ようこそ、こちら側へ

 俺は意識を取り戻した。

 でも別に気を失っていたということではない。

 一眼レフカメラのようにピントを合わせるみたいに、ぼんやりと見ていたものが急に彩度を帯び始めたみたいに、意識が自分のものになったという感覚とでも言っておこう。

 つまりどういう事か。

 俺も何があったかは朧気おぼろげである――ということだけが間違いない事実として存在していた。

 そうなれば、時系列順に思い出しながら振り返っていくのがよいだろう。

 まず、突然の敵襲があった。

 妄想もうそうさんは、どろどろの液体のようなものに捕まって、もうすぐ口まで埋まりそうになっていた。

 影山かげやまは、事前に私達に「考えがある」と言っていた通り、なんかしらの力でいつの間にか俺の胸ポケットに入り込んでいた、妄想さんの描いた犬的な何かを筋肉質の獰猛な動物に変えて攻撃させた。

 ……俺が覚えているのはここまでである。

「いや、そこまで覚えてたら十分かもよ」

 突然声が聞こえた、そんな気がした。その声の出どころを探そうと周りを見渡す。

 

 この第三者の存在を知覚しようとする、という行動意識を働かせたということによって、今自分が全く見知らぬ場所――四方八方見渡す限り真っ白の空間にいるという事実を、不覚にも知覚した。

 正しくは、土地ごとコピー&ペーストしたみたいな感じで、古い木造の神社と真っ赤な鳥居があった。

 そして、その真っ赤な鳥居は一つではなく、その一番大きな鳥居に続くように、まるでこれからドミノ倒しでも始まるかのように、まばらの大きさの鳥居が等間隔で並んでいた。

「あんちゃん、こっちだよ! こっち!」

 耳を澄ますとその声は頭の上――目算10メートルぐらいはあろう大きく真っ赤な鳥居の上から聞こえてくることに気が付いた。

目下もっか 全世界ぜんせかい 君! こっちおいでよ」

 その声は遠くて小さい。

 だけど俺は感じてしまった。この声の主は只者ではないという、圧倒的な何かがそこにいるという予感がするのだった。

「あのーすみません! そこにいるのはどなたですか?」

「それもこっち来たら教えてあげるからさ! ほらおいでよ、ひょいってさ」

 飄々ひょうひょうとそんなことを言われたが、一体どうやって10メートルぐらいある鳥居の上まで行くっていうんだろうか。

 まさか、このどう見てもつるつるで引っ掛けるところ無い柱を、登ってこいって言ってるんじゃないよな?

「えーっと……どう考えても無理です。あなたがこっちに降りてきてください。お願いします」

「えーどうしよっかな……。いやーでも、君一回も試してないじゃん! 一回ぐらい試してみなよ! コツ教えてあげるからさ」

「……どうやるんですか?」

「簡単だよ。目をつぶってイメージしてごらん、鳥居の上に座っている自分を。ゆっくり深呼吸して」

「すぅー……ふぅー……」

 言われた通り、目をつぶり深く深呼吸してイメージをする。

 すると、なんとなく鳥居の上から見える映像が予想出来てきて……糸目の男がニコニコでこっちに手を振っているようなそんな情景が……。

「結構なお手前で」

 左耳からはっきりとした声でそう聞こえた。

 その方向を見ると、そこにはぼさぼさで寝ぐせ頭をそのまま悪化させたような金髪に、くたくたになった薄灰色パジャマを上下に着た、一見すると治安が悪そうな男が腰に手を当てこちらを見下ろすように――こちらは座っているので当たり前なのだが、それに加えてにやけ顔でそこに立っていた。

「俺は……どうなってしまったのですか」

「まぁ、なんだろう。とりあえず言えるのは……君今、人間じゃないね」

 今なんて言った?

