後日譚

短篇 四次元出力機


【短編というか、後日譚というか】




 んんん、思い出したぞ。


「安田、覚えてるか?春にさ、体育館に忍び込んだことあっただろ」


 いやはや、懐かしい。今考えると、あの悪行が安田と打ち解けたきっかけであった。あのイベントを外せば、俺の高校生活はもっと真面目で平坦な繰り返しになっていただろう。


「………… あぁ?そんなんあったな」


 だが、計画した当人はその程度の認識なようで。別に、俺にしてもそこまで覚えてるわけでもない。そもそも、こいつと過ごした時間が、記憶するに値するかは微妙な線だ。ただ、あの時の出来事の一部が脳みそに引っかかってたので、辛うじて思い出すことが出来た。たったそれだけの話である

 俺は語気を強める。


「あっただろ」


 アブラゼミがじじじと鳴く七月の中頃。俺は例の如く〝秋の文化祭〟への準備のため、学校へ赴いていた。今日は前回のミーティングで出来上がった、イメージを踏まえ、内容の取捨選択をする回である。映像化に向いてない指示を削除して、代わりに別のカットを用意する、そんな回。


「ンでぇ、なんだよ。それがどうかしたのかぁ」

「そん時、最後に理解不能な出来事があったろ。ほら説明のできないようなことがよ」

「ああ!? あったなぁ」

「それのトリック、分かったぜ」

「………… そかぁ」


 安田はBMX のハンドルに身を任せつつそんな生返事をした。炭酸の抜けたラムネか。空間に、じわじわと浮き上がるのは蝉ノイズだけだった。

 右手には青々した田んぼ、まだ幼い稲どもは梅雨を含んでいる。ガードレールを挟んでそんな田園風景が広がっていた。

 俺たちは二人して自転車を押しながら、くらい景色に目もくれず、黙り込む。この坂も自転車で登ろうと思えば登れるのだが、そんなに急ぐ必要はどこにもなかった。だって朝。それも、まだちょっと朝日が見え始めたくらいの早朝。一日は始まってなく、遊園地の開園前みたいな空気が透き通っている。きっと、何処も彼処も新たな一日の仕込みをしてることだろう。


「お前ぇ、まだ覚えてたのか。あんときは特に興味なさそうだったのによ。俺は、お前を誤解してたようだぜ」

「んな大袈裟な。別にいいだろ。今になって急に興味が出てきたんだよ」

「まさかぁ、お前が意味も無く興味を示したりするなんてねぇよ」


 アマガエルがぴょこっと跳ねた。灰色のアマガエルだ。きっと、コンクリ―トと同化しようとしたのだろう。両生類はそんなに好きではない。みずみずしい轢死体になりがちだからだ。コンクリートと同化しようとするのはよせ。どうかしてる。


「別に深い意味はねぇよ」

「………… そかぁ」


 じゃあ、浅い意味はあるのかと言われると、どうだろう。最近あったプチ事件に触発されたのかもしれない。もしくは学級長と話すネタが欲しいのかもしれない。ほら、『あの日、不思議なことがあって、よかったら聞く?』みたいなな。

 この夏休み、チームなんで仲良くしておきたいものだ。夏は長いんだから。普段、俺たちは学級長とは一番離れた位置にいるから、一層存在に注意する必要があった。一人にさせないように。

 しかし孤立、どうだろう。七咲や山崎、安田もそんなこと思ってるからか、最近、学級長を中心に話をしている。もはや供給過剰だろう。でも、それは良いことだ。引き気味対応の人間は、本人が窮屈に思うくらいで十分なのさ。持論だ。


「涼しいな。朝に来て正解だった」


 甘い物が好きなんで高血糖気味なのか朝は苦手だが、その眠さを振り払ってくる価値はあった。冷涼感を全身で感じることが出来て満足である。心機一転という四字熟語を冷やして散布したような風だ。


「だろぅ。それにクワガタが取れるかもしれないぜぇ」

「さてはお前、ハナから、そっちがメインだったろ」


 クワガタねぇ。見つけたらそれなりにテンション上がる、そんなお年頃。この昆虫マニアは黒いダイアになら、発狂するんじゃないかね。


「この山ではオオクワが取れるんだぜ」

「へぇ。そうか」


 そんな感想しか出てこない。

 何時だっただろう、朽ち木の裏から出てきたゴキブリをつかみ上げた時は、こいつヤバい、とか思ったな。オオゴキブリとかいうらしい。なんでも木を食べてるだけで、大人しい種なんだとか。だからどうした、見た目が不快なのが問題だろうが。

 次のネタです、と言わんばかりに青色に反射するミミズが、俺達の行く手に身を投げている。もちろん安田が見逃すわけもなく、摘まみ上げた。


「っお、これはっ。シーボルトミミズ!」

「捨てろそんなもん」

「っち、仕方ねぇな」


 そう言って、さっと道路から森にリリース。無秩序に放置されている雑木林は、湿気た空気が漂っていてなんとも幻想的だ。液体窒素が気体で満ちてそうなくらいだ。ココは、いつになってもこのままでいて欲しい。

 林は、道路側になると雑草やその他いろいろな物と共に、ストンと切られたように整備されていた。そして、森と道路の間には側溝が掘られている。


「どうやって道路側に来たんだろうな」


 側溝をジャンプした?ミミズが? あり得るかもしれない。ミミズを突くとすごい勢いで踊り始めるからな。


「さぁなぁ。どっかに金属のアレが、かかってんじゃねぇか」

「溝蓋か」

「あれよぉ、雨ん時、滑るんだよなぁ。撤去してくれぃ」


 俺は返答の代わりに、ふぁぁ、とあくびする。今日は普段にもまして眠い。体は夏休みモードに入ってるらしい。゛あ゛あ、眠いっ。なんで、また、この。やっぱり昨夜、甘い物を食べすぎたか。


「うおっ、オニヤンマだ。でけぇぇ」


 トンボは頭が取れそうで怖い。むかし頭がないままにツッコんできて以来、トラウマだ。尻尾が切れてる個体も見た。よし、トンボは見なかったことにしよう。


「お前、元気だな」

「夏だしな」


 蝉みたいな奴め。熱くなるとうるさくなる。もっとも、四季を通してこんな感じだろうことは想像に難くない。————— 漠然と、来年も似たような会話をする、そんな予感がした。でも所詮、予感ってか。

