鼈甲の細工品

葛西 秋

「風浪の残響」番外編

 乱れた息を堪えながら一度深く息を吐いて、修之輔は弘紀から体を離した。背から抱えていた小柄な体に、途中、加減を失って余計な力を加えた気がしていた。

 大丈夫か、と声を掛けると弘紀の息も上がったままで、けれど小さく頷いて、水が欲しい、と囁く声が寄越された。弘紀のその要望を叶えるため、修之輔は起き上がる。


 枕元から少し離れて、部屋を照らす一本の灯明が揺らめく確かその下、この部屋に足を踏み入れてすぐ、抱き着いてきた弘紀と言葉も交わさず唇を重ね、敷布の上に二人して縺れて倒れ込んだその前に、ちらりと光る物を見て、あそこにあるのは水差しか、と微か目の端に留めていた。


 盆の上に置かれたその水差しは、土瓶の形はしていても、透明な硝子で出来ていた。昼の日中に見れば冷たく硬い硝子の質も、真夜中の今は灯明の光にとろりと蕩ける。持ち上げてみれば揺らめく明かりが硝子を透いて、畳に光を躍らせた。その様子に少しの間、目を奪われて、修之輔の視線の先に気づいた弘紀が、透明だと残りの量が一目でわかって便利です、とひどく現実的なことを口にした。


 水を注いだ汲み出し茶碗は、白磁の肌に金彩が細やかな流紋を描いて、黒地の雲形に赤い花片が数枚、はらりと舞って散っている。華やかな装飾のその汲み出しを弘紀の手に直接渡し、触れた指先でそのまま軽く手の甲を撫でると、弘紀は、くすぐったい、と目を細めた。

 弘紀の形良い指が、華麗な磁器の肌を支えて、唇が縁にそっと触れる。


 さっき、あの指が自分の高まりに絡んでいた感触、自分の唇と隙間なく重ね合わせたときのあの唇のあの温度。


 全ては飲まずに一口分の水を残して弘紀が汲み出しを返してよこす。修之輔が飲む分には足りなくても、これを飲めと言外に、求めてこちらを眺める弘紀と目を合わせながら、残り、雫も残さず飲み干した。弘紀はそれを見届けて満足そうに、引き寄せた脇息に寄り掛かる。

 汲み出しに新たに水をもう一度、注いで飲んだその後に、修之輔は弘紀の背から寄り添って、脇息を外させた代わり、弘紀の身体を自分の膝に抱き寄せた。胸に頭を預けてくる弘紀の肩から白絹の単衣が落ちかけて、胸元の肌が露わになる。


 もう一度、は、もう少し後。


 それでも首筋に指を伸ばしてそっと撫で、自分がそれを待っていることを言葉に出さずに弘紀に伝える。さっきの交わりで湿る汗、ひんやりと、吸い付くような肌の感触が心地良い。

 余韻を引き摺って過敏なままの皮膚の感覚に、弘紀がついっと、身を捩る。触れたい指を我慢するその代わり、波に洗われる可憐な造形かたちの貝殻にも似たその耳朶に、尋ねごとを囁いた。

「前の宿直の時は会えなかったのに、弘紀のあそこは随分柔らかかった。自分で触っていたのか」

 あからさまなその問い掛けに、弘紀の耳の後ろが、さっと少し赤くなったのが見て取れた。

「はい」

 それでも答えるその声は、日頃の声より艶めいて、こちらに寄越す目線には微かに媚態が透いて見える。

「指で、だと届かないのではないのか」

 良いところに、と先ほどまで触れていた弘紀の体の内を思い出しながら聞いてみる。

「道具は、たまに使っていますが」

 その答えは、予想外だった。

「気になりますか」

 何故か攻守が入れ替わり、弘紀がどこか悪戯な目つきで聞いてくる。

「……それはどんな」

 かろうじて言葉を発すると、弘紀がするりと修之輔の腕の中から抜け出した。そして床の間、違い棚の下、小さな戸棚の奥の方から何かを取り出し持ってきた。

「これです」

 弘紀がこちらに手渡してきたものを見て、修之輔は返す言葉にさらに詰まった。それはそのまま、見覚えのあるあの形。


 鼈甲の柔らかな飴色が灯明の光を透かしてとろりと光る。


 贅沢な品であることは見て分かるのだが。弘紀は獲物を捕まえてきた猫のような眼差しでこちらを見上げている。

「加ヶ里が、あそこは使っておかないと久しぶりの時はつらいから、と」

 弘紀が何気なく口にした、今ここにいない女人の名前に、いつもより敏感に嫉妬を覚えたのは、二人だけの時間に割り込まれたように感じたからで、面白くない気分を正直そのままに、弘紀の手を取り、鼈甲細工のそれを握らせた。

「いつもやっているように」

「今、やってみるのですか」

 頷いて先を促すと、ちょっとこちらを眺めた後、弘紀はそれを両手で持って先端から舌でゆっくり舐め始めた。

「濡らさないと、入らないから」

 灯明の光に蕩ける飴の色。絡む弘紀の紅い舌。修之輔の目を見ながら、先端の凹凸に沿って舌でぐるりと舐め、なぞる。何回か繰り返したその後は、根元から先端に沿って舌を這わせ、先端から中ほどまでを咥えて出して、そして唇で挟んで横に咥えた。


