0番線の最終電車
ラーさん
0番線の最終電車
「ねぇ、サキ! 0番線の最終電車を見に行こうよ!」
オカ研の瑞恵にそう元気よく誘われて、あたしは深夜の地下鉄の駅をエスカレーターに揺られながら下りていた。
「0番線って響きがいいよねぇ。なにかこういわくあり気でさ!」
「あー、はいはい。ミズは元気だねぇ」
ワクワクを隠せない様子の瑞恵は生粋のオカルトマニアだ。ネットで怪談や都市伝説の類いを聞き集め、それを実地に調査してレポートにまとめては、オカルト研究会で発表したり、自分のブログにアップしたりしている女子大学生だ。
「ん~、サキにはわかんないかなぁ。0という数字の持つ魅力と神秘性が」
「とりあえずもうすぐ0時だから眠い」
あたしはそんなにオカルトに興味はなかったが、大学の入学式でたまたま瑞恵の隣になったのが運の尽きだった。彼女の押しと勢いの強さに負けてオカ研に入部させられてこの状況である。不意に呼び出されてこんな深夜に彼女のオカルト調査に付き合うなんてことは、もはや日常茶飯事だった。
「オカ研なのに夜に弱いなんて情けない」
「夜は寝るもんでしょ。ほら、みんなお帰りのご様子だよ?」
瑞恵があたしに振り向きながらやれやれと肩をすくめる。その横を上りエスカレーターに乗る、会社帰りや飲み帰りと思しき人たちが通り過ぎていく。最終電車が近い時間だ。住宅街に近いこの地下鉄の駅から出てくる人はいても、これから電車に乗りにいく人なんてあたしたちしかいない。エスカレーターは薄暗い蛍光灯に照らされながら、ゴウンゴウンとあたしたちを地下へと運んでいく。
「オカ研にとっては0時が出勤時間なのは常識――」
「ほら、エスカレーター終わるよ」
「あぃえっ!?」
降り口で妙な悲鳴を上げながら蹴躓く瑞恵の腕を掴んで支えてあげて、あたしは「オカルトなんかよりあんたの方が百倍おもしろいわ」なんて思った。
「ミズ、大丈夫?」
「くぅ~……気を取り直して行くわよ! 0番線の最終電車で冥界まで行ってやる!」
あたしの腕を振り払い、そう息巻いて改札へとズンズン進む瑞恵。あたしは「あー、はいはい」とついていく。
さて、今日のオカルト『0番線の最終電車』であるが、つまりはそういうオカルト話である。この駅の0時0分発の0番線の最終電車に乗ると、生きたままあの世に行ってしまうというものである。話としてはオーソドックスな、いわゆる幽霊電車というヤツだ。
「0時0分発の0番線とか、ネタにしやすい要素が揃ってるだけにしか思えないけどね」
この駅にはホームが三つある。0番線は急行の追い抜き用ホームで基本的に使用されていないが、一日のダイヤで0時0分発の最終電車のみ停車する。なんでこの電車だけ0番線停車になっているのかの理由までは地下鉄の運営会社に問い合わせた訳でもないのでわからないが、この特別感が噂を生み出す源泉となったのは確実だろう。
「サキ! 夢は買ってでも見るもんよ!」
「それでわざわざ怖い夢を買いに行くのって、おもしろいよね」
「バカにすんない!」
プンプンする瑞恵と改札を抜けてホームへと下りると風を感じた。アナウンスが流れる。
『まもなく0番線に○○行きの最終電車がまいります。お乗り遅れのないようにご注意ください』
こちらにむかって来る電車が押す空気の風だ。ホームの天井に下がった時計を見ると針がてっぺんを指そうとしている。
「ちょうどぴったりじゃん」
「ふふふ……さあ、わたしのオカルト魂を満たしてみなさい――0番線の最終電車!」
腰に手を当てビシッと指を電車の来る方向にむける瑞恵。「恥ずかしいからやめて欲しいなぁ」と思っている間にホームに電車が滑りこんできた。普通の電車だ。ドアが開き普通に乗客が降りてくる。普通だ。
「……行くわよ!」
「はいはい」
瑞恵のイタいポーズを降りてきた客に不審気に見られながら、あたしたちは最終電車に乗り込んだ。
「ガランガランだね」
「ふふ、いいわね。期待が高まるってもんよ!」
「とりあえず座りましょうよ」
瑞恵は今にも電車の中を走り出しそうなテンションなので、落ち着けるように肩を掴んで座席に押し座らせる。
「ええい、テンションが低い! サキはワクワクしないの? 終電とはいえ、まだ終点まで何駅もあるのにこんなに誰もいないなんて、これは現象界と冥界の境界を超える兆候だわ!」
「兆候ねぇ。あっちの車両には人が乗ってるみたいだけど」
「え?」
あたしはそう言って隣の車両を指差す。連結面の車窓越しに座席に座っている人影がいくつも見えた。たまたまこの車両の乗客がさっきの駅で全部降りただけだろうと言おうとしたところで、瑞恵が強張った声で言った。
「――おかしくない、あれ」
