頭上で回るは観覧車

白木錘角

第1話

 ―—どうして遊園地といえば観覧車なんだろう。ジェットコースターだったりメリーゴーランドだったり、遊園地ならではのアトラクションっていくつもあるじゃない? なのに遊園地と聞いて真っ先に思い浮かぶのは観覧車なんだよね。


 ―—さぁな。強いて言うなら……観覧車が一番非日常を味わえるからかもな。


 ―—非日常?


 ―—あぁ。非日常を味わえる遊園地の中でも、ことさら現実と乖離した空中に浮かぶ密閉空間。高く上った時に見える遠くの街並みがより非日常を際立たせる。だから観覧車は遊園地の象徴なんだと俺は思う。






 目を開くと、ゴンドラがあった。ところどころ塗装の禿げた空色のゴンドラだ。男が気づくのを待っていたかのように、ゴンドラのドアが静かに開く。

 どこからか聞こえる軽快な音楽に背を押されるように、男はゴンドラに乗り込んだ。

 仄かな煙草の臭いが鼻を掠める。両側には色褪せた赤い座席。何となく、ドアから見て右側の座席に腰掛ける。

 腰を下ろし一度大きく息を吐いてから顔を上げると、目の前に1人の女性が座ってる事に気づいた。

 薄紫のカットソーに黒いフレアスカートを身に着けた小柄な女性だ。二重でぱっちりした丸い目をキラキラさせこちらを見る様子は、まるで餌を見つけた小動物のようである。ショートボブの明るい栗色の髪が、窓から差し込む夕日をかき乱し輝いている。

 彼女に気づいたのと同時、ゴンドラのドアが閉まる。わずかな揺れと共に、体にふわりと浮き上がるような感覚を覚える。

 窓の外に視線を移すと外の景色が少しずつ下に流れていくのが見えた。その光景を見ているうち、無意識のうちに男は手を強く握りしめていた。





「久しぶりだな」


「何年振りだっけ?」


「ちょうど10年」


「じゃあ10周忌か。いやーもうそんなに経つんだね。全然実感がないや」


「10年経つのにお前は変わらないな」


「当たり前じゃん。10年って事はもう働いてるんだよね? どんな仕事してるの?」


「時計の部品を作っている。小さな工場だけどそこそこ稼げている……とは思う」


「大学生の時から時計好きだったもんねー。彼女を放っておいて暇さえあれば時計を弄ってたし。そういえば、誕生日にあげた時計ってまだ持ってる?」


「あぁ。ケースに入れて棚に飾ってある」


「もー。時計なんだから使わないともったいないじゃん。まぁプレゼントなんだし好きなようにすればいいけどさ。でもあんま過去の女のプレゼントを大切にしていると新しい彼女にやっかまれちゃうよ?」


「……知ってたのか?」


「10年も経てば新しい彼女の1人や2人できるでしょ。怒らないから正直に言っていいよ」


「……実は、今度結婚する事になった。同じ職場で経理をしている人だ。自分から切り出そうと思ったが、先に言われるなんてな」


「やっぱり。今日はその事を言いにきたってわけ? 10年前の彼女に気を遣うなんて、相も変わらず変なところで真面目だねー。それとも……私に対する当てこすりなのかな」


「……」


「ゴンドラの接合部の老朽化だっけ。まぁ古い遊園地だったから仕方のない事だったのかもしれないけど、よりにもよって人が乗っている時に落ちるとは、つくづく運がないよね。遊園地も、私も。」


「今でも時々夢に見る。バイト中に電話がかかってきたんだった。お前が病院に運ばれたって」


「そうそう。でも駆け付けた時には全部終わった後だった。幸い落下地点に人はいなかったけど、ゴンドラに乗っていた2人は即死。彼女と親友を同時に失った気持ちは、“私”には想像も出来ないけど……。涙も出ないほど悲しかったのか、無常な現実への怒りに震えたのか。それとも……疑惑で心は埋まっていたのかな?」


