ヴィーガニズムが実現した世界

カキノモト

ヴィーガニズムが実現した世界


 植物由来の人造肉。

 その工業的創造法が確立された。

 人造肉の栄養価や美味しさは、通常の肉類と遜色がないことが証明され、今や世界は人造肉ブームだ。

 各企業は我先にと人造肉を生み出し、その種類は日を追うごとに数をましていっている。


 このブームに乗っかる形で、ある思想が台頭する。

 ヴィーガニズム――人間の生活のために経済動物を使役することを否定する哲学だ。



 ヴィーガニズムの主張が始まった当初は、人々に理解されず、ヴィーガニズムを提唱する者は変人のような認識をされていた。

 その歪んだ認識を正すべく、ヴィーガニズムの者――ヴィ―ガンたちは行動を起こした。


 動物の毛皮を使わずとも人工毛皮があり、動物の革ではなく人工皮革を見るべきだと、ファッション界で主張した。

 この新しい提案に、賛同者が現れ、動物由来の衣服を見直す流れを作った。


 この調子で行こうと、ヴィ―ガンは次の行動に移る。

 畜産業の残酷さを世界に知らしめようとしたのだ。

 狭い小屋に押し込められ、卵を得るために飼われている鶏。牛乳を得るため、耐えず妊娠と出産を繰り返させられる乳牛。育った毛を丸刈りにされる羊。

 そして、屠畜場で殺されて枝肉にされていく、畜産動物たち。

 そんな映像を世界に公開したのだ。

 

 残酷な映像の数々を目にし、人々は畜産に対する認識を改める。

 そうヴィ―ガンたちは目論んだが、そうはならなかった。

 むしろ見たくないものを見せられたと、人々はヴィ―ガンを非難した。


 そもそも人々は知っていた。

 畜産業が動物の死の上に成り立っていることを。

 ただそれを、自分たちの裕福な生活のためだからと、見ないようにしていただけ。

 そんな見ないようにしたものを突きつけられたのだ。

 ヴィ―ガンに対して、汚物を投げつけられたような不快感を感じてしまうことは、当然の反応といえた。


 しかしヴィ―ガンは頑なに主張し続けた。

 残酷な光景から目を逸らすなと。この光景を作っているのは、動物の毛皮や革や肉を愛している、お前たちなのだと。

 この頑なな態度が、皮肉にも世間からヴィ―ガンが変人だと見られてしまう土壌を育てることになってしまっていた。


 大多数から理解されないヴィ―ガンの畜産業に対する主張だったが、風向きが変わったのは、人造肉の製造が始まってから。

「人工的に肉を作れるのなら、高い餌代を払って畜産動物を飼う必要ってないんじゃないか?」

 そういう意見が出るようになり、食肉に対する疑問が人々の間で育つようになったのだ。

 やがて人造肉の大量生産法の確立、味の改良、通常の肉と比べた費用対収穫量の報告――そんな過程を経るたび、畜産に対する疑問視が増えていった。

 人造肉が出来たことで、ヴィーガニズムが世間に浸透し始めたのだ。




 そして西暦20XX年。

 全世界で人造肉を作る工場が建ったことを切っ掛けに、世界の人間社会は大きく舵をきった。

 安価で大量生産でき栄養価も満点な人造肉があるのだから、大量の食糧や水を消費する畜産をする必要はないと、主要国合同会議にて畜産の撤廃が主張されたのだ。

 そして十年後には、全世界で畜産業を失くす議定書が発行された。

 いわゆる「ヴィ―ガン議定書」である。


 ヴィ―ガン議定書が作られたことを知り、女子大学生の段木智(だんき とも)は、鼻も高々に隣室のチャイムを鳴らした。

「はーい――って、お前かよ」

 扉を開けて顔を出した早々に憎々しげに呟きを漏らしたのは、藪睨みの目を持つ男性――智と同じ大学に通っている顔見知り、十八水網弥(とやみず あみや)だった。

 その網弥に向かって、智は自慢げに口を開く。

「とうとう世間が、私たちヴィ―ガンに追いついたわね」

「……ああ、あの議定書の件か」

 網弥は面倒くさそうにガリガリと頭を掻いた後で、智を部屋の中に招き入れた。追い返そうとしても無駄なことは、彼女と大学で顔見知りなって以降の経験から学んでいたからだ。

