エピローグ 平民のくせに生意気な!

「へー、あの時のクレア様、そんなこと考えてたんですか」

「レイこそ、今まで黙っていたなんてずるいですわ」


 革命から数ヶ月が経過しました。

 わたくしはレイと供に郊外に居を構え、慎ましやかですが穏やかな生活を送っています。

 今日はレイもわたくしと同じく日記をつけていると知ったので、お互いのそれを交換して読んでみようということになりました。

 家のテラスにある椅子に座って、のんびりそれを読み進めます。


 レイから見たこの一年とちょっとの記録は、わたくしが見たそれとは随分と違います。

 出会った頃のわたくしはレイのことを完全に邪魔者扱いしていましたが、レイは当時から本気でわたくしのことを愛してくれていたようです。

 当時の自分の振る舞いを思い出すと、羞恥心で穴に埋まりたくなります。

 本当によく愛想を尽かされなかったものです。


「クレア様から見て、一番意外だったことって何ですか?」


 ふいにレイがそんなことを聞いてきました。

 わたくしはすぐには答えず、しばらく考えてから返事をしました。


「やっぱり、お父様との計画のことですわね。ほとんど出会ってすぐのタイミングだったでしょう?」

「あー、それですか。クレア様に内緒で色々悪巧みするのは楽しかったですよ」


 そんなことを言うレイの表情は、完全に悪戯小僧のそれです。

 内緒にされた方は堪ったものじゃありませんでしたが、わたくしの性格を考えると、レイとお父様の選択は正しかったと言わざるを得ません。

 結果、わたくしは憎まれ口の一つも叩けないのでした。


「レイはどうですの? わたくしの日記を読んで一番意外だったのは?」


 レイによれば、彼女には未来の出来事を知る術があったとか。

 その中にはわたくしのことも含まれているらしいので、意外なことなど何もなかったのではないでしょうか。


「意外なことが多すぎて決めきれませんよ」

「そんなに?」

「はい。だってクレア様、出会ってすぐのタイミングでも、そんなに悪役令嬢してなかったじゃないですか」

「そ、そうかしら……?」


 レイに言わせると、もっと悪逆非道な面が見られると期待していたら、思いのほか友だち思いの善良な少女過ぎて、いい意味で期待を裏切られたとのこと。


「ピピ様とロレッタ様って、ただの取り巻きじゃなかったんですね」

「二人は親友ですわ。取り巻きだなんて人聞きの悪い」

「すみません」


 ピピとロレッタに起きたことも、わたくしは日記に書き記していました。

 彼女たちのことをあまりよく思っていなかったらしいレイにとって、その記述は反省の材料になったようでした。

 わたくしとレイの共通の知人なのです。

 誤解を解いて仲良くして貰わなければ困ります。


「アモルの祭式辺りの記述もとても興味深かったです」

「あっ! そこは見てはダメと言ったでしょう!」

「え、フリですよね?」

「なんですのよ、フリって!?」


 結果としてレイとの仲を一歩前進させることになったあの祭式ですが、わたくしにとっては赤面せずには思い出せない黒歴史なのです。


「いやあ……。つくづく思いますけど、私、思ってたよりも愛されてたんですね」

「そうですわよ。鈍感」

「すみません」


 わたくしが毒づくと、レイは少し困ったように笑いました。


「クレア様の貴族としての成長記録として見ても面白かったですよ」

「やめてちょうだい。出会ったばかりの頃のわたくしは本当に幼稚でしたわ。思い出したくもありません」


 まだ平民をただの支配対象としか見ていなかったあの時期。

 物乞いをする子どもたちに嫌悪感さえ抱いていた、未熟な自分。

 ドル=フランソワとミリア=フランソワの娘として、あり得ざる失態でした。


「でも、ちゃんと成長出来たじゃないですか。今や革命の乙女なんて言われてるんですよ?」

「それもやめてちょうだい。ほとんどあなたとお父様が敷いたレールじゃありませんの。わたくしがしたことなんてほとんどありませんわ」


 他人の功績を自分のものとして誇るほど、わたくしは落ちぶれてはいないつもりです。

 貴族がとか平民がとか、そういう問題ではありません。

 これはプライドの問題です。


「それにしても……。少し奇妙な記述があるんですよね」

「え?」

「クレア様にルームメイトなんていましたか?」

「いいえ? わたくしはずっと一人部屋でしたわよ?」


 てっきり、わたくしが公爵家の令嬢だから、特別扱いだったのかと思っていました。


「そうですよね。でも、日記を見ると、クレア様にはルームメイトがいらっしゃったはずなんです。それも幼馴染みと言って差し支えないくらい、長い付き合いの貴族の女性が」

「そんな……」


 そんなことがあるわけありません。

 わたくしと長く付き合ってきた人間は数えるほどしかいないはずです。

 家族とメイド長、レーネを除けば、あとはピピとロレッタくらいです。

 幼馴染みと言えるほどの相手に、心当たりはありません。


「でも、確かに書いてあります。名前は……カトリーヌ=アシャール様です」

「カトリーヌ=アシャール……アシャール子爵家の縁者かしら……」


 やはりわたくしの知らない名前です。

 でも、どうしてでしょう。

 その名前を聞いた途端、胸の鼓動が早くなるのを感じました。


「カトリーヌ? ああ、あの子か」


 記憶の隅にその名前が埋もれていないか悪戦苦闘していたわたくしたちに、ふとかけられる声がありました。


「マナリアお姉様!」

「やあ、クレア。レイも元気そうだね」

「お陰様で」


 革命の際に助力して貰って以来、数ヶ月ぶりの再会です。

 ですが今は、それを喜び合っている余裕がわたくしにはありませんでした。


「お姉様はご存知ですの? このカトリーヌという子のこと」

「うん、知ってるよ。彼女は……そうだね。とっても悲しい運命になった子だ」

「まさか……」

「違うよ、レイ。彼女は生きてる。でも、キミたちに会いに来ることはないだろうね」


 お姉様は何かを知っていて、でも、それを口にするかどうか迷っているようでした。

 


