまみの枯渇に怯えることがない居残り飲み会は深夜まで続いた。
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