 同じ会話を、したことすらあるような。そんな懐かしさが脳の隙間を、風のように通り抜ける。そんなはずない。蟲の話なんて小学生以来だからか。きっと、在りし日の駄弁りに紐づけされた記憶が、海馬の底でサイダーの気泡みたく燻っていたのだろう。ノスタルジイ、ってな。


「そういやよぉ、あんときの仕掛けってのは結局何だったんだ?」

「っお、そうだった」


 最後の最後に出てきた大仕掛け。物理的に不可能な既成事実。不可能犯罪ならぬ、不可能演劇。その仕組みを俺はついに解明したのだった。


「教えろ、紙川。そのトリックとやらを。気になるぞ」

「嫌だね、その態度じゃ。それに情報は等価交換が基本だろ?」

「わーったよ。書記の原、いんじゃねぇか」


 黒板と格闘してる姿を思い出す。ほかは、雑務をこなしたり、またはファイルを整理したり。なんだかんだ、クラスに多大な貢献をしている人だが、何となく影が薄い。


「いるな」

「原は同中だったからなぁ、俺と。だから、知ってんだ」

「じゃあ俺らのクラス、中津中からきた生徒、多いな」

「んぁ、そうだな。俺と、佐々木だろ、あと山崎と、学級長だってそうだろ、あと」

「半分くらいだ」

「おう、………… あ? 俺、何の話してた?」

「…………………… 」


 蟲みたいな記憶力だな、おい。機能が分散してるんじゃなかろうか。からだが真っ二つになってもこちらに走ってくることが予想される。


「原さんがどうしたんだ」

「っは、それだ!思い出したぜ」

「そうか、じゃぁ、そんで」

「あいつ、噂ではユリらしいぜ」

「…………………… 」


 そうかい。少なくとも俺にとっては毒にも薬にもならない、ジャンク情報だ。しかも噂程度にかい、原さんもいい迷惑だろ。その手の話が好きなモノ好きには、永久保存版で海馬行きだろうが、生憎、俺にそんな趣味ないんで、短期記憶の廃棄処分野行きだった。


「等価交換って知ってるか?」

「おいおい、紙川、そりゃ、お前がユリに興味ないのは知ってんぜ。でも原のポジションを考えろよ」

「普通に書記だが。まさか、書記になったのは学級長狙いだ、なんて言いだすんじゃないんだろうな」

「そうだ、お前のライバルだぜ。なぁ、狙ってんだろ、高峰の事」

「ねぇよ」


 安田が適当を言ってるのは明確だった。今回、たまたま学級長だっただけで、この手の話は百篇聞いた。『狙ってるんだろ』のあとに、適当な人名を入れるのだ。まったくもって、事実無根。最近俺が話してんのは、ただ気を回してるだけ。そもそも会話の量的には、七咲のそれより少ない。


「はぁ、仕方ねぇな、じゃあ、とっておきのネタだ。俺が中学の時、学級長がカマキリを………… 」

「もういい、これから毎日、会う奴の秘密なんて知りたくない」


 そりゃそうだ。いや、やっぱ聞きたいかもしれないが、ぐっと我慢の子。


「じゃっ、ジュース奢るからようぅ。だから教えてくれぃ」

「それで妥協してやろう」

「お前が、ジュース。奢ってくれんだよな?」

「お前、本気か?」

「わーったよ、わーったから。紙川、俺をそんな目で見るな。わーったから、俺様が、奢ればいいんだろ」

「そうだ」


 当たり前だった。



[体育館への潜入]



 マジ山道、正門側よりもさらに厳しい、裏門へ通じる登校ルートを歩いて大体三十分、ようやく目的地に到着した。途中、この季節特有の白い毛虫を踏みつぶしてしまい、若干気分が落ち込んでいるのだが、それでも季節補正が架かっているのか、憂鬱と言うほどではない。この季節、正門から来たのなら桜が見えたであろう。


「よっ、待ってたぜ紙川。安心しろ、劇は、まだ始まってないぞ」

「そうか、安田孝だったよな」

「うっす、安田でいいぜぇ。なんだよ、しゃきっとしねぇな」

「疲れたんだよ。この道通るの久々でさ、一年生はさ国道側から登校してたからな」


 あっちは、ある程度道が舗装されてるのだ。その代わり、車の通りが激しい。熊や野生動物をとるか、交通事故をとるか、それは生徒の判断に委ねられている。


「んな、あぶねぇ。あそこ昔、死亡事故あったんだぜ。止めとけ、止めとけ」


 先輩が道路に飛び出して轢かれたんだっけ。それなら、森の中でクマさんに遭遇する方がマシか。車は動物じゃない。だから、死んだふりをしようが無慈悲に殺してくる。それに対して熊は動物だ。熊ならば、しんだふりをしようが無慈悲に殺してくれる。


「なら止めとくか」

「無難!」


 ビシっと親指を立てた。

 二年生からは山側から行こうかな。安田とも登下校が、被るみたいだし。山側はクマが出るとのことだった。よく勘違いされるのだが、このクマはヒグマじゃなくてツキノワグマ。中型犬よりニ回り大きい熊だが、だからといって舐めてはいけない。


「ここに来るまで、見られてないだろうな?」

「誰も見張ってないだろ。ちょっとした森なのに誰が張るんだよ」


 西高は、ほぼ森に囲まれた立地。木々を取り払えば、丘のような地形であろう。それゆえに、通学路は平坦な道より、坂道の方が占める割合が圧倒的に多い。


「ちょっとの油断が、命取りだぜ」


 だとしたらクマだ、それは。人に見られたからって死にはしない。最悪でも謹慎として、出席停止処分になるだけで済む。最低なら雑用だけだ。


「別にバレようが出停にすらならんだろうな」

「おい、そう言うとこだぞ。可能性を常に意識しろ!ちゃんと、スニーカー履いてんな?あと体育館シューズもだぞ」


 通話用アプリで、足音が出ないようにと、スニーカーを指定してきた。あったかなと家の下駄箱をあさると普通にあった。二段目で、ぼろぼろに息絶えていた。記憶では母にゴミに出すと言われたはずだが、まだ捨てられていなかったのだ。


「分かってるっつうの、持ってきたぜ」

「よし!ヨシキリザメッ!」


 なんだそれ、ナンセンスだな。

 まあいい、じゃあ行くかと前を向く。道は二手に分かれてるのだが、裏門から見て右側が俺たちの用のある道。アスファルトで舗装され、学校と体育館を結ぶ連絡橋が宙を横切っている道。道の両側には二メートルちょいの擁壁が続く、そんな道。

 もう一方、左側の道はダートで用がない。ずっと行くと駐輪場があり、駐輪場の横にはテニスコートが高い柵を隔てて存在している。駐輪場から学校への階段が嘘みたいに急なんで、俺はこの階段を殺人階段と呼んでいる。いつか死人が出るだろう。


「こっからは、しゃがんでいけ」

「階段をしゃがんで登るのか?」

「つべこべ言うな、見つかんぞ」


 必要性を感じないが、無駄な議論もしたくないので、屈んで進むことにした。制服に土がつかないように慎重に進む。 —————— 体育館前、中からかの有名な狂詩曲が聞こえてくる。始まりのソロでのピアノパート。この演奏に乗じて中に入ろうという算段だ。そしてこの後に、目的の七咲の所属する演劇部の部活動紹介がある。新入生部活動紹介なので、今日は部活動生以外の二年生は、休日である。

 『そうかい、君たちは新入生なんだね』、いいやそうでもない。俺たちは二年生だ。『なるほど、部活に入ってるんだ』、別にそうでもない。二人とも帰宅部だ。なんで来なくていい日に学校に来たか、それは謎である。というのも安田は百歩譲って七咲を見に行くとか、若干ストーカーじみた目的があるのだが、俺は七咲には興味はない。


 遡ること一週間ちょっと。


 二年生になってすぐ、一限目と二限目の間の十分休み。さてと、ついさっき知り合った真面目君と話すかな、なんて思っていた矢先、見知らぬ青年が正面から、近づいてきて、


「俺、安田。新入生の部活動紹介見に行くんだけど、お前もどうだぁ?」


 と誘ってきた。

 さてここで、安田の人物像とエピソード。どう知ったのか、俺が七咲と幼馴染だ、ということを聞きつけて、クラス替え直後に、声をかけてきた。確かに面白い奴で知り合いになれて良かったとは思っているが、弊害で、『大人しそうで狙い目だ、必ず友情を育まん』と決めていた、真面目君が俺に寄り付かなくなってしまった。どうやら、安田と同じ人種だと思われたらしい。


「紙川だけど。なんだって、部活動紹介だと?」

「あぁ、そうだ!行こうぜ、なぁ! よおし、決まりだ!」


 少し考える。まぁ、でもその日、授業休みだったよな。いや待てよ、それは新入生部活動紹介があったからだったはずだ。


「二年生は行っちゃ、駄目なんじゃなかったのか」

「大丈夫だ、とっておきの案がある。学校に許可取ってるし、取り敢えず来いよ」

「そうか、暇だし、そうするか」


 と承諾した。

 この時、とっておきの案について詳しく聞いておけば、こんなカオスに巻き込まれずに済んだだろう。案外、詳細を聞いてても承諾していたかもしれない。代り映えのしない日常に飽き飽きしてたんだ。道端のヒキガエルを小石とまとめて蹴っ飛ばしたい、そんな気分だったんで。


「ほんとか!よし、ありがとよ」

「家にいても暇だしな」


 なんて返した。家に引きこもってるのはどうも苦手だ。予定がなくても、犬の散歩で外にいる時間を稼いでいる。犬種はバセットハウンド。家にいるのは嫌いだが、別に家庭に不和を抱えているわけではないので、安心してほしい。


「センキュ、じゃっ、交換しようぜ」


 某連絡用アプリを交換。その三日後くらいに、学校潜入計画なるものが届いた。つまり学校に許可なんて取ってなかったわけだ。



 そして話は、今に戻る。



「よし、今だ。行くぞ、ゴーゴーゴー」

「………… っ、静かにするんじゃないのかよ」


 無駄にテンションの高いゴーサインを合図に、階段から体育館玄関に突入。玄関口にいる教師どもは体育館への扉へもたれかかり、演奏に夢中でこちらに気づいていない。こっから右に折れる、と階段から観覧席に上がることが出来た。


 すると、問題発生。


 階段までの道のり。お手洗いがある廊下に教員が、携帯を操作している—————— 奥から、階段、教員、お手洗い、俺、の位置関係である。幸いなことに視線は画面に固定されているから、俺達が不法侵入しているのはバレてないようだ。背中をかがめて黙々と操作していた。


「どうする?帰るか?」

「まさか、あいつはスマホに夢中だ、大丈夫だ」


 どっからその自信が湧いてくるのやら。無からだろう。質量保存の法則を無視して湧いて来てるんだ。それともこいつの奸計というマイナスを補うために、自信が生じるんだろうか。


「でも階段に登るときは正面に俺たちが来るんだぜ」

「………… そうだなぁ。そんなに心配ならこれを使うか。取り敢えず手前のトイレに隠れろ」


 安田は今、俺たちが立ってる所に、なんかなんだろう、ゴミみたいなのを設置した。配線が不格好に飛び出ているその装置の底からはがした透明なシールをポケットに入れる。


「よし隠れろ」


 男子トイレの扉を慎重に開けて閉めた。安田は携帯を起動して、誰かに連絡を入れる。救援要請か。暴力に訴えるわけだ。


「こんな時に、誰に連絡してんだよ」

「っし、バレるぞ」


 別に、オーケストラ部の演奏が鳴り響いてるから多少は大丈夫だと思うが。とか思っていると、その演奏の隙間から電子音がピピピと聞こえてくる。メロディはバックの曲と同じだった。まさか、


「さっきのアトラクターかよ、どこに売ってんだ、ソレ」


 ゲームでしか見たことねえぞ。そうか、さっき安田は、地面に誘引装置を設置するため、両面テープの保護シールをはがしたのか。


「Why-net って、知ってるか」

「ワイネット?それで手に入れたのか」

「そうだ」


 便利だな、ネットで何でも手に入る時代に生まれてきたらしい。調べてみるか。


「もういいだろ」

「そうだなぁ。いくか」


 ギギギ、と扉を開けると。例の教員の背中が見えた。そうとう粘着力が強いのか取り外すのに苦労している。爪を立ててカリカリと格闘中。この隙に通り抜けてしまおうと。


「早く行かないとな。取り敢えず死角まで、さっ、ゴーゴーゴー」


 粘着力も無限じゃない。


「分かってら」


 階段にたどり着くと、先頭を切った安田は階段を四つん這いで登る。いや、そこまで神経質になる必要はないだろ。俺はしゃがみで進もう。そう思い進むとガツンとぶつかった。


「痛え、痛えよぅ」

「急に止まるからだろ」

「ってか、こっからは匍匐で行けって。手摺のふちに身を隠すんだ。絶対に頭出すんじゃねぇぞ。下からは見えなくても、放送室からは視線が通る」


 体育館の壁に張り付いてる小窓を確認。とても視線が通るようには見えない。というか、あれは何をする部屋なんだろう。


「あれって放送室であってんのか。てかなぜ、お前がそれを知っている」

「一年生の時、学校で企画されたのとは別に個人的に学校探検をしたことがあったんだがぁ 。小窓から見た景色が忘れられねぇ」

「悲しい学校探検だな。それで、鍵はどうしたんだよ」

「スリーディープリンターで偽造した。専用の粘土で型取ったり、それをノギスで測定したり、大変だったんだぜぇ。試行錯誤の末、ようやく………… 」

「………… 大変なのはお前だよ!犯罪じゃねえか」


 思わず声を荒げてしまった。しまった。しかし演奏の狭間に消えたようだ。


「安心しろ」

「……………… いや、根拠は何だよ」


 悪戯に不安を煽るだけだろ、根拠なく『安心しろ』っていうのは。なんだか失敗する気しかしなくて、ざわざわする。


「安心しろ」

「だから根拠は何だっつうの」


 安田は、俺を無視して、そのまま右サイドの観客席、一番後ろの列を椅子を盾にしつつ匍匐前進(こうでもしないと照明係に見つかるらしい)、俺もそれに続く。蠅の死骸とか色々落ちてて、来るんじゃなかったなと後悔したが、もう遅い。溜息。


「よし、ここの席の裏だ。ココからなら誰からも見えない」

「そうかい、お疲れ」


 適当に返す。と同時にラプソディが止んだ。俺たちがここまでこれたのは、この演奏のお陰だ。そのラプソディが止んだのだ。割れんばかりの拍手。


「オーケストラ部の皆さんありがとうございました。ここで指揮者の武田先生にインタビュー!武田先生お願いします」


 ダンディーな三十歳が後ろ姿から大袈裟にターンして、皆の方を向き、笑いを誘った。ワハハは、みたいな。武田さんは演劇部の指導に回ったほうがいいんじゃないかね。いや、実際、演劇部にも顔を出してるんだっけ。


「えっへぇ、レディースエンドジェントルメン。どうもオケ部顧問、武田です。よろしくね。今日演奏したのは、かの有名な狂詩曲、いわゆるラプソディーって奴で、ええ。芳醇なビネガーを連想させるようなクラリネットが特徴の ………… 。まぁね、ええ、続きは部室でしよう、新一年生諸君。さっきの演奏にココロ動かされたなら、特別教室棟の最上階まで来てね。じゃ、待ってるぞお!」


 前列にいる男子に投げキッス。それを受けて『おえー』、という悲鳴。これが、様式美か。


「武田先生、ありがとうございました。いやぁ、今年もすごかったですね、演奏。来年も楽しみですね。さて、次は皆さんお待ちかね、今日の目玉、演劇部の具活動紹介です。劇は三十分程度を予定しています。今から九時十分までの十分間、休みを取るのでお手洗いなどを澄ませておくようにしてください」


 そのアナウンスからしばらくはしんとしていたが、暫くして、会場が駄弁りで埋め尽くされる。そのわちゃわちゃは、新一年生らしい、新鮮な水分を含んでいた。青い果実だ。


「おい、安田。七咲のこと好きなんだよな」


 ふときいてみた。今日、ここにいる、唯一の理由。


「たりめぇだ」

「なら、演劇部に入ればよかったじゃないか。男子部員足りてないらしいぜ」

「演劇部にかぁ。………… ってそれこそストーカーじゃねぇか」

「休日にわざわざ劇を見に来る奴は、もう十分ストーカーだと思うが」


 いらんプライドは、捨てろよ。


「恥ずかしがんなって」

「んなこと言われてもよ。実際きついだろぉ、他の奴らが見てるのに話してたら。そんで、部活内が変な空気になったら、そのしわ寄せは七咲さんに行くんだぜぇ」

「そうかな。そりゃまぁ、そうだな」


 意外にしっかりした理由だった。しっかりしてないやつが、普通のことを言うと、しっかりしてるように錯覚してしまう。俺達の潜入がばれた方が迷惑が掛かる気がする。


「だろぅ」

「うーむ、大変だな。恋するって」

「だなぁ」

「生まれてこのかた、恋なんぞしたこと皆無な俺には、分からない感情だ。これからもないだろう。そもそも魅力的な女子が身近にいないしな。いても、むしろ避けて通るんだろうよ。第一、他人からネタにされることを考えると、精神衛生上よくないだろ」

「確かになぁ、それはあるよなぁ。………… ちなみに、七咲さんはどうなんだ?」

「七咲?七咲は、幼馴染だから勘定に入れてない。奴を良く言うのも癪だし、だからと言って、陰で悪口を言われていたら、それはそれでムカつくだろうし。長い間知り合いなだけ、近くに住んでるだけ、ただそれだけ。それ以上では決してあり得ない」

