蒋介石の呼び方
百度百科には、初名は瑞元、後に中正と改め、
深く考えずに介石が名だと思っていたので驚いた。
(さすがに百度百科の記述がまちがっていることはないだろう)
日本のマスコミや学術書が、中国人、とくに近現代の人名を載せるときは、字ではなく名を書くのが通例であろう。
毛沢東を毛潤之とは書かない。
しかし、日本のマスコミでは蒋介石と書くのが普通である(大陸もそうらしい)。
字のほうが有名な中国人ですぐに思い浮かぶのは項羽ぐらいだが、彼は二千年前に死んだ武将である。
(あとは白楽天だが、私は白居易のほうが慣れている)
どうして蒋中正と呼ばれていないのだろうか。疑問である。
理由としては、「名は介石、字は中正」でも違和感がないので、勘違い説もありうる。
毛の「名は沢東、字は潤之」と変わりはしない。日本人的には。
名と字のちがいを簡単に書くと、呼びかけに使わないのが名で、親しい人が呼ぶときに使うのが字である。
親しくない人は役職で呼ぶのが倣いであったが、これは今の日本でも生きている。
基本的に名は生まれた時に用意され、字は成人の際に自らもしくは他人がつけた。
字の文化は日本に輸入されており、織田信長は決して
この点について、さいきんのNHK大河ドラマは配慮が見られる。
相手の名を呼ぶのは完全に敵対した証なので、捕縛した呂布を見せられて「どうしようか」と曹操に尋ねられた時、
その曹操は
魏志は魏の後継国家である
(この段落には記憶ちがいがあるかも。なお、日中での字の用い方には差異がある)
具体例として、有名人の名と字をあげてみる。
姓 名 字
蒋 中正 介石
毛 沢東 潤之
項 籍 羽
劉 邦 季
諸葛
劉 備 玄徳
司馬遼太郎の「項羽と劉邦」は、正確に書くのならば、「項籍と劉邦」か「項羽と劉季」だろう。
司馬に責任のない話だが。
字の問題でいえば、さいきんは諸葛亮孔明とか劉備玄徳と書く人は少ない。
諸葛亮(姓と名)か諸葛孔明(姓と字)とするのが中国の習慣である。
田中芳樹さんはエッセイや作品の中で、この点について苦言を呈していたが、先輩もしくは師匠といえる
あのじいさんは平気で劉備玄徳と書いていたぞ。
最後にこの記事を書いた動機を残しておきたい。
Wikipediaで蒋介石の記事を読んでいたところ、介石が字と記されていた。
にわかには信じられず、手元の世界史事典を調べたら字は中正と書かれている。
Wikipediaのまちがいで片づけようとしたのだが、少し気になったので百度百科で確認すると、Wikipediaと同じ記述がされているではないか。
どういうことだと思ったが、原因は推測できる。
世界史事典では中国人について説明をする際、まず一行目に「字は○○」と書くのがテンプレートになっている。
おそらく蒋中正では通じないので項目名を蒋介石にしたのはいいが、字を名に改めるのを忘れてしまったのだろう。
ちなみに、項羽の項目は名が省略されている。
参照:世界史事典
アオギリズム Ⅱ 青切 @aogiri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
アオギリズム Ⅰ/青切
★31 エッセイ・ノンフィクション 完結済 15話
関連小説
みじかいことばたち Ⅲ/青切
★9 エッセイ・ノンフィクション 連載中 42話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます