蒸し牡蠣(4)
高位冒険者の多くは視力が高い。人にもよるが水中を、さらには暗闇や霧の中ですら見通す者さえいる。
というわけでロマンと長帯姫が手分けして『おいしいものポイント』へ向かった。マヤは銛突きを習得していないこと、マヤが潜ったことのあるポイントということで二カ所に絞られたのだ。
カタリナは発見次第すぐ治療に向かえるよう、中間地点で待機している。「暖めるなら任せろ!」と言う火室姫も一緒だ。
「この辺で素手でも獲れるもんっていや、エビ、ナマコ、サザエ、ツブ貝、アワビっていろいろあるけどよ」
ロマンは担当の場所に漁師の案内で急いだ。漁師はまだ十代のようだが、よく日焼けしている。愛想は良くも悪くもなく……この状況で落ち着いているところは評価できた。
釣りや漁をしなくても、ずいぶんとおいしそうな高級食材が獲れるようだ。
「そこ滑るから気を付けろ、もうすぐそこだ」
夕日に照らされたビーチの端から岩場を乗り越えて、たどり着いたのは断崖絶壁の真下だ。世界樹の社のある高台の真下に当たる。途中、足場はほとんど無くなり、水に浸からねば来られない。
さすがにロマンも鎧は脱いで、長靴と胸まで覆うマリンパンツを借りてきた。
「ここで獲れるのは牡蠣だ。足付かない深さだから落ちるなよ」
「マヤがいた場合は約束できませんわね」
「頼むぜ……この場所マヤに教えたの、俺なんだ」
少年漁師は初めて苦悩を見せた。
ここに来るまでに水が冷たいことは嫌でもわかる。だからマヤがここに潜ったとすれば、事故ではなく意図的なものだ。
海に入る理由がある、とカタリナは言った。ノスフェラトゥの知能は高いが、ロマンにもひとつ心当たりがある。
――わたくしたちにおいしいものを食べさせると、約束したからですわ。
だから少年が抱く自責の念など、ロマンの比ではない。本当はマヤがご馳走にかこつけて、ロマンに素潜りの上達を見せたかっただけなのもわかっている。それはどうしようもなく、ロマンの責任なのだ。だから。
「絶対に助けますわ」
ロマンは照明魔術を宙に浮かべると深呼吸し、体内魔力の循環を高める。徐々に両目へ集中し水中を深く、深く見つめた。
海面を見てもわからなかったが確かに深い。岩に囲まれた幅六メートルほどの窪みは文字通りの穴場になっていた。
「いましたわ!」
「えっ、おい!?」
言うが早いか、ロマンはマリンパンツを脱ぎ捨て飛び込んだ。
窪みの中は海面より少し広くなっている。照明魔術で照らしながら一息に海底を目指した。
寒さは感じない。『ジークフリート』を全身にまとわせ温度変化を断絶しているのだ。なぜか呼吸もできる。
『やってみたらできた』系のこの技は、ロマンにも術理がよくわからない。しかし温存しておいた甲斐は確かにあった。
上から見た通り海底の砂地で眠るように横たわるマヤのもとにたどり着き、魔法をまとわせる。意識はなく水を飲んでいるが、息はあった。
――この子、どうして浮いてこなかったのですわ?
人間の身体は脱力すると海水に浮くものだ。
ロマンはマヤを抱えて浮上を試みるが、妙に重い。もちろん浮き上がっていれば波にさらわれ、沖に流されていた可能性もあったのだが。
マヤの腰に結わえられた大きなカゴは大人用で、いっぱいになると水中でも重い。マヤの体重よりもあるだろう。
カゴが牡蠣でいっぱいだということは、獲り終えるまで、つい先程までマヤは意識があったという証拠でもある。
どうやらマヤは陸に上がれずもたつくうちに意識を失ったようだ。
せっかくの牡蠣だがロマンでも持って上がれない量。後で必ず引き揚げる、と腰カゴを捨てた、その時。
周囲の岩壁がメリメリと鳴った。動いたのだ。ロマンは知っている。通常こういう変化はろくなものではない。
――なんですのーっ!?
一瞬パニックになりかけたロマンだが、この程度迷宮探索ではよくあること。
――おかしいのはここが迷宮ではないということだけですわね!
実はちょっと混乱していた。当然である。
照明魔術は生きているのでマヤの無事を確認し落ち着く。周囲を照らすと、ロマン主観では前後にぐっと狭くなっていた。左右の幅は余り変わらず、上は完全に閉じている。
迷宮であればそろそろ罠や魔物の攻撃を受けるタイミング。この状況だと危険なのは……。
――下ですわっ!
砂の中から透明な何かが射出され、展開した『ジークフリート』がそれを弾いた。
そのままシールドバッシュを押し込むと海底の砂は吸い込まれたように消え、ブヨブヨした筒状の膜がロマンたちに襲いかかる。
――イモガイという貝は毒槍で獲物を麻痺させ、筒状の口で捕食すると聞いたことがありますわ……まさかここ、貝の魔物の中だったのですわ!
岩に見えたのは巨大な貝殻で、窪み自体が海面に向かって口を開けた魔物だったのだ。身は砂の下に隠れていた。
――漁師が知る穴場なのになぜ今まで被害も出ずに……今はそれよりも脱出ですわね。
二枚貝は貝柱を切れば簡単に開く……迷い猫で牡蠣の殻をむきながらエミールが言っていたことだ。それを思い出したロマンはマヤの腰にナイフを見つける。しかし。
――どこを切れというのですわ……。
視界いっぱいのぶよぶよだった。
手当たり次第に切るにはナイフが小さすぎる。そもそもロマンの攻撃手段は盾によるカウンターと短槍、槍は置いてきたし斬撃は専門外だ。さらに。
――毒や捕食ではカウンター出しにくいのですわ。
ロマンが吸収できるのはエネルギーのみなので、毒攻撃を吸収しても水鉄砲しか返せない。本日二度目の火力不足である。
ドラゴンのように正面から大火力を撃ってくる相手に特化しているのだ。『
そろそろ単独突破力が欲しいところだが、『ジークフリート』はあくまで『盾』という概念に縛られる。堅く不動であることが盾の本質なのだ。
そこで思い出すのは海の上を走った火室姫だ。水の上を走ること自体はメルセデスにもできるが、火室姫は見たところ火にまつわる魔法使い。能力は火炎の本質に縛られるにも関わらず、なぜ平然と海上を走り氷を燃やせたのか。
――例えば「体内燃焼による身体能力の向上」……のように、本質の理解が深いのですわ。
ならば盾の本質とは何か――ここまでほんの刹那の思考だった。急いでいるのだ。だから潜水装備もないままに飛び込んだ。身を守るのは『ジークフリート』があれば十分と。
――そういえば魔法を身にまとうことはできるのですわ。堅くもなく不動でもないのに……。
それは盾の本質を侵害しないらしい。ロマンが本能的に自身の魔法を深めた結果だ。
堅く不動であること以外、盾の本質とは何か。守ることだろうか?
しかし今は守るだけでは
相手はこちらを食べたい。こちらは陸に上がりたい。この意見の食い違いはどうしようもなく、相容れない。結論が出ない。こちらの事情もお構いになしに、まとわりつくぶよぶよが――
「目障りですわっ!」
ついにロマンのイライラが爆発した。
土壇場で考えたくらいで答えが出るほど、魔法は簡単ではないのだ。だがしかし――
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