半透膜な夜

杜松の実

半透膜な夜

 ああ、正しい世界の中で、こんなにも私は間違っている。

 私の前にはおばあちゃんが横たわっている。私はおばあちゃんを視界に入れまいと逸らし、それを申し訳ないと思って、耳だけを欹てた。ううん、嘘だ。音が心に残らないでいいように、あえて頭の中で一所懸命にこの文章を考えている。

 さっき上の階の待合室で見せてもらったプログラムによれば、今やっているのは納棺式と言うらしい。おばあちゃんは寝間着姿のまま、ちょうど卓球台を少し高くしたような台に寝かされている。青地に花柄の、スカーフのような柔らかい布が、おばあちゃんに掛けられているところまでは、目の端で感じとっていた。

「こちらの布で隠しまして、みなさまからは見えないように着替えさせていただきます。肌着はどうなさいますか?」

 若いきれいな納棺士さんがそう尋ね、父はほんのわずかに考えてから答えた。

「着させたままで」

 不似合いなビニール袋のこすれる音が聴こえて来たけど、すぐには顔を上げなかった。かしゃかしゃ、かしゃかしゃ。私の中の、音に対する好奇心が高まっていく。おばあちゃんの顔に焦点があってしまわないように気を付けながら、納棺士さんの様子を窺った。

「どちらになさいますか?」

 納棺士さんの手には三枚の死に装束が載せられ、それぞれビニールで個包装されている。ちょうど旅館に置かれているアメニティの浴衣みたいだった。

 私たちの居る参列席からだと、どれも同じ装束にしか見えなかった。だからか、父も母も答えなかった。納棺士さんがよく見えるようにと、おばあちゃんの横たわる台の脇を通り抜けて寄って来たとき、台に軽くぶつかった。軽くぶつかっただけなのに、おばあちゃんを載せた台は、くわんくわん揺れた。お葬式は厳かなものだと思って身構えていた私は、納棺士さんが不注意にぶつかったことに驚いて、つい揺れるおばあちゃんを注視していた。

 しまったと考えてから、視線を逸らし直す。逸らした先でも、揺れるおばあちゃんの映像は、残って消えてくれない。

「紫で」父はほとんど白な、淡い紫色の死に装束を選んだ。

 布ずれの音だけが聴こえる。やや左から聞こえるその音を避けて、正面の祭壇に集中した。祭壇は三段になっていて、最上段には、おばあちゃんの元気なころの写真が飾られて、周りにはいっぱいの花。中段にも花があふれている。下段はすっぽり開いていて、お箸を突き立てたお茶碗が供えられているだけだった。

 祭壇の手前には、空のお坊さんの席が用意されている。その右手側に木魚の置かれた台、左手側には金魚鉢のような大きな鐘が置かれた台があった。

 お坊さん用の机にも、木魚や鐘やお焼香の台にも、みんなキャスターが付いている。こんなところにも資本主義は居着いているのか。だって、二人でしか運べない物にキャスターが付いていれば、スタッフは一人でいい。

 キャスターに合わせて床はフローリングでも石でもなく、ゴム製なのか樹脂製なのか、よくわからない傷が付きにくい素材でコーティングされている。そういえば、中学の床がこれによく似ていた。別に、葬儀会社に文句を言っているわけじゃない。少しでも安く、でも安過ぎず、という消費者のわがままが、葬儀の形を、歪に伝統性は残しつつ、チープなものにさせたのだろう。

 式場内に何語で歌われているのか分からない、ピアノだけで彩られた音楽が流れている。その歌が日本語で歌われているのかどうかさえ分からない。あまりにもゆったりした、聞きなれない曲調で、詞を耳で追えなかった。でもやっぱり、こんなにずっと聞き続けても何語か分からないのだから、日本語ではないのだろう

 布ずれの音が止んだ。

「どうぞお近くへ」

「手足や顔を拭いてあげて下さい」

 ひとりひとりに水分を含ませた脱脂綿が渡される。私はおばあちゃんの顔の近くに立っていたけど、顔を拭いてあげることができるとは思えなかった。触りたくないと思った。

 おばあちゃんに最後にあったのは二年以上も前になる。当たり前だけど、ここにいるおばあちゃんは、今まで見てきたおばあちゃんとは全然違う。でもそれがなんなのか分からない。痩せたのか、皺が増えたのか。分からないけど、こんなおばあちゃんを見たのは初めてだった。そこで、これまでおばあちゃんの顔を凝視して、記憶に焼き付けた経験が無かったことに気が付いた。

