スマホ使用ルール
人間が暮らす要素として「衣食住」という言葉がある。
着るものと、食べるものと、住む場所。
人間が暮らすにはその三つをまず確保しなくてはならない。
的を射た言葉だと思う。
実際、住む場所がなくなったとたん、私はとんでもなく不便な生活を強いられることになったんだから。
「……主人様! ご主人様! 起きてくだだい」
「待って……もうちょっと待って……」
侍女に声をかけられた私は、喉からうめき声を絞り出した。
眠い。
というかダルい。
血圧が全然上がってないのか、体が重くて思うように動かせなかった。
こんなに体が思うようにならないのは、小夜子だった時以来だ。
「きっつ……」
リリアーナの寝起きは悪くない。
ダンスで鍛えた健康優良児は、血圧も健康優良児だからだ。
しかし、今日ばかりは寝汚くなってしまうのもしょうがない。だって、いつものふかふかベッドは女子寮の崩壊に巻き込まれて、潰されてしまったんだから。
居室がわりに使うことになった教室に、クッションなんて優しいものはない。いくら侯爵令嬢といえども、救援物資のひとつもない状況では、毛布一枚体に巻いて硬い床の上で横になるしかなかったのだ。
なかなか寝付けず変な夢を見た上に、中途半端なタイミングで起こされて、寝起きは最悪だった。
「リリィ、おはよう!」
隣を見ると、クリスが元気よくストレッチしていた。そこに私のような疲れは見えない。いつも通りツヤツヤピカピカだ。
私の記憶が確かなら、彼女も私と同じように床で寝てたはずなんだけど。
「クレイモアにいる時は、おじい様と一緒に泊りがけで狩りに出たりするからな! この程度問題ない。雨風がしのげてるぶん、快適なくらいだ」
クレイモアの野生児、つよい。
っていうか、男として育てたって事情を差し引いても、孫娘の扱いがワイルドすぎませんか。
「今……おきる……」
重い体をなだめすかして、なんとか体を起こす。
高位貴族の侯爵令嬢には、下々の者を守る義務がある。同じように床で毛布生活をしている女子生徒のケアのために、働かなくちゃならない。
王子様も通うような学校に入ってくる女子は、全員筋金入りのお嬢様育ちだ。
放っておいたら全員倒れてしまう。
「よい……せっ」
体を起こして下着姿から制服に着替える。
自分たちの着るぶんだけでも、制服が残っててよかった。住環境が不自由ななかで、着るものまで不自由だと身動きがとれない。
「とりあえず、顔洗ってくる」
「かしこまりました」
私が廊下に出ると、フィーアもすっと後ろからついてくる。背筋を伸ばして歩くフィーアにも荒れたところはなかった。彼女も護衛として私の知らないところで鍛えられているのだろう。
一晩で疲れを溜めるなんて、私が軟弱……いや、ふたりとも規格外にタフなんだよね?
私が例外ってわけじゃないよね?
頭の中で謎の言い訳をしながら、顔を洗って身支度を整える。
この後は男子たちと合流して、生徒の朝食準備だ。いつもの厨房が使えないから、野戦食を作る騎士科男子生徒たちと連携をとる必要がある。
そう思いながら、速足で歩いていると見知った顔に出くわした。
「……よお」
「おはよう~……リリィ」
男子寮の銀髪コンビ、ヴァンとケヴィンだ。
私と目があうなり、ふたりはそろってあくびする。
「ふたりとも眠そうね。やっぱり被災中じゃ落ち着かなかった?」
女子寮と違って、男子寮は今も立派に建っている。
私たちと違って彼らの部屋に変わりはないはずだ。でも、あちこちで建物が壊れて周りの環境は一変している。まったくの普段通りとはいかないだろう。
しかし、私の気遣いは空振りに終わった。
「いや、ちょっと……昨日の夜スマホをいじってたら、寝るのが遅くなって」
「あはは、実は俺も」
ヴァンがへらりと笑って、その隣でケヴィンが苦笑した。
ふたりとも私の心配を返せ。
スマホの機種変したら思わず時間を忘れていじりまわしちゃった、とかあるけどさあ!
異世界人まで同じことすると思わなかったよ。
「そんなに夢中になるアプリとかあった?」
スマホの機能自体は現代日本と同じだけど、環境はまるで違う。
インターネットで数十億人とつながっていた現代日本とは違い、この世界でのスマホユーザー数は十人程度しかいない。
百四十文字のネタポストを投稿する者もいなければ、バーチャル歌姫に自作の曲を演奏させる作曲家もいないし、三十秒のおもしろ動画を作る者もいない。スマホという箱はあってもコンテンツがロクに存在しないのだ。
だから、そんなに時間がつぶせるものがあるとは思えなかったんだけど。
「俺がやってたのはコレかな。トランプ? っていうカードを山札からとって並べていくやつ」
知ってる。
パソコンを買ったら必ず入っているタイプのカードゲームだ。
まさか、神様製のスマホにまで入っているとは。
ケヴィンがそれを聞いて笑う。
「単純なのに思わず何度もやっちゃうよね。俺は表示されてる数字から、どこに爆弾があるか推理するゲームも好きかな」
地雷をスイープするやつだね。
リセットごとに地雷の位置が変わるから、何度でも無限に遊べるお手軽ゲームだ。
「同じ升目を使うものだと、九マスの正方形がたくさん並んでて、一から九までの数字がどこにあてはまるか、考えるゲームもおもしろかった」
なるほどなるほど。
ケヴィンは推理系パズルがお好き、と。
普段落ち着いて周りを見ている彼らしい好みだと思う。
「しかし、やっぱ地震のせいでちょっと疲れてんのかなあ? ちょっと夜更かししただけだっていうのに、なんか妙に疲れてて」
「それは俺も思った。今まで夜更かししたことなんて何度でもあるのに、思ったより体が重いんだよね」
「……それ、睡眠不足のせいだけじゃないわよ」
話を聞いていた私は、思わずツッコミをいれてしまった。
「なんで?」
ヴァンはきょとんとした顔でこっちを見返す。
本気で気づいてなかったらしい。
「忘れてるようだから教えてあげけど、私たちが持ってるスマホは『魔力循環式』なの。動力源は、持ち主の体内魔力」
「あ」
ケヴィンがはっと顔をあげた。
「ちょっと通話するくらいなら、ほとんど魔力は消費されないわ。でも、常にユーザーから入力を受けて処理を返すゲームは、大きな負担になるはずよ」
モニターを光らせたりBGMを演奏するのも、魔力消費につながる。彼らは昨日一晩、ずっと小さな魔法を使っていたのと同じ状態だ。体がだるいのは魔力枯渇のせいだろう。
「あんまりゲームばっかりやってたら、体を壊すわよ」
勇士七家の末裔はだいたい魔力持ちだからうっかりしていた。
いざという時、体の負担にならないよう、発電機や予備バッテリーの配備を考えておいたほうがいいかもしれない。
だけど、まず最初の対策として、無用なスマホ操作を制限したほうがいいだろう。
「遊ぶなとは言わないわよ。楽しんで操作してるほうが、扱い方を覚えやすいもの」
しかし、何事も限度というものがある。
「ゲームは一日、一時間まで!」
なぜ私は、異世界に生まれ変わってまで、どこかのご家庭ルールのようなことを宣言しているのだろうか。
解せぬ。
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