第4話「ニジマス」

「あ~…暑いのじゃ…」


 6月後半、まだ夏本番とは言えない季節だがキツネ耳の少女がソファでうな垂れている。


「クーラーついてるからそんなに暑くないでしょ? ほらアイス」


 アイスキャンディを近づけると、力なく口を開けねだる空狐。


 小さな口にアイスキャンディを突っ込む…私も暑くなるからやめて欲しいんですけど?


「はむ…気温じゃなくて気分の問題なのじゃ」

「気分?」

「ここは木やら土が無さすぎるのじゃ」


 確かにここは、埼玉の住宅地。大都会じゃないにしろ、ほとんどコンクリートだしね。


「妾はキツネの姿が長かったと言ったじゃろ? 森や川が恋しいのじゃ…」

「まぁ私もたまに緑が無くて息苦しい感じはあるから、空狐からしたらそれ以上にきついよね」


 私はその分空狐をモフって癒されてる訳だけど


「七海~、何とかならぬか?」

「何とかって言われても…近くにそんな自然がある場所なんて」


 泊りとかならともかく、そんな時間ないしな~


「空狐が前いた所ってそんなに自然豊かだったの?」


 聞くと空狐は起き上がって嬉しそうに語り出す。


「そうじゃ! 森の奥深くで生き物も多くての、川や滝なんかもあってこういう暑い日の水浴びが気持ちよくて好きだったのじゃ!」


 思い出す空狐の顔は本当にその場所が好きだっていう事が手に取るように分かるほどに輝いている。


「へ~、空狐の故郷か~いつか行ってみたいな」

「おお、七海なら大歓迎じゃ! 森の奴らも喜ぶじゃろ!」

「森の奴らって、空狐の友達?」

「うむ! 他の狐や兎や熊なんかもおるぞ!」

「く、熊!?…え、遠慮しとこうかな……」

「な、なぜじゃ!?」


 だって、私食べられない? 行くにしてもそこに行くのは当分先かな~…


「それにしても川や滝…滝?」

「七海?」

「あ、行けるかも自然がある場所」

「本当か!」

「うん、空狐がいた所程じゃ無いだろうけどね」

「十分じゃ! 早く行くのじゃ七海!」


 腰に抱き着いてぐりぐりと顔をうずめる空狐…はいもういいです、我慢の限界です。


「うにゃ? にゃにゃみ七海?」


 頬を両手で軽く挟まれ、頭に?マークを浮かばせながら見上げる空狐。


「行く前に、ちょっとやることが出来た」

やうほほやること?」


 手を空狐の柔らかな耳に這わせていく。


「うにゃ!? 七海…?」

「久しぶりに…モフモフじゃ~!」

「うにゃ~~ん!」


 …………


 2時間後、レンタカーを走らせる七海の横では何故か疲れた様子の空狐。


「うにゃ…撫ですぎじゃ七海」

「いや~、最近我慢してたからつい」


 あまりやりすぎると誰かから怒られそうだしね


「むぅ、我慢せずとも七海ならいつでも触って良いぞ?」


 くっ、この狐は…はやくも理性を攻撃してきてからに、せめて運転中はやめて欲しいな~


「それで七海、これはどこに向かっておるんじゃ?」

「ん? 黒山三滝っていう場所だよ」


 埼玉県入間郡越生町にある荒川水系の三つの滝の総称で天狗が住むって言われるくらい自然豊かな場所って書いてあったから…よく分かんないけど気に入ってくれるといいな。


「七海と山歩きか、楽しみじゃ!」


 車にも慣れたようで、尻尾をリズミカルに振って景色を楽しんでいる。


「さ、もうすぐだよ」

「うむ! 森の匂いが近づいてきたからのそれに美味そうな匂いも混じってて待ちきれん!」

「美味しそうな匂い? なんだろう」

「善は急げじゃ! はやく行こう!」

「はいはい」


 空狐を見てたら私も楽しみになってきちゃった。安全運転を意識しつつ、アクセルを踏んで車を森に中に進ませる。


 …………


 運転し始めて約1時間、黒山三滝入り口と書かれた看板をくぐり駐車場に車を止める。


「ん~! 着いた!」


 車から降りて固まった身体を存分に伸ばす。自然の中で体を伸ばすと建物で囲まれた場所では感じられない気持ちよさがある。


「やっぱりたまにはこういう場所に来るのも大切だよね。どう? 空狐。ちょっとは故郷のこと思い出せた?…あれ、空狐?」


 さっきまでいた空狐がいない。


「空狐~、どこ行ったの~?」

「おおおおお! 山じゃああああ!」

「あ、いた。よかった、見つけやすくて」


 空狐は駐車場の目の前にある森の入り口で元気に飛び跳ねてる。結構急な坂になってるのに、さすが狐だね。


「空狐~! 行くよ~、滝はこの先だよ」

「うむ! 行くのじゃ!」


 駆け寄ってくる姿も心なしかいつもよりキラキラしてる気がする。


「やはり森は良いな! 久しぶりの川と土の匂いじゃ」

「それはよかった!」

「この先にさっきの美味そうな匂いもする、出発じゃ!」


 空狐に手を引かれ、坂道を登っていく。


 20分程川に沿って登った突き当り、滝の落ちる音が聞こえてくる。


「七海! こっちじゃ!」

「はぁはぁ、ちょっと待って、流石に疲れ……」


 走りたがる空狐に合わせて、走ったり、わざわざ険しい道に入ったりして普段運動しない普通の女子大生の私の体力は限界寸前である。


「なんじゃ七海、これくらいで」

「私に野生動物と同じ体力を求めないで…」

「仕方ないのう、ほれあそこが目的の滝じゃろ?」

「え?」


 空狐が指さす方向に目を向けると、二つの滝が流れ落ちている。


「はぁはぁ、近くまで来るとちょっと涼しい…」


 水が蒸発する時に熱を奪っていく気化熱と、水自体が相当冷たいんだろうな。それに、水が滝つぼに落ち川となって流れていく。ベンチに座ってその音を聞いてるだけでも疲れがその水にのって流れていくような感じがする。


