あとがき
本作は、宮沢賢治の『水仙月の四日』を原案としています。作者が小学生の頃、宮沢賢治の童話を読んで絵に描くという課題がありました。その時に選んだのが『水仙月の四日』でした。クラスメイトが有名どころの『銀河鉄道の夜』や『よだかの星』を選ぶ中で、なぜか私はこの作品に惹きつけられたのです。
原作には、
また、原作に登場した赤い
原案では雪童たちが吹雪を起こす理由や、赤い毛布の子どもを助けた理由も明言されていませんでした。翻案に当たって、私は「冬に死んだ命が春を呼ぶ」という法則・摂理を導入しました。セツはスノウ・リーパーとして命を刈り取らなければいけない。しかし、女の子を殺したくないと思ってしまう。この「殺さなければいけないのに、殺したくない」という葛藤を、本作のテーマとして設定したのです。
このテーマは、とあるゲームのキャラクターの元ネタを調べた後に、馬刺しが食べられなくなった体験に由来します。人間を始め、動物は生きるために他の命を殺さなければならない。家畜は殺すために育てられているのです。でも、情が湧いてしまって、殺すことが出来なくなることもあります。そこであっさりと菜食主義者になれたり、霞を食って生きることができたりすれば良いのですが、そう簡単ではありません。
また、食べる以外の理由で殺さなければいけない場面もあります。野良猫や野良犬は猫エイズや狂犬病といった伝染病を媒介したり、人やペットに危害を加えたりする可能性があるので駆除しなければいけません。私たちが健康で安全に暮らすには、彼・彼女らを殺さなくてはならない。それを頭で解っていながら、どうしても生きていて欲しいと願ってしまう。それはどうしようもないのかもしれません。
劇中でも、カジガ婆も過去に人間の子どもを見逃したことを語っています。一見命を刈り取ることに容赦ないカジガ婆ですら、どうしても命を助けてしまう。殺すことを躊躇してしまう。妖怪と人間と言う境界を越えて、庇護欲というものを感じてしまうのです。
私たち人間も、本作に登場した妖怪たちと同じです。例え自然の理に逆らったとしても、命を見捨てることができない。その結果肉が食べられなくなったり、自らの死を望んだりしてしまうのがヒトという「ざんねんな」生き物の性なのです。
それでは皆さん、またの機会にお会いしましょう。
スノウ・リーパー 赤木フランカ(旧・赤木律夫) @writerakagi
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