 父が脱脂綿を受け取り、私の裏を周って、おばあちゃんの顔を拭き始めた。私は兄と一緒におばあちゃんの手を拭く。脱脂綿の中央をつまむように持って、おばあちゃんに触れないように気を付けて拭いた。おばあちゃんの手は痩せこけて、堅くなっていた。強くこすってはいけないと思い、そおっと、撫でるように。形ばかりの拭いたで義務を果たすかのように、怯えながら拭いた。そおっと拭くことで、おばあちゃんの感触が、私の手に伝わらないように。

 拭き終えて脱脂綿を納棺士さんに渡すと、席に戻った。

「ドライシャンプーをします」

 私はまたおばあちゃんから目を逸らして、祭壇やお坊さんの席に付けられたキャスターをぼんやり視界に入れて、この文章を考えている。

 納棺士さんがにわかに騒がしく動いたかと思うと、ドライヤーの音が聴こえてきた。私は顔を上げなかった。見てはいけないものだと思った。見たら、不可逆の、決して今までの自分には戻ることができなくなる、そんな何かを植え付けられてしまう気がした。それに、見る資格もないと思い、怖かった。

「お化粧を施します」

 要望を訪ねてきた。父に代わって母が答えた。遺影を指さし、元気なときはああしてしっかり化粧をしていた、紅は紫にしてくれ、と。ああ、そうか。今、おばあちゃんはすっぴんなんだな。気付かなった。私が見てきたおばあちゃんは、いつもすっぴんだった。

 お化粧が終わるとまた、「お近くに」と呼ばれた。次は手甲、脚絆、足袋をつけるための紐を結んであげる。あの世の旅で、健やかに歩けるように手足を守るこれらを付けるのだと言う。あの世は本当にそんなところなのだろうか。もう魂の入っていないこの体に、いくら装備を付けてあげても意味がない、なんてことはないのだろうか。私と兄は、納棺士さんが着させた脚絆の紐を締めた。

「はずれてしまわないように、蝶々結びではなく、堅結びにしてあげて下さい」

 おばあちゃんの足を締め付けてしまわないように、一重目の結びはゆるくして、二重目の結びをきつく締めた。


 そうやって、何度も納棺士さんに呼ばれながら、おばあちゃんの納棺を終えた。葬儀と告別式までは十分ほどの時間が空いている。父と母と兄はトイレに席を立って、私だけが祭壇の前に並べられた椅子に残った。まもなくして父だけが会場に戻ってきて、私の隣に座った。

 途端、足に血が集まり力んだ。心拍数が上がって呼吸が乱れそうになる。父が何か語りかけてきたけど、私は何の意味も持たない空返事を返しただけで、なんて答えたか自覚がない。体がこの場から、父の隣から逃げ出そうとしているのを必死に抑えて、装いを保つのに精一杯になっていた。父はまた席を立った。全身の緊張が足の先から抜けていく。

 私が悲しんでいないことに父が気付けば、父はきっと悲しむ。祖母が死んでも悲しめない娘に育てたことを後悔するかもしれない。孫に悲しんでもらえない母を憐れむかもしれない。だから私は悲しんでいないことを気づかれてはいけない。もしかしたら、もう気付いているかもしれない。父は人間が出来ているから、私が悲しんでいないことを、記号として表出させなければ、見て見ぬふりをしそうだ。


 葬儀が始まった。スタッフの進行に従って、お坊さんが鐘を鳴らしながら入って来た。鐘は、祭壇に近づくたびに強く鳴らしているのだろう。頭を軽く下げ、目を瞑っている私には、弱々しい鐘の音が、近づいてくるに従って徐々に大きく変わっていく様子は、随分遠くからお坊さんが歩んで来てくれているように聴こえる。鳴り止んだ。顔を上げて見ると、式場のスタッフがお坊さんのために椅子を引いているところだった。

 木魚と鐘と御経。どんな意味があるのだろう。どんな意味だろうと、おばあちゃんのために唱えているのだけは分かる。

 おばあちゃんの魂はもうここにはない。けど、おばあちゃんのところにまで聞こえていたらいいな。途中、お坊さんのお経の中から何度も「カゲツ」と聴こえてきたから、覚えてしまった。また顔を伏せていたら、線香の臭いがして来た。

