番外編

聖女の目覚め(ディッツ視点)

「東の賢者様、おはようございます」


 声をかけられて、俺は足を止めた。

 振り向くと、金髪碧眼の絶世の美女が立っていた。白百合の二つ名を持つ侯爵夫人は、後ろに侍女を連れたまま、静かにこちらへと歩いてくる。

 俺は彼女に向き合うと、うやうやしく頭をさげた。


「おはようございます、奥様」


 前国王陛下から賢者の二つ名を賜った医者だから、と侯爵夫人は俺を貴人のように扱ってくれるが、俺の血筋は庶民。さらに、彼らの娘の部下である。

 こちらが礼を尽くすのが筋である。


「今日もお客様の治療ですか?」


 薬品その他が入ったバッグを持っているからだろう。侯爵夫人はゆったりと上品に首をかしげた。

 つい一か月前、ここ王都は歴史上類を見ないほどの大地震に襲われた。

 庶民街は揺れと火災でほぼ壊滅。

 自分が勤務していた王立学園も地震の影響で女子寮が崩壊。休校を余儀なくされたため、俺は主の実家であるハルバード侯爵家のタウンハウスに身を寄せていた。

 傷病者だらけの王都で、優秀な医者の手があいていると聞けば、頼りたくなるものだ。どこからか、俺の屋敷滞在を聞きつけた貴族たちから、ハルバード家に診療依頼が殺到していた。