「えっと、それってつまりどういう……」

「人間じゃない。もっと言えば生き物ですらないね。もっとこう概念的な……になっちゃった、ってとこかな」

 そんな眉唾的なことをに言われても、今しがた信じかねる。

 そんなこっちの心情など露知らず、金髪の男は間抜けな顔で口を開く。

「ここ高くて怖いからやっぱり下に降りてもいい?」

「じゃあなんでここまで呼んだんですか……」

「それはまぁ……レクリエーション的なやつだよ。なにー? 君は風情が無いなぁ。まったく……」

 こんなものに風情も何もない気がするが、いまさら、何を言っても負けな気がしたのでここはぐっと反論を飲みこんでおく。

「じゃあ行こうか」

 そう言って金髪の男は軽くひざを曲げたかと思ったら、ポケットに手を突っ込んだままこの目算10メートル鳥居(今名付けた)から飛び降りた。

「おいっ! なにやってんだ!!」

 すぐに男の手を掴もうと腕を伸ばしたが、その手は虚しくもただ空気を掴んだだけだった。

 心臓がぎゅっと何かに握りつぶされるみたいに痛む。

 目の前で人が死ぬのを見るのは、何にも耐えがたいものなのだと、今まで生きていて初めて知った。思い知った。

 多分だけど、あの男はこの何もない空間に閉じ込められて、そして、その空虚な時間に耐え切れずしかし、死ぬことを許されずにいたがそれに代わるように来た俺を見て、自分はもうここから出れると思いここから飛び降りたのだろう。

 ――あぁ、ということはこれから俺もさっきの男と同じように、無限のような時間をここで過ごすんだ。

 ここはそういう地獄なんだ。

 あの時、多分死んだんだ。

 あぁ――

「おいおい、小さな声で呪文みたいにブツブツなにやってんだ。早く降りてこい」

 下から声が聞こえてきた。声から察するにさっきの男だ。

 落ちないよう恐る恐る下を覗いてみる。

 すると、そこにはさっきここから落ちて死んだはずのあの男が、吞気にこっちを見上げて頭を掻いている。ついでに苦笑いを浮かべながら。

 男は続ける。

「早くしろ。どうせそこから降りても死なねぇし、怪我もしない。痛くもない」

「あぁ、やっぱり俺は無間地獄に落ちたんだああ!」

「あ? 無間地獄だ? 何言ってんだ。ここはみたいなもんだ。適当なこと言ってんじゃないよ、まったく……」

「え?」

 その発言に気が抜けたのか、ただただ足場が悪かったためか知らないが、俺はそこから落ちた――目算10メートルはあった鳥居の上から落下した。

 目算7メートルぐらい落ちたところで、私の意識はこの体と同じようにストンと落ちていった。

 これが目下全世界という男の人生、においてのオチ――なのかもしれない。

 だけに。


   ↓

      ↓

         ↓


 サルはおだてりゃ木に登る。

 チーターはおこっちーたー。

 ……とか言ったやつは実際にその場面を見たことがあるのだろうか。

 ――くだらない洒落。

 お洒落な駄洒落は存在するのかしないのか。だってそれは矛盾しているようでしていないような……まぁどうでもいいか。

 そんな冗談を、冗談みたいな場所で、冗談みたいな状況で言ってみたところで何の意味も持たない。

「意味が無い、なんてことはないんじゃない? ちょっとは気が紛れたりするかもしれないだろう?」

 治安の悪い見た目の男が、見た目とは全く逆のちょっと高めで、軽めで、浮遊感のあるような声でそう言った。

 そんな治安悪金髪パジャマ男と俺は今、神社の真ん前――誰も入れることのないだろう賽銭箱の前、五段ある小さな階段に並んで腰掛けていた。

 そういえば、この人の名前を俺はまだ知らない。

「そういや……あんた、名前はなんていうんだ?」

「うん? それ知ったところでどうなるの?」

「えっ……いや、なんか呼び方を知らないともどかしいというか、読者から見てもめんどくさいというか、何というか……」

「……ふーん」

 その男は一考する価値があると判断したのか、数秒口を閉じ、目を閉じた。

 そして、男は考えがまとまったのか再び口を開く。

「トウソウの神」

「トウソウの神? ……あぁ、闘争の神か」

「いや、違う違う。逃走の神さ」

「あぁ! 逃走の神ね! ふーんそうなのかー……ん?」

 それがどういうことなのか。

 一瞬考えがまとまらなかったが、すぐにその言葉のおかしな点に気づいた。こいつ今、自分の事神って言ったぞ。

「別に……神様が一人二人ぐらいいたって別におかしなことじゃないだろ。だから、こんな一面真っ白世界があったって、超能力があったって別に不思議なことじゃない。それに、僕からしたら君がその事について、いまさら驚いている方が不自然だ」

 そう言われて、確かに納得する――納得せざるを得ない――反論の余地もない。

「あ、あとここで僕が君と話しているってことは、君はもう神という存在に近いということになるけれど……それは分かってる?」

 というか僕が神になっていたらしい。

 ……なぜ?

