王子の決心(オリヴァー視点)

 突然、警笛が王宮中で鳴り響いた。


「なにっ……?」


 私室でくつろいでいた俺は、とっさに窓から飛びのく。

 危険を察知した時には、むやみに窓に近づかないほうがいい、と護衛騎士たちに教えられていたからだ。


「ヘルムー……」


 側近に確認させようとした俺の指示は空振りになった。

 そうだった。

 ヘルムートとは、さっき言い争いになって距離を置いたんだった。

 仕方なく、俺はそろりと横側から窓に近づく。壁にぴったりと背中をつけ、覗き込むようにして外の様子をうかがった。

 警笛にはいくつか種類がある。

 甲高く長く伸ばす音が示すのは『火事』だ。

 それも複数箇所から聞こえてくる。

 音が示す通り、城内のいくつかの場所から黒い煙があがっていた。


「ヘルムート、そこにいるか?」


 状況を把握した俺は、隣の部屋へとつながるドアに向かって声をかけた。

 解任すると決めたが、まだあいつは俺の側近だ。俺に拒絶されたところで、遠くには行けない。次の間で静かに待っているはずだ。

 しかし、返事はなかった。


「ヘルムート?」


 やはり返事がない。

 俺は恐る恐るドアをあける。いつも側近が待機していた部屋は無人だった。見慣れたアッシュブラウンの姿がどこにも見当たらない。


「……ヘルムート?」

「オリヴァー殿下、ご在室ですか!」


 いぶかしんでいると、けたたましいノックの音とともに、騎士が数名部屋に飛び込んできた。彼らの姿には見覚えがある。王室のプライベートエリアを警護している近衛たちだ。


「俺はここだ」

「ご無事で何よりです」


 俺が偽王族だとは知らない彼らは、心の底からの安堵を見せる。その気遣いに罪悪感を覚えながらも、俺はつとめて王子らしくほほえんだ。

 今は真実を明かすタイミングではない。

 まだ。


「火事の警笛が聞こえてきたが」

「はい。城内の複数個所で火災が発生しました。現在近衛と城内の護衛騎士が協力して対処にあったっています」


 窓から見た光景の通りの内容が報告される。


「俺はどうしたらいい。どこかに避難したほうがいいか?」

「いえ。こちらのお部屋は出火場所から距離があります。火の手が回る可能性は低いでしょう。我々が警備と伝令をいたしますので、ヘルムートとともにお部屋で待機して……あれ? 殿下、ヘルムートはどうされました」


 いつもいるはずの青年の姿が見えないことに気づいたのだろう。近衛たちはきょろきょろとあたりを見回した。

 俺は苦笑して肩をすくめる。


「ちょうど、使いに出したところだったんだ。すぐに戻ると思うんだが」


 ヘルムートは、なるべく彼に責任のない形で解任する予定だ。俺の至らない発言が原因とはいえ、職務を放棄して持ち場を離れたことがバレるわけにはいかない。

 俺はとっさに嘘をついて一歩さがった。


「王子の御命令ではしょうがないですね」


 ヘルムートが俺の指示で時々使いに出されているのは、城の誰もが知っている。彼らも納得してうなずいた。


「では、ヘルムートの代わりに騎士をひとり次の間に残しておきます」

「わかった、俺は部屋で待機している。皆は任務に専念してくれ」

「はいっ!」


 俺が部屋に引っ込むと同時に、彼らはそれぞれの持ち場へと向かっていった。

 ふたたび私室にひとりとなった俺は、身をひそめるようにしてそっと壁際に座り込む。

 非常事態のさなかに、護衛対象が勝手に動き回ることほど迷惑なものはない。

 王立学園で被災し、リーダーシップをとろうとして大失敗した俺は、その害を嫌というほど知らされている。騎士見習いばかりの王立学園と違い、王宮に勤める騎士は、近衛も警備兵も優秀だ。彼らに任せていれば、すぐに事態は収拾するだろう。

 今はただ彼らの邪魔しないよう、部屋の隅で息をひそめるのが俺の仕事だ。


「……ヘルムートが戻ってきた時の言い訳でも考えるか」


 いくら自分が王子でも、勇士七家に連なるランス伯爵家の次男坊を簡単にクビにできない。穏便に辞めさせるにはそれなりの手続きが必要だ。

 それまでは、ヘルムートは王子の側近だ。

 どれほどの溝があったとしても、離れられない。

 ピィ、とひときわ甲高い警笛が響いてきた。

 はっとして俺は体を起こす。ふたたび壁越しに外をうかがってみたら、とんでもない光景が目に飛び込んできた。

 王宮のはずれ。

 かつて祖父の側室が暮らしていた離宮が燃えていた。美しかった白亜の外壁は赤い炎と真っ黒な煙に包まれている。


「な……」


 離宮は、側室の子であるクリスティーヌがシルヴァンと婚約したときに、一度無人になった。しかし、一か月ほど前からキラウェアの姫君シュゼットを迎える宿泊所として使われている。彼女をもてなすクリスティーヌとリリアーナも一緒だ。

 婚約者たちの危機に、俺は思わず窓に身を乗り出してしまう。

 見ているうちに、離宮から人影がいくつも出てきた。

 防犯のため、離宮は王宮の中にありながらその周りに深い堀がめぐらされていた。外とは細い橋一本でしかつながっていない。離宮にいたらしい少女たちは、必死に橋を渡ってくる。