 網弥は麦茶を用意しつつ、智に椅子を勧める。網弥自身はベッドに腰かけて、智と対面する。

 この形が、二人がこの部屋で話を行うスタンスになっていた。

「良かったな。お前らの主張が世間に認められて」

 網弥がおざなりな賞賛の言葉を送ると、智はにやついた笑みを返してきた。

「どこの誰だったでしょうね。人造肉が出来ようと、人間は畜産を止めることはないなんて言った人は」

「ここの俺のことだよ。まあ、その主張を撤廃する気は未だにないけどな」

「あれ? 世界は、畜産廃止の流れになってきているのにぃ?」

 嫌らしい声色で詰ってくる智に、網弥は『うざったい』と身振りする。

「安価で大量に作れる人造肉。畜産を制限することによって消費が浮く穀物類。この二本立てでもって、世界から餓死者を無くす。これが「ヴィ―ガン議定書」の骨子だ。お前らヴィ―ガンが主張する、食肉は悪だとする意見に、世界が支配されたわけじゃない」

「相変わらずの理屈っぽさ。素直に負けを認めた方が良いんじゃない?」

 にやにやと笑う智に、網弥はただでさえ鋭い目を細めて見返す。

「果たして本当に、世界はヴィ―ガンの言うような形になるかな。俺にはとてもそうは思えない」

「……どういうこと?」

「ヴィ―ガン議定書が提言している、これからの十年を見れば、お前らの主張する世界とはどういうものか、否が応でもわかるだろうよ」

 意味深な網弥の言葉だったが、智は負け惜しみの言葉としか思わなかった。



 ヴィ―ガン議定書が作られて直ぐ、世界中の畜産業は大混乱に陥る。

 あと十年で稼業を畳まないといけなくなったからだ。

 畜産業者は、各国政府に対し、賠償を求めた。

 政府都合による一方的な廃業になるのだ。保証されなければ困ると。

 各国政府が畜産業者と話し合いに入ると、別の産業からも話し合いに入りたいと申し出てきた。

 意外なことに、お菓子業界だった。

「畜産は肉だけではない。菓子作りに必須な、卵に乳製品も畜産でしか得られないもの! これらが無くなっては菓子業界に大打撃だ!」

 二つの業界からの真っ当な主張に、政府も動かざるを得なかった。

 畜産業界に対しては、牧場の土地を別業種へ転用する際にかかる代金の補助を出す。

 菓子業界に対し、人造肉を製造している企業に人造の卵黄と卵白、そして代用牛乳の研究開発を頼んだ。

 どちらの制作も、予算は国の税金から出すことになった。



 畜産と菓子業界の話が一段落ついた頃、世界中で食肉ブームが湧きおこる。

 あと数年で、全ての家畜の肉が食えなくなるのだ。

 この際に食べ納めをしようと、躍起になって食肉を買い込んで食べ始める事は人の道理に合っていた。

 食肉を大量消費するブームは、閉業が決まっている畜産業界にとって追い風になった。

 所有している在庫――つまり畜産動物を、全て売りに出すことができるようになったからだ。