 父がお焼香を済ませて席に戻っていく。母が立ち上がってお焼香台の前で一礼をした。次に兄がやり、私の番になった。一礼して、木くずのようなものをつまんで、隣の焼石に振りかける。これを二回して、祭壇に手を合わせる。ここで何を思うのが正しいのだろう。

 おばあちゃん、悲しんであげられなくてごめんなさい。またね。私がそっちに行ったときは、たくさんおしゃべりしようね。

 スタッフの方が閉会の挨拶に移っている。言葉は私の中を通過していって何も覚えていないけど、マニュアル通りに祖母の名前とプロフィールだけ当てはめて飾られた挨拶は、不快感を残していった。お坊さんが帰っていく。帰りもまた、遠ざかる度に鐘の音が小さく変わっていき、すごく遠くまで帰って行っているようだった。ここからが告別式なのだろうか。それとも、今ので葬式と告別式が終わったのだろうか。

「出棺の準備をします」

 そう言われて会場の外で待たされることになった。父も母も兄も泣いていない。深刻そうでもない。悲しんでいないのは私だけだけど、誰も悲しみを顕わにしていなかったから、私だけが浮くことにはならなかった。


 おばあちゃんが亡くなったのは八日も前だ。ランチ営業中に職場の電話を取ったのは私だった。十五時までのランチ営業を終え、ディナーのシフトに穴を開けて実家に帰った。私が着いたときには兄も早退して帰って来ていた。父はいなかった。老人ホームに行っていたらしい。母は私たちに、そこまでして帰って来なくてよかったのにと言った。

 その日は、兄も私も実家に泊って行った。私は盆も正月も帰って来なかったので、こうして自分の部屋で眠るのは、実家を出てから初めてのことだった。そうなると、だいたい一年ぶりになるのか。その日もおばあちゃんに対する悲しみは無かった。父が少し心配だったけど、食事中に笑う父を見て、よかったと思った。

 おばあちゃんは老衰で亡くなったらしい。珍しく、朝早くからしゃんと目を覚まし、朝ご飯も残さず食べてから、ころっと眠るように息を引き取ったと言う。私たちは、苦しまずに亡くなれたならよかったね、と言い合った。おばあちゃんが苦しまずに逝って、悲しまないといけない理由が一つ減ったのは、確かによかった。

 一年ぶりの自分の部屋はよそよそしかった。自分の歩く足音も、棚から本を取る音も、妙に耳につく。この部屋、こんなに騒がしかったかな。会えない間に飼い主のことを忘れた犬みたいに、部屋も私のことを忘れてしまったみたいだ。部屋と私とのチューニングが合わず、どの音も不協和音となって響いた。


「出棺の準備が出来ました」

 会場に戻ると、並べられていた椅子は左右に片付けられ、中央に蓋の開かれた棺桶があった。祭壇に飾られていた花を取り外して盆いっぱいに抱えたスタッフの方が、棺桶に入れてあげて下さいと言った。他にご一緒に入れるものはありますか、と聞かれ父を見ると、父は写真の束を取り出してきた。写真はどれも花の写真だ。


 おばあちゃんがまだ大阪に住んでいたころ、家の庭できれいなお花を育てていたことは知っている。写真を見て、なんとなくおばあちゃんの家を思い出した。二階の殺風景な部屋。土壁で、触るとぽろぽろ崩れていくのが、家を壊しているみたいで、おっかなくて面白かった。いつも、兄と二人でその部屋に籠っていたと思う。だからか、他の部屋の様子なんかはほとんど思い出せなかった。まだきれいなガーデンだった頃にも遊びに行ったことはあったけど、最後に行った寂しい庭の方が、よく覚えている。それだけあの頃は、まだ私も小さかった。


 おばあちゃんが育てたお花の写真を棺桶の中に並べていく。どの花も名前が分からない。こんなにいろんな種類の花を育てていたんだ。

 胸元にいつの間にか、男性が一人椅子に座っている白黒の写真が置かれていた。はすを向いて撮られている、かっこいい若い男性。土方歳三の写真みたいだ。多分おじいちゃんの若い頃の写真だろう。写真の束の中には、私や兄が書いた、拙い字の葉書も混じっていた。母と兄がそれを覗いて懐かしんでいる。

 写真を入れ終え、本物のお花を入れ始めた。家族四人で二周もして入れると、満足できるだけの花が収まった。でも、スタッフの方が抱える盆の上の花はまだまだあった。たくさん入れれば良いってものでもないだろうけど、そうは口には出さない。みんなで、てきぱきと花を入れる。おばあちゃんは花の中から顔を出すだけになって、棺桶の縁ぎりぎりまで、お花でぎっしりになった。こんなところにまで貧乏性が出ているようで困る。

 これで蓋を閉めれば、もう二度と開かれることはない。

「最後にどうぞ、お手を触れてあげて下さい」

 父がおばあちゃんの額に触れた。ほんの十秒ほどだろうか、そうしてから手を放すと、妙な沈黙の間が出来た。スタッフの方たちはまだ、どうぞお手を触れになって、と醸し出している。私たちは困ってしまったけど、言葉は交わさない。父が母に向かって無言で促した。母はそっと顔の近くに寄って手を差し出す。

「冷たい?」

 もう、どうしてこの場面で、そんなこと聞くのだろうか。母も場違いであったと自覚したのか、目に涙を溜めながら、声も出さずに思わず笑った。つられて父も笑った。

「うん、冷たいよ」

 母は触れて押し殺した声で、冷たいとだけ言った。私と兄は触れなかった。


 父が位牌を持ち、それに兄が遺影を持って続く。私と母は棺桶に軽く手を添え、霊柩車まで着いて行った。運よく、その日は天気がいい日で、コートのない喪服でも寒くはなかった。霊柩車独特の神輿のような飾りのついた車。おばあちゃんの棺桶がレールに乗せられ、霊柩車の中へ吸い込まれていく。父だけが霊柩車に乗り、私たちは母の運転で後を追う。

 窓の外を眺め黙っていた。車はどんどん人気のない方へ進む。民家は減り、ファミリーレストランや量販店のキャッチーな看板は見当たらなくなっていった。代わりに現れるのは、冬の姿のまま取り残された田んぼだった。

 母は兄と話していた。お葬式のこと、冷たかったこと、おばあちゃんのこと。納棺式は自分のときはやってほしくない、人前にすっぴんで出されるのは嫌なのだと言う。おばあちゃんはもう八日も前に亡くなっていたから、保たせるためにずいぶん冷たかったらしい。「でも、おばあちゃん最後は苦しまなくって良かったね」

 もう何度も交わした、老衰ならよかったという会話を兄が始める。

「そうね。おばあちゃんにとっては、ようやく楽になれたと思ってるわね。もう十年以上、寝たきりだったから。モモなんか、寝たきりの方が長いんじゃない?」

 答えなかった。見ても面白くない外を見ている。ここのところずっと晴れているな。もう春なのか、もうすぐ春なのか。冬のピークは確かに超えていた。


 おばあちゃんは、おじいちゃんが亡くなってからずっと、こっちの介護老人ホームに入っていた。おじいちゃんが亡くなる前から、寝たきりの生活をしていたらしい。おばあちゃんが大阪に居たときは一年に一回とか、二年に一回とかくらいしか会ってなかったんじゃないかな。私の記憶の中のおばあちゃんは、ほとんどがこっちの寝たきりのおばあちゃんだ。

 だから、私はあまりおばあちゃんに寄りつかなかった。一緒にいると、どうしても可哀そうな老人、という印象が強くて落ち着かなかった。

 おばあちゃんとの思い出は、カーテンを閉め切られた老人ホームの、狭い一室での光景ばかり。交わした言葉も覚えていない。背が伸びたね、くらいの挨拶はあったな。

 会いに行くときは、ホームから許された種類のお菓子やジュースをたくさん買ってから行った。家族旅行に行ったりした後なんかは、現像した写真も持っていった。買って来た物をしまって写真を説明し終えると、手持無沙汰になった。たどたどしいおばあちゃんの口調に合わせて、二三分ばかし会話もした。