 ふと、最後尾を走っていた少女たちが立ち止まった時だった。

 バン、と大きな音がして橋が爆発した。

 華奢な石造りの橋はガラガラとあっという間に崩れていく。

 橋を渡っていた者は外へ、まだ橋に足を踏み入れてなかった者は、火の手のあがる離宮の中へと戻っていく。


「まずい……!」


 離宮に残った少女は、黒髪と銀髪のふたりだった。

 顔までは見えなかったが、叔母のクリスティーヌと、婚約者のリリアーナに違いない。

 責任感の強い彼女たちのことだから、他の少女たちを逃がすため、最後尾を走っていたのだろう。

 見ている間にも離宮を覆う炎はどんどん大きくなっていく。


「ヘルムート、ふたりを助けに……!」


 思わず振り返った先に、見慣れたアッシュブラウンの青年はいなかった。

 長年しみついた頼り癖に、思わず己の頭を殴りたくなる。

 いや、今は目の前の問題だ。


「彼女たちを救うには、どうするべきか」


 放火犯の狙いは、離宮だ。

 王宮のあちこちで火事が起きたあと、少し遅れて火の手があがったのがその証拠だ。最初の火事で警備を浮足立たせ、そのスキに離宮を襲ったのだ。

 橋を落としたのも、救援を向かわせないため。

 リリアーナか、クリスティーヌか、あの場に残った少女が標的だ。

 王妃と対立しているふたりには、狙われる理由がいくらでもあった。

 離宮に駆け付けるだけなら、そう難しくはない。

 実は離宮には地下通路があるからだ。堀の下を通り中庭のはずれに出る、その通路を使えばこちらからも彼女たちを迎えにいける。

 王族と王子の婚約者を助けるためなのだ、王子の俺が通路を使っても誰も咎めないだろう。

 しかし、それだけでいいんだろうか?

 一年前ならいざ知らず、俺はすでに母である王妃の悪意を知っている。

 あの人が、火のついた建物に少女を追い込んだだけで満足するだろうか?

 さらに何か大きな罠が仕掛けられているのでは、ないだろうか?

 だとしたら、単身乗り込むのは危険だ。

 王子として専門教育を受けているとはいえ、自分の剣術はしょせん騎士見習い程度だ。ひとりで彼女たちを守り切れるか、と問われれば否と答えるしかない。

 かといって、ヘルムートは頼れない。

 離れると決めた相手に甘えるべきではないし、そもそもこの場にいない。

 かといって外に詰めている近衛も頼れない。

 ハルバード侯爵が第一師団長になったことでかなり減ったとはいえ、王宮にはまだ王妃派の貴族や騎士が何人もいる。今までヘルムートに頼り切りだった俺には、誰が信用できる騎士なのか、全然区別がつかない。

 誰かいないだろうか。

 不測の事態に対応できるほどの強さをもち。

 抜け道の存在を他言せず。

 決して裏切らない騎士。

 俺に忠誠を誓ってなくてもいい。

 せめて、リリアーナとクリスティーヌを害さないと信じられる誰か。


「そうだ……」


 俺は顔をあげると立ち上がった。

 次の間に控える騎士に気づかれないよう、そっと本棚に手を触れる。その奥には、王族だけが知る抜け道のひとつが隠されていた。

 俺は本棚の間に現れた隙間に体を滑り込ませると、狭い道を静かに、できるだけ速く走り始めた。

 目的地は離宮とは反対側。

 普段執務が行われている、行政エリアのほうだ。

 いくつかの扉を通って中枢部に裏側から忍び込む。

 最後にわざと足音を立てながら、目的の執務室へと飛び込んだ。


「誰だ!」


 部屋に入るなり、剣を向けられる。

 しかし本気で斬りつける気はなかったようで、切っ先はこちらを向いていても、剣と俺の体の間にはやや距離があった。


「俺だ、オリヴァーだ」

「……これは失礼しました」


 俺が誰か把握した相手は、すっと剣を降ろして頭をさげた。

 背の高い黒髪の男は、真っ青な右目の下にぽつんとひとつ泣きボクロがある。

 男は最近王宮トレンドとしてもてはやされている、黒縁の眼鏡をかけていた。

 宰相の息子のフランドール・ミセリコルデだ。


「謝らなくていい。無作法な場所から入ってきたのは、俺のほうだ」


 彼は俺にとって、非常に複雑な相手だ。

 なにしろ、彼は俺の婚約者であるリリアーナと裏で愛し合っているのだから。世間的に言えば、彼は恋敵であり不貞の輩なのだろう。もっとも、彼らはリリアーナが王妃から婚約を命じられる前から結婚を誓っていたそうだから、間男はどちらかと言うと俺のほうだ。

 だが今はそんな関係性を気にしている場合じゃない。


「離宮の橋が落ちたのは、知っているか?」

「はい。救助隊を送ろうと検討していたところです」

「……ついてきてくれ、地下から離宮に入れる道がある」

「いいのですか?」


 フランドールは青い目を見開いた。

 俺は首を振る。


「彼女たちを助けるためだ。いいも悪いもない」


 身を翻して、隠し通路の入り口を大きく開ける。


「手を貸してくれ。俺ひとりでは彼女たちを守れるかどうかわからない。だが……君なら、必ず彼女たちを、リリアーナを守るだろう?」

「無論です」


 俺たちは、リリアーナのもとへと駆け出した。





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