「彼女が君たちの前から記憶ごと姿を消したのは、恐らく彼女の強い意志だ。ボクとしてはそれを尊重してあげたいと思ってる」

「でも――!」

「うん、クレアの言いたいことも分かるよ。幼馴染みであった子のことを、忘れたままになんてしておけないよね」


 立ち上がりかけたわたくしを制して、お姉様は続けます。


「ボクが確認したいことは一つ。カトリーヌちゃんとの記憶には、クレアにとって大きな傷となる出来事が含まれている。ともすればそれは、彼女を恨むようになるかもしれないことだ」

「……」


 お姉様の目は真摯でした。

 本気でわたくしを心配して下さっているのが分かります。

 お姉様は他人であるカトリーヌさんよりも、わたくしのことを優先したいと考えて下さっているのでしょう。


 でも――。


「傷だって、一つの経験ですわ」

「クレア……」

「忘れていい傷なんて、わたくしは一つもないと思いますの。どんなに辛く苦しい記憶だったとしても、それはわたくしの一部ですわ。それを失われたままになどしておけません」


 思い出は、楽しいことばかりじゃないから尊い、とわたくしは思うのです。


「そうか……。ならもう何も言わない。カトリーヌちゃんの記憶を取り戻して上げるね」


 お姉様はスペルブレイカーをわたくしとレイにかけました。

 同時に、わたくしの中に記憶の波が押し寄せました。


「クレア様!」

「だ、大丈夫ですわ。ちょっと目眩がしただけですの」


 椅子から落ちそうになったわたくしを、レイが慌てて抱き留めてくれました。

 それほどまでに、失われていた記憶は膨大でした。


「カトリーヌ……どうして……」

「記憶も取り戻したのなら、分かるだろう? カトリーヌちゃんは自らの罪を許せないんだよ」


 かつて暗殺者としてお母様に近づいたこと、そして自分を救ったためにお母様が犠牲になったことを、カトリーヌはずっと悔やんでいるとお姉様は言いました。

 それは事実ではありますが、事実の一側面でしかありません。


「わたくし、カトリーヌを探しに行きます」

「お供します、クレア様」

「やれやれ、そうなるんじゃないかとは思ってたよ」


 そう言うと、お姉様は一枚の紙を差し出して来ました。


「これは?」

「カトリーヌちゃんの今の住所さ。彼女は今、アパラチアにいる」

「お姉様、大好き!」


 わたくしが思わず抱きつくと、お姉様は笑顔で受け止めてくれました。

 レイが面白くなさそうな顔をしていますが、だってこれは仕方ないでしょう?


「会いに行くなら、早いほうがいい。彼女はあちこちを転々としているようだから」

「そうと決まったら、支度をしますわよ、レイ。メイとアレアを呼んできてちょうだい」

「分かりました。すぐに」


 ◆◇◆◇◆


 そうして、わたくしはレイと一緒にアパラチア行きの馬車に揺られています。

 もうすぐカトリーヌに会えると思うと、心が沸き立つのを抑えられません。


「嬉しそうですね、クレア様」

「それはそうですわよ。カトリーヌはわたくしの妹のような子ですもの」

「……よね?」

「え?」


 よく聞き取れなかったので、わたくしはレイに聞き返しました。

 するとレイは珍しく顔を真っ赤にして、


「カトリーヌ様に、恋愛感情はないんですよね?」


 と言いました。


「レイ」

「はい」

「あなたひょっとして妬いてるんですの?」

「ええ、そうですよ、コンチクショー!」


 レイは突然馬車の壁に頭を打ちつけ始めました。


「やめなさいな、ケガしますわよ!?」

「うう……。己の器の小ささが憎い……。クレア様が可愛すぎるのが悪い……」

「何を訳を分からないことを言っていますの。カトリーヌは妹分。それ以上でもそれ以下でもありませんわ」


 全く、よく分からない所にひっかかるんですから。

 でも……。


「でも……ふふ。恋人に焼き餅を焼いて貰えるのは、案外、悪くないものですわね?」

「クレア様の悪女」

「何とでも仰い。そうですの、レイはカトリーヌに嫉妬しましたの」

「ふーんだ」


 わたくしがからかうと、レイは完全にへそを曲げてしまいました。


「冗談ですわ。わたくしが恋しているのはあなただけよ、レイ」

「つーん」

「もう……。機嫌直してちょうだい、ほら」


 わたくしはレイの頬を両手で包み込むと、そっと口づけを落としました。


「キスなんかじゃ誤魔化されないんですからね」

「じゃあ、どうしたら機嫌を直してくれるの?」

「……膝枕」

「……おいでなさいな」

「やったー!」


 わたくしが呆れたような顔で膝をぽんぽんと叩くと、レイは喜んで横になってきました。


「こんなことでいいんですの?」

「何を言いますか! 世界広しといえども、クレア様に膝枕をして頂けるのは私だけの特権ですよ!」

「それは……そうですけれど」

「カトリーヌ様にもしちゃダメですからね!」


 そう言って念を押しつつ、すっかり上機嫌になったレイは、何だか子どものようでした。


(ふふ……可愛い人)


 次第にうとうとし始めたその横顔を見ながら、わたくしはふと思うのでした。

 このわたくしの心を奪うなんて。


 平民(レイ)のくせに生意気な!

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平民のくせに生意気な! いのり。 @inori_kouta

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