「いいな、この感じ。空狐はこの感覚をいつも味わってたんだよね」


 空狐は滝の目の前で、懐かしんでいるようなどこか悲しそうな表情でただ流れる水を見つめていた。


「お前たち…妾は元気でやっとる、心配せんでよい」

「空狐…」


 やっぱり恋しいのかな、でも


「く、う、こ!」

「うにゃ!?」


 後ろから抱きつかれた空狐は、はっと我に帰る。


「七海、もうよいのか?」

「うん、すっかり回復したよ。それより美味しそうな匂いのとこ行くんでしょ?」

「そうじゃった! こっちじゃ七海!」

「はいはい」


 思い出した空狐はさっきまでの元気な笑顔で腕を引っ張り歩き出す。やっぱり空狐にはいつも笑顔でいて欲しいな。


 ……


「あれじゃ七海! あそこから匂いがする!」


 しばらく歩くと休憩所のような場所が見えてきた。そこに味のある手書きの看板が下げられている。


「…釣り?」

「あら、かわいいお客さんね」


 目の前まで行くと、店番をしてるおばあさんが話しかけてきた。


「あ、こんにちは。あの看板に釣りって書いてあるんですけど」

「ええ、そこにあるいけすにアユとかニジマスを泳がせてるから、釣ってきたらこの炭火で焼いて食べられるよ」


 受付? の横には確かに炭火がたかれてある。

「へぇ、奥が釣り堀になってるんだ。やってみる空狐…って聞くまでもないね」


 横にはニジマスと聞いてよだれを垂らしている空狐。


「やる! やるのじゃ!」

「おや、お嬢ちゃんはニジマス好きかい」

「うむ、昔山におった時はたまに狩ったものじゃ」

「昔? 狩る?」


 空狐の言葉におばあさんが怪訝な顔をする。


「ああ! 美味しそうですね、ぜひ私もやらせて下さい!」

「え、ええ…」


 危ない、空狐の正体がバレたらまずいしここでニジマス食べられなくなっちゃうからね。


「じゃあ、そこの竿使ってねエサは生け簀のとこに置いてあるから自由に使って」

「はい、ありがとうございます」


 たて掛けられている竿を撮り生け簀に向かう。


「おお、いっぱい泳いでおる!」

「さ、釣ろっか」


 餌を付け生け簀に垂らす。するとすぐに群がり沈んだエサが見えなくなる。


「え、も、もういいのかな」


 ゆっくり竿を持ち上げるとぶるぶると振動が伝わってくる。


「わ、すっすごいもう釣れた!」

「すごいぞ七海! 妾にも、妾にもやらせてくれ!」


 興奮したように竿を握る空狐。同じように糸を垂らすと10秒程で魚が上がる。


「面白いほど釣れるぞ七海! 狩りより全然楽じゃ!」


 コンクリートの街から解放されて歯止めが利かなくなった空狐は、その後計10匹を釣ってようやく落ち着いた。


「楽しみじゃ~、早く焼けんかのう」


 私と空狐は、おばあさんにニジマスを渡して食事スペースで焼けるのを待っていた。


「おばあさん、魚の量見て驚いてたね」

「わははは! 11匹じゃ足りんかったかのう」

「いやいや、あれ以上渡したらおばあさん倒れちゃうよ」

