第204話 未来に向かって
更に時は流れて。
6月中旬のある日。
今日はあおい荘に、新しい入居者が入ってくる。
入居者の名前は山吹たつ枝、あおいが直接面談した人である。
今日の日を迎えるまでに、あおいは以前つぐみが使っていた居室に、持ち込まれた家具を入れて万全の態勢を整えていた。
特養(特別養護老人ホーム)との二足の
山吹が一日も早くあおい荘に馴染めるようにと、考えつく限りのことをやっておきたい、そう思っていた。山吹は自分が決めた人、失敗は許されない。その熱意が周囲にもひしひしと伝わっていた。
そんな彼女の姿に、直希もつぐみも嬉しそうだった。あおいや菜乃花が自らの仕事に誇りを持ち、挑んでいく。それは彼らがずっと望んできたことだった。菜乃花の面談した入居者も、近い内に入居することが決まっている。
あおい荘に今、新しい風が爽やかに吹いていた。若いスタッフと、新しい入居者によって。
直希が望む未来の姿が、そこにはあった。
新しい入居者を迎えるにあたって、あおい荘では引っ越しが続いていた。
一階の空き部屋はつぐみが使っていた部屋の一室だけ。二階には直希とつぐみが住んでいる。
旧つぐみの部屋に山吹が入ることになっているが、次の入居者が入ってきた時、その一人だけが二階に住むのはバランスが悪い。ここで一度、居室のシャッフルをしてみてはどうだろう、そう言った直希の提案を受け入れてのものだった。
二階には栄太郎夫妻と西村、節子がやってきた。直希と同じ階になった節子は大喜びで、度々直希の部屋を訪れるようになった。栄太郎たちもつぐみの容態を気にして顔を出し、いつも直希の部屋で話に華を咲かせていたのだった。
そしてもう一つ。直希の報告にあおい荘が揺れた。
「東海林医院」の転居だった。
「それはつまり、東海林医院があおい荘に来る、ということなのかね」
食堂での報告会で、生田が口を開いた。
「はい、その通りです。まあ、そうは言ってもこれから動き出すことなので、半年ぐらい先の話なんですが」
「でもでも、もしそうなったらつぐみさん、これからもずっとここにいてくれるんですよね」
「ええ、そうなるわ。私はいつか東海林医院を継ぐ。それが子供の頃からの夢だった。でも、今の私にはあおい荘もある。贅沢な悩みだと思うけど、今の私にとってはどっちも大切な場所なの。だからね、直希には本当に感謝してるの」
「あ、でも、その……直希さんすごいです。あおい荘の隣の土地、買っちゃったんですね」
「菜乃花、そこはスルーでいいからね。何度も言ってるけどこの人、お金だけは持ってるから」
「おいおいつぐみ、大切な奥様の為でもあるのにその言い方、酷くない?」
「ふふっ、分かってるわよ。ありがとう」
「隣に病院が出来れば、皆さんが今よりもっと安心して暮らすことが出来る。それにおじさんも、つぐみとすぐ近くで暮らせるって喜んでた」
「……どちらかって言ったら、生まれて来る孫が目当てなんだけどね」
「両方だよ、両方」
そう言って頭を撫でると、つぐみが頬を染めて微笑んだ。
「と言う訳で皆さん、しばらくは工事などで少し騒がしくなりますが、どうかご協力の程、よろしくお願いします」
「勿論よ直希ちゃん。それに私たち、東海林先生と今よりお近づきになれる訳だし、嬉しいわ」
「ありがとうございます山下さん。父のことも、その……よろしくお願いします」
「うふふふっ、つぐみちゃんは本当、お父さんのことが大好きよね」
「小山さん、そんなこと……でも、よろしくお願いします」
「ほっほっほ。何なら東海林さんもな、ここで一緒に住めばいいんじゃて。わしらにとっては大事な戦友じゃしな」
「私も同意見です。我々にとって東海林さんは、大切な友人ですから」
「西村さん、生田さん……ありがとうございます」
「これでこの街の顔役、四人が集まる訳だ」
「じいちゃん、悪い顔になってるよ。あんまり悪さが過ぎたら、今度こそばあちゃんに愛想つかされるからね」
「ナオちゃんお願いね。この人、東海林さんが来るって聞いてからずっと、『これで麻雀の面子はいつでも揃ったな』なんて言ってるんだから」
「じいちゃん、遊ぶなとは言わないけど、ほどほどにね。ここは雀荘じゃないんだから」
「分かってる、分かってるからいじめるなよ。でもな、酒も煙草もやめたわしだ、少しぐらい遊びで羽根を伸ばしてもいいだろうて」
「節度を守って、ならね」
「本当、直人と一緒で、こいつもクソ真面目なんだよな」
「つぐみ嬢、体調はいいんかね」