「もういいよ。帰って」来てもらったことを申し訳がるように、おばあちゃんは言った。「忙しいでしょ」、と。

「ううん、まだ大丈夫だよ」

「いいよ。帰り」

 まぶしい、とも言っていた。おばあちゃんは一人でいるときは、カーテンを閉め切りテレビの明りだけで日中を過ごして、照明は使わないらしい。

「もう消して、暑い」

 そう言われて照明を消したのは、おばあちゃんから離れて立っていた、スイッチに近かった私だった。

 落ち着かない部屋の中で、正直早く帰りたいという気持ちと、早く帰ってはおばあちゃんが可哀そうという気持ちが、混ざり合わずに二分して、心を占めた。

 そうこうしていざ帰ろうとすると、おばあちゃんは涙を流し始めた。ベッドに寝たまま、震える手を差し出してくる。

「また来るね」

 おばあちゃんは返事の代わりに力強く握り返してきた。驚いた。弱りはてた可哀そうなおばあちゃんの握力は、見た目からは想像もできないほど強かった。


「潤吉は可愛がってもらってたね。おばあちゃんにとっても初孫だったし、男の子だったから。モモはあまり可愛がってもらえなかったけど」

 景色が変わらなくなった。ずっと同じようなさみしい田んぼばかり。

「うん。そうだったかも。おもちゃとかも結構買ってもらってた。一緒に旅行も行ったし。モモは覚えてないかー。まだちっちゃかったもんなあ」

 そんなことあったんだ。おもちゃも旅行も全然覚えてない。私とおばあちゃんの間に楽しい記憶なんかない。一緒に笑い合ったことも、ありがとうと言ったことも、言われたこともない。

「そうだ。モモのことは、早く結婚させなさい、っていつも言ってた」

「あ、それ。俺も聞いたことある」

 母と二人でおばあちゃんのところに行ったとき、大学に行かせたら婚期が遅れる、女の子は早く結婚させなさいって、そう母が言われている横で、私はちょっと困りながらも、笑っていた。あれは、高三のときだったな。すっかり忘れていた。

「おばあちゃんも結婚遅かったからね。パパを生んだのも、三十過ぎてからで、大変だったらしいし。モモには早く結婚させたかったのね」


 去年の秋口、おばあちゃんがそろそろ危ないかもしれない、という話になった。兄はそれで会いに行っていたけど、私は行かなかった。

 私は普段から一人でおばあちゃんに会いに行くようなことは無かった。それは兄も一緒だったと思う。行くときは必ず、父か母に連れられてだった。私にとっては、おばあちゃんに会いに行くことは、心苦しくなる、つらいことだった。それがおばあちゃんのためだとしても、自分に苦痛を強いる選択はしなかった。

 おばあちゃんを前にしていたら、私もそこまで薄情にはならない。それは、お父さんのお母さんなんだって強く意識して、同情するからなのかもしれない。でも、目の前にいないおばあちゃんに、十回は会ったことはあっても五十回は会った事がない人相手に、同情できる程、私は優しくはなかった。

 それが、亡くなる前の最後の面会ともなれば、心にかかる負担は大きくなる。それでも、おばあちゃんのために会いに行こうという気持ちは、おばあちゃんに会うことに付いて回る心苦しさにはまさっていた。でも、他にも会いに行けない思いがあった。

 正しくない私が会いに行ってもいいのかと、怖かった。おばあちゃんがもう危ないかもしれないって言われて、悲しいとも会いたいとも思っていない、正しくない私。父が心配で、おばあちゃんが可哀そうで、でも悲しくなくて。こんな私が善人ぶって会いに行くのは、悪い事のような気がした。

 やらない後悔より、やる後悔。そう口にする人は成功者で、大きく見える。だからこれは、自分で一歩踏み出せる強い人の言葉だと思っていた。でも、もしかしたら自分で一歩踏み出せない、弱い人のための言葉なのかな。

 最後に顔を見せに行ってあげればよかった。最後に会っていれば、私もちゃんと悲しめたのかもしれない。


 帰りの車内。膝に乗せた骨壺は重い。絶対に倒してはいけないから、しっかり持とうと力が入る。骨壺を入れた箱の表面には、細かい刺繍の施された、ポリ素材の当て布がされている。あまり強く持つとその薄い刺繍が傷ついてしまいそうで、やや優しく持つ。倒してはいけない緊張感とお葬式が終わった安堵感を、そのまま抱いているようだ。

 車がバックで家の駐車場に入った。みんなが降りていく中、なんとなく居残っていた。

「降りられないのか?」

 別に降りられないことも無いと思うけど、なんで自分が降りようとしていないのか分からず、すぐに返事が出なかった。父が手を差し出して骨壺を受け取った。ひざの上から骨壺がなくなると、すっと立てた。

 まっすぐ自分の部屋に行って、喪服を脱ごうとポケットの中を改めると、塩の入った小さな紙袋が出てきた。葬儀場から取って来たお清めの塩だ。これって家に入る前にやらないといけないのにな。

 二階の和室では父と兄の二人が、おじいちゃんのお仏壇の前に、おばあちゃんの遺影と位牌を並べる作業をしていた。おばあちゃんの位牌には「花月」の二文字が入っていた。

 ベランダで肩に二摘みずつ塩をまいて、残った塩を欄干に盛った。別に意味なんかない。塩の形としては、料理用にタッパーに詰められるか、こうして盛り塩されるかの二通りしか知らない。

