ミサイルの窓辺
零真似
左上の奥歯
たとえば学校で授業を受けているとき、ネバーランドで使えるたったひとつの魔法を空想している。
たとえば友達とサッカーをしているとき、地球の右のほうに落とす核ミサイルの色を考えている。
たとえば夜に灯りを消して布団で眠るとき、顔のない女の子に「好き」を伝える練習をしている。
僕はそんな、どこにでもいるようでどこにもいない、ありふれすぎて特別になった子供だった。
「そう。そのまま。なにも考えなくていいんだよ」
囚人の寝床みたいに軋むベッドの上で、暗闇さんはにへらと笑う。その笑みは僕をやさしく包み込んでくれるようで、同時にばくりと飲み込んでしまうような、母性を宿した怪物みたいな笑みだった。
暗闇さんは僕に握らせた拳銃の頭を撫で、その先をゆっくりと自分の喉に宛てがう。
そして震えている僕の手に手を重ねて言った。
「キミはなにも悪くない。悪いのは全部神様で、人間の中にある血液なんだよ」
僕には暗闇さんがなにを言っているのかわからなかった。彼女が口にする言葉の意味なんて、本当は一度もわかったことなんてない。
僕は至極ありふれていて、だからこそ特別な子供のはずだった。
そんな減点法の万能感を抱えたまま生きながらえていた19歳の夏。僕は田舎の寂れた納涼祭で彼女に出会った。
小さな屋台に吊るされた風鈴が鳴って、うなじに沿って流れる長い黒髪が風をまとう。スラリとした体躯を曲げてポイで金魚を掬っていた彼女は、藍蘭の浴衣がよく似合っていた。夏の蒸し暑さを遠ざけるような美しさだった。
その容姿に見惚れたまま立ち尽くしてなにも言えないでいる僕に、彼女はくすりと微笑んで持っていたポイを渡してきた。僕はいいところを見せたくて腕をまくった。そのときは金魚を2匹しか掬えなかったけれど、もう一度夏がきて金魚を5匹掬えるようになる頃には、僕は彼女と付き合っていた。
暗闇なんて名前とは裏腹に、彼女は僕にとって特別な、ありふれた恋人になるのだろうと思っていた。
いつも僕の頬を撫でてくれるような手つきで取り出した拳銃を見ても、まだそんな期待が抜け落ちないでいる。
「わたしね、生まれたことがあるの。でもね、死んだことがないの」
あたりまえのことを、不思議そうな顔で、残念そうに、暗闇さんは言う。
「そんなの、僕も同じだよ」
「うん。同じだね。だからでも、ようやく違えるね」
「……違えるって、なにが?」
「わたしは死ねて、キミは殺せるね」
「そんなこと、僕は望んでない」
僕がそう答えると、暗闇さんは引き金のところにある僕の指に爪を立てた。
「2人で万能になれたら、一緒にスープの中で暮らそうよ」
「ここで暮らしたらいいじゃないか」
はじめてやってきた暗闇さんの家は、囚人が暮らす牢獄みたいだった。
四畳ほどの部屋には安物のスプリングベッド以外になにもない。床も壁も天井も灰色をしていて、呼吸をしているだけで気が狂ってしまいそうだった。
「…………死にたいの?」
「生まれ変わりたいの」
僕は暗闇さんをベッドの上に押し倒し、銃口を彼女の額に宛がった。
彼女が発する言葉はいつだって難解で、ときどきそこに意味なんてないんじゃないかとすら思えてくる。
でも、だからこそ、理解したかった。
そこには特別がある気がしたから。
「死んだら暗闇さんはどうなるの?」
「ウイルスになるの」
「…………」
「……ううん。ホントはちがう」
そういって、暗闇さんは観念するように言った。
「ホントはね。死んだら永遠になるの」
その言葉をきいたとき、ようやく僕は彼女を撃ち殺すことができた。
僕ははじめて彼女の言葉を理解できた気がした。
どこにでもいるようでどこにもいない、特別な女の子を殺して、僕は僕を守れた気がした。
本当の意味で特別になった今は、それが勘違いだったのだとわかる。
僕は生まれた瞬間からどこにでもいる普通の子供で。暗闇さんもそうで。所詮僕たちは生きている限り特別なただのひとりになんてなれはしないのだと、それを悟ることすらできないのだと、今更気づいて、僕は原初のスープの中で暗闇さんと力なく笑い合った。
ミサイルの窓辺 零真似 @romanizero
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