「え?」
「窓にしか映ってない――」
隣の車両に目を凝らす。窓には人影。けれど開いている車両間の扉のむこうには――、
「――人がいない?」
背筋に寒気が走る。おかしい。窓に映る人たちが車内のどこにも見当たらないのだ。隣の車両に行って直接確かめに行く勇気も出ないあたしは、ただ理解できない光景に固まることしかできなかった。
そこで瑞恵があたしの腕をガシッと掴んだ。
「サ、サキ……」
瑞恵の顔が恐怖に引きつっている。その視線をあたしは恐る恐る追った。追ってしまった。
「なにこれ――」
人がいた。窓の外に。いや、窓の外に映っていた。真っ暗な地下鉄の車窓に映る車内には、たくさんの人が乗っていた。車内にはあたしたちしかいないのに、車窓にはあたしたちを取り囲むようにたくさんの人が、男も、女も、老人も、子供も乗っていて、あたしたちの横の席にも髪の長い若い女が座っていて、そして全員が――あたしたちを見ていた。
「なんなのよ、これ!」
「いやぁぁぁぁぁっ!」
瑞恵が悲鳴を上げる。生気のない無表情な顔の人影たちは、ただただあたしたちを見ている。後ろの車窓を見てもそこには人が映り――隣の席に座る髪の長い女が、瞳孔の開き切った虚ろな顔で自分をじっと見つめていた。
「やだ、やだ……やめてぇぇぇぇぇっ!」
怖い、怖い、怖い。あたしと瑞恵は抱き合って目を閉じた。他に抵抗する手段が思いつかなかった。目を閉じて、見ないでやり過ごす。夢だ、悪い夢だと、嘘だ、見間違いだとやり過ごす。それ以外にできることもなく、あたしと瑞恵は抱き合う互いの体温に縋りついて、ただただこの恐怖を耐え忍んだ。
「――あれ?」
どれだけの時間をそうしていたのだろうか。気が付けば電車の揺れがなくなっていた。止まっている。駅に着いたのだろうか? だとしたら降りないと。あたしは恐怖と戦いながらそっと目を開けた。
「ひっ」
そこに人。
「あ、お客さん、終点ですよ」
乗務員だった。あたしは周囲を見渡す。駅だ。窓の外は明るい照明に照らされた、なんの変哲もない地下鉄の駅のホーム。もちろん窓にはあの不気味な人影たちなんて映っていない。あたしは言葉も出ずに呆然とその光景を見ていた。そんなあたしの様子を見て、乗務員が困った表情を浮かべる。
「乗り過ごしですか? 困りましたね。もう戻りの電車はありませんけど、とりあえず降りてもらえないでしょうか?」
あたしの反応から寝過ごした客だと思ったのだろう。乗務員はあたしたちに電車から降りるように促す。
「ミ、ミズ、ほら、降りるよ……」
「え、あ……」
頭をあたしの胸に押しつけて震えていた瑞恵は、あたしの言葉に戸惑いながら目を開ける。そして周囲の様子を理解するにつれて緊張から解放されたのだろう、急に泣き出してしまった。
「その娘、大丈夫ですか?」
「あ……大丈夫です。ちょっと色々あったので……」
気遣う乗務員に頭を下げて、あたしは泣いている瑞恵の肩を抱いて電車を降りた。乗務員はそのまま次の車両へ移動していった。あたしはホームのベンチに瑞恵と座り、彼女が泣き止むのを待つ。しばらくすると残った乗客がいないことを確認できたのであろう。ドアが閉じて電車はホームから走り去っていった。
「ミズ、落ち着いた?」
「うん……」
ようやく泣き止んだ瑞恵はそううなずいたけれど、まだその表情は夢うつつにぼんやりしていた。
「あれ、なんだったんだろう……」
「夢……じゃないわよね」
確かめるように訊く瑞恵に、あたしはそう答えた。あのとき恐怖の中で願ったように夢であって欲しかったけれど、夢と呼ぶにはあまりにも生々しかったし、なによりあたしと瑞恵は同じ体験を共有しているのだ。あれは夢だと片付けるには、刷り込まれた恐怖が大き過ぎた。
「ここまでガチのオカルトは初体験だったよ……」
瑞恵が柄にもなく弱々しい声で言う。あたしは余裕を取り戻そうといつものように笑ってみせる。
「いつもの元気はどうしたのよ」
「ネタじゃないオカルトって、本当に怖いんだね……」
すっかりしおらしくなった瑞恵に、あたしは「あっ、ここだ」と前々から思っていたことを提案してみる。
「これからはほどほどにしない? あたしもこんなのはもう勘弁よ」
「うん……考えとく……」
ぼそぼそと力のない声とは裏腹に「懲りてねぇな」と感じさせる瑞恵の返事に、あたしは苦笑を漏らしながらベンチから立ち上がった。
「まあ、とりあえず今日は帰りましょうよ。この時間だと割増タクシーになるけど、お金はちゃんと十分な金額持って来てるわよね?」
目をぱちくりさせた瑞恵は財布を開いてしばらく黙っていると、「うん」と力強くうなずいた。
「深夜割増、二人で乗れば怖くない!」
