とある駆け出しと『神秘』


「教会とかではいっつもきちんとした祝詞を唱えろだとか、十字を切ってカミサマに感謝しなさいだとかよく言われたものよ。あんなのなくっても治すことくらいできるっての」

 ハルナを治してもらったあと、イレーネの連れであるドロットとデリスがもどってくるまでのあいだ、二人は暇を持て余していた。

 あまりにも暇だったためトーリアは、思っていた疑問をぶつけてみたのだ、昔にいちど教会で見せてもらった時と治療の様子が違ったのだ。

 あの時は確か寝台へと寝かせた患者の前で十字を切り、何事かを唱えた後に『治癒』の神秘ミュステリオンが行使されたはず。

 それ以来は一度も教会の世話になっていないため、ああいう儀式をしないと行使自体できないものだとトーリアは思い込んでいた。そのため、儀式も何もせずにやってのけたイレーネに対してたいそう驚いていた。

 何も唱えず腕をかざすだけでそんなふうに使えるものなのだろうか? と。


 神秘の使い手は割と珍しい、決して少なすぎる訳では無いがどこかしこにいるものでもない程度には。

 もちろん、教会へと足を運べば少なくとも一人は常駐しているため、全く使える人がいない地域というのはそうそうない。しかし、用事がない限り世話になることがないのも本当だった。


 教会とは神秘の使い手を集めて育成し世界各国へと派遣する国境を持たない組織だ。

 神秘の使い手を神が下界に遣わせた『代行者ライトハンド』だと考えており、神秘の『素質ギフト』を持つ者の保護と管理、訓練の役割を担っている、

 名前の失われた『創世神』への感謝と敬服を説き、世界各国に拠点を持つ国境を持たない団体。

 代行者ライトハンドの保護以外には慈善事業にも力を入れており、街の子供達への授業や孤児院の経営、ほかにも神秘による治療をひきうけたりしていた。


 もちろんこれらは全て無料で、その上お布施を求められたりもしない。そこまで裕福でない平民たちにとって、教会はいわば一つの救世主であった。


 トーリアは過去に一度だけ神秘の行使するところを見たことがある。近所の爺さんが畑仕事の最中に獣に襲われ怪我をし、重症ではないものの収穫期が迫っていたため早めに治したいという理由で教会へと付き添った時のことだ。

 あの時に治療を担当した代行者の顔と名前はもう覚えていないが、治療の光景だけは鮮明に覚えていた。


 あれはたしか、五年ほど前のことだ。


 爺さんを背負って緩やかな傾斜のかかる丘をめざして歩く。当時すでに冒険者になろうとしていたトーリアにとって、老人ひとりを背負うなどわけのないことではあったが、丘の上となると話は別だ。

 ひいひいと息をつきながら登りきると、ようやく教会せとたどり着く。


 節制を美徳とし清貧であることを至高とする教会は、イエナスの村の町外れにぽつんと存在している。

 宿場町として人の流通が増えてからは新しい建築様式が取り入れられ、かつては砂利道だった歩道も徐々に石畳へと整備が進んでいく中でも、それらとは対極的に町外れの教会は昔の姿を保ったままでいる。


 まだ日が昇りきらない眠たげな空を眺めながら、小高い丘に小さくない規模の畑と多すぎないだけの家畜を飼う教会を見て思ったものだ、こんなところで本当に神秘の治療を受けられるのだろうかと。


 しかし教会にて受けた治療でその疑問は粉々に打ち砕かれ、トーリアの心に謝罪と尊敬の念を残すこととなる。


 まだ年若く白髪の少ない神父へと案内され連れられたのは、磨かれた石壇が目立つ礼拝堂だった。

 普段は信徒と孤児とを集めて祈りを捧げるこの場所は、神秘を行使する際には治療室として使われるらしい。なんでも、常日頃より祈りを捧げている場所のため神秘の行使に最適だとかなんだとか。小難しい話はあまり覚えていないがそんな感じだったはずだ。

「それでは早速治療しましょう、こちらへとどうぞ」


 靴を脱ぎ石壇へと上がるように促される。爺さんは「本当にいいのか?」みたいな顔で神父へ不安げな視線を向けたが、にこやかな笑みを崩さない神父の様子を見て観念したのだろう。渋々と言った具合で靴を脱ぎ、石壇へと横になる。