『こちらの牧場も、全ての牛を食肉用として出荷した後のようです』

 テレビでニュースキャスターの映像が流れるのを見て、智は忸怩たる思いを抱いていた。

「牧場の牛を食いつくしてしまうなんて、人間は救い難い存在ね。そう思わない?」

 話題を投げた先は、食事に箸を伸ばそうとしていた網弥だった。

「それは、今まさに和牛の焼肉を食べようとしている俺に対する当てつけか?」

「どうせ数年後には畜産動物はなくなるのだし、今から人造肉に慣れようとは思わない?」

 智の主張に、網弥は肩をすくめる。

「またぞろ、肉にされる動物が可哀想だとか言う気か?」

「事実、可哀想でしょ」

 当たり前を語る智の口調に、網弥は焼肉を箸で摘まみながら溜息を零す。

「……お前らヴィ―ガンの主張のせいで、畜産動物が絶滅することになったって気付いていないのかね」

 聞き捨てならない言葉に、智が食って掛かる。

「私たちのせいで絶滅だなんて、いい加減なことを言わないで!」

「……じゃあ質問するが。いま牧場にいる牛や豚は、畜産が禁止になった後、どこで暮らすんだ?」

「どこって、いまいる牧場で死ぬまで飼われるに決まっているでしょ」

 智の考えを聞いて、網弥は『本気でいっているのか』と疑いの目を向ける。

「畜産動物はペットじゃない。言い方は悪いが、金を稼ぐための道具だぞ。売れない不良在庫なんて、廃棄するに決まっているだろ」

「動物を道具だなんて!――」

「条件反射的に、道具の部分に噛みつくな。俺が言いたいのは、畜産動物は全て、売れなくなる前に屠殺される運命にあるってこと。そして畜産業が禁止される未来には、畜産動物は種として存在できなくなるってことだ」

 網弥がイライラとした調子で語った内容について、智は首を傾げる。

「人間に飼われなくたって、牛や豚とかは野生に帰したりすればいいでしょ」

「馬鹿か。牛も豚も、人間が品種改良して作った生き物だ。自然界から見れば、在来種を脅かす外来種なんだぞ。実際に昔、大地震で畜舎から逃げた豚が野生化した際には、生態系への影響が懸念されるからって、猟友会に頼んで狩ってもらっただろうが」

「その件について、私たちヴィ―ガンは納得してない。人間が調整しなくたって、自然は牛や豚を受け入れてくれるはず」

「おいおい、牛や豚を生かすために、その土地にもともと住んでいた他の動物が絶滅しても良いっていうのか? ヴィ―ガンさんよ。野生動物なら可哀想じゃないってのか?」

「……絶滅するって、決まったわけじゃ」

「いや、するね。人間が歩んできた歴史を見れば分かる。良かれと思って輸入して自然に放した動物によって、目的外の在来動物が死に絶えた例なんて幾らでもある」

 ザリガニ、ウシガエル、ブルーギル、などなど。

 輸入目的は様々だが、日本国内に持ち込まれて自然に放された結果、方々の土地に回復不能な傷痕を産んでいる。そして、それら輸入動物の所為で姿を見なくなった生き物は枚挙にいとまがないほどだ。