「じゃあ、ウィンウィンだな。応援してくれよ」

「どこがウィンウィンだ」

「じゃあ、お前が好きな奴、出来たら手助けしてやるよ」


 そうかい。


「まったく。七咲のどこに惹かれたのやら」

「なんだよ急に、そりゃあ容姿に決まってんだろ。後、おっとりした性格だな」


 そう幸せそうに。こいつ面食いか。それとも好きになるって、そんなもんなのかな。少なくとも俺には、ルッキズムのどこがいけないのか、毛ほども説明できなかった。だれか、俺に説明してくれ。まだ、思春期真っ盛りの俺にだ。それも、終わってしまった、枯れた人間の、独りよがりな緑の思想じゃなくてだ。


「後者は肯定しかねるが。確かに、クラスの中じゃ可愛い方か」


 学年ではそうでもない。飽くまでうちのクラスの中で相対的にそうだって話。俺から見て主観的にそうだって話。そうやって、七咲を褒めずにすむ方法を考えてる俺って、小さい奴だな。思わないこともない。


「学年でも、一位二位を争うだろ。お前の目はナナフシか!」

「ナナフシ? ナナフシってなんだ。ああ、バッタみたいな奴か」

「チガウ!」

「じゃあ、尺取り虫みたいな奴だったか。いや、それとも、」

「違うわい!」


 ぱっと言われても不鮮明な像しか浮かばなかった。蟲には疎いのだ。ちょっと、おちょくってるとこも、あるのは認めるが。ナナフシと言えばオスが少ない。


「あっ、首が三本生えてて」

「ぜんぜん違うわ!おまっ、なんでわかんねぇんだよ。ナナフシはだなぁ」

「劇、始まるみたいだぞ」

「お、ほんとか」


 舞台袖で何やら司会が話し合っている。ふと備え付けの丸時計を見ると九時十分を指そうとしていた。分針がカチッと目的地にハマって、その慣性で揺れ続けている。定刻になった。


 —————— 劇が始まる。



[白衣の二人組]



 ザワメキが止み、体育館天井に吊り下げられた電球が後ろから一列ごとに消え、薄暗く、そんな中、司会にスポットライトが当てられた。


「さて、時間になったようですよ。これより演劇部の部活動紹介が始まります。劇が始まると、途中退席は出来ません。万が一、保健室に行きたい生徒がいたら、お近くの先生の指示を仰いでください。それでは、始まります」


 ブーン、と映画館で鳴るあのブザーが胃のあたりを震わせる低い唸り。静寂が訪れる。


「うぉ、ワクワクすんよな、コレ」

「確かにな」


 赤いベルベット質なカーテンが真ん中で、ぱっくり割れ、左右に流れるように退散していく。よくよく目を凝らせば、光のない薄暗闇の中うっすらと、奇妙な果実な物体が、コロンと沈んでいるのだった。今年は、去年よりも分かりやすいコズミックホラーで攻めてきたか、と覚悟した。舞台の照明だけが点き、ついに闇より物体が浮上する。


「なんだぁ、あれ」

「ふむ、あれは転送装置だ」

「………… ?なんで、お前、知ってんだ」

「知ってるからさ」


 何故なら俺が小学生かそれくらいの時、親に進められてトラウマになった映画の装置だったからだ。大脳真皮質裏に強烈に焼き付いたフィルムが、思考に混入してちらちら上映する。しかしまあ、ファンでもない俺が一目で分かるなんて、これは大変な制作技術だ、これは。うちの演劇部は何気に、レベチ。

 問題の物は舞台中央に鎮座していた。くびれた梨みたいな、灰色のポットが異質に放置されている。梨の外周にはヒートシンクか円盤状に何層か回っている。ふと小窓が淡く光り始めた。しかし内部の様子は依然、釈然としない。


「なに、さっきから苦虫を噛み潰したような顔してんだ?」

「苦虫? ムシは嫌いだ」

「はぇ~」


 テレポーターがコピー機みたいな音を出し始めた。しゃっしゃっしゃっしゃっと印刷音に合わせて、装置はテンポよく点滅する。だんだん舞台照明も共鳴、と今度は電子レンジのチンっとか間の抜けた音が鳴った。それなりに一年生にはウケているのだが、俺は脳裏に生焼けで、それも全身の皮膚が裏返った、猿の画像がよぎって仕方がなかった。趣味の悪い冗談だぜ。


 小窓と舞台の照明が消える。


 暗闇の中、………… 甲高く吸引するような音が始まる。ここら辺のメリハリは流石だな。小窓だけがブゥンと光る。中から人影がのぞいているのだが、まだシルエットしか分からない。さしずめ人間X と言ったところか。頭部だけが独立して歩き回っても何ら不思議ではない、そんないでたち。


「すげぇ、見たか紙川。どっからも入ってないのに。イリュージョンだぜ」


 舞台は暗闇と言っても体育館の構造上うっすら見えちゃうわけだが、安田の言う通り、ポッドを出入りした影は見えなかった。


「ずっと中に入ってたんじゃないか、裏のカーテンから入ったとか。ほかにも舞台の床が開いてせり上がったりとか。もっとも、そんな高級な装置は西高にはないと思うがな。作るくらいならその費用をエアコンに回して欲しいぜ」


 —————— プシューっと空気が排気される音が響き渡り、同時にハッチも開く。光り輝く扉の隙間から、ドライアイスの煙が床を滑り舞台の端っこで消えた。中から出てきた人物が、今回の主役である。


「おい、あれ多分、七咲だぞ」


 肩を叩き、出てきた奴に指を向ける。


「ほんとか⁉ 七咲さーん。頑張れー」


 囁き声での応援。大声出されても困る。

 『多分七咲』の多分、不確定要素は顔が隠れてることにある。不気味なガスマスクを外すと、白髪アフロ、黒丸メガネが顕わになった。ほんとに七咲だろうか、自信がなくなってきた。それくらいの変身。いや、本人から聞いたのだから間違いないだろう。そいつは腕時計をのぞき込んで一言。


「いやはや。どうやら実験は成功のようだ」


 時計の風防を爪で弾く。そして、その爪をじっと見て、首を傾げた。


「ふむ、体の構築も無事なようで見ての通り、何処も欠けていない。完璧だ!見事だ!いやアメィジング!」


 じりりりとベルが鳴る音。と、ともに陽気で溌剌なBGM がスタート。なんだ、なんだ? もしかして、コメディ路線なのか?

