姉と妹の日常

#16 死んだフリをすると?


 お日柄も良く、空には何処までも広がる青空と綿飴のような薄い雲が広がり、水浴びをしながら小鳥がさえずり戯れ合う、そんな平和過ぎるきょう今日こんにち


「あー……暇だ……」


 私はソファにだらん、と行儀悪く腰を掛け大いに暇を持て余していた。


 とにかくやることが無い。

 特にやりたいことも無いし、特にやらなければならないことも無い。

 私は完全に、時間を無駄に浪費する無駄時間の化身となっていた。


「はぁ……こんなことなら、課題はゆっくりやるべきだった」


 ため息を吐き、既に柔らかいソファに沈んだ身体が、一段と深く沈んでいく。


 私は面倒くさいことは全て先にやっておくタイプなので、学校から出された課題は、いつもその日の内に終わらせてしまうのだ。


 本来なら良いことであるはずの行いも、今日に限っては良いことに留まらなかった。


「つまんなーい」


 私は目の前のテレビに流れるほとんど関心の無いニュースを、ただただ意味もなくぼーっと眺める。

 足元のテーブルの上に置かれた、自分で淹れた濃いめの紅茶は、ゆらゆらと白い湯気を立たせてその匂いを私の元まで飛ばしている。

 うむ、実にいい匂いだ。


「あっ」


 その時、テレビの中でニュースだった画面が切り替わり、変な商品の広告が流れた。


 家に帰ると自分の父が倒れていて、たまたまバッグに入れていた新発売のドリンクを飲ませると、父がたちまち元気になって勢い良く飛び上がり、何故か目が弾け飛ぶ……というものだった。


 もはや意味不明だが、この暇な時間を打開する大きなヒントを得ることが出来た。


 なぜ私がこれほどまで暇を持て余しているのかというと、妹が不在なのだ。

 私の元気の源は全て妹にある。

 よって妹と離れてしまうと、どうもやる気も元気も無くなってしまうのだ。


「ふぅ……よしっ!」


 妹が帰ってくるまで、あと二時間。

 それまでにあれやこれやと準備をして、いざ実行に移す……。


 私は時計と睨めっこして、もろもろに必要な時間を計算していく。

 よし大丈夫、ギリギリ間に合うはず。


「……ッ!! ぅあっちぃ!?」


 私は勢い良く立ち上がるなり、一気に紅茶を飲み干そうとマグカップに口を付けると、未だ全然やる気を無くしていなかった紅茶に喉を火傷させられる。


「ごほっ……ごほっ……際先わる……」



 私は舌をだらんと出しながら、情け無い顔で作業を開始した。



……………………



「ただいまー! お姉ちゃーん!」


 私はドカンっと玄関を勢い良く開けて言い放つ。


 ったくもー。折角のお姉ちゃんとの休日の時間を減らさないで欲しい。

 友達にどうしても、とお願いされちゃったから仕方なく、本っっっ当に仕方なく、勉強を教えに行ったけど……。


 折角勉強教えに来たんだから、みんなで私の頭を撫で回すのを辞めて欲しい。

「やっぱり鈴音ちゃん可愛い」とか「鈴音ちゃん、私のお嫁さんにならない?」なんて言ってる場合じゃないですから。

 勉強に集中して。その為に私を呼んだんじゃないのかい?

 というか、友達三人も集まっておいて、数学が得意な人が一人も居ないのは、さすがにどうかと思うのです。


 私は可笑しいな、と小さく笑いながら髪のセットを整える。



 と、そこで気付く。



 いつもなら私が帰って来て「ただいま」と言うと、直ぐにお姉ちゃんが「おかえり」と返してくれるのに。



 今日はそれが無い。



 お姉ちゃんは昔言っていた。

 どちらかが帰って来た時に「おかえり」って言ってくれる人が居るのと居ないのとでは全然違うのよ、と。

 私たちは常にお互いをねぎらえるような、お互いが幸せに過ごせるような、そんな生活を築こう、と。


 あれから毎日、そんな日があれば欠かしたことの無い、他の人からしてみればなんてことの無く、私たちからしたら大切な「ひとこと」。



 それが無い。



「お姉ちゃん……?」


 私は胸の鼓動が極端に速くなるのを感じた。

 ……嫌な予感がする。


 恐る恐る声を掛けるが、それでも返事は返ってこない。

 一回目の声掛けでは反応しないことは偶にあることだ。

 二回目ともなれば、ほとんど無い。

 三回目なんて、もはや有り得ないこと。


「……っ! お姉ちゃん!!」


 お姉ちゃんからの返事は無い。


 最悪な想像が頭をぎる。

 私の心臓が激しく脈動し、両手は手汗でびしょびしょになる。

 私はもはや悲鳴を上げてリビングへ続くドアノブに手を掛けた。


 いつもの優しいお姉ちゃんが、いつものようにソファに座っているはず。

 お姉ちゃんお気に入りのソファに右から二番目の位置に座って、お気に入りのマグカップを使って濃いめの紅茶を飲んでいるはず。


 そして私に驚いて、「ぅあっちぃ!」と勢い誤って舌を火傷するのだ。


「お姉ちゃんっ……ッ!!」


 私はバンッ! とドアを壊す勢いで思い切り開け放ち、勢い良く中へと入る、が。


 そこには、いつものリビングにいつもの風景、いつものお姉ちゃんが………いなかった。


 部屋は酷く荒らされ、壁には無数の傷が付いている。

 床には土足で歩いたような跡があり、それに混じって、何かを引きったような、『血の痕』がソファの前まで続いていた。


「……ぅぁ」


 私はその場でたじろぎ、直後脚の力が抜けてポスっと床に崩れ落ちた。


 嘘でしょ。


 嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ。


「え……あ……う……」


 頭が真っ白になる。

 なにも考えられないし、なにも分からない。なにも纏まらない。


 なにも信じられない。


 ……あれ、おねちゃんは……? おねぇちゃんはどこ……?