 牛や豚などの畜産動物を自然に放せば、それと同じことが起こると、網弥は主張する。

「自然のことを考えるからこそ、いまある畜産動物は食いつくさなきゃいけない。お前らヴィ―ガンが主導したせいで、数年後には畜産業はタブーになってしまうんだからな」

 言い切ってスッキリしたのか、網弥は少し冷めてしまった焼肉を口に入れた。

 大量に食肉が出回っている関係で安く手に入った和牛だったが、その味は極上のもの。少し冷めているぐらいで、評価が下がるようなものではなかった。

 網弥がいつになく幸せに目を細めていると、言い任された形になった智は腹立たし気に椅子から立ち上がった。

「ふんっ。数年後には、私たちヴィ―ガンが望んだ世界がやってくるんだから。それまで精々楽しめばいい!」

 ドスドスと足音を立てて、智は網弥の部屋から去っていった。



 ヴィ―ガン議定書が宣告していた時期がきた。

 世界で一律に畜産業は撤廃され、同時に禁止された。

 この日までに、人造肉の製造会社が研究開発を頑張り、人工的な卵や乳製品の製造に成功。

 畜産禁止が免除されるのではないかと思われてた、養鶏と乳目的の畜産も禁止になった。

 こうして、畜産で育てられていた全ての動物は食肉に回され、やがて農場に一匹の畜産動物の姿もなくなった。

 一時期は動物園で畜産動物を何匹か飼うという話もあったが、ヴィ―ガン主義が台頭している昨今、動物園も閉園の憂き目にあうかもしれないからと見送られた。

 そのため畜産で飼われていた種の動物は、精子と卵子という形で冷凍保存されている以外は、この世界から消滅した。

 畜産業が消滅したことによる経済的な混乱も懸念されたが、畜産業が占めていた領域(ニッチ)を人造肉の製造会社が埋めたことで事なきを得ていた。



 ヴィ―ガンが望んだ、人に搾取される動物のいない世界。

 畜産業の消滅という形で実現されたかに思えたが、ここに来てヴィ―ガンの中で主張が二分されることになる。

 望んだ世界が来たのだからと活動を休止しようとする一派と、未だに人に搾取されている動物がいると主張する一派だ。

「畜産業が消えたいま、搾取されている動物なんてどこにあるんだ?」

 当然の疑問に対し、未だにいると主張する側が答える。

「歴史的背景から見逃された場所がある。遊牧民が山羊や馬を飼うこと、競馬用の馬、ナチュラリストの農耕用の牛と馬車用の馬、それと愛玩動物もだ。あれらもまた、人間が動物を搾取している形だ」

「それらを禁止するべきだというのか。それはあまりにも原理的にすぎないか。遊牧民やナチュラリストたちが馬を飼うことができなくなったら、彼らの生活が崩壊する。競馬の馬がいなければ、競馬の歴史が終わってしまう。愛玩動物だって、その存在が生きる支えになっている者もいる」

 活動を休止すべきと主張する一派は、そう建前を言った後で、本音を付け加える。

「牛や豚に鶏を見てみろ。あれらは、いまや精子と卵子でしか存在していない。そちらが主張する通りに物事を行えば、人間に寄り添って存在していた動物は全て、精子と卵子で残るだけになってしまう。人間からの搾取を厭うあまりに、全ての動物を絶滅させるなど、ヴィ―ガンたる者が目指すべき道かね?」

「人間に動物からの搾取を止めさせる。それこそがヴィ―ガンの意義であり、至上命題だ!」

 数多の宗教でそうであったように、このときヴィ―ガンの中で、原理原則を重んじる者と、現実に即した形に活動を整えるものとで分かたれた。

 そして皮肉なことに、畜産業廃絶という大目標が消えたことで余った活動エネルギーが、ヴィ―ガンの原理主義と現実主義で争うことに使われてしまう事態になる。

 原理主義者たちは、遊牧民が山羊を締める写真をパネルにし、競馬で酷使される馬の現状を嘆く文章を読み、世間に対して抗議を行う。

 現実主義者たちは、原理主義者は頭が壊れた者たちであり、我々は違うのだと越え高に主張して世間との融和を目指す。

 奇しくも、この双方の姿は、ヴィ―ガン議定書が出る十年以上前にはよくあった、食肉を愛する一般の人たちと食肉を忌避するヴィ―ガンたちが争う構図と酷似していた。



 ヴィ―ガンが内輪揉めをする間に、世間は畜産業がない世界に順応していた。

 ヴィ―ガン議定書のお陰もあり、人造肉の製造は日進月歩で飛躍し続けていたのだ。

 現在では、制作者が望むままの肉を作り出せるまでになり、個人制作用の小型の機械まで生み出されたほど。

 その個人用の人造肉製造機を入手して、大学を卒業した後に社会人となって生活をしている網弥は、満面の笑みを浮かべていた。

「ふふふっ。これで上手い肉が食べ放題だ」

 製造機をどう使おうかと楽しく悩む網弥へ、声がかけられる。

「ちょっと! 人造肉の製造会社に就職した上に、家でも人造肉を作ろうとしているなんて、十年前から相変わらずの肉バカね」

 その声の主は、大学を卒業してから一層に女性の魅力を増した、智だった。

「俺が会社の人造肉の開発部で培った技術を使えば、この機械でどんな肉だって作りたい放題なんだぞ。買わないなんて選択肢はないだろ」

「肉なんて、形や厚みを抜かしたら、どれもこれも同じようなものじゃない」

「これだから、元ヴィ―ガンは。人造肉で牛、豚、鶏の風味をそれぞれ出すために、どれだけの苦労が研究開発であったのかを知らないんだからな」

「元ヴィ―ガンじゃないし! 現実主義派なだけ!」

 言い合いをする二人の姿は、大学の頃と比べて刺々しさが取れていて、傍目からはじゃれ合いにしか見えないものだった。

 それもそのはず、二人の左手の薬指には、同じ形状のペアリングがはめられているのだから。






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