 庶民に比べて頑丈な家に住んでいたとはいえ、土地が揺れたのは貴族街も同じ。

 火災こそ少なかったものの、多くの人間が倒れてきた家具の下敷きになるなどして、怪我を負った。

 医者自身が被災したことで、今までの治療が受けられなくなった者もいる。

 それら患者を治療してほしい、というわけだ。

 俺の身分は侯爵令嬢の専属魔法使いだ。だから侯爵家の人間以外診ない、と全部突っぱねることもできた。

 しかし、生き残った医者に対して、被災者が多すぎるのも事実。

 結局、侯爵家と宰相家に間に入ってもらい、緊急性の高い患者や高度な医療技術の必要な患者だけ治療する、外来専門診療所を侯爵邸の一角に開くことになってしまっていた。


「いえ、患者の波が落ち着いてきたので、今日は休診です」

「まあ、それはよかったですわ」


 侯爵夫人は花がほころぶような笑顔になる。

 美人系のお嬢が笑うとかわいらしくなるのは、母親からの遺伝だろう。


「回復した怪我人が医者のところに来なくなるのは、喜ばしいことです」

「それだけじゃありませんわ」


 侯爵夫人は、今度は困り顔になる。


「賢者様も自分の時間が取れるようになったのでしょう? たくさんの患者さんにおひとりで対応して、お休みになる暇もなかったではありませんか」

「ご心配おかけします」

「休診ということは、今日一日ゆっくりされるのかしら」


 何かおいしいものでも手配しましょうか、という侯爵夫人の優しい気遣いを、やんわりと辞退する。


「お気遣いなく。今日はセシリア嬢の様子を見たあと、弟子の看病に専念するつもりですから」

「ジェイドに何かあったのですか?」


 お嬢の配下として、ジェイドのこともよく知る侯爵夫人は、心配そうに眼を見開いた。俺は苦笑しながら手を振る。


「ただの過労です」


 実は外来診療所を開くにあたり、弟子の手は借りていなかった。

 フランドール様の従者のひとりとして、王城にあがらせていたからだ。噂程度にしか聞いていないが、どうやら地震災害以上にやばいことが各地で起こっているらしい。

 外来診療よりお嬢の一大事。

 そう思って弟子を送り出したのだが、ついに昨日高熱を出して屋敷に担ぎ込まれてきた。

 診断結果は、継続的な魔力枯渇による過労。

 一般人とはけた違いの魔力を持つジェイドが何日も枯渇状態で働かされていたとは。王城で何が起きていたというのだろう。

 まあ、ただの過労ですんでよかった。

 ゆっくり寝て、一度しっかり魔力を回復させればすぐによくなるだろう。

 子供のころは熱を出すたびにつきっきりで面倒を見ていたが、成人して体が丈夫になってからは、めっきりそんなことは減っていた

 たまには師弟水入らずで過ごすのも悪くない。


「では、今日の賢者様たちのお食事は裏の庵に運ばせましょう。おふたりとも、無理せずゆっくりなさってくださいね」


 にこ、とほほえんで女主人は優雅に立ち去った。

 お辞儀してその後ろ姿を見送った俺は、カバンを持ち直して客間のひとつへと向かう。

 ハルバード侯爵邸に外来診療所を開くとなった時、重症の貴族たちから、それぞれの屋敷を訪問する往診対応も希望されていた。

 しかし、広い貴族邸宅をいちいち訪問していては時間がいくらあっても足りない。

 診療数を可能な限り多く確保するため、外来専門とした。

 また、侯爵邸を離れられない理由もある。

 それがこれから診察する予定の患者だ。


「失礼します」


 返事がないと知りながら、ノックして客間に入る。

 ベッドには、ひとり静かに眠る人物がいた。

 お嬢とは真逆の、かわいらしく儚げな少女だ。

ふかふかの高級寝具に広がる長い髪は豪華なストロベリーブロンド。硬く閉じられた瞳は、緑色をしている。

お嬢の友人、セシリア・ラインヘルト子爵令嬢だ。

 王都が未曾有の大災害に見舞われたのを目の当たりにし、ショックで倒れたらしい。

 俺はお嬢から彼女の治療と看護を命じられていた。

 主の命令を絶対とする俺は、セシリアを置いて侯爵邸を出られない。


「今日も見た目は変わらず、か……」


 俺はセシリアのベッドサイドに座りこむと、カバンの中からカルテを引っ張り出した。いつもの手順に従って、簡単に診察する。


「体温、脈拍、呼吸、どれも安定して変わりなし」


 眠る少女の頬はバラ色で、どこにも荒れたところはなかった。

 痩せるでもなし、太るでもなし。

 寝たきり患者に多い褥瘡も見られない。

 今にもふっとその金のまつ毛を上げ、澄んだ緑の瞳を開いて体を起こしそうだ。

 しかし、彼女は目を覚まさない。

 倒れて一か月経った今も。

 王立学園でジェイドが俺のところに担ぎ込んできた時には、大したことはなさそうだった。

 脈も呼吸も安定していたし、顔色も良かった。

 だからすぐ目を覚ますと思い、様子を見ていたのだ。

 異変に気付いたのは、ハルバード邸に彼女を運んで三日目のことだった。

 彼女はその日も健康そのものだった。

 異常なほどに。

 病気でも怪我でも、ベッドに寝付いた人間の衰弱は早い。

 人間が飲まず食わずで過ごせる日数はそう長くないからだ。

 生き物は常に汗をかき、心臓を動かし、体を温める。

 ただ生きる、それだけのために人は水と食料を必要とする。

 意識のない人間に栄養を取らせる術はない。口も思うように開けない彼らは、何も補給できず、眠ったままその生涯を閉じてしまう。

 だから眠ったままのセシリアもそうなるはずなのだが。


「しかし体は健康そのもの。どーなってんだかねえ」


 診察道具を横に置き、セシリアの体をめぐる魔力に集中する。

 彼女はうちの弟子と同程度、いやそれ以上の膨大な量の魔力を体に保持していた。それらは彼女の中を循環するだけでなく、一部が空気中へと放出され、また空気中から体内へと戻ってきている。

 まるで世界そのものが、彼女を生かしているようだった。


「セシリア嬢が聖女、って話……アレ、本当なのか?」


 いつだったか、俺がお嬢たちの避難所として開放している、王立学園の研究室でそんな話を耳にした。あの場でお嬢たちが話すことは他言無用、としていたのでつっこんで聞いたことはなかった。しかし、目の前で奇跡を起こされては気にせざるを得なくなる。

 この国にとって聖女は特別だ。

 邪神の侵略を退ける絶対の英雄。

 大災害が王都を襲った今、聖女の出現は人々の希望となるだろう。

 しかし俺は奇跡を目の当たりにしてなお、セシリアが聖女という可能性の懐疑的だった。


「聖女とか、全然向いてないだろ、この子」


 王立学園の教師として一年半、セシリアを観察していた俺には、彼女がとても人々を導く存在には見えなかった。

 臆病で人見知り。

 成績優秀でも注目されるのは怖くてたまらない。

 おびえる小動物のような子供なのだ。

 それ自体が悪いわけではない。

 性格は個人の特性だ。

 深窓の令嬢として貴族の妻になるのなら、多少引っ込み思案でも問題ない。

 ただ聖女は別だ。

 邪神との戦いの先頭に立たなくてはならない。

 セシリアにそんな強さがあるようには思えなかった。

 お嬢が聖女だって言われたほうがまだ納得できる。


「こんな脆い女の子を、聖女に祀り上げていいものかねえ」


 ため息をついた時だった。

 ふわりといいにおいが鼻をくすぐった。

 においを追うようにして、サイドボードを見ると、そこに花が一輪生けてあった。医師である俺には薬草以外の花はどれも同じに見える。

 しかし、いいにおいだということはわかった。

 この花はセシリアのために摘まれたものだ。

 客人がずっと眠り続けていると聞いた若い庭師が、せめてもの慰めに、と毎日一輪ずつ届けているのだそうだ。

 少女の病室は、毎日花の柔らかな香りで満たされていた。

 苦しむ少女にそっと寄り添う。

 今のセシリアには、そんな存在こそが必要なのではないだろうか。

 思わずため息をついてしまった時だった。


「賢者様、賢者様はいらっしゃいますか!」


 ぱたぱたと慌ただしい足音が廊下に響いてきた。

 俺はあわてて客室から顔を出す。


「どうした?」


 俺の姿を見つけた侯爵家のメイドは、すぐに客間の前までやってくる。


「王城で火事が起きたそうです。騎士団が総出で消火にあたっているようですが、怪我人も出ているようで……もしかしたら、賢者様にも治療依頼があるかもしれません」

「わかった。準備しよう」


 メイドに返事をしてから、一歩後退する。

 準備をするならベッドサイドに置いた診察道具を回収しなくては。

 ベッドを振り返った俺はそこでぎくりと足を止めた。

 少女が起きていた。

 ベッドに体を起こし、ぼんやりと前を見つめている。


「セシリア……?」


 俺のつぶやきに反応して、少女の緑の瞳がこちらを向いた。

 寝起きだからだろうか?

 表情の抜け落ちた少女は、まるで人形のようだった。


「おはようございます、賢者様」

「お……おう……俺のことが、わかるんだな?」

「はい」


 こくりとうなずく。

 意識レベルに問題はなさそうだ。


「じっくり診察したいところなんだが……その」

「王城で異変が起きたのですよね」


 するりと布団の間から出たセシリアは、何のためらいもなくベッドサイドに立つ。

 一か月も寝たきりだった人間の動きではなかった。

 完全な健康体である。


「モラトリアムはもう終わり……そういうことのようです」


 小さくつぶやいて顔をあげる。

 青ざめていたが、その瞳には意志の光が宿っていた。


「賢者様、私も着替えて治療のお手伝いをいたします。治療魔法は得意ですから」

「そうか」


 少女の提案にただうなずくしかできない。


「それと、侯爵夫人に、庭師の解雇を提案しなくては」

「庭師? なんで」


 毎日花を届けてくれた心優しい好青年になんて仕打ちをするんだ。

 セシリアはくしゃりと顔をゆがませる。

 笑い顔なのか、泣き顔なのか、よくわからない。


「あれは、アギト国のスパイ、ユラの変装です。敵を侯爵邸に入れたままにはできませんから」

「アギト? スパイ? って、あいつユーライアなのか?!」


 ユーライア・アシュフォルトと名乗るキラウェアからの留学生が、実はアギト国のスパイだった、という話は聞いていた。しかしそんな奴がどうやって侯爵邸に潜り込んでいたというのか。

 慌てる俺の前で、セシリアはぎゅっと手を握りしめる。

 臆病な少女が初めて見せる怒りの表情だった。


「王都を破壊しておきながら人を気遣うとか、どこまでもひどい人……今度会ったら、ただじゃおかないんだから」


 セシリアはきっと窓の外を睨んだ。


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というわけで、ディッツ視点の番外編でした!

王宮奮闘編の裏で、セシリアがどう過ごしていたかにスポットをあててみました。

こういう視点も楽しいですよね!


さて、ふたつほどお知らせが!

2024年7月26日、「クソゲー悪役令嬢」の初短編集が発売されます!

詳しい話は近況ノートでもお知らせするので、チェックよろしくお願いします。


また、「クソゲー悪役令嬢」のスピンオフ連載も開始!

「無理ゲー転生王女(クソゲー悪役令嬢外伝)~隣国王子に婚約破棄されたけど、絶対生き延びてやる!」

https://kakuyomu.jp/works/16818093080097776830


500年前のもうひとりの転生者の奮闘記になります。

こちらもよろしくお願いします!!!











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