「そうかもしれない」


「彼と私の浮気を疑った?」


「あいつはそんな奴じゃない」


「けど、他人のことを完璧に知っている人間なんていない」


「当時好きな女がいたはずだ」


「私に目移りしたのかも」


「サプライズの相談をしていたのかもしれない。もう少しで誕生日だったから」


「うまく別れを切り出す方法を話し合っていたのかもよ?」


「でも、たしかにあいつはお前と不自然に仲が良かった」


「幼なじみだから当然でしょ。知り合ったのはあなたの方が後なんだし」


「お前は時々俺を疎ましく思っているような目をしていた」


「気のせいだよ」


「お前の携帯にあいつからのメッセージが残されていた」


「私だけに会いたかったのかも。ほら、当時の私たちってその……あれだったじゃない。彼はその状況をなんとかしようとしてくれていたのかも」


「結局どっちが正しいんだ?」


「すぐに答えを出すのは面白くないんじゃない? せっかくだからじっくり考えてみようよ。途中抜けは認められない、一周するまで下りられないのが観覧車なんだから」


「……そうだな」







「当時、私たちの仲は少し悪くなっていた。些細な行き違いが重なって、半ば喧嘩しているような状態だった。ここまではあってる?」


「そうだったな。付き合って2年目で、良くも悪くも熱が冷めてきたのもあったかもしれない」


「うん。それで事故の前、彼の様子に不自然なところはあった?」


「無かったと思う。数日前に飲んだ時もいつもと変わらなかったはずだ」


「本当に?」


「・・・・・・あ。そういえばお前とどんな感じなのか聞かれたかもしれない。今まで2人きりの時にお前の話が出ることは無かったから、変に思ったんだ」


「なんて答えたの?」


「少し険悪になっているとだけ。詳しい事は言わなかった」


「もしかしたら、薄々感づいていたのかもね。そういう事はよく気づく人だったじゃない。私の方にも同じような質問をしていて、もし私たちがうまくいっていないんだったら仲を取り持つつもりだったんじゃないかな」


「そうなのかもな。けど、仮にそうだったとしてお前と2人で観覧車に乗っていたのは何故だ? 単純に2人の仲を取り持つつもりだったら、わざわざ遊園地に行く意味なんてないだろ」


「ねぇ、初デートの場所は覚えてる?」


「事故があった遊園地だろ。その後も数えきれないくらい行ったし、俺が告白したのもそこの観覧車の中だった。忘れるわけがない。でも、それに何の関係が?」


「何回行っていても気づかない事ってあるよね。まぁこの場合、忘れていると言った方が正確かな」


「? どういう事だ?」


「喧嘩の理由は些細な行き違いだという事は2人とも分かっていて、だけどお互い強情だから自分からそれを言う事はできなかった。幼馴染だから、私の性分については聞くまでもなく知っていたでしょうし。だから彼はきっかけを作ろうとしたんだと思う。口に出さずとも仲直りが出来るきっかけを。観覧車に乗っていたのは、そのきっかけの下見って可能性」


「きっかけ?」


「そう。窓の外を見て」


「……っ。これって……」


「ここの遊園地って、そばに大きな湖があるでしょ? 観覧車の頂上から一望できる湖。そこにライトの光でメッセージを表示するサービスがあったらしいよ。地面から見たらただライトが並んでいる様にしかみえないけど、観覧車の頂上から見ると、そこに文字が浮かび上がってくる。ちょうどこんな感じにね。覚えていないだろうけど、そのサービスの看板に気づいて私に教えてくれたのはそっちなんだよ」


「そんな事……いや、たしかにそんな看板を見たような……」


「思い出してみて、事故の連絡を受けたのは何時頃だった?」


「7時、ちょうど日の落ち切った辺り……だった。じゃあまさか、お前たちはその確認をするために観覧車に乗っていたのか」


「もしかしたら」


「……お前は、そこになんて書くつもりだったんだ」


「これからもよろしくとか、大好きですとかありきたりなメッセージじゃない? でも私たちにとってはそれで十分だったんだよ、多分。まぁ本当のことは分からないんだけどね。案外2人は本当に浮気していて、いちゃつくために観覧車にのっていたのかもよ」


「最後の最後で突き放すような事を言うんだな」


「2人とも死んじゃった以上、真相は闇の中だからね。それに、そんな事を知るために観覧車これに乗り込んだわけじゃないでしょ?」


「そう……だな」


「浮気が本当だったとしても、ただの邪推だったとしても、あなたにはまだ先がある。だったら答えの出ない問いにいつまでも悩んでいないで納得しちゃいなさい。そうするためにここに来たんだから」


「いつまでも悩んでいないで、か。お前の言う通りだ。目が覚めたよ」


「お嫁さんとは仲良くね。喧嘩したとしても、伝えたい事があるならしっかり言っておくように! 人生何があるか分からないんだから」


「あぁ。今までありがとうな」


「こちらこそ。それじゃあ、さようなら」






 いつの間にかゴンドラは地上に戻っていた。開いていたドアから外に出る。

 軽快な音楽は、しめやかなオルゴールの音に変わっていた。

 振り返ると、頭の上、ゴンドラに乗った彼女が上へとのぼっていく。彼女は笑顔で手を振っている。寒風が生まれた胸の隙間を潜り抜けた。

 錆びついたタラップを下り、人のいない遊園地を歩く。彼女と何度も訪れた場所だ。細かいところまでしっかりと覚えている。

 ゲートをくぐって遊園地の外に出たのと同時、背後から閉園を告げるアナウンスが聞こえた気がした。

 振り返る。何もない。人っ子1人、物1つない跡地がそこに広がっていた。

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