「それではただいまより治療を始めます、お爺さんが怪我をしたところというのは……ああ、脚ですね。承知しました」


 言い終わるやいなや神父はその場で目を瞑り、なにごとかを唱え始める。魔法の詠唱とはまた違う、力を誇示するわけでも、内なる力に語りかけるでもない、なにかに懇願をするかのような言の句を。

 後で聞いてみればあれは神への感謝と祈りを捧げる祝詞とのことらしい、神より賜った素質であるのだから感謝をすることは当然だろう、と後に神父は言っていた。そうして祝詞を唱えながら片手で十字を切りつつ片手で爺さんの患部へと手をかざす、何も起こらないじゃないかと思ったその時、ようやく変化が起きた。


 神父の額の少し前方あたりに小さな光の玉が現れ始める、指の先ほどの光の玉は呆気にとられている間も少しずつ大きくなっていき、人の頭くらいのサイズになると今度は徐々に纏う光が強くなっていく。

 やがて直視するのが難しいほどの眩くなった光の玉から粒子のようなものが降り注ぎ、爺さんの全身へと注がれる。

 数秒のあいだ光が注がれると光の玉はかき消え、代わりに驚いた表情の爺さんが身体を起こした。

 もしかして今ので終わり? そんな疑問を抱いたのはトーリアだけでなく爺さんも一緒だったようだ、自分の脚を口を開けて見つめながらおそるおそると言った具合に神父へと尋ねる。


「なんじゃ、全く痛みを感じんぞ……もしや今ので治療は終わりかの?」

「ええ、治療は滞りなく終了いたしました。痛みが残るようでしたらお気軽にまたおたずねください」

 もはや慣れ切った反応なのだろう、二人の反応に対して特にリアクションを返すわけでもなく、淡々と告げる。そのあと神父はにこやかに微笑み、恭しく一礼してくれた。

「それでは私は子供たちとお昼の支度をしなければなりませんから、これで。あなた方に神の御加護があることを祈っております」

 そういって礼拝堂を出ていく神父を見送り、爺さんとふたり顔を見合わせる。呆けていつものやかましいくらいの減らず口が叩けていないのは見ていてとても面白かったが、爺さんから見た俺もおかしな顔をしていたことだろう。


「……とりあえず帰るかの。ほれ小僧、また儂をおぶれ」

「嫌だよ治ったんだろ、だったら自分で歩けばいいじゃないか」

 その後はやいのやいのと騒ぎながら結局爺さんをおぶって帰る羽目になった、帰り際に一度振り返った教会はやっぱり古臭く、子供たちの騒ぐ声が少しだけ耳に心地よかった。


 ……トーリアが実際に神秘を行使する場面を見たのはそれが最初で最後であり、その時の経験から『治癒』神秘の行使には大掛かりなモノが必要だと思い込んでいた。


「その、治癒以外の神秘もそんなふうに使えるんですか?」

「まあそうね、でも神秘ってすごく疲れるのよ。なんていうのかしら、体力っていうより気力? 気合い? みたいなものが抜け落ちてくような感覚」

 おそるおそるといった具合にイレーネへとたずねる、その質問に対して彼女は自慢するような素振りも見せずに淡々と、当たり前だと言わんばかりに答えていく。


「昔の依頼でね、使いすぎたことが一度だけあったのよ、いやーあの時は死ぬかと思ったわ。廃人ってきっとああいう状態なのよね、その場から動く気力もなくなって私自身、あれ? なんで動かないんだろう? ってなってたもの」