「その発言が怖いわよ」
いくらかいつものトーンを取り戻した瑞恵に安心したあたしは、そう笑って彼女の手を握って立ち上がらせる。そのまま手を繋いで出口へとむかい――そこであたしたちは恐ろしい事実に気づいた。
「あれ? このホーム、出口どっち?」
最初に違和感を覚えたのは瑞恵だった。歩くホームの先に階段が見えないのだ。
「こっちじゃないわね。反対側かな」
振り返ってホームを反対方向に歩く。けれどそこに見えるのは天井を支える柱ばかりで出口の階段は見えない。
「え……ここ、出口なくない?」
鳥肌が立った。よくよく観察すれば、このホームはおかしい所だらけだった。普通は天井にあるはずの出口等の案内板がなく、それどころか駅名の表示すら見当たらない。こんな駅のホームなんてある訳がない。駅に着いたとき「なんの変哲もない地下鉄の駅のホーム」だなんて思った、少しでも見慣れた光景に安心して注意深さを失った自分の愚かさに無性に腹が立った。それとともに焦燥感が背筋からじりじりとせり上がってくる。瑞恵を見れば顔色はすでに蒼白で、その瞳は焦点も定まらずにゆらゆらと揺れている。
「嘘、え、嘘……」
「お、落ち着いてミズ、ここでパニックになっても――」
そのときだった。
『まもなく0番線に最終電車がまいります。黄色い線の内側に下がってお待ちください』
アナウンスが流れた。あたしたちはその内容が理解できずにその場で固まった。
「なんで電車が――」
疑問。あたしたちは終電に乗ってここまで来たのだ。次の電車なんて来る訳がない。なのにこのアナウンスは電車が来ると言っている。それも0番線と言った。ホーム番号を探す。ホームの中央列の天井にその表示『0番線』があった。けれどあたしはこの表示よりも、その近くに見えた時計の針の指している時間に戦慄を覚えた。
「0時0分――」
そこでホームの空気が動いた。電車が空気を押す風だ。それとともに電車の走行音が遠くから響いてくる。
「ほ、本当に電車? か、回送電車かな――」
あたしが淡い期待を込めてそう口にした瞬間、風が流れてくる方向に見えるホームの一番奥の照明が消えた。
「え」
「なに」
照明が次々と消えていく。普段見る電車がホームに入ってくるのと同じくらいのスピードで照明が次々と消えていく。同時に電車のブレーキ音混じりの走行音はドンドンと大きくなっていく。
――なにかが近づいてきている。
そう思った瞬間にあたしは瑞恵の手を引いて走り出した。逃げろ、逃げろ、逃げろ。でないときっと、きっとあたしたちは――、
「あっ」
そこで手を後ろに引かれた。その勢いで瑞恵の手が離れる。振り返る。瑞恵が転んだ。瑞恵が転んで、手を伸ばして、あたしに、その後ろに暗闇が、なにも見えない暗闇が、この世とは思えない暗闇が迫っていて――、
「ミズ」
「サキ、助け――」
瑞恵の姿が暗闇に呑まれて声ごと消えた。消えた。消えたのだ。暗闇に見えなくなったんじゃない。存在そのものがここから消えたのだ。そう直感したあたしは、もう振り返ることもできなかった。
「ミズ、ミズ、ごめん、ごめん、ごめん――」
走った。あたしは走った。瑞恵に謝りながら、泣きながら、あたしは走った。ホームの、ホームの一番端へと、わずかな望みに縋るようにあたしは走って、走って、走って――。
――あたしはホームの端に辿り着いた。
もう逃げ場はない。ホームの端の壁に背をつけて振り返る。消える照明は電車が止まるようにゆっくりと速度を落としていた。けれどそれは確実にこちらに近づいてくる。なにも見えない虚無のような暗闇が、瑞恵を呑み込んで消してしまった暗闇が、確実に近づいてくる。
あたしは祈った。止まれ、止まれ、止まれ。照明はひとつずつ消えていく。止まれ、止まれ、止まれ――、
「止まれぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
あたしの叫びに応えるように、頭上の最後のひとつだけの照明が消えずに残った。
「止まっ……た?」
あたしは力が抜けてしまって、へなへなとその場に座り込んだ。目の前に暗闇が広がっている。瑞恵を呑み込んだ暗闇。あたしはぼんやりとこの暗闇を見つめる。そして「ああ――」と息を漏らしながら暗闇に手を伸ばした。
「――ミズ」
そこであたしが暗闇の中に瑞恵の姿を――あたしを呼ぶように両手を伸ばして微笑んでいる瑞恵の姿を見たと思ったとき――、
「あ」
――最後の照明が、消えた。
0番線の最終電車 ラーさん @rasan02783643
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