 耐えきれないのは先ほどから、もう一度、をおあずけにされているからで、思わず弘紀の手を握り、口の中深く、鼈甲のそれを咥え込ませた。

 喉奥の柔らかな粘膜を先端で擦り、少し引いて頬の内側に押し当てると形が外から見て分かる。反対の頬の内側にも押し当てて、舌を絡めるよう促して、喉の奥まで押し込んで、吸い付く唇から引き出して。何度か繰り返すと、やがて弘紀の口の端から唾液が溢れて垂れ、流れた。

 先端を舐る弘紀に顔を近づけ、顎に垂れる唾液を舐めとったその後に、口から出させた鼈甲の、唾液に塗れたその先をそのまま弘紀の唇に押し当てる。そうして間近に見つめ合い、修之輔は自分の唇も鼈甲に押し付けた。

 互いの唇の間に濡れる鼈甲の精巧なその形。修之輔がゆっくり舌を這わせていくと、弘紀は長い睫毛に縁どられたその目を軽く瞠った後、自分も舌を絡ませた。


 一本の鼈甲のそれを二人して舐め合うその行為に、互いの息が荒くなる。いつもの口づけよりも触れ合う場所は少ないはず、なのに、唇が、舌が、触れるか触れないか、熱い息が鼻を、頬を、互いの肌を湿らせていく。

 弘紀が先端をこじるように舐めれば自分は根元近くから、細やかに再現された裏の筋を舌でなぞる。凹凸の部分で弘紀の舌が修之輔の口の端を軽く舐めて、そのまま唇で鼈甲を挟み込んだ。


 鼈甲のそれを持つ弘紀の手首にも二人の唾液は混じり合い、流れ、纏わりつく。垂れる雫を絡め取り、濡れた指で弘紀の後ろに触れて拡げると、もう既に一度は済ませているそこは、ほとんど抵抗なく広がった。

 修之輔は弘紀の手から鼈甲の細工を取り上げ、不意の仕業に戸惑って開いたままの弘紀の濡れた唇に、自分の唇を深く重ねた。取り上げられた鼈甲の代わり、重ねられた修之輔の唇を食んで、絡め合わせた舌を吸い、与えられた接吻に弘紀はすぐに夢中になる。その背中から腰へ手を回し、裾を手繰り寄せて足の付け根、さっき拡げたその場所へ、鼈甲の細工をゆっくりと、根元まで、挿し入れた。

 よどみない手管に、油断していた弘紀の口から押し殺しても声が漏れ、けれど後孔にそれを咥え込ませたまま、修之輔は弘紀の体を横に抱き、頭を押さえて自分のものに押し付けた。

 弘紀は無理な体勢はそのままに、素直に修之輔のそれを咥えて、先程目の前で見せた舌の動きをなぞって、濡れた音を立てさせながら舐り始める。弘紀の足を大きく広かせ、付け根の奥まで手を伸ばすと、鼈甲の細工を挿入したその時から、既に、弘紀自身のそれは硬く上を向いていた。

 埋められている鼈甲を、かるく捻りながらゆっくりと、粘膜を絡めながら引き出して、すべてが外に出る前に、奥まで一息に押し込んで。同じ動きを繰り返すたび、修之輔のそれを咥える弘紀は、動きを同調させようと、懸命に喉を動かす。濡れる水音は上からも下からも、上下をいっぱいに満たされる快感が、弘紀の理性を蕩けさせていく。

 

「どちらが、いい」

 意味は無くても熱に浮かされ、知らず修之輔の口から出されたその問いに、咥えて離さない弘紀は応える必要を感じないのか、ただ喉の奥から充足の声音を漏らし続ける。そうして修之輔のそれが十分な熱を持ったことを確かめてから、弘紀は名残惜し気に口を離し、唇から唾液の糸を引きながら、濡れる瞳でこちらを見上げた。

「偽物じゃなくて、これを、挿れてください」


 甘く濡れて滴るようなその声音、けれどほとんど命令のようなその言葉、待っていた修之輔は弘紀の体を抱え直して鼈甲のそれを抜き取った。

「あ……ん」

 震える体、漏れる喘ぎを聞きながら、鼈甲の代わり、弘紀の唾液に塗れた自分のものを深く、弘紀の体に沈み込ませる。望んだものを与えられ、弘紀の口からは悲鳴にも似た悦楽の矯声が上がった。


 二度目を終えてもう少し、快楽の余韻に横になったままで浸りたい修之輔の、その胸の上に体を重ねて覗き込む弘紀が問うてきた。


「加ヶ里がこれを持ってきた時、貴方の大きさはこんなものだろう、と言っていたのですが」

「……」

「見せた事、あるんですか」

「ない」

「ですよね」


*本作品は千鳥シリーズの「風浪の残響」https://kakuyomu.jp/works/1177354054934987728 の番外編(外伝)となります。

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鼈甲の細工品 葛西 秋 @gonnozui0123

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