 まだ祭壇の作業中で、父と兄は花瓶を出したり、フルーツの籠を用意したりと忙しそうだ。ソファで休んでいる母の元に近寄る。

「欄干に塩盛ってあるから、よかったらどうぞ」

 もうそういうことを口に出してもいい気がした。母は怪訝な顔をせずに微笑む。

「はい。わかりました」

 それを聞いて私も微笑み返した。


 家族四人での食卓。おばあちゃんが亡くなった日にも集まったし、昨日の夜から私たちは帰って来ていたから、久しぶりということはない。でも、この雰囲気は久しぶりだ。お葬式を終えて、私たちは元に戻った。兄がリモコンを手にして観る番組を決めて、私と母はそれを横目に話しながら食事をする。父はささっと食べ終えソファにかけた。

 お葬式が終わって悲しみが消え去った、なんてことは無いのは分かる。そんな薬みたいなものはない。でも、我が家では悲しむのはここまで、というピリオド代わりの儀式にはなった。


 リビングダイニングキッチンの、キッチンの明かりだけ点けて、よく冷えた父のビール勝手に飲んだ。風呂上りにビールは家ではよくやっているけど、実家でやるのは初めての事だったから、家族に見られないかとそわそわした。でもあわよくば、誰かに偶然見られないかなとも期待した。今の私の当たり前を見て驚いて欲しい。

 二口飲んでリビングの電気も点けた。リビングの隣は襖で仕切られた和室がある。いつもは閉め切られているけど、今日は開いている。

 ソファに座ると、左手におばあちゃんの遺影が見える。ちらと見ただけで正面の閉じたカーテンに向き直って飲み続けた。骨壺があって遺影があると、もっとおばあちゃんのことを意識するのものなんじゃないのかな。こうして近くでお酒を飲んでいても、見られているとか、そういう意識の仕方はしない。いつもの家には無かったものがある、という異物感をいだいているだけな気がする。

 とうとう誰も上がって来なかった。深夜だから当たり前か。空き缶を濯いで潰して捨てる。階段を下る足音は小さく。

 北東向きの私の部屋は、家の中でも一番寒い。扉を開けて一歩入れば肌で分かるほど明らかに温度が違う。毎冬、私だけ毛布の数が一枚多かった。今年は、ちょっと帰って来ただけで何枚も布団や毛布を出すのは面倒、と言われて、布団が一枚しかない。乾燥するから嫌だけど、エアコンを入れる。ベッドに乗り上げ、ヘッドボードにもたれて布団をお腹までかける。ベッド脇の本棚に手を伸ばし、学生のころに集めた少年漫画の第一巻を抜き出した。引っ越しで幾らかの漫画と小説は持って行ったけど、天井まであるこの大きな本棚は、まだ八割ほど埋まっている。そういえば、棚にほこりが溜まっていない。掃除してくれているんだ。漫画なんか読んでないで勉強しなさい、ってよく小言言ってたくせに。

 ビール一缶で酔ったりはしないけど、素面ってわけでもない。三巻も続けて読むといい加減眠たくなってきた。もう二時を回っていた。漫画を本棚に戻し、リモコンで明かりを消して真っ暗にする。今日は静かだ。

 ……なんだかそわそわして、却って眠れない。今日、私は悲しめなかった。今日だけじゃない。おばあちゃんが亡くなったと聞いてからずっと悲しんでいない。そんなに私は間違った人間なのだろうか。母や父が死んじゃったときは泣けるかな。悲しめるのかな。

 悲しいっていう気持ちが無くて、胸の中がカラッポ、とは違う。「悲しい」が納まるべき器が、私の中に無いようだ。お葬式の最中にそれに気が付いた。それが何を意味しているのかは分からなかったけど、そう思えた。

 器か。器はあるものじゃなくて作られる物だよな。ああ、そうか。会った回数が、一緒に過ごした時間が少ないから、器が作られなかっただけなんだ。楽しかった思い出がないからダメなんだ。

 私はおばあちゃんのに入れなかった。言葉の意味では家族だったけど、本当の家族にはなれなかったんだ。だったら、私に子供ができたらきっと遺族にしてあげよう。父と母が元気なうちに、たくさん会わせて懐かせよう。そして二人が死ぬときには、ちゃんと悲しめるようにしてあげよう。それを将来の夢としよう。

  

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