「なぜって君がここに逃げてきたんでしょう? その便利で有能な能力を使ってさ」

 そう言って金髪の神は大口を開いて三日月を作った。最後に小さく「故意じゃないけどね」と付け加えて。

「……え? えええええええーー!!??」

「こほん。君はおめでたいことに、もはや僕と同じ立場に来たんだ! 歓迎する。そして、君はこの世界が今どんなことになっているか、どうして君がこんな目に遭っているのか、それを知る権利がある。どう? 聞きたい?」

 そう言われて、世界の真理を教えてもらえる機会を目の前にして、拒否するような人間――今はもう人間ではないが、どんな奴でもそれは知りたいことである。

「お願いします」

 その返事を聞いた逃走の神はニヒルに笑った。

 そして、俺は思った。

 そういえば結局名前分からないままじゃん、と。




「いちにっさん♪ いちにっさん♪」

 神社の屋根上で、背筋を伸ばして横に倒す運動をする逃走の神こと、金髪糸目男を見上げながら、さっき、そいつから聞かされた戦々恐々、吃驚仰天びっくりぎょうてんなことのあらましを、頭の中で反芻はんすうしながら整理する事に一人徹していた。

 だが一応、大まかな内容は把握できたのでその内容を簡単に言うと、こういうことである。


 人間には見えないところで神々が二つの勢力に分かれて戦争を行っている。

 そして、それは人間を利用した代理戦争になるまで広がっている。

 天理神域とヤオヨローズ。

 その二つのグループの神々による戦い。

 そして、その戦いに巻き込まれて、ある一人の能力者による力で俺の体が乗っ取られて、その状態で無意識的に能力を発動したせいでここに飛ばされてしまった、ということらしい。


 とばっちりも甚だしい話である。

 だが、ということは、だ。

「それってつまり、襲ってきたやつがどちらかの陣営の能力者ってことになるわけで……」

 吞気に屋根上で体操を続ける逃走の神を見る。

 男はそれに気づくと体操を続けたまま口を開く。

「今は僕どっちの陣営にもついてないよ」

「今はってことは、前まではどっちかにいたってことだよな」


「うん。前は天理神域の方にいたね」


 ジャンプして両手両足を開く運動をしながらそう言った。

 さっき、こういうことも言っていた。

 天理神域の神は概念的なものから生まれた神で、ヤオヨローズの神は万物に宿る付喪神的な生まれ方をしたらしい。

「だけど戦いとかそういうの興味ない神も中にはいて、それで、どっちの陣営とか関係なくおんなじ考えを持つ神、みんなでバラバラに離れていったんだよね」

 両手を挙げて深呼吸をする逃走の神。

「その神達とは一緒にいたりしないんだな」

「まぁ、戦いなんて興味ないって自分で言ってるぐらいだし、自分の持ってる神社に引き籠ってるとかなんじゃない? 僕も大概他の神のこと言えないけどさ」

 それを聞いて俺は、案外神も人間も似たところがあるのかもしれないと思った。

「あ! そういえばその話聞いて思い出したんだけど……」

 そう言って顎に人差し指を添えながら、急に申し訳なさそうな仕草をし始めた。

「……なに」

「君、もうから実質詰んでるかもって話……したっけ?」

「え」

 そんな話聞いてない。

 どういうことかと詰め寄ろうとしたら、男は勢いよくジャンプをして目算10メートル鳥居の上に乗った。

 俺は追いかけた。

 男は逃げた。

 彼はやはりその名にふさわしい逃げっぷりであった。

 暫くしてその途中――どれぐらい追い掛け回したかも分からないぐらいの時間が経って。

 連続する赤の鳥居の中に人影が見えたような気がして俺は、咄嗟に動きを止めてそこをじっと見た。

 ここからだと人なんだか神なんだか、はたまた案山子かかしか何かすら分からなかった。

 もしかしたらそれは……そこにいることを想像した自分が生み出した自分という虚像なのかもしれない。

 はたまた、どうでもいい目の錯覚かもしれない。

 でも、それでも。

 俺はその場所を――その人を――その神を――その何かから目を離すこと許されなかった。

 逃走の神は逃走を一時中断し、こちらを振り返ってこう言った。

「こちら側へ、ようこそ。……ってことで一時中断していい?」

 彼は何からも逃走する。

 正真正銘、逃走の神であった。

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【トラウキネシーズ】 不透明 白 @iie_sou

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