とある駆け出しの一区切り

 結論から言えば、トーリアを含む五人は無事にイエナスの村へと帰ることが出来た。


 彼が崩れ落ちたのはゴブリンに射られた傷が原因だ。九死に一生を得たからだろう、彼は自分自身が手傷を負ったことをすっかり頭から放り出してしまっていた。

 ハルナを自身の膝の上に寝かせていたのも悪い、ちょうどイレーネから見えない位置に傷口があったため、彼女も見落としていたのだ。ハルナを治したことですっかり終わったと思っていた彼女は非常に申し訳なさそうで、後に両手を合わせて何度も謝罪をしてくれた。

 トーリアとしては自身の不覚から負った傷だからと彼女を責めるつもりは一切なかったが、先輩冒険者として彼女自身が、気づけなかったことを恥じている様子だった。ならばとトーリアは村に帰ったあとに訓練をつけてもらうことを彼女にお願いし、これを詫び代わりとして和解した。


 肝心の傷はかなり深刻なもので、深々と突き刺さった鏃が太い血管を傷つけていたようだ。青紫に膨れ上がった太ももはもう一方の脚より一回りも太くなっており、つつけば今にも破れそうな程だった。

 傷口からは半液状に固まりかけている血液と膿が溢れ出ており、ドロットが思わず目を背けるほどに化膿していた。トーリア本人も目を背け、吐き気を催さずにはいられず、自分の身体とは思えないほどに気味が悪かったと後には言っている。

「これもう少し遅かったら脚無くしてたかも。坊や、あなたって運いいわね!」

 というイレーネのフォローは場を和ませようとして言ったのだろうが、あまりにもその様子が鮮明に空想できてしまうため、むしろ場をより凍りつかせただけであった。


 スベったことがわかると彼女はひとつ咳払いをし気を取り直して傷の処置をへと取り掛かる。


 鏃を抜いて血抜きを行い、膿を出してから神秘ミュステリオンでの治療を行うらしい、なんでもこうした方が治りが早いという。

 鏃を抜く時の様子は割愛する。本人の名誉のため、一度の悲鳴と二度の失神、三度の覚醒を経て無事に鏃は取り除かれたとだけ言っておこう。


 その後治療は滞りなく進み、様子を口にするのも憚られるくらいに悲惨な傷口は無事に治療された。青紫に変色していた肌も、少々血の気が足りないが健康な肌色に戻っており、腫れも引いてなくなっている。

 ひとつだけ、鏃の刺さっていた箇所に傷痕が残ってしまった。ギザギザに残った傷口は見るだけでも痛ましいほどだが、冒険者ならこの程度の傷のひとつやふたつは日常茶飯事だ。トーリアは傷を見る度に今日のことを思い出しそうで嫌な気分になったが、この子を助けた勲章だと思ったらいいっスよ、とドロットに言われると多少気が楽になった。


「ドロットさんって、意外といいこと言うんですね」

「意外とは余計っスよ!? こう見えてこの中で一番、等級が高いのは俺っスからね! 俺だけ二桁の十っスよ!」

 どうやらそれは本当のようで、隣のイレーネはそれを聞いて溜息をつき、デリスからは「態度からは想像できないが、事実だ」という肯定の声が飛んできた。


 等級とは冒険者の練度や経験を表すためのもので、ギルドによって認定される。等級は数字で表され、その数字が大きいほど、優秀な冒険者とギルドに認められた証拠になる。

 おおよそ等級が五辺りになると先輩、八を超えると熟練、十二を超えると達人、十五を超えると人外と呼ばれる。

 ちなみにトーリアの等級はまだ一だ、今回のことを考えると等級が上がるのはまだまだ先だろう。


 これはすなわちドロットの等級十はかなりの腕前を持つことを意味していた、何故こんな地域で活動しているのかはわからないほどに。

 実際に彼は等級を理由に何度もスカウトをされている、しかしその全てを彼は断っているらしい。なぜだか理由はわからないが、頑として首を縦に振らないという。

 その理由は長年の付き合いのデリスとイレーネにもわからない、そんなに意固地なやつじゃないのにと首を傾げるほどにだ。



 しかし、トーリアは彼を見ていて思った。

 きっと彼はそんなに難しいことは考えず、ただただほかのふたりと冒険がしたいだけなんじゃないかと。彼ら二人とくだらない話や思い出話をして笑う時の彼の笑顔が、心の底から笑っているように眩しかったからだ。

 冒険に気心の知れる仲間と旅立ち、帰って飲んだり食べたり喋ったり、そして翌日もその繰り返しで。

 きっと、そんなルーティーンを壊したくないのだろう。


 隣でイレーネにおぶられ眠るハルナを見ていて思う、生き残れてよかった。

 反省は沢山ある、後悔もある、しかし今日はもう疲れた。

 続きはかえってまた明日にしよう。


 自然と閉じていく瞼の中に映るのは森の木々の隙間から覗く空、果てを感じさせない雄大な空には雲ひとつなく、どこまでも晴れ渡っていた。



 ***





 村へと無事帰ることができてから数日後、これまで眠りっぱなしだったハルナが目を覚ました。

 目覚めた途端の彼女はなにがなんだかと言った具合で困惑しており、気を失ったあとのことをかいつまんで話すと。

「よかった……私たち、ちゃんと帰ってこれたんだね」

 と呟いて、そのまま泣き出してしまった。

 女性経験の無いトーリアはどうすればいいかわからずにおろおろするだけだったが、その場に偶然居合わせたイレーネのおかげでなんとか宥めることが出来た。

 彼女が落ち着いたあとは話してなかった詳しい話や、隣にいるイレーネが神秘ミュステリオンで治療をしてくれたこと、そして。

「ハルナはさ、冒険者続けるの?」


 今後のことを話し始めた。


 ***


「ハルナはさ、冒険者続けるの?」


 そのセリフを聞いた時、私はどんな表情をしただろうか。

 困った? 怖くなった? 笑った? それとも泣いた?