「そうね~、焼き甲斐あったわよ」

「わ! びっくりした」


 いつの間にか、両手に大量の焼き魚を持って来ていた。


「あはは、すいません、ありがとうございます」

「美味そうな匂いじゃ! はやく食べさせてくれ!」

「うふふ、どうぞ」

「おお、ずっと感じておった匂いはこれじゃ!」

「熱いから気を付けて食べるんだよ、じゃあごゆっくり」


 そう言い、おばあさんは受付に戻っていく。


「じゃあ、いただきますなのじゃ!」


 空狐は串が刺さったままのニジマスにかぶりつく。


「うま~い! 獣の頃は生のままじゃったからのう、それでもうまいが焼くとさらに美味いな!」


 空狐は骨もバリバリと音をたてて豪快に食べ進める。


「骨まで…気を付けるんだよ? 私も、いただきます」


 私も空狐と同じくかぶりつく、お箸で丁寧に食べるのも大事だけど自然の中で食べる串焼きはやっぱりこの食べ方だよね。


 ちょっと効きすぎた塩と油がのりつつさっぱりとした白身が合わさっておいしい!


「自分で釣ると更に美味しく感じるね」

「うむ、むぐぐぬんむぐぁ」

「あ~、ごめんごめん、気にしないで食べて」


 新鮮な焼き魚に夢中でそれどころじゃないらしい。


「って、もうほとんど食べ終わってるし」


 皿に残ってるのは最後の半身を残すのみだ。


「んぐんぐ、ごくん。七海は1匹で良かったのか?」

「うん、空狐が食べてるの見てるだけでお腹いっぱい。空狐は満足できた?」

「うむ! 久しぶりに自然を堪能した、ありがとうじゃ!」


 空狐は10匹のニジマスを文字通り骨も残さず食べ終えて、膨らんだお腹をさすりながら満足気な表情を浮かべている。


 連れてきてよかった。…でもさっきの表情はやっぱり……

「よかった…やっぱりいつか、空狐がいた森に私も行きたいな」

「おお! 案内するのじゃ、滝もこことは比べものにならん位大きいからきっと驚くぞ! 仲間たちにも紹介してやる!」


 尻尾を思いっきり振っていつか来るだろうその日を語る空狐。


「仲間…熊も友達だったりするんだよね…」

「もちろん、意外と優しい奴じゃぞ?」

「じゃあ、その時は頼むよ…」

「まかせるがよい!」


 空狐の友達…そうだよね、いつか私も仲良くなれたらいいな。それにそうすればたくさんのモフモフが…えへへ。


「七海、その顔だとみんな逃げるぞ…」


 おっと、想像したらニヤけてた。


「まったく…モフモフは妾で十分じゃろう…あまり他の奴になびくでない」

「空狐…」


 プイっと拗ねる空狐に、もう我慢が出来ない…今日の私の理性は弱いな。


「空狐帰ろう、そんでモフらせて!」

「うにゃ!? …まったく、しょうがない奴じゃ」


 困ったような苦笑いを見せる空狐。


 空狐の友達はまたいつか、今は空狐とめいっぱい楽しもう!


 次はどんな美味しいものが食べられるかな。楽しみだね空狐。

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