バイソンとオオカミ

 その日は雪がしんしんと降り続いていた。穏やかな日ではなかったが、私は倒木に腰を下ろしていたかった。

 降りしきる雪でよく見えないが、遠くの方に黒い塊がいくつも集まっているようだ。


 そのうちの一つがこっちに向かって近づいてくるのが分かった。

 岩のような黒い大きな塊が数メートル手前の所迄やってきた。もの凄い存在感だ。太古の昔を感じさせる。真っ黒い毛むくじゃらの体に白い雪が降り積もって先が凍っている。小さな黒い目。鋭い角。そいつが吐く真っ白な息が、岩ではなくて生きている事を物語っている。

 地吹雪で気づかなかったが、よく見ると、そいつの足元に小さな同じ物がたたずんでいた。

 バイソンの親子。


 親子はそこにビゾが居る事など気づいていないように、そこに座り込んだ。子供のバイソンが親に体を擦り付けると、親は子供の体をペロペロと舐め始めた。親子の目は野性の物とは思えなかった。こんなに優しい目をする事があるんだと、微笑ましい気持ちになった。


 バイソンを見ているビゾの事を、少し離れた所からルーフが見ていた。

 ルーフが駆け足でやってきて、ビゾの隣に腰を下ろした。

「ビゾ、あの大きなバイソンがビゾに見えたよ。ビゾの髭も白く凍っているよ。あのバイソンの優しい目と同じ目をして、ビゾはそれを見ていたよ。僕はなんだかバイソンの子が羨ましくなっちゃった。僕もちょっとだけ甘えていいかな」


 ルーフがこんな事を言うのは初めてだった。この子はオオカミの巣から連れ帰った時から、甘えるような仕草は殆どした事がなかった。

 ああ、この子はずっと我慢してきたのかもしれない。私がそれに気づいてあげられなかっただけなのかもしれない。やけに自立した子だと思い、厳しく育ててきたが。


「ああ、いいとも」

 私はそう言ってルーフをしっかりと抱きしめた。その身体は思っていたよりずっと華奢で柔らかかった。狩の能力も高く、もう一人前の猟師になったと思っていたが、まだ子供だ。もっと甘えさせてあげればよかった。涙が出てきた。なんて健気な子なんだろう。私は腕に力を込めた。


 ふと何か違う気配を感じ、顔を上げると、バイソンの親子から十メートル程離れた所に一匹の白いオオカミの姿があった。

「ルーフ」

 私がそう言ってルーフの方を見ると、彼は既にオオカミをじっと見つめていた。


 こいつの目!!

 何て目で見ているんだ!

 同じ目。白いオオカミとルーフの目は同じ目をして見つめ合っていた。


「お前は」

 その後に言おうとした言葉を私は必死に飲み込んだ。その言葉を発してしまったら、ルーフはオオカミになってしまうと思った。私の子供や妻が私の口にした動物になってしまったように。オオカミになってしまってもルーフの魂は無くならないと分かっていても、この子を手放したくはなかった。


 どの位時間が経っただろう。私はその後の事は何も分からない。



 ビゾの身体がルーフにもたれかかってきた。

「ビゾ!! ビゾ!?  どうしたの? ねえ、ビゾ!!」

 ルーフはビゾの身体を揺り動かし、泣き叫んだが、ビゾの身体から命の炎は消え去っていた。


 ビゾはバイソンになったのか。

 バイソンを見たら、僕はビゾとの思い出の時間に浸れるように神様がし向けてくれたのか。とても悲しかったけれど、それを受け入れる事が出来た。最後に僕はビゾに優しく抱いてもらえた。

「ビゾ、ありがとう。僕はビゾみたいな立派な猟師になるよ」

 ルーフは小さな声で呟いた。

 それが聞こえたのか、遠くにいた大きなバイソンはルーフを見て頷くと、子バイソンと一緒に遠くの山へ消えていった。


 オオカミの遠吠えが聞こえた。姿は消えていたが、さっきの白いオオカミに違いない。ルーフの身体がビクッと動いた。

 ルーフが抑えきれずに腹の底から天に向かって出した声は、悲しみと希望に満ちた深い深い遠吠えとなって、迫り来る闇を震わせた。


 このポーラカムイ島は野生動物だけが住む美しい無人島となった。

 最期の猟師となったビゾとルーフは野生に生きる者達の一員であり、全ての者に受け入れられ、尊ばれていた。そしてその魂は人間ではない何かの中で永遠に生き続ける。

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極北の島 最期の猟師 風羽 @Fuko-K

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