 自分で自分の表情が分からない、困り果てて自分の心に聞いてみるも、ろくな答えは返ってこない。私の心中を表すかのように身体は勝手に動き、彼から視線を逸らしてしまう。

 そんなに困った顔をしないでよ。

 だって仕方ないじゃん。

 私だってわからないんだもん。


 あの時私は死ぬかと思った、自分の体よりも大きな魔獣に押し倒され、身体を潰されかきまぜられ、普通に暮らしていれば味わわないような痛みを味わった。

 この右肩と左脇腹に残る傷痕は消えないだろう、トーリアが来る前に確認した時には自分でも悲鳴を漏らし、そのまま叫びだしそうになったくらいだ。

 きっと治療してくれた人の腕がよかったんだろう、悲惨な程にぐちゃぐちゃになった私の体はいま、ありがちな大怪我の傷痕くらいにまで収まってくれている。


 もう一度彼を見る、彼の目にはありありと「不安」そして「希望」の感情が浮かんでいた。分かりやすすぎるくらいに正直なこの人は優しく、だからこそ私にこんな質問をしてきたのだろう。

 きっとここで断っても彼は文句を言わない、ここで私が「冒険者は続けない」って答えれば、またあんな痛い思いはしなくて済むんだから。普通の職に就いて普通に暮らして普通に結婚して、そうすればお母さんも喜ぶはずだ、少なくともこんな傷をつけて帰ってくるのを見るよりは。


 そうして私が「続けない」って答えようとした時、ふと何かがその言葉をさえぎった。いや、さえぎられた訳では無い、その言葉が言えなかったのだ。

 どうして?

 もう一度自問自答をしてみても、答えてくれるものは誰もいない。当たり前だ、だってこの声が聞こえているのは私だけなんだから。

 疑問が私を支配する、どうしての反芻で頭が埋め尽くされる。でもそれは不思議と苦痛じゃなくて、なにか大事な事を見落としてるのを思い出させてくれようとしているみたいに感じた。


 私が黙ったのを見て彼がさらに不安げな顔になる。まったく、男の子なんだからもう少しちゃんと構えてればいいのに。あのとき、宥めてくれたときみたいに堂々としてればいいのに。


 でもその姿を見て、少しだけ苦しみが和らいだ、気がする。


 辞めるか、続けるか。


 しばらく考える必要があるのかも。


「トーリア、私は──」


 ***


 あれからさらに三日が過ぎた、ここ数日間は彼女と顔を合わせていない。

 あの時彼女が出した答えは「今は少し待って」という保留の内容だった。それはそうだろう、彼女はあのとき目覚めてから数時間も経っておらず、初めての大怪我ということもあり動揺していてもおかしくなかった。

 我ながらデリカシーに欠けていたと思わずにはいられない、部屋を出たあとイレーネにお小言を言われたが、それも仕方がないだろう。


 ハルナのことだが、今はギルドの診療室から実家へと場所を移し療養中とのことだ。実家の場所は別れる前に教えてもらったが、なんとなく行く気になれなかった。

 今はひとりにしておいた方がいいのかも、なんとなくトーリアはそう感じていた。


「さて、今日はどうしようかな」

 畑で取れた野菜のスープを飲み干しながら呟く、傷の治療に専念するといえば聞こえはいいのだが、実際のところはただただ暇なだけであった。


 道具の手入れは済ませてしまったし、折れてしまった長剣の代わりも見繕った。最近は出ずっぱりだったせいで懐もそこそこに温かく、焦ってまた依頼を受けに行く必要も無い。


 イレーネに頼んだ訓練のことだが、ここ暫くは彼女らもやることがあるらしくハルナが本格的に復帰してから始めることとなった。

 元々は別の街へと旅立つ予定だったが、今回の件を受けて何やら嫌な予感を感じとったらしい。村へと残り何やら色々動いてくれているみたいだ。


 嫌な予感というものがどんなものかはわからないが、なるべく的中してほしくないものである。しかし、彼女らがこの村に滞在しなければ自分は訓練をつけてもらえない。トーリアとしては嬉しい誤算だったが、素直に喜べないのも本音だった。




 また、それとは別に始めたいことがひとつある。先日の話が真実であれ嘘であれ、学んでおくことに意義はあるはずだ。

 今日はどうせ暇なんだし、村へと出向いて色々調べるのもいいかもしれない。


「そうと決まれば、早速出かけなきゃな」


 汗で濡れたシャツを洗い終え、新しい服へと着替えるとトーリアは街へと向かった。

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とあるひとつのものがたり みお @Lycoris0712

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