 舞台両端から、カタパルトで射出されたかのような勢いで、白衣二人組が飛び出す。そして博士(七咲)の腰に両側から抱き着いた。そんなタックルに微動だにしないのは、隠れ筋肉だるま、実際には見たことないから俺の中のイメージ、の七咲らしい。博士=七咲の確証が得られた瞬間でもある。


「うわ~ン、三日も帰ってこないから死んじゃったかと思いましたよ。無事でよかったですぅ。博士ぇ~」


 と、白衣の子が大袈裟な動作で袖に目を当てる。衣装は男性的だが、それを演じているのは女子であり、見方によっては倒錯的な光景とも取れた。


「ハッハッハ」

「笑い事じゃないですよ、博士」


 と今度はもう一人の子が立ち上がって自身の腰に手を当てる。衣装はフェミニンだが、デザインは先ほどの子と瓜二つのようにも見える。博士は神妙な顔になって。


「無事でよかった、か。三日前に出発して、帰って来た、か。まあいい」

「なんですか、その含みのある言い方は」

「ときに君たち、テセウスの船って知ってるかい?」


 と言った。急に何をいいだすか。女性的な方が、また疑問を口にする。


「急になんですか。あ、言わなくていいです。説明するなら、〈テセウスの船〉の、船を構成する部品を一つずつ変えていくとしましょう。最後にはすべての部品がオリジナルのモノでなくなってしまうと。果たして最初の船と、最後の船は同じ船と言えるのでしょうか。違うと言うなら、どの地点で別物になってしまったのでしょうか。という思考実験ですよね」

「正解。ある物体と、そのコピーは同じ物なのか、と言ったところか」

「それは違うんじゃないですか、博士」

「果たしてそうだろうか、私は同じだと思うが。〈テセウスの船〉を一旦、壊してしまって、その隣に、まったく同じ船を作ってもバレんだろ。あと ………… 」

「はぁい」


 博士が何か言いかけたところに、挙手をした。


「どうぞ、助手くん」


 ………… 助手くんというのか。まんま言葉通りの見た目をしている。二人組の男性的な方。男性的というより少年的かね。


「それはバレますよ。だって、モノには個性がありますから。船の使い込んだ傷とか、シミとか、埃とか、あと」

「それすら、マネできる技術があったらの話をしてるのだよ。寸分違わずにね」

「なるほど、博士の主張は理解しました」


 あっちが助手くんなら、きっとこっちは助手ちゃんだろう。助手ちゃんは、理解したそうだ、そして続ける。


「つまるところ、結果的には、完璧なコピーは同じ物と考えても問題ない、とおっしゃりたいんでしょう」

「ん、及第点だ。ちなみに、正解は本質的には同じである、だ」

「では、同じ人間が二人存在してしまいますが」

「それでもかまわんよ。根拠は、私がそう思うからだ」

「それじゃ、論理じゃなくて、私見ですね」

「理論なんて、そんなもんだろう。それがまかり通るのが、劇の世界のいいところ、……………… いや、なんでもない」

「博士 、どうしたんですかぁ?」

「まあ、おいおい分かるだろう」


 メタいなおい。この世界は、劇だから滅茶苦茶して良いってか。そりゃないぜ。ビビり脚本家の保険だな。


「それで。結局、何の話だったんですか。そのパラドックスは、一体全体、何の前置きなんですか?」

「それも時期に分かるだろう。そうだ、よし、次のステップに取り掛かる」

「また急に」


 半ば呆れたように、投げやりに助手ちゃんは非難する。またと言うことは、いつもの事なのだろうか。


「今回の研究はいわば、第一ステップだ」

「そうですね。ってあれ、第一ステップ?」

「フッフッフ、助手くん。そう、第一ステップだ」


 どこから取り出したか杖を一回、地面に叩きつけた。


「紙川、今の見たか。杖がどこからともなく出てきたぜ」

「袖に隠してたんだろ」

「おいおい、袖より長い杖なのにそりゃねぇぜ」

「パイプ状になってて、中に一本入ってる伸縮式の杖なら、半分くらいまで縮みだろ」

「ほぇ~」


「博士、原子レベルの転送は各国で成功してますが、人間レベルのマクロな物体転送を安定して転送できたのはうちが初めてです。第一スッテップなんてとんでもない、大躍進ですよ。これ以上何を望むというのですか」

「フッフッフ、助手ちゃん。私は他人が既に成したことに魅力は感じないたちなんでね。1を100にしようと、私にとっては価値は無い。よく言うだろ、九十九パーセントの努力より、一パーセントの才能だと」

