蒸し牡蠣(5)

「目障りですわっ!」



 ロマンがイライラを爆発させると、展開していた盾がロマンの意思を離れて巨大化した。暴走だ。

 それは巨大貝の中いっぱいに広がり、それでも拡張を続ける。貝殻がミシミシ鳴り始めた。



 ――やってしまいましたわっ!?



 ついに岩のような貝殻は内側からバキバキに割れて崩れた。ぶよぶよした本体もすでに押しつぶされている。

 使用者のロマンなら、わからなくても理解はできた。これは寒さを防ぐのと同じ、『断絶』の力だ。

 盾とはあちら側の暴力からこちら側を守るもの。そのためにあちらとこちらを隔て断絶するものだ。


 ロマンが『貝の魔物』との断絶を望んだ結果、暴走した力場は際限なく拡張し、貝柱を切るまでもなく脱出に成功したのだった。




   ***




 マヤは火室姫が体温を上昇させ、カタリナが回復魔法をかけたことでほぼ全快した。ロマンが飛び込んですぐに少年漁師が花火と笛で知らせてくれたおかげである。

 窪み周辺の岩が崩れたことで、陸の騒ぎが大きくなってはいたのだが。


 その夜、ロマンとカタリナは『民宿 稲荷』に宿を取った。ロマンは仲居の真似事をした時以来だ。

 ゆっくり温泉に浸かり、客室で休んでいたところへ。



「おぅ、起きてっか? 腹減ったろ、飲もうぜ」


「お風呂上がりの玉子肌を、巻き取ってしまいたいっ、だし巻きのように!」



 浴衣姿の火室姫と、男物の浴衣を着た長帯姫が勝手に入ってきた。この二人も隣の部屋に宿泊している。

 マヤ発見後には長帯姫も駆けつけ、濡れた衣服を脱がせて帯でぐるぐる巻きにした。魔法が効くまでは危険な状態だったのだが、あの不思議な帯がマヤを救ったそうだ。

 今日この四人が揃っていたのは、とんでもない幸運だったのかもしれない。



「そういえばこの宿、夕食は付いてないのでした。この鍋はなんです?」



 火室姫が持ってきた大鍋をカタリナがのぞき込む。湯気が立ちのぼり山盛りの牡蠣が現れた。マヤが獲っていたものをロマンが回収したのだが、マヤの両親から是非にと持たされたのだ。下の厨房に置いていたのだが。



「いい牡蠣は新鮮なうちに食ってやんねぇとな。そんで『蒸し牡蠣』にはコイツだ」


「ウィスキーですの?」


「魔導国家エルフィンランドの魔族自治領アイランドランド、そこの蒸留所が作るウィスキー『アイラ』は僕らのとっておきさ」



 新鮮な牡蠣をワイン蒸しにただけのシンプルな料理。それに持ち込んだウィスキーはメルセデスのコレクションにもあるもので、ロマンも飲んだことがあった。アイラとはその地域のウィスキーの総称である。


 魔族自治領は小さな島が集まった島しょ地域なので、そこで採れる泥炭ピートは海藻由来の成分を含んでいる。それを焚いて乾燥した麦芽にはヨード臭と言われる癖の強い香りがつくのだ。さらに薫香もしっかり付いた銘柄が多いため、食事に合わせる酒ではないとロマンは認識していた。


 ショットグラスを渡され困惑するロマンをよそに、火室姫たちはさっさと食べ始める。他人の部屋で。



「まぁだまされたと思ってやってみろって。あ、これ殻入れな」


「んまーいーだわ!」



 カタリナも食べてアホになっていた。方言が感染するほどおいしいらしい。

 確かにマヤが獲った牡蠣は身のつまりが良く、加熱されても殻の上でぷるぷるしている。牡蠣自体はおいしいに決まっているのだ。



「では……まずはそのまま頂きますわ」



 貝柱は切れていたので、湯気の立つそれを一気にほおばる。意外と塩気が強い。真水にさらしていないのだろう、余計に味が濃い。

 鼻に抜ける海の香り、旨みと喉ごし、最後に残る小さな貝柱の歯ごたえとにじみ出る旨み。どれも極上だ。牡蠣は食べ方が多彩だが、これが極上と思える。そして。



「……」



 『アイラ』のストレートを口に含む。



「あっ……」



 ピート由来の潮の香りが牡蠣の風味と合わさり、海をもう一度感じた。ヨード臭もよく調和している。

 ボトルを見るにエイジが浅く角のあるアイラのはずだが、熟成されたように甘みすら感じた。口の中の磯臭さも洗い流されている。すると次の牡蠣へ手が伸びるのだ。


 二つ目はレモンを絞って。三つ目はフライドオニオンを乗せてタバスコをかけた。

 今度は口にアイラの風味が残っているところへ牡蠣が入るのだが、それがまた香りと味わいを押し上げる。過剰な磯臭さがカットされているのだ。



「ここまで互いに高め合うお料理とお酒があるのですわね……」



 レモンも薬味も無い時、特に際立った。

 クセの強いもの同士だからだろうか。まるで今日知り合った二人のようだ、とロマンは思いつつ。



「明日はマヤに牡蠣のお礼をしなくてはいけませんわ」


「おい、調理した俺にはなんもねぇのかよ?」


「僕も殻むきを手伝ったさ」


「あなた方、料理人だったのですわ?」


「まぁな。そんでものは相談なんだけどよ――」



 ロマンが倒した貝の魔物は珍しいものなので、身を分けてくれという話だった。調理してみたいと。

 本当に二人は料理人で、冒険者は兼業すらしていないそうだ。宴会の料理も一部は二人が作ったらしい。


 その代わり崩れた窪みは魔物の殻を使って復元しておくという。あそこは長年、素潜りの穴場だったのだ。



「僕が聞いた話だと、今まで誰も襲われたことはないらしい。そもそも魔物の殻の中だなんて知らなかったそうだよ」


「魔物は入ってきた小魚を食べて満足していたのでしょう。冬将軍が海を凍らせて餌が採れなくなったので、人を襲ったのです」


「確かに、一度でも人が襲われていたら誰も近付きませんわね。元のように牡蠣が住み着くとよいのですわ」


「修復は長帯姫の奴が得意だから安心しろよ。それよかほんとに全部もらっていいのか?」


「いいのですわ。いろいろとお世話になりましたし……生きてるアレを見たら食べたいとは思いませんわ」


「悪ぃな。じゃあまたどっかで会ったら、うまいもん食わせてやるよ」




   ***




 翌日。ロマンとカタリナが完全回復したマヤに一日付き合って宿に戻ると、二人の姫の姿は無かった。

 二人が復元した磯の窪みには、以前より多くの牡蠣が住み着くようになったという。



「料理人だと聞くと、余計に正体不明でしたわね、あの二人」


「赤毛で目つきの悪い料理人といえば信徒エミールですが……ちょっと似すぎです」


「話し方といい似てはいますが……エミールに兄弟姉妹はいないはずですわ」


「嫌な予感がします……」




蒸し牡蠣・完

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迷い猫の居酒屋めし 筋肉痛隊長 @muscularpain

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