「そんなに、なるんですか? ちょっとやる気が出ないとかじゃなくて?」

 気力が無くなる、それを聞いてどうせ少し気だるくなるだけだろうと思い込んでいたトーリアは、驚きながらつい聞き返していた。


「そうよー、あん時は二人に迷惑かけたなぁ……あ、これ言うと調子乗るからあいつらには内緒よ」

 きっと色んな経験をしてきたんだろう、そう笑う彼女はそれからねと言葉を続けると、デリスとドロットの二人が帰ってくるまで昔の冒険の話をしてくれた。


 その冒険の話はどれも新鮮で、破天荒で、時には死の淵に立たされることもあった。

 イレーネ本人にそのつもりはまるでなかったが、新米のトーリアにはその話の内容全てが勉強になり、そしてこれからの自分に活かせそうな話ばかりだった。

 どこの地域にはどんな魔獣が棲んでいるだとか、どの地域に行く時にはどんなものが役に立つだとか。

 きっと、トーリアがこの話を全て覚えるなり、メモするなりしていれば今後のタメになったことだろう。


 しかしトーリアはその昔話を半分も覚えていない、他のことに気を取られてしまっていたからだ。

 ハルナを救った神秘の力、その力があれば彼女はこんなに危険な目に会わなかったんじゃないかと。

 冒険の話を聞きながら、その力を便利だなと思うと一緒にトーリアは少しだけ、神秘の素質を得ているイレーネを羨ましく思った。


 自分の膝の上で静かな寝息を立てるハルナを見ていて、そう思わずにはいられなかった。



「お〜い、イレーネ! 無事っスかぁ〜?」

 遠くからドロットの声が聞こえる、どうやら見回りは終わったらしい。

「土産に兎と、あといくつか山菜も見つけたから帰ったら食うぞ。ちょうど腹も減ってきたしな」

 そういうのは彼ら三人のまとめ役らしいデリス、見れば右手には既に血抜きのされた兎がぶらさげられており、ドロットの手にもいくつかカゴに入って山菜が見える。


「無事に決まってんでしょ! アンタこそ怪我してないでしょうね? あと、なかなかいい土産持ってきたわね、それなら葡萄酒も買って帰りましょ!」

 二人が戻ってきたならもうここに用はない、立ち上がり帰ろうとしたイレーネに続いて腰を起こそうとするも、上手い具合に力が入らない。


「あれ、おかしい、な」

 そうして帰ろうとしたトーリアは立ち上がることもままならず、ふらりと力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。




 ***


 ダイスボットの上にはダイスがふたつ、安っぽい蛍光灯の灯りを受けてきらりと輝くそれらの出目は六ゾロだった。

 それの隣には両腕を天に向かって突き上げ拳を握り、感無量といった表情で勝利のポーズを取るグレンダの姿がある。自信満々な上に自慢げなその態度は彼の性格そのものを表していて、苛立ちを感じさせながらもどこか憎めないという不思議な雰囲気を作り出していた。


 結論から言うと怯え判定も逃走判定も共に成功し、彼のコマは無事『宿場町』へと逃げ帰ることができた。ソリッドは呆れたように「これだから運ってやつは信用ならねえ」と呟きつつ、グラスに注いだ深紅に透き通るワインを呷る。残虐な暴王のような見た目にそぐわず彼は一人で晩酌するのを楽しみとしていて、その味わい方も心得ていた。


「……ねえ、あんたが進めないと進行できないんだけど」

 腕を突き上げたまま固まるグレンダに向けてツッコミを入れるのは『魔神』ストラノ。彼女のくわえていた世界樹の枝は既に短くなってきており、手元に寄せる灰皿には白い灰となりながらもどこか神々しさを思わせる吸殻がぽつぽつと見える。

「あ、そっかごめんごめん。まあ最初だし……宿場町まで返したところで僕の手番は終わりかな、次はソリッドだよ」

 ようやく勝利のガッツポーズをやめたグレンダは一瞬悩んだ後に手番終了を宣言する。

「なんだもう終わりなのか?」

「初手だし、チュートリアルが目的だからね。あんまり長引かせても悪いだろう? 一応アクション数は残ってるけど」

 プレイヤーは手番のあいだ、アクション数の数だけユニットを行動させることが出来る。

 アクション数を増減させる方法は多々あるがこれは割愛でいいだろう。なぜならお菓子についてくるおまけが如く頻繁に増減するからだ、いちいち説明していてはキリがない。

 グレンダが席に着くと同時に今度はソリッドが立ち上がる、ようやく回ってきた自分の手番が楽しみなのだろう、彼は高揚した様子で盤面へと手を伸ばした。


「じゃあ次は俺の手番だな、俺の動かすユニットは確か……こいつだな」


 ソリッドが先程と別のコマへと手に取り動かし始め、グレンダのチュートリアルと共にゲームは再開する。


 さあ、次はどうなるのだろうか。


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