「というと?」


 助手君はフクロウみたいに首をかしげる。いや、スズメかもしれない。スズメと同時に、文鳥でもある。メジロ、しじゅうガシラ。


「ふむ、もうすでに小規模なテレポートなんぞ、成功しておるわ。となれば、0から1を作り出すという私の夢とは相容れないのでね」

「じゃあ、博士 。僕たちはいったい今まで何故テレポーテーションの研究をしてきたのでしょう」

「いい質問だ、助手ちゃん。君の素朴さは見習うものがあるよ、………… ッフッフッフ、ハッハッハッハッハ、—————— ズバリ」

「ズバリ!」

「ズバリ、なんです?」

「わたしはタイムマシンを作りたいのだよ。それも過去へ飛ぶのな」

「ええええええええ」

「三次元を支配したのなら、プラス一次元=時空を制覇するのは、科学の探究者として自然な流れともいえるだろうな」


 時間を次元として数える考え方は、正しくないとも言われているが、ただの学生劇なので気にしない。


「博士、四次元生物っていますかねぇ」

「ん?脱線するな。そうだな。仮にいるとすれば、我々を高次の視点から見ているんだろう。なら透明な壁を隔てて観測してるかもしれないな、ワッハッハッハ」

「透明な壁?」

「もしくは、四次元、つまり時間だと仮定すると、それを移動できるんだろ。うーむ、それはつまり、どういう意味だろうか?もしかしたら、ページのように……」

「いやいやいや、無理ですって。博士、流石に」


 助手ちゃんが、博士の言葉を遮る。


「そうですよ、博士。大体、私たちの今までの研究は何だったんですか?時間や資金、返してください」

「まぁまぁ、落ち着き給え」

「そもそも、時間遡行なんて物理法則に反してぅ、と思いまーす」


 助手くん、今、台詞噛んだろ。それもまあ、庇護欲。


「確かに、これ限りは助手くんに賛成です。時間旅行なんて空想の産物です」

「でも実際、この世界に未来旅行したわけじゃないか。思いのほか自分の出力に時間がかかってしまったが」

「未来旅行と、時間遡行では、難易度が違いすぎます。未来旅行なんて原始的な装置でも出来るでしょうが」

「落ち着き給え。二人とも」


 あまりに近づきすぎた二人の顔を手のひらで制止する。


「因果関係の制約に触れない、冴えた方法を思いついたのだよ。今から説明をするからホワイトボードを持ってきなさい。さあ、今すぐに」


 二人は顔を見合わせ、何拍貸した後


「「了解しました」」


 ホワイトボードが運ばれてくる。この間、運動会で流れるクラシックがBGM だった。助手くんが水性ペンからキャップを抜いて渡す。


「うん、ご苦労さん。ではいいかい、一回しか説明しないから聞き逃さないように」

「「はい」」

「まず、質量のある物体が時間を逆行することは出来ないことはいいね?」

「ええ、光の速度は観測者に対して、不変ですので」

「そう、その通り。じゃあ、なんだったら過去に送れるのかな?」

「えっと」

「情報です!」

「大正解、助手くん加点」

「私の見せ場を取ったな」

「イタイ、イタイヨ」


 助手ちゃんは回答を取られたことにムッとしたのか、助手君のほっぺたを引っ張り始めた。その様子を、まじまじと観察してしまうのは、俺の中にあるサディズムが疼くからだろうか。そうにちがいない。


「博士。そもそも成績とかあったんですか?」

「そう、情報は理論上、過去に遅れる。そう、最近見つかったアクシオンと言う物質を利用すればね」

「無視しないでくださいよ。それに何千年前の話をしてるんですか?最近だなんて」

「ふむ、そうだったかね。長い間生きていると時が過ぎるのが早く感じる」

「まさかその物質を用いて過去に情報を送るんですか。無理ですよ。というか止めてください。因果が崩れてタイムパラドックスが起きてしまいます。世界を破壊しかねないから、国際会議で禁止されたでしょう」

「たいむぱらどくっすだぁ!」


 助手君が嬉しそうに言う。後で、七咲に誰が演じてたのか聞いておくか。


「そう、タイムパラドックス。フフフ、果たしてそうだろうか。私が時空について計算をしてみたところ、世界に対する新しい解釈を見つけたんでね。それによるとタイムパラドックスなんぞ幻想なんだそうで。時として人は幻想を信仰するのだ。旧人類の法律みたいなものだ」

「その解釈って何ですか」

「よし、本当は計算式から解説したいがなんせ時間がないんでね。手短に行こう」


 そう言うとホワイトボードにバネのように渦巻いた線を引く。一層一層、傾いた輪っかに接線が引かれている螺旋。その傍らに一つ円を書き足す、従来の説という注釈も忘れずに。


「これを見てくれ。まず、過去に戻ると因果が崩壊して世界が保てなくなる。それが従来の説だ。しかし、それは違うのだよ。このように世界が分岐するのだ」

「世界が分岐?まるで量子力学みたいですね」

「いや。そうでもない。確かに世界は量子の揺らぎに従って、無限に枝分かれしているようだが。………… それとは異なるプロセスでな。過去に情報を送ると、どうやら世界が分岐するようなのだよ」


 ここら辺は適当だろうな。


「そうですか。シュレーディンガーの猫みたいな解説を期待してましたが」

「なんで急に言い出したのか。ところで、話が反れるが、死んだ猫は、生きてる猫と同一だと思うんだが、どう思う」

「まあ、物質として捉えればそうかもしれませんが」

「たまに、例のたとえ話を、精神と物質の二元論で解釈する人がいるんだけど、それはどう思う。猫の生き死にに真理があると」

「さぁ、となり合った世界軸の物理法則は我々が住む世界とは違いますから、博士」


 はて、話が分からなくなったぞ。助手ちゃんと、七咲博士は何の話をしてるんだ?


「へぇ、結構、寛容なんだね。キツイ性格かと思ってたけど」

「そうですか? 別に例の話を猫の生死にフォーカスして考えようと、私は気にしませんが」

「僕は気にするがね。まあいい、話を戻そう。私の理論によると、過去の地点で改編を起こそうと、そこからの未来、つまり現在と交差することはないのだよ。つまり何処からともなく情報が生まれるのを、防ぐわけね」

「えっとぉ?」

「助手くん。例えば、ある少年が強盗に襲われたとき、偶然置いてあった包丁で撃退して、命拾いをしたとしよう。その少年は大人になって科学者になる。ある日、あの包丁は自分が過去に転送したと気づく。ならと思い、あの時の包丁を過去に送り出す。過去の自分は、包丁を使う。はて、じゃあ一体この包丁は何処から来たんだろうね」

「タイムパラドックス」


 助手ちゃんはきっぱりと、台詞を放つ。その包丁はどこから来たんだろうか。同じ時間を永遠にぐるぐるすることになるのではなかろうか。卵が先か鶏が先か、とは違う何か。


「しかし!その矛盾は、過去と未来が地続きになっていると、勘違いしていたがゆえ、生まれただけだったのだ。事実は、包丁をパラレルワールドに押し付けただけだったのだよ」


 ホワイトボードを叩く。


「見ろ、ここに描いた円が、かつての説での包丁の軌跡だ。この円から包丁は出られない。始まりも終わりもない永久の円。まるで因果が発散する、と言わんばかりだ! そして、こっちが計算により、叩き出された事実だ。次元を押し上げて物事を見ると、なんとその円は、バネ状の構造をしていたのだよ。そのバネを我々は真上から見て円と解釈していたのだ!」

「このバネの一段一段がパラレルワールドですかー?」

「正解、助手くんに五点」


 助手くんだ。『中々出てこないキャラが活躍してると嬉しい』、みたいな心理に名前はついてるのだろうか。俺は未来がどうこうより、そっちに興味があるね。


「そう、これなら永久のループに閉じ込められることはない。包丁の動きは飽くまで一直線だ。ループの際に別の世界に転送される。万が一、自分が包丁を送れず過去の自分が死ぬことになっても、送れなかった当人は死ななくて済むのだ」

