見知らぬ指輪~学者峯岸浩太郎の願い~

達見ゆう

ロスからの脱却、そして新しい道へ

 朝は日本の実家からのモーニングコールで目覚めた。


「良かった、生きてるわね」


 何か安心しているが、一体何のことだろう。


「あのね、こっちのニュースでは板垣希良がシンガーソングライターの月山源太と電撃結婚したって持ち切りなのよ。あんたファンだったでしょ、だから心配で……」


 その後の話は頭に入ってこなかった。


 スマホでSNSを開くとそこには僕のフォロワー達の心配する声一色であった。


「先生、寝てる場合じゃないって」


「だから早く献本しておけば……」


「先生、お気を確かに」


 そんな言葉がいっぱい並んでいたので、とりあえず「彼女が幸せならばいい」とつぶやいたら瞬く間に四桁ほどのいいねがついた。日頃からバズりたかったが、まさかガッキーのことでバズるとは。できるなら本業でバズりたかったが。


 とりあえず惰性で着替え、遅刻せずにラボに行き、実験をしたのは自分でも偉いと思う。しかし、主(?)の心情がわかるのか、細胞の反応はよろしくない。何度やってもうまくいかない。とりあえず実験を早く切り上げ、締め切りの迫った書きかけの論文を持ち帰り、帰宅した。


 帰宅すると共同スペースのテーブルの上に見知らぬ指輪が置いてあった。きっとボブが彼女に贈る指輪に違いないと傷心にワサビを塗られるような感覚だったが、それにしてはむき出しにして置いてあるのが不思議で落とし物を拾ったのかと思い、指輪の内側を見た。


『愛するシンシアへ。2003.2.14 マイケル』


 ちょっと古い指輪だ。それに名前も違う。材質は金のようだが傷も多い。

 怪訝に思いながら指輪を観察しているとボブが自分の部屋から出てきた。


「お帰り、コータロー。あ、その指輪、置きっぱなしだったな。悪い」


「この指輪は君の物かい?」


「ああ、イラク戦争で亡くなった叔父の形見だ」


 聞いてはいけないことを聞いてしまった。一瞬で空気が重くなる。


「え、でも指輪には『シンシア』へとあるからシンシアさん経由で返されたってこと? なのに、叔父さんの形見?」


「渡せなかったんだよ。今のお前と同じようにうだうだ悩んでいるうちに陸軍にいた叔父はイラクへ呼ばれちまった。戦地に行く前に告白しようとしたらしいが、結局それはチェーンを通してネックレスみたくして身に着けていたから、最後まで渡せなかったらしい。たぶん、戦力的にアメリカが有利だから戦死するとは思わなかったのだろうな」


「誰か、シンシアさんに指輪を渡さなかったのか? せめて思いだけでも伝えれば……」


「それがよ、戦争始まった直後にシンシアは別の人と結婚したんだよ。つまりは叔父の片思いだったんだ。こっちでもどうしようかと言っていたらまさかの戦死の知らせだ。そんな状態でシンシアに伝えられるか?」


 僕は予想外の話の重さに後悔した。そんな状況で人妻となった人に実は戦死したあの人はあなたが好きでしたなんて言えない。


「で、指輪は一緒に棺に納めるかと話し合ったが、未練と一緒に天国へ連れて行ってしまうものはなんだからと俺が反対して引き取ったんだ」


「そうだったのか……」


 アメリカは短期間かつ無傷で戦争していたようなイメージがあったが、そういう面もあったのか。まさか身近にそういう人がいるとは思わなかった。


「だからな、コータロー見てると叔父さん思い出してしまうんだよ。煮え切らなくてうだうだしているところがそっくりだぜ。お前は身近なところに縁が転がっていると思うのだけどな」


「う……」


「よっしゃ、スーザンに頼んで友達紹介しようか。それともハードル高いなら日本で言う『合コン』でもいいぜ」


 スーザンというのはこないだ言ってた彼女の名前だろう。


「いや、ボブ、そんな気分では」


「いいや! こういう時にこそ電撃的な出会いはあるもんだ。それから、本当に彼女の幸せを願うなら、献本しろ。『結婚おめでとうございます。少し遅くなりましたが、もしもワクチン接種に不安があるならこの本をご主人と読んでください。夫婦二人の健康をお祈りしています』とでも書け」


 いきなりの話の展開、いや転回にびっくりしてしまった。あまりのことに僕が目を白黒しているとボブは続けて言った。


「推しへの気持ちと推しロスを相手の幸せに願うことに昇華するのだ。本当に好きだったのなら、できるはずさ」


 そうかもしれない。こちらに情報が来ないだけで、彼女がワクチンで不妊になるなどいろいろなデマを信じてしまって打たなかったら……。そして感染してしまったら……。彼女の幸せはそこで止まる恐れもある。


「わかった。ありがとう、ボブ」


 僕は論文もそこそこにレターセットとガラスペンを取り出し、書き始めた。


『初めまして。僕はアメリカ在住の研究者峰岸浩太郎と申します。最近は日本のテレビにも出演しているので、もしかしたら見たことがあるかもしれません。

 まずはご結婚おめでとうございます。お二人の……』


 あんなに書けなかったのがウソのようにすらすら書ける。ボブのアドバイスもあるが、本当に好きならば彼女の健康と幸せを願うべきだ。でも……。


「なあ、ボブ、七月の新刊とまとめてというのはダメかなあ?」


「ダメだ! 俺が見張るから書け! 新刊は改めて献本しろ!」


 やっぱりダメか。


(注・この作品はフィクションですが、実在の人物をモデルにしてます。献本するまで小説を晒すと匿名質問箱マシュマロに出してたのですが、女優さんがまさかのご結婚。

 『献本計画は終了』とご本人は言うし、献本関係のマシュマロはボツにされまくりなので、応援の意味も込めてこのお話を書きました。先生、出会いは突然降ってきますよ)

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