「………」


 私は進む。脚が言うことを聞かないので、這いつくばって進んでいく。服が汚れようがどうなろうが、今は関係無い。どうでもいい。


「………」


 進むにつれ、だんだんと血痕が濃くなっていくのと共に、私の身体は強張っていく。

 それでも歩みは止めない。


「ぉ、おね、ちゃ……」


 だんだんとソファに近付いて行き、その角を曲がる。



「ッ……うっ……」



 曲がりきる前に、私の愛した、いつも私の頭を優しく撫でてくれる、温かく手を繋いでくれる、良く見知った右手が見えた。



 ────それは、お姉ちゃんのだ。



 その右手には血がべっとりと付いている。ソファの前が一番血痕が濃い。

 私の目からせきを切ったように大粒の涙がとめどなく溢れてくる。


「おねぇちゃん、お姉ちゃんッ!!」


 私は渾身の力を込めて這いずり、お姉ちゃんの側まで寄って行く。



「うぅ……うぁっ……」



 そこには、力無く仰向けに倒れる、血まみれのお姉ちゃんがいた。


 お姉ちゃんのよく着る、ラフなのにどこか大人びた服装。それはお姉ちゃん自体が美しいからに他ならない。


 お姉ちゃんの腹部には、まるでその存在を主張するように一本の凶器が刺さっていて、そこに左手は添えられている。

 血を止めようとしたのだろうか。


 お姉ちゃんの着ている服もビリビリに破かれていて、所々に切られたような無数の傷があった。


「うっ……うぇっ……」


 涙は溢れ、嗚咽を通り越して胃の中の物を逆流させてしまいそうになる。



「ああああああああああぁぁあ!!!!」



 私はどうにか耐え、お姉ちゃんに覆い被さって顔を埋めて叫んだ。



「なんでッ!! なんでよッ!!!」



 私は力無く床を叩く。

 赤い液体がピチャッと飛び跳ねた。



「なんでッ!!? 私たちがこんな目に遭うのッ!!!??」



 私は激しく泣く。

 倒れたお姉ちゃんを胸に強く抱き寄せて、この想いを告げるように、世界を呪うように、天に向かって大声で叫んだ。




「返してッ!!! 私のお姉ちゃんを返してよッ!!!!」





 晴れたある日の、お昼を少し過ぎた頃でした。





……………………



 妹が目をうつろにして、とてつもない表情で天井に向かって叫んでいる。

 それは世界の全てを憎むような、呪いを掛けるような、そんな勢いだった。


 妹はこんなに私のことを想ってくれているのか、と安楽的に考える中、どうやってこの空気を収めようかとも考えていた。



 ……うん、無理だ。



 こんなドラマの最終回みたいな状況で「はーい、ドッキリでしたー」なんてやったら妹に本当に刺されるかも知れない。


 妹は頭がきれるから、ちょっと本気でセットしたけど、まさかここまでいくとは……。


「………」


 私は黙ってことの顛末てんまつを見送る。

 妹のこんな悲痛な顔を見ていると、こっちまで泣いてしまいそうになる。

 というか既に少し泣いている。



 妹は疲れたのか、叫ぶのを辞めると、スッと立って何処かへと行ってしまう。

 そして私の側まで戻ってきたかと思うと、その手には包丁が握られていた。


 え、ちょ、待って!? 



「おねぇちゃん、私も今いくから……」



 寂しげに言う妹の顔はどこか安心していて、その閉じた両目からツーっと一筋の涙が流れる。


 そう、その顔は、全てを失い、諦めた者の顔だった。


「ッ……!!」


 それを見た瞬間、この後のことなど一切考えずに、私はガバッと妹を強く、強く抱き締めた。


 大丈夫、私はここにいるよ、鈴音。



「え……お、おねぇちゃん……?」



 戸惑って目を白黒させる妹は、全身を硬直させるが、それでもゆっくりと私の背中に手を回してくる。



「ごめんっ……ごめんねッ……すずね……」


「おねぇちゃん……わた、わたしッ……!」



 妹は、力無く包丁を床に落とす。

 包丁は真っ直ぐ床に落ち、ストンッと足元に刺さった。



 妹は、次こそもう離さないと、そんな想いをぶつけるように、私を力強く抱き締め、泣き叫ぶ。



 そして。



 私がちゃんと生きていると確信するまで、決してその腕を解くことは無かった。


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姉(変態)と妹(変態)の密かな恋愛譚 小野 @oblige

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