第4話
――聞いてるか?
「浜辺?聞いてるか?どうした?」
みっち―の声に一切の返答を見せず、私は過去の記憶に耽っていた。
「あ、ごめんなさい。」
我に戻り、春斗を少しだけ見つめた。
「なんだよ。どうかしたか。」
結局、春斗は今ここにいる。
それが実際で、真実。
春斗は実家へ行くことを拒否したのだ。
「で、どうだ。俺の代わりにやってみないか?」
みっちーが再度、私に問う。
「あ、はい。わかりました。やります。」
咄嗟に反応して出た言葉だった。
「じゃあ、後頼んだ。部活見に行ってくるから、このプリント終わらせておくように。わからない部分はちゃんと浜辺に聞いて、浜辺は黒板を使って教えること。」
「え、みっちーそれはだめじゃね?」
春斗が言う。
「そうだよ。みっちー職務怠慢だー。」
続けて頼葉が言う。
「頼葉。職務怠慢なんて言葉知ってたんだ。」
私が不思議そうに言う。
「一応、田辺も知ってるよな。一応な。」
みっちーが一応フォローしながら言う。
「え、みっちーひどーい。沙紀もひどーい。」
「まぁ、頼葉のことだしな。思われても仕方ないんじゃね?」
「ほらね。満場一致だから可決だよ。」
なんて三人で話している間にみっちーはいなくなっていた。
頑張れなどの声もかけず、ドアを開け閉めする音すらなく。
初めに気が付いたのは、頼葉。
「あれ。あれ?みっちーいなくなってる!!」
「え、嘘でしょ。逃げ足速くね?」
「みっちーってどこの部活の顧問だったっけ?」
「サッカーだったような…。」
三人で横並びにグラウンドが一望できる窓を覗き込む。
「頑張れよー!!」
みっちーは、何故だかもうグラウンド近くにいて、覗き込むと同時に、私たちの教室へ向け大声を上げた。
「ははっ。マジかよ。みっちーやばいわ。人間じゃねーわ。」
逃げたことへの嫌悪感よりも驚愕した気持ちが先に出た。
「ほんとに人間じゃないんじゃない?」
「早すぎない?わざわざ猛ダッシュしてこんなことしたのかな?」
「猛ダッシュした以外考えられないけど、そんな早く着くのか?」
「じゃあ、プリントはやんないでみっちーの脚力について考えることにする?」
「ありよりのありだね。」
私たちがみっちーの不在に気が付き、グラウンドに目を向けるまでの時間はおよそ二、三十秒といったところ。
その間にグラウンドにたどり着くとすれば。
――なんてふざけた話が始まることは決まっている話。
それを承知でみっちーはこの場を立ち去ったのだ。
いや、私の統制を試しているのか。
でも、そんなことに期待しているのならそれは大きな間違いだ。
私は、私も一緒に3人で話して、遊んで、楽しみたいと思うから。
三人でいるというのはそういうことだ。
「みっちー。ごめんね。しばらくはプリント。できません。」
しっかりと話題もそこそこに私たちはプリントに取り組んだ。
簡単な設問が二十五。応用が十。
補習のプリントにしたら、かなりの問題数である。
応用問題に入るまでにみっちーは顧問としての任を終え、教室へ足を運んだ。
応用問題を解き終えるころには、街灯が弱弱しい力で道を示している。
「やっと終わったー。もう無理。動けない。腹減りすぎ。」
何度も腹の虫を呼んだ春斗が歓喜の声を上げた。
「眠い。」
頼葉はほぼ寝ている。
さすがに私も疲れが出た。
でもそれは一時間をゆうに超える談笑が無ければ、こんなことにはなっていないだろう。
「まぁ、さすがに問題多かったか。」
みっちーもあくびをし、目に水滴をうつした。
「多かったかじゃなくて多すぎたかの間違いだから。」
机に寝そべり上半身の重みを完全に預けた春斗が言う。
「でも、何回も遅刻してるし仕方ないよな。一応遅刻してないことにしてあげてるしな。」
「まぁ、それは感謝してるけどさー。さすがに多すぎなんだって!」
「じゃあ、遅刻しないように努力しろ。まずはそこからだろ。」
「いや、だってそれはさ。」
春斗は私に非を持たせることなく、話を切った。
「まぁいいや。浜辺は大学とかどうするかちゃんと考えてみろよ。」
「ねぇみっちー。それ私たちには言ってくれないの?」
ほぼ寝ている頼葉が口にした。
「まぁ頑張れよ。まだ高2になりたてだし。頑張ればどうにでもなるだろ。」
「じゃあ、真剣に勉強したら頼葉も春斗も東大に行けるってこと?」
「保証はできないけど、可能性は皆ゼロではないわけだからな。」
「そっか。そうだよね。ずっと三人で居たいし。頼葉頑張ろうかな。」
頼葉。口に出せるってすごいね。私はあの時も、引き留めようとはしなかったのに。
「頼葉。私も別に東大行くって言ってないからね?みっちーのもしも話なんだから。」
「うん。でもさ。どっちにしても沙紀に追いつくには勉強しないとだから頑張るの。」
なんでだろう。すっと言葉が降りてこない。
言いたいことがあるはずなのに。
「じゃあさ、みっちーが放課後暇なとき、また補習してよ。遅刻とか関係なくさ。」
二人はやる気に満ちていた。
なんなんだろう。この温度差。
私の場所だけが寒い。
十九時を回ってから、家についた。
帰宅してすぐにお母さんに聞いた。
「お母さんは大学とかどうしたの?」
ソファに預けていた体を起こし言う。
「お母さんが大学行ってるように見えんの?」
「行ってないの?」
「行ってない。うちお金なかったしね。それに勉強嫌いだし。高校出て就職した方が楽だと思ってたからね。なに。大学いいとこ見つけたの?」
「いや、今日さ、みっちーがさ――。」
私は話した。
「へぇー。東大ねぇー。東大か。」
「だからどうなのかなって思って。」
「東大がどうなのかって私に聞いてんの?」
「まぁ、将来のことだし。親だし。」
「そんなん私に聞いたって答えなんか出ないよ。大学のことなんて何も知らないし。まぁでも大学で将来は結構絞られるのかもね。医学系に行くのか専門的な何かに行くのかとかでさ。」
私のやりたこと――。
特に見当たらなかった。
「本読むの好きなんだから、次は書く方になってみるとかは?あたしにあんたのことはわからん。人間なんてわかりあえない生き物なんよ。」
先が見えない。
真剣に考えを巡らせている私の前で。
お母さんは二十枚の小分け包装をされたせんべえを見つめ、残りの枚数の少なさを嘆いていた。
豆腐と私の50日 丸尾 翔 @maruokakeru
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