第2話「鶏の唐揚げ」

「空狐の分からずや!」

「七海もしつこいぞ!」

 

 いつになく険悪な私と空狐。

「所詮、わらわ達は分かり合えぬという事じゃ…」

「そんな言葉で誤魔化さないで!」


 私だってこんな言い合いなんてしたくない、けど譲れない部分だってある。


「いい加減お風呂入ろうよ! 今日で丸一週間だよ?」

「い、嫌なものは嫌なのじゃ!」


 今日こそは空狐にお風呂に入ってもらう! 流石に一週間入らないのはほら…ね?


「でも空狐から香ばしい匂いもしてきてるよ?」

「うっ…そ、そんな事は…な、い」


 段々と声が小さくなっていく空狐。どうやら自分でも気づいているようだ。


「気づいてるなら入ろうよ、その方が気持ちいいでしょ」

「し、しかし苦手なんじゃ…」


 ずっとこの調子である。


「そもそもキツネの姿が長かった妾にとって自分の身体が浸かるほどの熱い湯など、恐怖の対象でしかないのじゃ」


 それもそうだ、考えてみれば一部を除く人間以外の動物は基本そうなのかもしれない…あれ? でも


「最初、家に来た時は入ったじゃん」

「あれは、七海が部屋に上がるなら入れと言うから…そうしないと飯も食えんと思ったからで」


 だって、ほぼ行き倒れで泥だらけだったし。でもそういう事なら


「じゃあ、今日お風呂入らないとご飯抜きで」

「なぬ!? そ、それは横暴じゃ!」


 涙目で訴えかける空狐。すまん、世の中は非情なものなんだよ。


「ち、ちなみに今日の夕餉はなんじゃ?」

「鳥の唐揚げ」


 メニューを聞いてこの世の終わりの様な顔で空狐は崩れ落ちる。


「もう、終わりじゃ、さらば妾の希望よ…」

「そんなにか…でもいいのかな~せっかく昨日からタレに付け込んで準備してたのに」

「うぐ…」

「あ~あ、出来立ての唐揚げ食べて欲しかったな~」

「うにゅ…」


 耳をピクピク動かしながら私の言葉に反応する空狐、かわいい。


 とここでついに空狐のお腹が盛大に鳴る。一応恥じらいはあったのか、空狐は顔を真っ赤に染める


「ほら、入ったら食べれるよ?」

「うぬぬ…」


 しばらく後ろを向いて唸ってた空狐だったが、観念したのかさっきまで立ってた耳がしゅんと倒れる。


「な、なら七海も一緒に入ってくれぬか? 一人は流石に不安じゃ…」


 涙を溜めながら上目遣いで振り返る空狐。


「え、一緒に?」

「だ、ダメか?」


 私という最後の希望にすがり寄る空狐…こんな事されて断れるはずがなく。


「し、仕方ないな~」

「本当か! よかった、これで少しは安心じゃ!」


 にぱっと笑顔になる空狐とは逆に、私は顔を引きつらせていた。


 ……持つかな、私の理性。


■■■


 そんなこんなで、今私は一人湯船に浸かって空狐が入ってくるのを待っている。

なぜ、先に入っているかと言うと


「何もない浴室に入っていくより、七海がいるところに入っていく方がいいのじゃ」


 と、崩れないように必死に陣形を保っている理性の真ん中にとんでもない爆弾を投げ込まれたからなのだが。


「よく襲わなかった、偉いぞ私。」

「七海~、入るぞ?」


 ここでようやく服を脱いだ空狐から声がかかる、今の聞かれてないよね?


「う、うん。いいよ、入っといで~」


 ドアをゆっくりと開けておずおずと入ってくる空狐。やっぱりまだ怖いようで、尻尾は自身の足に巻き付いて耳も垂れ下がっている。


「……」


 それにしても綺麗だな~、真っ白な素肌にすらっとした体躯。そこに主張しすぎない発展途上のつつましやかな女の子のふくらみが…


「七海?」


不安そうに名前を呼ぶ声に、はっと我に返る。


「ごめんごめん。じゃあ、身体洗おっか」

「うむ、よろしく頼む!」


 そう言って、無防備に背中を向けて椅子に座る空狐。


「え、私が洗うの?」

「七海が入れと言うたのじゃし、これくらいしてくれてもよかろう?」


 うん、全然それは良いしむしろご褒美なくらいなんだけどね?


「それに、この姿での洗い方なんて分からぬ。以前もこのしゃわぁ? とやらで水をかぶって終わりじゃったしな」


 そっか、それならまぁ


「仕方ないか」

「うむ!」


 湯船からあがり、空狐の髪をシャワーのお湯で軽く洗い流す。


「どう? 熱くない?」

「だ、大丈夫じゃ…」


 大丈夫そうだね、じゃあこのままシャンプーしちゃおう。


「目つぶっててね、入るとしみるから」

「わ、分かった…」


 泡立てながら丁寧に洗っていく、耳の付け根からうなじや毛先まで。時々空狐から「んぁ…」という色っぽい声が漏れた時はもうダメかと思ったけど。


「痒いところとかございますか~?」


これ一回言ってみたかったんだよね~


「だ、大丈夫じゃ、問題ない…」


 洗われてる本人はそれどころじゃないっぽいけど


「泡、流すね」

「う、うむ」


 泡を流して、水気を軽く取ったらリンスをつけてまた洗い流す。


「よし、終わったよ」

「本当か? もう終わりで良いのか?」

「ほんとほんと、よく頑張ったね」


 まあ、身体も頼むって言われるとは思ってなかったけど…危なかった。


「じゃあ、今度は妾の番じゃ!」

「え?」


どういう事でしょうか?


「今度は妾が七海を洗ってやる!」

「…ええ!?」


 待って、流石にそれは


「この前てれびで言っておった、裸の付き合いという奴じゃ! なんかこう、洗いあうのじゃろ?」


 それはそうなんだけどそうじゃないというか、これ以上はまずいというか…


「あ、妾に洗われるのは嫌か? 頑張ってお返ししようと思ったんじゃが…」


 ああ、もう! そんなの断れないの知ってるでしょ! いいでしょう、女、綾瀬七海。耐え抜いて見せようじゃありませんか!


「そんなことないよ、お願いしようかな」

「任せておけ、隅々まで綺麗にしてくれよう!」


 うんうん、隅々まで…ってちょっと待って?


「空狐? やっぱり自分で…」

「問答無用じゃ~!」

「ああああああ!」


 …………


「うう、もうお嫁にいけない…」


 宣言通り、本当に隅々まで洗われてしまった…


「どうした? 暗い顔しおって」

「…なんでもないです」


 さっきの怯えた顔はどこへやら、私の前には蕩けきった表情で湯船に浸かる空狐。

でもふたりで入るにはちょっと狭くて、私の足と足の間に挟まるように空狐がちょこんと座っている。


「ふう、風呂と言うのは気持ちいもんじゃな」

「さっきまで怖がってたのに、じゃあ今度からは毎日入れるね。」

「それは、実を言うとまだ怖い、その…七海と一緒なら入ってやってもよいが…」


 もう、本当にこの子は…私の理性に親でも殺されたのかな。


「それはそうと七海!」

「ん、どうした?」

「風呂に入ったんじゃ、そろそろ唐揚げが食べたいのじゃ!」


 …人の気も知らないでこのキツネは~


「七海?」

「何でもない、じゃあいっちょ作りますか!」


   ■■■


 風呂から上がり、唐揚げを調理する。と言ってもあらかじめ醤油、酒、ニンニク、しょうがを混ぜたタレつけておいた鳥もも肉を揚げるだけなんだけどね。小麦粉と片栗粉の割合で触感とかが変わるんだけど、よく分かんないからいつも目分量で1対1だ。


「いい匂いじゃな!」

「まだ揚げてないんだけど」

「む? 肉の匂いは分からぬのか?」


 ごめん、正直分かりません。たぶん私が感じ取れるほど匂いが出てきたら痛み始めてるとみていいです。


「…そろそろかな」


 油が十分に温まったら、粉を付けた肉を入れる。


 油がリズミカルに跳ねる音。こんなに食欲をそそる音は他にあるだろうか、いやない。思わず高校以来の二重否定が出たところで、いったん肉を油から上げる


「出来たのかの?」

「ううん、まだ。」


 少しおいて中に火が通った辺りで、さっきより熱くした油に入れる。こうする事で、よりパリパリになるってどっかで聞いたことあるからやってみてるんだけど…よく分かんないのってあるあるだよね。美味しければよし! 程よく色が付いたら完成!


「よし、出来たよ!」

「待っておったぞ!」


 キッチンペパーを敷いた大皿に盛りつけて食卓へ。今回は白米は無し、せっかくの唐揚げだからキャベツと共に目一杯食べるのが綾瀬家の食べ方だ。


「それじゃ、いただきま~す!」

「いただきますなのじゃ!」


 まずはそのまま、醤油とにんにくの相性って抜群だ、そこに生姜が合わさってさらに食が進む。


「ん~っ、うまいのじゃ!」


 空狐もご機嫌だ、我慢した後だからね好きなだけ食べてくれたまえ~。


「七海、檸檬とまよねぇずは分かるが、これはなんじゃ?」


 空狐が目の前に置かれた小皿に目を向ける。


「ああ、これね餃子のたれ」

「餃子のたれ?」

「そう」


 餃子のたれは程よく酸味があって中々に合うのだ。檸檬でいいじゃないかとよく言われるけど、また違った美味しさがあるから試してみて欲しい。


「まぁ、食べてみてよ」

「ふむ…」


 空狐は、七海がそういうならと餃子のたれにつけて食べる。


「…どう?」

「おお、これは! なかなかに美味いの!」

「でしょ~」

「うむ、檸檬は酸っぱいので口の中をさっぱりさせよるが、これはなんというか唐揚げの味を手助けしておるような感じじゃな!」


 わお、言いたかったこと全部言ってくれた。


「それじゃ、私はこれ飲もうかな」


 カシュっと音をたて缶ビールの栓を開ける。


「七海、それはなんじゃ?」

「これ? ビール…お酒だよ」

「酒か!」


 私は普段ビールは飲まないんだけど、油ものの時はこの苦みが脂っこいのをリセットしてくれるから好きだ。


「な、七海! 妾にもそのびぃるをくれ!」

「え! それは…」


 いくら私より年上でも、絵面的に…


「ええい、力ずくじゃ!」

「あ!」


 無理やり私の手から缶を奪い取って一気に飲み干す空狐。


「だ、大丈夫なの?」

「んぁ~? にゃにがじゃ~?」


 はや!? もう酔っぱらってる…


「もう、お酒弱いじゃん」

「にゃにをいうか! わらわはおさけだいすきなのじゃ~…」


 言いながら私の胸に倒れこむ空狐。


「ちょ、本当に大丈夫?」

「んへへ、七海もだいじゅきなのじゃ~」

「…しょうがないな~」


 喜んでるならいいか…私も酔っちゃったかな、顔が熱いや。


「明日もバイトなのにな~」

 

 この寝顔の為に頑張るか!


 …でもお酒はほどほどにね

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