「それって時間遡行なんですか?」

「厳密には違うが、ほとんど変わらんよ。しかし矛盾せずに過去に送信できる」

「それだと自分の世界に影響を及ぼせないのでは」

「そこが面白いところなのだ。我々の世界に隣り合った世界は大体同じことを考えてるだろうから、我々が彼らに送れば、彼らも私たちに包丁を送るのだ。我々の世界で流れを止めることもできるがな。そこら辺は塩梅だ」


 そいつは、希望的観測というものだぜ。


「矛盾が起きないのは分かりましたが、ではどうやって過去に飛ぶんです?」

「フッフッフ、そこでこのテレポーターが出てくるのだよ。これを使えば一っ飛びだな。光より速い物質で過去の装置に入力する、それだけ」

「なるほど、でもそれならテレポーター導入以前には飛べませんね。結果も確認できませんし」

「だから、確認できるよう、今日に飛ばしたのだ」

「今日? 一体、何を?」

「そうだよ、実は私は三日前の私ではなく、三日後の私だったのだ」

「えええええええええ」


 驚いてるのは助手くんだけだった。助手ちゃんは呆れていた。


「三日前、今日、未来へ転送した博士は、分解されて情報に変換された後、ドコに行ったんです?」

「さぁな。そろそろ時間だ、君たちもポットに入りたまへ、別の実験がある」

「博士 、ほんとに大丈夫なんですか?それ。説明してくださいよう」

「非可逆圧縮じゃ。助手くん、時間だ」


 開けると、プシューと、昆虫の噴気音のような音と共にポットの中に煙が充満していく。時同じくして、照明が激しく点滅。黄色のスポットライトが右往左往する。中から出てきたのはあり得ない人物だった。


「げほっげほ、うげぇ」

「っは、は、あれ、ここは研究室。………… テセウスの船、゛う、゛うえ、゛うぐ」


 博士がポットを開けると、中から助手ちゃんと、助手くんが出てきたのだ。ここから、テセウスの船のたとえ話を軸とするホラーが展開されるのだが、割愛する。

 大切なのはそこじゃないんだ。考えてみて欲しい、これは演劇なのだ。演劇なんだぞ。だからそんな訳ないのである。同じ人物がポットから出てくるのはどう考えてもおかしいのである。


 観客がその事実に気づき始めて、遅れてざわめきだした。安田が問う。


「おい、紙川、ありゃ、どういうトリックなんだ?」



[古典的なトリック]



「んで、そこまでは説明されなくても知ってんぜぇ」

「ああ、まあ、お前はいたもんな」


 そうか、途中で言えよ。いい時間つぶしになったのも事実だか。

 にしても、どうしてここまで坂が続くのか?そんな気持ちが蔓延する中、気が滅入らない奴が灼熱のアスファルトに屈んで何かつかみ上げる。


「おお、こいつはすげぇ」


 タマムシの死骸が、朝日を受けて極彩色に輝いた。まるでコンピューターグラフィックスの編集を受けたような、嘘みたいな輝き。たしかに凄い色だ。


「なんで、こんなとこにいんだろうなぁ。ここら辺、ケヤキすくねぇのによぅ。なんだか、今日はいいことありそうだぜ」

「それで今日の運、使い果たしたんじゃないか」

「ンなこたぁ、ねぇよ」


 タマムシをポケットに詰めた。山崎にでも自慢するのだろうか。あいつも、あんま

り蟲好きじゃないから、喜ばんだろうな。


「おい、結局何なんだ。早く教えてろ」

「お前が会話を中断したんだろうが、その態度なら止めておこうか」

「わーったよ。教えてくだ、………… サイカブト!」

「無理があるだろ、それ」


 なんなんだそのノリ。


「しゃあねぇな。じゃあ、同じ人間が一度に存在できないってのは分かるか?」

「そりゃな。………… いや、でも、したじゃねぇかよ」

「いいや、あり得ないね」

「あり得ないって。実際、そうだったんだが」

「でも、あり得ない。消去法だぜ。あり得ないことは候補から除外していいんだよ」

「なるほど!じゃあ、つまり」


 そう、つまり。


「どういうことだ?」

「おい」

「いや、分かんねえもんは仕方ねぇだろ」

「つまり別人なんだよ」

「んな、流石にそりゃねぇよ。俺はなぁ、学年の女子を数学の公式化して覚えてるんだがなぁ。その俺によれば、あいつらは、解が同じだったぜ」


 公式化、それは妄言だろうが、でも同一人物だと思うのも無理もない。いや、核心を突いてる。


「確かに、同一人物とは、半分正解みたいなもんだ」

「半分?じゃあ、もう半分は何だよ。もう降参だぁ、答え言ってくれ」

「双子だよ、双子トリック」


 双子トリック、最近貸してもらった本に載ってた古典的トリック。『ミステリとしては半分邪道なんだけどね』、高峰さんが呟いてそうな使い古されたトリック。


「なるほど。分かっちゃえば不思議もねぇな」

「いやいや、ミステリは分かってからが面白いんだぜ」


 俺は得意になる。


「でもよ紙川、一つだけ分からないことがあるんだが」

「俺に任せろよ」


 すっかり探偵気分になって、俺は任せろと豪語した。どうせ、的外れのくだらない話だろ。そう慢心してたのだが飛んできたのは、


「紙川、どうしてお前、双子トリックとか知ってたんだぁ? お前普段、小説とか読まないんだろ。そうゆうの興味なさそうなのによぉ。なんか、らしくねぇよなぁ」


 らしくないのはお前だよ。実は映画製作とか関係なく、高峰さんと裏でも仲よくしてもらってんのさ。絶対に教えないがな!


「っお、安田。タマムシ落ちてんぞ」

「何!どこだ。やったぜ、二匹目ゲット! ………… えっと、はて。何の話をしていたか。うーむ」

「さあな、学校だぜ」


 駐輪場が見えてきた。




〈Fin〉

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紙川涼は探偵じゃない ~屋上の幽霊~ 高黄森哉 @kamikawa2001

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