制服を着た高校生らしき女の子がすれ違うたびに目で追っている自分。
でも、その人がどんな顔をしてるのか、歩き方は、声は、などは気にならない。
つまり、僕が目で追っていたのは”制服を着た女子高生”という概念めいた残像だという事。
一瞬、色めき立つ心があったとしてもそれは、SNSのスクロールみたく流れてさらりと消えていく。
関連して物語シリーズにおいて、阿良々木暦は羽川翼に対して抱く気持ちを”恋慕”なのかはたまた”欲情”なのかを判断しかねていた。
今になるとその気持ちが痛いほどわかる。
目の前の女の子に対して少し揺らめいているこの気持ちが、”下心からくる欲情”なのか”純粋な恋心”なのかがどう考えても分からない。
果たしてこの時折訪れる一瞬の色めきは恋なのか?
僕は恋心を忘れたのだろうか、とお風呂で思い諦観したこともある。
では、この自己分析の末、何が結論として残ったのか。
上記で記した心の動きから結論付けられるものは何なのか。
それは『”学生時代に叶わなかった青春恋愛への強い後悔”と”恋愛とは学生時代に起きる甘酸っぱいものであり、今となっては絶対に叶わないので《恋愛》という存在は高校卒業とともに消え去った』である。
……僕にとって恋愛とは作品の一つのジャンルである。
そこに現実は伴っておらず、最早、幻想文学やサイエンスフィクションの領域に見えている。
なんか笑えてきました。
23年間恋愛というものに触れていないだけで、こんなにジュクジュクした膿みたいな感情が時折胸中を去来するんだもん。面白いよな。
これを読んでいる君は、こんな僕みたいにならないならないように生きてください。
この独り言を反面教師に。