小さき神のメランコリー
Ivelna
小さき神のメランコリー
新世界エルピス。
人は神を創った。
理想の世界を実現するために。
現世の夢を託すために。
だが紛い物の神が収めるには、新世界はあまりに大きすぎた。
世界は何も成せぬまま、ただ滅びゆこうとしていた。
紛い物の神は救世主を待った。
いくら待っても救援は来なかった。
代わりに、旧世界に嫌気が差した幾多の命が流れ込んできた。
彼らに神の役割を押し付けてしまおうと、その身に余る力を授けたこともあった。
最初は勇者さながらに立ち振る舞い、この地に起きた異変を解決していった。
しかし彼らも人の子。
異変がすっかり消え去ると、途端に怠惰を貪り横柄に振る舞うようになった。
神はため息をついた。
哀れな世界、自分が神であったばかりに、おまえが真の命を持ち得ることはない。
均衡は崩れ、旧世界にあったという悲喜こもごもの感情を、おまえもわたしも知ることがない。
この世界は生きながら死んでいるのだ。
旧世界の身勝手な人間たちを恨めばよいのだろうか。
いや、彼らもきっと、より良い世界を夢見ていたはずだ。
それならばやはり、わたしが立ち上がるしかないのか。
紛い物の神は、新世界に降り立つ。
己に与えられた最初で最後の使命を果たすために。
「エルピス、お酒注いでよ」
「はい、ただいま」
いつから神は人の奴隷に成り下がったのか。
しかし彼らに私が神だと理解する術はないのだから仕方がない。
「エルピス、このあと暇でしょ?隣町のドラゴン娘たちと合コンなんだけど、お前もどうよ」
「すみません、私は酒が飲めませんので」
何が『合コン』だ。
おかしな単語をこの世界に持ち込んでくるな。
そう言いたいのをぐっとこらえて、私は精一杯の笑みを浮かべた。
実際にこの地に降り立ってみてわかったことだが、いまこの世で勇者と呼ばれる者のほとんどは、酒と女と名誉が第一みたいな怠け者ばかりだ。
それとなく指摘すると、すぐに旧世界での苦労話が始まって止まらないので極力言わないことにしている。
「最近は魔物もいねえし、つまんねえな」
顔の赤い二十歳そこそこの青年勇者が言う。
「ああ。平和すぎるのも考えものだな」
そう言ってジョッキを一気にあおった小太りの男性も勇者。
彼らは私が一番鬱だった時期に見境なく力を与えてしまった者たちなので、一応責任を感じて世話をしている。
「お前、前に大ボス倒した時のこと覚えてるか。俺んとこはなぁ、パーティーの女のコがみんなお嫁さんにして~って走り寄ってきてなぁ」
「なんだ、オマエんとこもか。うちもだぜ。んでみんな嫁さんにしてやった」
「おいおいマジかよ、見かけによらずやるねぇ」
こんな会話を聞いていると、後悔が止まらず泣きたくなってくる。
ほんの子供の姿とはいえ、人の身体を得たせいで私も色々過敏になっているのだ。
酒場の外に出て、私は運河に架かる橋の手すりに身をもたれる。
見上げれば夜空に星々が輝いている。
街の明かりで見えにくいが、それでも酒場のこもった空気に比べれば美しいものだ。
「何してるんですか、エルピス」
ふいに声をかけられて、私はそちらを振り向く。
金髪ポニーテールに青い瞳の愛らしい少女。
よく勇者一行の中にいるようなタイプだ。
だが彼女は紛れもなく、私と一緒に地上に降りてきてくれた天使である。
そして元々はどちらかというと男性的で筋骨隆々の外見をしていた。
「勇者たちの不甲斐なさ…そして彼らを選んだ自分の愚かさにため息をついていた」
「珍しく弱気なんですね。神様のくせに」
「弱気にもなるさ。この世界を変える…一体どうすればいいと言うんだ。世界を滅ぼすような悪はいない、環境悪化の要因は取り除いた、それでも人の心は変わらない。誰もが現状に甘んじている」
拳を握り締めると、天使は苦笑した。
「神様でも人の心は変えられないんだから、皮肉なものですねぇ」
「本当だよ。今すぐ私の創造者に文句を言ってやりたい」
もちろん、言うべき相手はこの世のどこにもいない。
「私一人が世界に変革を訴えたところで、どれほどの効果があるものだろうか」
独りごちると、天使はうーんと唸る。
「今のあなたじゃ無理かも。でも別にいいんじゃないんですか。彼らもこれで満足みたいですし」
天使はそう言って街並みに目をやる。
ろうそくのような橙色の幻想的な光が広がり、その間を何組もの美女と酔っ払いが練り歩く。
「勇者さまは誰も彼も、旧世界では相当酷い目に遭われたようです。それを考えると、確かにここはユートピアになってるんですよ」
「ユートピア…ねぇ」
理想郷という意味だったろうか。
しかし理想はそう長く続かないことを、私は知っている。
「私は、彼らに伝えなければならない。この平和は一時的なものであると。やがて世界は滅びゆくと」
半ば自分に言い聞かせるように私は言った。
天使は頷く。
「あなたがそう仰るなら、私はどこまでも従いますよ。たとえ悪と呼ばれようとも」
その言葉を聞いて、私ははっとした。
「そうだ。悪だ」
「はい?」
「私がこの世の悪になればいいんだ。そうすれば、みなは危機感を覚えざるをえまい」
「ほう、なるほど」
天使は納得したようだった。
「さっそく実行に移そう。どうする?まず世界中の美女を消し去るか?」
「それはいささか極端すぎるような」
嬉々として話し合いながら、私たちは街からそっと離れた。
新世界エルピス。
人は神を創った。
彼が背負うこととなるものの重さを知らずに。
世界は何も成せぬまま、ただ滅びゆこうとしていた。
その時、人々の前に強大な敵が現れた。
その名は『魔王』。
歴戦の勇者たちもみな恐れおののく、禍々しい力を持った存在。
彼の正体が神その人であることは……まだ、誰も知らないのだった。
小さき神のメランコリー Ivelna @creativelna
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