「ありがとうございます、節子さん。特に問題ないです」
「あんたも本当に、いい女になったもんさね。私の見立て通り、その子は間違いなく女の子だよ」
「節子さん、恥ずかしいのでその辺で……でもありがとうございます」
「そう言えば菜乃花くん、最近調子はどうなのかな」
「あ、はい。友達も出来ましたし、勉強も楽しいです。それに直希さんが言ってた通り、介護って本当に知っておかなければいけないことがたくさんあって、毎日が新しい発見で楽しいです」
「あ、いや、それもなんだが、その……兼太との調子なんだが」
「兼太くんとですか」
生田の言葉に、菜乃花は赤面してうつむいた。
「ああいや、すまない。
「いえ、嫌とかじゃないんですけど、その……ちょっと恥ずかしくて」
「兼太は私にとって大切な孫だ。それに……菜乃花くんも勿論、私にとって大切なスタッフ……いや、違うな、正直に言おう。君はいつも、私たちに親身になってくれている。私は君のことも、本当の家族だと思ってる」
「生田さん……」
「喧嘩などしてないかな。兼太は君に比べるとまだまだ子供だ。
生田の言葉に、入居者たちから笑いが起こった。
「うふふふっ、生田さん、孫のことを大切に思ってくださって、ありがとうございます」
「あ、いや、小山さん、これはその……すみません、つい熱くなってしまった」
「それもまたいいさね。生田くんが菜乃花嬢のことを、本当の娘の様に思ってる証拠さね。菜乃花嬢、生田くんがこう言ってるんだ。何かあったら真っ先に相談するといい」
「節子さんまで……でも、ありがとうございます」
「あおいちゃんはどうかな。特養(特別養護老人ホーム)、少しは慣れたかな」
「いえいえ直希さん、私なんかまだまだです。先輩たちの仕事ぶりを見させてもらう、それで精一杯な感じです」
「そうなんだ。でもあおいちゃん、あんまり焦らないようにね。こういうのは時間も必要だから」
「はいです。あ、でもこの前、オムツ交換で初めて先輩に誉められましたです。うまくなったねって」
「そっか。それはよかった」
「はいです。私も嬉しかったです」
そう言って笑顔を向ける。
あおいも菜乃花も、新しい環境の中で日々成長している。そのことが嬉しくて、直希もつぐみも顔を見合わせ、満足そうに微笑むのだった。
「そろそろ……到着かな」
「は、はいです!直希さん、どうかよろしくお願いしますです!」
「ああいや、あおいちゃん?あおいちゃんが入居する訳じゃないし、その言い方はちょっと違うような」
「あはははっ、もうアオちゃん、さっきから緊張しすぎ」
「明日香さんまで……すいませんです」
「明日香さん、時間の方はいいの?まだ配達、残ってるんでしょ」
「いいんだよつぐみん、あおい荘に新しい入居者さんがやってくるんだ。あたしにとっても大事なイベントなんだからさ。それに考えてみたらあたし、あおい荘の入居者さんと初日に会うのって初めてなんだよね。だから楽しみなんだ」
「あら、そうだったかしら。いつも来てるから、そんな風に感じたことなかったわ」
「あ、でも、その……明日香さん、私が担当した方も、近々入居することになってるんです。その方の時も、その……明日香さんにも来てもらえたら嬉しいです」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん。うんうん、任せておいて。なのっちの頼みとあらばお姉さん、何があっても飛んでくるからさ」
「ありがとうございます、明日香さん」
「着いたようだね」
直希の言葉に、皆が正門に視線を注ぐ。
タクシーから降りてきた山吹とその息子夫婦。直希たちに気付き、頭を下げて玄関へと歩いてくる。
あおいは一歩前に出ると、満面の笑顔を向けて言った。
「山吹さん、お久しぶりです。今日からよろしくお願いしますです」
そして小さく息を吐くと、全員で声を合わせた。
「あおい荘にようこそ!」
***************************************
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
作品に対する感想・ご意見等いただければ嬉しいです。
今後とも、よろしくお願い致します。
栗須帳拝
あおい荘にようこそ 栗須帳(くりす・とばり) @kurisutobari
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます